僕にできる事
プロローグ
僕達は、付き合って、2年目だった。彼女は、ちょっと前から疲れたと、そう言い続けていた。僕は、いろいろとデートをしに行っていた時、その時でさえ、結構疲れたと言っていた。僕は、その時に、気付くべきだったんだ。彼女の体を蝕んでいる、あの事に…
第1章
彼女は、学校の同級生で、小学校から7年間、ずっと同じクラスになっていた。僕達は、よく気があった仲間として、また、いろいろなことを言いあえる友達として、これからも、仲よく出来ると思っていた。それ以上の関係に発展することは、小学5年生の時、初めて気付いた。胸のところに、いつもなんだかすっきりしないものを抱えているような、そんな感覚が、ずっと僕の心を覆っていた。それは、彼女と会うたびに、膨らんでいっていた。だから、直感的に、これが誰かを好きになる、その感覚だと分かった。
僕は、彼女に告白したのは、そのことを知ってから、1年ぐらいしてから、つまり、小学6年になってからだった。彼女は、泣きながら笑って、僕の胸に抱きついた。それから、僕達は付きあいだした。長い、とても長い、彼女との付き合いになると思っていた。ケンカもした、でも、どちらともなく、許しあえた。それが、僕達の関係だと思えたから、それこそが、恋人同士の関係だと思ったから…でも、中学に入り、同じ部活に入り、同じように生活して行く中で、彼女にある変化が起きてきた事に、真っ先に僕が気付いた。彼女に、徐々に元気がなくなっていっていたのだ。僕は、そのことを、彼女に聞くと、ここ最近特に疲れやすくなっているという話だった。それでも彼女は、周りに元気をふりまく事をやめなかった。彼女は、徐々に弱っていった。しかし、それは、ゆっくりとした変化だった。
第2章
「私ね、明日、病院に行ってみる」
「そうか…」
僕達は、その週の金曜日に、そんな会話をしていた。
彼女は、何事もないように、そう言った。僕自身も彼女自身も、何事もないと、そう思っていた。
翌々日、直接彼女から連絡が入った。
「はい、川鋳です」
「あ、益家君?私、銅出真子よ。実は、入院する事になったの」
「え?」
僕は、その言葉を聞いた時、どう反応すればいいか、とっさに分からなかった。僕は、その言葉をよく考えて、言った。
「入院するんだ…」
「そう、なんて言ったかな…まあ、何でもいいや。とりあえず、今は検査入院って言う形になるらしいんだけど、もしかしたら、検査だけじゃすまないかもしれないって」
「そうか…」
「あ、ごめんね?もう切らないと…」
「分かった。じゃあ、また」
僕は、何をすればいいか分からない状態で、電話をおいた。彼女は、元気そうな声をしていたが、それでも、彼女の中に潜んでいる病魔は、その元気ささえも取り去って行くかもしれない。彼女を失った僕の胸に開いた隙間、その時、誰が癒してくれるのだろうか。この時には、まだ、彼女は死ぬことが決まったわけじゃなかった。だから、僕も、ゆっくりと、彼女のことを考える事が出来た。
翌日、月曜日から、彼女は中学校を休学する事になった。この休学期間はいつまで続くか、それは、この時点では誰も分からなかった。
第3章
僕は、毎週日曜日、出来る限りお見舞いに行くようにしていた。あの殺風景な病室に、彼女一人っきりにする事は出来ないと考えたからだった。いつものように、病室を確認して、そこに行った。彼女は、4人部屋の一番窓際、扉から見て右側のところにいた。
「どう?調子は」
僕は、その周りの3人には目もくれずに、彼女の所にいった。
「今の所、大丈夫。そっちは?」
「大丈夫。心配しなくても」
「中学校は結構進むんでしょうね」
「ちゃんと毎回ノート取ってるから、復活した時に見せるよ」
「そう?それはいいわね」
僕は、そう言って毎回各教科の要点を一冊にまとめたノートを彼女のために土曜日に作って、日曜日に持っていっていた。
「ありがとうね。今回も」
「大丈夫だ。学校に行った時に、周りの人たちをびっくりさせるのが、いいんだろ?」
「そうだね…」
彼女は、そう言って、窓の外を見ていた。
「本当に大丈夫か?」
僕は、そんな彼女を見て、不安になった。彼女は、こっちを向いて、赤くなりながら、手を振って否定した。
「本当に大丈夫だから。だから、ね?」
「…検査の結果は?」
「…白血病だって。正確には、慢性骨髄性白血病」
「白血病って…治るのか?」
「発見が比較的早い段階だったからね。まだ望みがあるみたいよ。ここ最近は、治癒率がとても増えているみたいだからね」
「そうか…」
僕は、ほっとした口調で言った。
「とりあえず、帰るよ。なんだか、迷惑そうだし…」
そんな僕を、彼女は引きとめた。手をつかまれて、僕は、再び彼女の近くまで行かざるを得なかった。
「行かないで…」
僕は、近くの椅子を彼女の枕の近くに持っていって、座った。
「どうしたんだ?」
「周りがしらない人ばかりで、なんだか、疲れるのに拍車がかかるのよ」
「それで、僕がいたら安心するって、そう言うことなんだな」
「…うん」
彼女は、ゆっくりとうなづいた。ぼくは、そんな彼女を抱きしめた。
「やっぱり人は、人を欲しがるんだ。できるだけ、身近な人をね」
彼女は、いつの日かのように、泣いた。そんな彼女を、僕は愛おしく思った。
彼女から聞いた話によると、この治療には、造血幹細胞移植と言うよく分からないものをする必要があると言っていた。
「ゾウケツカンサイボウイショク?」
「血を作るための細胞を、自分のところか誰かから私の体の中に入れることらしいわ。それをすると、私の体の中のそれをするためのものがよくなるんだって」
彼女は、医者から聞いたと思うその話を聞かせてくれた。僕は、よく分からなかったが、それでも、彼女は、生きようと一生懸命だった。
第4章
造血幹細胞移植をするために、彼女は、徐々に準備をしていた。僕は、家にあった辞書を使って、造血幹細胞移植と言うのを探してみた。
「造血幹細胞とは、骨の奥のゼリー状の組織である骨髄に存在する、血液をつくるもとになる細胞です。赤血球、白血球、血小板という3種類の血液細胞(血球)をつくるほか、造血幹細胞自身を自己複製してつくる機能があります。赤血球、白血球、血小板は各々酸素運搬、異物排除・感染防御、止血の各機能を担う、生命維持に不可欠な細胞です。造血幹細胞移植のおもな対象である白血病あるいは再生不良性貧血は、造血幹細胞ががん化あるいは機能低下し、正常な血液細胞ができなくなる病気です。
造血幹細胞移植は、白血病、再生不良性貧血などの難治性血液疾患(造血器疾患)を対象とする治療法です。対症療法的に血液の不足成分を補う輸血と異なり、移植する造血幹細胞により正常な血液細胞をつくろうとする有力な根治療法です。移植する幹細胞を得る方法として、骨髄移植、末梢血幹細胞移植、臍帯血移植[さいたいけついしょく]の3種類があります。前二者については、同種移植のほか患者自身の幹細胞を戻す自己移植があります。
造血幹細胞移植は、患者とドナーの組織適合性(組織の相性)の一致、具体的にはヒト白血球型抗原(HLA)の適合が移植成功の必須条件です。この条件にあう血縁者のドナー(血縁適合ドナー)からの骨髄移植が広く実施され、骨髄バンクを介する非血縁間の骨髄移植も年々増加しています。また、ドナーへの顆粒球増殖因子(G−CSF)の投与、造血幹細胞を体外循環中に選択的に得る成分採血装置により、末梢血から十分量の造血幹細胞採取が可能となり、末梢血幹細胞移植もさかんになっています。さらに、臍帯血にも造血幹細胞が多く含まれること、HLA適合性の制約が前二者に比べ厳しくないことから、臍帯血移植に大きな期待が寄せられ、各地の臍帯血バンクをネットワーク化する努力がなされています。」(以上、時事通信社「家庭の医学」より抜粋)
ややこしい事が山ほど出てきたが、それでも、感覚的に、造血幹細胞と言うものを、誰かからかもらってきて、彼女に注射すると言うことがわかった。
「なるほど…」
僕は、本を閉じて、考えた。もしも、僕の血が合っているのだったら、彼女に移すことができるんじゃないんだろうか。
「でも、どうやってするんだろう…」
骨髄移植や、全身麻酔をするような事を昔どこかで見たような記憶があるっきりだった。
僕は、やはり、彼女の所にいっていた。しかし、土曜日に、ノートをまとめる前に、ちょっとした事をして来た。
「どう?調子は」
僕は、いつも言っている言葉をかけた。
「うん、大丈夫よ。そっちは?」
「こっち側も大丈夫。ほら、ノート」
「ありがとうね」
僕は、椅子を持ってきて、座った。僕が渡したノートは、横の机のところに、日付順におかれていた。
「そういえばさ、骨髄移植とか、受けるんだよな…」
「そうだね。造血肝細胞移植よりも、そっちの方がいいかもしれないって、なんだか、受けやすいかもしれないって言っていたからね」
「それでさ、僕自身が、ドナー登録をしたんだ…」
「え?」
「今は、誰かの型と一致しているか、それを確かめているみたいなんだけど、お前のためなら、いや、どんな人に対しても、僕自身の、この体を賭してすることをいとわない。みんな苦しんでいるんだ。そんな人を、目の前で見捨てられるか?」
「……」
彼女は、笑いながら泣いていた。
「ありがとう…」
彼女は、そんな状況でも、僕に対して、一言だけ言った。それっきり、彼女は、泣き続けていた。僕は、ただ、そばにいてやっただけだった。
翌々週に、とある手紙が来た。彼女と僕の型が、偶然にも細部まで一致したと言う手紙だった。僕は、入院して、骨髄採取をするために、さまざまな検査を受けた。彼女の方も、骨髄を受け取るために、さまざまな準備をしていたらしいが、僕は、見る機会がなかった。
さらに一ヶ月後、僕達は、骨髄を移植した。
第5章
移植後、僕は、とてつもない痛みと共に、行動することしか出来なかった。彼女の様子をうわごとのように聞いていたと、後になって教えてくれた。それほどまでに、僕は彼女の事を考えていたと言うことらしい。どうにか退院できるようになった時、僕は、真っ先に、彼女のところにいった。彼女は、いつもの病室に移されていて、僕は、いつものようにあいさつをして、それで、椅子を持ってきて、彼女の枕元で座った。彼女は、前に、僕があげた帽子をかぶっていた。副作用の影響で、いろいろとあったらしい。青と白のボーダーの手編みの帽子は、彼女の13歳の誕生日プレゼントとして、僕がどうにかして作ったものだった。形は悪かったが、それでも、彼女は喜んで受け取ってくれていた。
「それ、被ってくれていたんだな」
「うん。どう?似合ってる?」
「ああ、とても似合ってるよ」
僕は、正直な感想を言った。彼女は、こちらを向いて笑った。僕も、つられて笑った。ベットに横になっている彼女は、なんとなく、元気そうに見えた。でも、本当のことは、本人しか分からなかった。
僕は、この後も、毎週日曜日に、いつものようにノートを持って病院に行く日々が続いていた。
どうしようもない、そんなことはないと思っていた。必ずよくなると言う、その信念を持っていたら、必ずよくなるはずだと、僕達は思っていた。
第6章
中学の卒業式の前日、彼女は、まだ退院できていなかった。
「なんだか、長い間になっちゃったね」
「大丈夫なのか?」
高校入試を翌々日に控えた僕は、本当ならば、家にこもって勉強をするべきなんだろうけど、それでも、僕は彼女の事が心配になって、来てしまうのだった。
「大丈夫、明日は、車椅子に乗って行くか、ちゃんと、歩いて行くかのどちらかになると思うから」
「そうか、じゃあ、先生に連絡しておくよ」
僕は、1ヶ月前に、親にねだって買ってもらった携帯電話で、先生に連絡を入れた。彼女は、ずっと、空を見ていた。
電話をし終えた僕は、彼女の所に戻って、いろいろな事を話した。これからの事、今まで出来なかった事、そして、僕達の事。何もかもが、胸の中から溢れてきていて、どうしようもない大河の流れのように、出てきた。僕自身、なぜか分からないが、涙が出てきた。
「大丈夫だった?」
涙が出て目の前がかすんでいる僕を見て、彼女は、心配そうに言った。
「大丈夫だから…」
僕は、それを言うのが精一杯だった。彼女は、どこからかハンカチを出して僕に握らせ、こう言った。
「それで、涙を拭いたら?」
そのハンカチに、僕は見覚えがあった。
「これって…」
彼女を見た。彼女は、ぼんやりとうなづいていた。
「それ、益家君が、ずいぶん前に貸してくれたものなの。ずっと返そうと思っていたんだけど、なかなかその機会がなくてね」
「……」
僕は、それで目を覆った。
病室を出ようとしている時に、彼女に呼びとめられた。
「ねえ、益家君」
「どうした?」
僕は、彼女の方を向いて聞いた。彼女は、目を伏せていた。
「もしも、このまま、治らなければ、どうなるんだろう」
僕は、出て行こうとしていたのをやめて、彼女の所に戻った。そして、彼女に僕の気持ちを言った。
「何があっても、僕自身は、君のことを好きでい続ける。だから、このまま治らなくても、僕自身は、君の事を見捨てはしない。何があっても、君を全力で救えると確信しているから」
彼女は、さっきの僕のように泣き出していた。僕は、そんな彼女を、抱きしめた。
「大丈夫、泣いても構わない。僕がずっと見といてあげるから」
彼女が泣きやんでから、僕は、病室を出ていった。
第7章
翌日、中学校の卒業式。僕は、朝早めに起きて、病院によってから学校に向かった。彼女を迎えにいったのであった。
「どう?準備できた?」
僕は、いつもの病室に入った。彼女は、僕の方を向いて1回まわって見せた。
「どう?久し振りに着るけど…」
「似合ってるよ」
制服だから、似合っているのも何もないと思ったのだが、僕は、とりあえずそう言っておくことにした。彼女は、笑って言った。
「じゃあ、行こうか」
「ああ」
僕達は、そのまま、歩いて病室を出た。病室を出た時、僕は、ある所に電話を入れた。彼女は、不思議そうな顔をしていたが、結局何も聞かなかった。
僕のお母さんが運転する車の中で、僕は、彼女が元気になった幸運な人の一人だと思っていた。
「大丈夫なのか?」
「もうちょっと入院がいるみたい。でも、もう一人で十分歩けるまでに回復して来たんだ。医者も、驚いていたよ」
「もうそこまで回復していたんだな」
「そう。あと、もう一息」
「そうか…」
僕は、あの移植手術のことを思い出していた。あの時、僕がもしも彼女に移植をしていなかったら、彼女は、こうしてここに座って笑っていられただろうか。僕の手術の1年前、法律が改正されて、10歳以上だったら骨髄バンクに登録できるようになった事は、僕にとって、偶然の産物でしかなく、彼女の命を救う原因にもなった。僕は、あらためて、神の存在を近くに感じるようになった。
学校に到着して、彼女は、久し振りに学校に到着した。
「ほとんど勉強できなかったけど、それでも、私にとっての母校なんだね」
「そうだ。僕達にとっての母校だ。さあ、教室に行ってみよう。先生が、いつ学校に戻ってきてもいいように、教室や席の場所も全部決めていたんだ」
彼女は、久しぶりの学校を見回していた。愛おしそうに校舎の壁を見ていたり、何も変わっていない事を確認するように靴箱の中を見たりしていた。
「私がいない時、何も変える事はなかったんだね」
「ああ、工事もしていない。だから、君が入院してから、この学校については何一つ触れられていない」
僕達は、気付けば教室に来ていた。中は、誰もいないように息を潜めていた。僕は、彼女に先に入るように勧めた。彼女は、何が待ちうけているか知らずに、そのまま教室の中に入った。ドアを開け、中に一歩踏み入れた時、パーンとクラッカーの大音響が響いてきた。
「久しぶり。銅出真子さん」
先生が、そこに立っていた。彼女は、僕の方を見た。
「病室を出た時の電話は、これのためだったのね」
「そうさ。君が、ビックリするように、1週間前からいろいろと考えていたんだ。それで、パーティーを開く事にしてね」
何もしらない彼女は、本当に驚いていた。しかし、その中でも、喜びに満ち溢れた顔をしていた。彼女は、目を細くして、僕に言った。
「ありがとう」
彼女は、そのまま教室の真ん中にまで歩いていった。
教室でドンチャン騒ぎをしている時、放送が流れてきた。
「卒業生の皆さんは、廊下に出て、体育館に整列してきてください」
「さあ、みんな。いよいよ卒業式だ。気合を入れろよ!」
先生が、最後にほえた。
「卒業生入場」
体育館は、いつもの騒がしさと違う雰囲気になっていた。壁には紅白の幕がはられており、壇上には、校長が、下を見ていた。さらに、保護者、在校生の代表として2年生が座っている席のちょうど中央に作られた通路を、定められたように、歩いていった。彼女は、とりあえず直前になってどのようにするかを聞かされていたが、それでも、学年の誰よりの緊張をしていただろう。もしもの時に備えて、一番後ろに、医者が2名待機していた。
卒業式は、何事もなく過ぎ去っていった。そして、退場し、再び教室に集まった。
「さて、最後になったが、アルバムのための集合写真を取る事になっている。一番いい服装というのは、こんな時になるものだからな」
先生は、そう言っていたが、僕には、そのいっている真意がすぐに分かった。彼女がいてこそのクラスだと、先生は考えているようだった。僕も、同じような意見だった。先生は、写真屋さんが待っているところに、みんなを誘導した。
「さあ、みんな思い思いのポーズをして、写真に写ってくれ。えっと…」
先生は、何かを言おうとして、そのままやめた。
写真屋さんは、40前後と見られる人で、そのまま、あちこちに指示をして、場所を決めていっていた。
「はーい。では、このレンズを見てくださいね。では、撮りますよ」
そのまま、パシャリパシャリと、調子よく2回ほどカメラにおさめた。
「では、解散してください」
先生がすぐに言った。
「このまま、教室に戻ってくれ。みんなに渡したい物がある」
それは、先生からの最後のプレゼントだった。
三度教室に戻って、先生が来るのを待った。ドアが開けられて、先生が入ってきた時に持ってきたのは、大きな包み紙に入った、何かだった。それは、生徒である僕達にも知らされていない、先生だけが知っているものだった。
「高校生になる君達に、これが必要だと思って、これを君達にひとつずつ渡そう」
先生が包み紙を破った時に、現れたのは、電子辞書だった。いわゆる一番安いモデルのものだったが、それでも、銘が打ってあった。それぞれの名前が刻まれている、世界で一つだけの電子辞書だった。
それと共に渡された物は、誰もがいらない、通知表だった。こうして、卒業式は、何事もなく終わっていった。
ふたたび、僕のお母さんが運転する車に乗り、彼女と僕は、病院に向かった。
「ありがとうね。本当に」
「何に対して感謝されているのかな?僕自身、よく分からないな」
僕は、うそぶいた。彼女は、そのことを目ざとく判断して、すぐに言った。
「本当はわかっているんでしょ?」
僕は、にやりと笑った。彼女に対して嘘はつけないと思った。
「ああ、卒業式に呼んでくれて、だろ?」
彼女も笑った。僕も、それにつられた。
「正解よ。たった一日だったけど、それでも、私は幸せに過ごせた、今までにない一日だと思う。こんな何気ない物が、本当に幸せだと、そう思えたの」
「……」
彼女は、笑いながら泣いていた。でも、彼女自身、それに気付いていないようだった。僕は、ハンカチを彼女に渡した。
「ほら、これ使え」
その時、目頭から、気持ちがあふれていくのが、分かった。
エピローグ
卒業式の翌日、僕は、公立高校の入試をしていた。彼女は、再び入院生活に戻った。しかし、これまでのように、毎週日曜日に、彼女に会いに行くことはやめなかった。彼女にとって、僕の存在はとても大きなもので、僕にとっても、彼女の存在はとても大きなものだったからだ。どんなものに対しても、かえがたいもの。それが、彼女だと、僕は勝手に考えていることにしている。
翌々年になって、彼女は、どうにか退院する事ができた。その時には、あの時のクラスメイトの中で、彼女と中がよかった人たちや担任の先生達が、駆けつけてくれていた。彼女は、文部科学省がしている、高校卒業と同程度の知識を持っているかを調べるための試験、高等学校卒業程度認定試験を目指すことにしたらしい。僕達は、再び、外でデートをする事が出来るようになった。
世界は、どう転ぶか分からない。でも、彼女は助かった。それだけは、どんなものよりも確かなものだった。それによって、僕達の結びつきは、あの移植手術によっても、より確かなものになっていた。




