カルテ0 コード・ブルー!・・・コード・ブルー?
ココノエ ナギサは7年目の精神科医。今日も外来をこなし午後の病棟勤務に向けて小さな医局で、コンビニで買ったアイスコーヒーでカフェインを摂取する。いつも名札をみて彼が思うのは、渚なんて女みたいな名前、つけて欲しくなかったという些細なことだ。収入は人並み以上だろうけど、大金持ちというほどでもない。実家は商店を営む、平凡な家庭。ちょっとした親孝行もできているつもりだ。
だが医師人生7年にしてモテた試しはない。誰だ、医者になったらモテるって言ったやつ。
Twitterで流れて来た真理曰く、モテ補正がかかるだけで「元々モテた奴はもっとモテる。モテなかった奴はちょっとモテる」らしい。
その、「ちょっと」ですら九重渚は心当たりがない。
「俺のモテ期、どっかに落ちてねえかなあ・・・」
ギィ、とオンボロの医局椅子を揺らし、音を立ててアイスコーヒーを飲み干す。
「行きますかね、病棟」
はーぁ、とあくびして、立ち上がる。
医局から病棟までは距離があって、特に精神科の病棟は他の病棟とは別棟で建てられている。
「ん・・・?」
その、医局から病棟への道中。道端に倒れた少女が、一人。
見た途端、渚の中には医師としてやらねばならないことが、知識として駆け巡る。
呼びかけ! バイタル! 必要ならコードブルー!
「大丈夫ですか!?」
教えられた通りに肩のあたりを叩く。これが最も相手を覚醒させやすい。
「大丈夫ですか!」
うーん、と呻いた彼女に渚は一安心する。意識はあるようなら、心肺蘇生の必要なしか。
しかし、気になる点が一点。
触れた彼女の体温が、冷たい。異様に、低いのだ。
(低体温症・・・? 自殺企図でもしたのか?)
うつ伏せに倒れていた彼女を抱き起こして、揺さぶる。
「う・・・・」
薄目を開けた少女の瞳に渚は驚愕する。−−赤い!
いや、最近はカラコンとかもあるしな・・・と渚は自分を落ち着かせる。
「大丈夫ですか! とりあえず救急室に運びますよ!」
PHSを取り上げ、救急室に連絡を取ろうとした瞬間。右腕を掴まれて、PHSを放り投げられる。
「あっ・・・って、コラ! って、え!?」
うー、と呻いてゆっくりと、ゆっくりと立ち上がった少女は。
黒い髪を腰まで伸ばして、ハーフアップにした髪が清楚に揺れる。
うっすらと開かれた赤い瞳がこちらを見つめていて。
その顔立ちはまるで、ドールのように、端正に創られていた。
「・・・お医者さんは・・・よば、ないで」
そう言いながらも彼女はよろめく。
「大丈夫か!」
「血・・・血が足りないだけだから・・・」
「貧血なのか?」
ならやっぱり救急室へ、とPHSを拾いに向かう彼に、少女は立ちはだかる。
「私は、お医者さんには知られてはいけない存在、なのです」
いや、俺医者だしー! と思いながら、これは精神科案件か? と頭の中模索する。
精神科 九重渚
名札を見たのだろうか。少女は、
「妄想とかじゃないから・・・血がね、、とにかく、足りない・・・」
「どういうことなんだ」
「だって吸血鬼なんだもん」
・・・うーん。
とっても、ステキな妄想じゃない?
渚は頭を抱えた。
「わかった、俺が診るから、来なさい」
「私は血が欲しいだけ」
「輸血ならしてあげられるから。とにかく、おいで。そのままではまた倒れてしまうだろう?」
輸血・・・と少女は反芻して、しばらく渚を警戒の目で見つめた後、分かった、と頷いた。
「お医者さんに知られてしまったのはまずいけど・・・血をくれるならついていく」
「分かった。で、君は吸血鬼なんだな」
「うん」
「一人で歩けるか?」
「なんとか」
そうして、九重渚は少女を診察室になんとか押し込むことに成功した。
電子カルテを開いて、渚は尋ねる。
「名前は?」
「サクラ・エインズワース」
「年齢は?」
「うーん・・・数えるの忘れちゃった。多分、200歳くらい」
そのままをカルテに記載して行く。
「最近大きな病気はされました? ご家族に重病の方は?」
「ないわ。家族はもういないから分からない」
「ええと。不思議な声が聞こえたりしますか?」
「いいえ。・・・ていうか、さっさと血を寄越しなさいよ」
患者とは思えない太々しい座り方で、サクラ・エインズワースは問診に答えて行く。
「先ほどご自身が吸血鬼とおっしゃっていましたね」
「ええ、そうよ。証拠、見る?」
「どんな証拠がおありなんですか?」
「ほら、あれ」
サクラが指差したのは、診察室の手洗いに備え付けられた鏡。
「私はうつらない」
「・・・・・・」
この時、渚の中に、あれ、この子本当に吸血鬼なんじゃないか? という思いが芽生え始めた。
「他には」
「体温」
「ちょっと失礼」
彼女の右手首を取って脈をみる。
体温も感じなければ、脈もなかった。
血の気が引いた。
「お、俺の血を吸う気か!?」
「そうじゃなかったの?」
あら、とサクラは不思議そうに首を傾げる。黒髪がしゃらん、と揺れた。
「血を吸われたら吸血鬼になる」
「ならないわ。それは間違った伝承」
「そもそもだ。吸血鬼は昼間行動できない」
「それもちょっと間違った伝承」
いい!? サクラ・エインズワースは立ち上がった。
「現代に生きる吸血鬼は、ほとんど人間と一緒なの! 古典的な悪意ある吸血鬼と一緒にしないでちょうだい」
いや、知らんがなーと全力でツッコミながら、渚は震える手で輸血パックのオーダーをした。
「とにかくだな、血が届くからそれでも飲んでくれ」
お茶を出すノリで血をオーダーしてしまった。
「あと、私を拾ったわね。私の秘密を知ったわね。なら、匿いなさい。現代社会は吸血鬼には生きづらいの」
「匿うって、どこに」
「あなたの家よ」
物事を頼んでる割にはこの吸血鬼様は偉そうである。でも。
脳みそフル回転でも追いつかない医学知識が、コイツが吸血鬼だと告げていて。吸血鬼なら確かに、家もなければ心細かろうと思って。それでも。
「俺の家かよ!」
絶叫したタイミングで、輸血パックが診察室に届いたのだった。