視線恐怖症
「ねぇ、なんでお前って俺の目見ないの?」
彼が言った。そりゃ好きな人のことを直視出来るわけないだろう。それが普通の答えであり普通は相手に言えない。けれど、私は
「視線恐怖症なの。あんただけじゃなくて、どんな人の目も怖くて見られないのよ。」
と答えた。そう、これこそ私が人の目を見られない大きな理由なのである。
人の目が怖い。そう思うようになったのは、中学生の頃だろうか。当時は視線恐怖症なんて知らなかったから、特に理由があるとか、自分が目を合わせるのを恐れているとか、そう思ったことはなかった。
高校生になり、スマートフォンを買ってもらい、人生で初めて自分の携帯電話を手にした。それからは、ふとしたことを調べたり趣味を深く知ろうとしたりした。そんな時、「視線恐怖症」という言葉に出会い、様々な恐怖症があることを知った。
高所恐怖症、閉所恐怖症、暗所恐怖症……幾つでも作れそうな名前だが、その中に自分が当てはまりそうなものはどれくらいあるのかと、色々探してみた。
「……視線恐怖症?」
人の目に恐怖を感じることのようだ。字のままだが、改めて○○症と病気のように書かれているのを見て、少し悲しかったのと同時に、病気までいかない、症候群という曖昧なものに虚しさを感じた。
現代社会に生きる私達は、物凄く脆くて弱いものだと思う。何かあればすぐに体調不良だのストレスだのと、自分を甘やかす。自分大好き人間じゃないか。そのくせ、ヘコヘコして変に自分を卑下するのも大好き。いえいえそんなこと、いえいえいえ、なんて。つまらない物ならあげなければいいし、本当に偉い立場にいるなら堂々とすればいいんじゃないのか。
「じゃあ俺が治してあげよっか?それ。」
最初、言われた意味が分からなかった。
「え?」
「大丈夫だって。ほら、見て?」
私よりも少しだけ背の高かった彼はそう言いながら下から覗き込んできた。
「……っ!?」
無理もない。視線恐怖症だというのに好きな人に至近距離で見つめられて、落ち着いていられるわけがない。
慌てて手で顔を覆う。勿論そばから離れる。整頓された机が音を立ててずれた。
「なんで離れるの。もう一回。」
「嫌!絶対無理!」
もう何がなんだか分からない。いきなり寄ってきて、俺の目を見ろだなんて。
「お前ら、付き合ってんの?」
クラスメイトの吉岡が言う。
「馬鹿じゃないの!?そんなわけ無いでしょ!」
まぁこれだけ距離を詰めて立っていたら、誤解されても仕方ないのかもしれない。でも付き合うどころか告白だってしてないし、そもそもこの時の私は、告白するつもりもなかった。というより、私なんかに好かれても、相手が迷惑するだろうと思っていた。
慌てて彼に背を向け、ずれた机を元に戻す。鞄を持って教室を出た。
顔が赤いままだから、とりあえずトイレにでも行って落ち着いてから帰ろう。このままじゃ、すれ違う人に変に思われるかもしれないし、それを考えたらますます赤くなってしまいそうだ。
「……ふーん。」
ん?誰かいた?気のせいか。