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―怪奇行―  作者: 蟒蛇
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殴る女 二

「舌、噛むわよ」

 一歩、二歩と後じさる重人を見やり柳が言った。

「うるせえよ」ぺっと口の中の血は吐き出し、重人は口元を袖で拭った。

 彼女との距離は開始時よりも離れていた。言われた通り、触れる事すら出来ていない。顎には何かがぶつかった感触が残っている。拳に似ているがもう少し柔らかい。覚悟を決めれば我慢して無視することも出来そうだが――

 気にくわねえ、と思った。明らかに手加減されている。バラ学を吹っ飛ばした時の威力ならとうに勝負はついている。

 右肩を一回まわし、重人はのっそりと前にでた。

 それに合わせて柳の右手が微かに動く。ほぼ同時に重人の顔が弾かれる。

 続けてまた柳の手が動いた。今度は小さく薙ぐような動きだった。これまでとは違い、腹部にドンッという重い衝撃が走り、重人は俯き歯を食いしばった。

 彼女に“そういう力”があるという前情報がなければ倒れていたかもしれない。

 顔をあげると待ってましたと言わんばかりに、また見えない力で顔面を叩かれる。

 いいところにもらって、一瞬目の前が暗くなった。だが意地でも倒れなかった。

 肩で大きく息をしながら目の焦点を柳真央美に合わせる。

 なぜすぐに勝負を決めない。

 怒りの裏側を疑問が掠めた。

 それからふと、右手に倒れているバラ学が目にはいった。

 何かがひっかかる。

 左と後ろに倒れている他のバラ学にも目をやった。

 重人はハッとした。

「こっからが本番だぜ」

 そう言って彼はこれまで以上に力強く前にでた。先程と同様に軽く顔を叩かれる。だが怯むことなく前進して、あと三歩――

 柳の手が空を薙いだ。重い一撃が腹を叩く――はずだった。

 なんと重人はそれを分かっていたいたかの様に、両腕でがっちりと腹部を庇っていた。

 結果“見えない何か”は彼の腕をたわませるにとどまった。

 一歩後ろへ下がる柳。

 それを見て確信する重人。

 バラ学達は腹を殴られる様にして倒されていた。顔が変形している者はいない。それに近付かれたくらいで自分から距離をとるのも不自然だ。強い一撃を顔にもっていけば終わりのはずなのに。

 間違いない。彼は内心で呟く。

 “柳真央美は顔面を強く殴れない”

 ドンッ、という衝撃が腹を庇う両腕を叩いた。まるでボーリングの球をぶつけられているみたいだ。

 一歩進むとまた重い衝撃が走った。両腕が枯れ木のように軋む。骨の髄までズンと痛む。

 だがそれでも重人は不敵に笑っていた。

 柳の不可解な力。それそのものをどうこうする事はできないが、彼女の人間的な性質を利用することは出来る。

「いくぜオラッ!」

 重人が強く踏み込んだ。顔への軽い衝撃は歯を食いしばればどうという事はない。両腕を胸の前で交差させ“重いパンチ”だけを丁寧に受け止める。

「あと一歩!」 手の届く距離に彼女を捉えパンチを放つ。

 それを後ろに下がって躱す柳。

「やるじゃねえか」バラ学の雑魚ならこの一発で終わっている。

 重人が鋭く踏み込んだ。その足元で砂がザッと二本の帯を引く。右手を振り上げ「もう一発!」

 柳は涼しい顔でそれを見上げ、横に避ける――が、ガクッと体を崩した。

 重人の左手にガッチリと右手首を掴まれていたからだ。

 今まで体感したことのない膂力差に引っ張り込まれ、思わず後へ重心をあずける。

 重人はその動きに合わせて前に出ると、右腕で彼女の脚を抱えて地面へ転がした。それから間髪いれずに仰向けの身体に跨ると鼻を鳴らす。

 素人同士の喧嘩であれば最早必勝の型――馬乗りだ。

「まいったしとけよ」

 右腕を振り上げて重人が忠告した。

「まだ終わっていないけれど」

 柳が涼しい顔で言った。いくら素行不良の山田重人でも女子の顔を殴るなんてことはしない。いや、むしろ彼だからこそ。

「どうしてもか?」小さく呟く重人。

「ええ。退いてくれるかしら」

 彼女は自分に跨っている体をどかそうと胴に手を当てた。びくともしなかった。しかも掴まれている手首にこれまで感じたことのない圧を感じた。

「ちょっと山田君――」 柳真央美はゾッとした。

 自分を見おろす瞳。そこにはありとあらゆる感情の色がなかったのだ。

 思わず死を連想し、恐怖で無意識に“力”が奔った。

 鈍い音ともに重人の顎は跳ね上がり、勢いのまま上体が大きく後ろへ傾いだ。戻ってきた体は前のめりに倒れ、柳真央美の眼前数センチのところで止まった。

 数秒、そのままで愕然としていた彼女がハッとしたように重人の首に指を当てる。ホッと息をついて体を押すと、今度は抵抗なく起き上がることができた。

「とんでもない人ね、あなた」

 思わず畏怖の念がこぼれる。

 右手首には未だに左手が咬みついている。

 引き剥がそうとしても食い込んだ指はびくともしなかった。

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