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「嫌な予感しかしねーな」
重人は前を見据えた。その視線の先には雑木林に縁取られた山道が控えている。ここまでくると外灯はなく辺りは真っ暗だ。
「先は獣道の様になっているわ。トラックが行違えるように幅は確保してあるけど舗装は甘い。足元に気を付けてね」
二人は顔見合わせてから濃い暗闇の中へ入っていった。
左右には木々が立ち並んでいる。風が吹くたびに葉が啼いた。近代的な灯りに慣れている二人にとっては居るだけで精神を消耗させられそうな道だった。
「抜けるぜ」
重人が言って直ぐに二人はひらけた場所に出た。広さは体育館の倍ほどで、所々にタイヤや廃車が置き連ねてある。
「もう着ているかしら」
「どうだろうな」
ここへ来るバスの中で佐藤とはすでにコンタクトを取ってある。
意外にも向うはこちらの呼び出しをあっさりと承諾した。
「迷って来られないなんてないよな?」
「山田君じゃないんだから。地図も送ったわ」
二人は左右を確認しながら進む。場を囲う雑木の陰から、直ぐにでも何かが飛び出してきそうだ。暗さに目が慣れたとはいえ初めての場所。しかも待ちうけているのは連続殺人犯の少年。足どりは自然と重くなる。
「誰か居る」
そう言ったのは重人だった。
近づいて目を凝らす。東都高校の制服を着た男子が立っている。
「佐藤拓実君ね?」 柳が訊ねた。
返事はない。しかも虚ろな眼をしている。
「間違いねえ。佐藤だ」重人が拳に力を込める。
「まって山田君。様子がおかしいわ」
「山田、重人……?。ああ、そういう事か。やっぱアイツは来なかったか」佐藤が言った。ゆらゆらと上体を揺らしながら近づいてくる。
「そこで止まって佐藤君。止まらないのなら攻撃を仕掛けるわよ」
柳が動作も加えて促がす。だが止まる気配はない。
「ここまでだな」
重人が右肩を一回まわす。
柳も力を使うための<集中>を行なった。
しかし突如、辺りから物音がして二人の意識はそちらに向いた。
「なに?」と、宙へ訊ねる柳。
重人にはそれが何なのか大方の予想がついていた。
『牙を備えた獣』医師の言葉が脳裏をよぎる。
“力”の存在を知るまではピンとこなかった。だが今は違う。
日常にありふれていて簡単に手に入れられ、牙をもち人を襲えるような獣。
「犬だ」
重人が言って直ぐタイヤや廃車、雑木の陰からそれは現れた。
ざっと見て十匹はいる。しかも両目には獰猛な光を湛えている。
「あんた等も俺を虐めようってんだろ。俺は変わった。もう弱者じゃない。俺はもう虐める側だ」
そう言って佐藤が足を止める。かわりに犬達がゆっくりと動き出した。
「作戦は?」
「そうね。とりあえずワンちゃんをどうにかしましょう」
二人は後じさりながら小声で相談した。
そうして重人は左へ、柳は右に走った。
これを合図に犬達も勢いよく駆け出した。
重人は左右に列なる廃車の角を左に折れる。明らかに相手の方が速いとみて、彼は車を背に待ち構えた。
足音と一緒に、荒々しい息使いが近づいてくる。
左右どちらからくるか……。まさか正面の木の間からは来まい。
考えていると後ろから引っ掻くような音が聴こえた。ハッとして見上げると、車の上から六つの赤い眼がこちらを見ていた。
「まじかよっ」
重人が慌てて振り返る。が、それを待たずに三匹が牙を剥いて襲い掛かって来た。
一匹を宙で殴り飛ばし、残りと地面でもみくちゃになる。うち一匹が腕に噛みつこうと覆いかぶさってきたので、その動きに合わせて蹴り剥がした。
重人はすぐさま起き上がり最後の一匹へ向いた。暗闇の中でもデカいと分かる――シェパードだ。子供の四肢くらいなら簡単に噛み潰すだろう。
下手には動けない。ただ悠長に考えている時間もなさそうだった。撃退したはずの二匹が何事もなかったかの様に起き上がってきたのだ。
重人はもういちど車を背にした。
「しゃあねえな」
時を同じくして、後の雑木林に気をくばりながら柳真央美は一息ついた。その眼前数メートルのところには無数の犬が倒れている。気絶させたのはこれで三回目だった。
前二回とおなじように起き上がってくる犬達を見て、彼女は眉をひそめる。
佐藤を叩かなければ<洗脳>は解けない。想像以上にやっかいな力だ。
でもだからこそここで彼を倒しておかなければならない。
ふう、と息を吐いて五匹へ同時に力を飛ばす。
残りは二匹。
操られているだけで彼等に罪はない。
宙を舞う二匹を見て、彼女の心はひどく痛んだ。
犬を打ち据えるたびに攻撃性が理性を上回りそうになる。キラーエイプ仮説(攻撃性が人の進化の原動力になるという説)が当たっているのなら、本来持ち得ない力を得たために、身体が急速な進化を求めているのかもしれない。
でも自分は人でありたい。自分のような人達にもそうであってほしい。だから犯罪に手を染める佐藤拓実の事もほうっておけない。
柳は胸に手を当てた。攻撃衝動に負けず冷静に力を行使するために。そして心を鬼にする時だと自分にいい聞かせる。
何度でも立ち上がってくるのなら、物理的に立てなくすればいい。
彼女だけに見える<見えない力>が、胸の前で球から薄い円盤状に変化していく。
自然と涙が流れた。
力を放つ寸前だった。
「おーい!」
と声が聞こえて彼女はハッと声の方へ目を向けた。
山田重人がこちらに走ってくる。しかも犬を三匹も引連れて。
「まったく」
柳が呟く。その口元はなぜか嬉しそうだった。
重人は倒れている犬をほいほいと避けながら進む。それから彼女の横につくと「助かったー!」とバンザイをした。
「よく逃げて来られたわね」
重人は列なる車を指差した。どうやら車の屋根を渡ってきたらしい。
「撒けたと思ったんだけどよお――あの三匹もたのむぜ」
「十匹よ」
そう言って柳は顎をしゃくる。
促がされた先を見ると、倒れていた犬達が起きあがるところだった。
「まじかよっ。こっちこなきゃよかった」
「来てくれてよかったわ」
「はあ? てかお前、泣いてんの? どっかやられたんか?」
「ううん。身体は大丈夫」
二人は犬の群に向いた。
「佐藤君の位置はわかる?」
「ああ、上にのぼった時に確認したぜ」
重人は十一時の方を指差した。
「私達が九時を向いているから――山田君、まだ走れる? ここは私がおさておくから、あなたは佐藤君のほうをおねがい」
「おう、まかされた!」
そう言って重人が走り出した。
犬が反応して彼に飛び掛る。
それを打ち落とし柳は微笑んだ。
何度でも倒せばいい。自分はひとりではないのだ。山田重人――彼ならやってくれる。