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―怪奇行―  作者: 蟒蛇
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殴る女

 重人は病院の廊下で立ち尽くしていた。目の前には【インフルエンザの予防はお早めに!】と描かれたポスターが貼られている。その横のベージュ色の壁には、殴り書いたような血のあとがあった。彼の拳から流れたものだった。茶色い長椅子にそれが滴って、はじかれた血のつぶが白い床におちた。真後ろにある病室では駆けつけたばかりの須藤明穂の家族と医師が話をしている。

 重人はすでに彼女の死亡宣告を聞いた後だった。

 救急車が到着した時にはもう致死量にちかい量の血液が流れ出てしまっていたらしい。致命傷となったのは太股の内側に負った傷で、これが大腿動脈を切断してしまっていた。駆けつけた時点でまだ意識があったことが奇跡だった。

『運が悪かった』と死亡宣告のあと医師が呟いた。その瞬間、重人は壁を殴りつけた。拳の皮がめくれているのはそのためだった。

 医師は咎めなかった。彼の呼吸が落ち着くのを待って続きを話しだした。

『奇妙だ』

 明穂が負った傷は人が負わせたものではないとのことだった。『おそらくは犬や猪、牙を持つ獣だろうとは思うが……』呟いて医師は口をかたく結んだ。

 言わんとしていることを重人は察した。都内のなかでは田舎な部類の東都町でも流石に野犬はいない。場所によっては山が面しているところもあるが、人通りの多い場所に猪が降りてくるとは考えにくい。何より東都町で野生の獣が人を襲った事例は知る限り皆無だ。

 須藤明穂は人当たりが良くお喋りで、授業中よく先生に話しかけては授業を脱線させる。悪戯ぽくはあっても嫌味はなく、人から怨みを買うようなタイプではない。なにか、一方的に巻き込まれてしまったに違いない。

 そうやって考えながらどれくらい経っただろう。拳の血は止まりかけていた。

「しげとっ」 

 声のほうを向くと走ってくる春が見えた。慌てていたのか足元は内履きのままである。

「あっきは? 無事なんだよね?」彼女は懇願するみたく重人のそでを掴んだ。しかしその横顔を見てすぐに手を離した。

「うそだよ。そんな事あるわけないじゃん! あっきが」

「死んだよ」重人はあえて自分から告げ、顔を背けた。『明穂が死んだ』という言葉を聞きたくなかった。

「あっきはあんたのこと……」

「なあ、おれ馬鹿だけどよ、好かれてるか嫌われてるかくらいは分かるぜ」

「しげと、あんたはあっきのこと……」

「…………」拳に血が滲んだ。

 それを伝えなければいけない相手はもういないのだ。

「俺、しばらく学校ふけっから」

 歩き出した彼の拳からまた血が落ちた。


 翌日、重人は<PM22:00>と表示される携帯画面から目を外し、今きている小岩の歓楽街をぐるっと見渡した。左右には飲み屋が並んでおり、テナントビルのライトアップされた看板がこっちへ来い、いやこっちだと主張している。他にも暖簾のかかった古めかしい店やLED光の灯る提灯も見てとれる。 

「おっ、学生さん? 遊んでく?」

 声の方を向くとピンク色の法被を着た青年が嘘くさい笑みを浮かべていた。キャバクラの呼び込みだろう。背は低く、小麦色の肌まで人工的だ。

 重人は向き直ると内心で「糞が――」とごちた。

 病院をあとにしてすぐ彼は事件現場へ向った。だが警察が我がもの顔で陣取っていたせいでその日はまったく収穫がなかった。

 今朝にやっと件のコンビニで話を聞く事が出来た。ただし店員は『店の奥に居た』の一点張りで何も見ていないというのだ。できる事といったら聞き込みくらいなものなのに、一番有力そうな目撃者がまさかのハズレとは……だが諦めるわけにはいかない。もしかしたら犯人を見ている人物がいるかもしれない。

 ふと横を向くと呼び込みの青年がまだ何か言っている。そっぽを向くと彼の手が襟に伸びてきた。

「おいガキ! シカトしてんじゃねえぞ!」

 先ほどまでの笑みが嘘のように消えている。明らかに今の表情が本性だろう。

「興味ねえよ」

「なんだと。痛いめ見てえようだな」

 襟を掴む青年の手に力がこもる。

 重人はその腕をがっちと握った。

 青年の顔色が直ぐに変わった。 「痛っ、いででででわかった勘弁してくれっ」

 情けない声をきいて重人は手の力を緩めた。

「くそ、馬鹿力が……今日は変なガキによく出くわすぜ」青年が舌打ち交じりに言った。

「変なガキ?」

「あぁ? ああ……ついさっきもセーラー服の女子がいてよ。色々訊かれたんだよ」

 何を? と訊ねる前に青年が続けた。

「えらく別嬪な女だったなそういえば。うちの店で雇いたくて声をかけたんだがよ、昨日のコンビニの事件やらなんやら、やたら詳しく訊いてくるから気味が悪かったぜ。美人なだけに余計にな。そういや同じ学校じゃねえか? 都高だろお前も」

「どんな奴だ?」重人の目の色が変わる。

「どう……まあ誰が見ても美人だって言うだろうな。化粧っ気はねえけどそれでも派手な顔だ。学級委員って感じじゃねえけどヤンキーって感じでもねえ。ただ独特の雰囲気を纏ってやがったな。今時ロンスカってのも珍しいし」

「ロンスカだぁ?」思い当るのは一人しかいない。柳真央美だ。

「なんだ知り合いか?」

「いや。……その女はどっちへ行った」

「はぁ? あっちだけど」青年が指をさす。

 重人はその方向へ走った。後ろから「おーい!」という声が聞こえた。


 思いのほか早く柳真央美は見つかった。歓楽街をぬけて少し進んだ先の公園。そこで彼女は絡まれていた。相手は薪薔薇学園の生徒五人。たむろしていたところに極上の獲物が舞い込んできてご機嫌のようだ。その下卑た笑い声が公園の外にまで響いている。

 重人は公園の一角にある木陰に隠れて様子を窺っていた。

 柄の悪い男達のなかに居ても、依然彼女は無表情のまま凛としている。

 夜の暗がりにもかかわらず、明暗があるかの様な存在感の差が双方にはあった。加えて、柳真央美の声はよく通る。

「事件について知っていたら教えてくれないかしら」

「あ? そんな事より俺らといいことしようぜ」

 柳がさっと男達を目で流した。「知らないようね。なにも」

「なんだ? 馬鹿にしてんのか。女でも容赦しねえぞ」五人のうち一人が一歩前に出た。高校生のくせにヒゲをはやした坊主頭だ。

 見守っていた重人もこれはいよいよヤバいと思い、割り込もうと身を乗り出す。

 だがその瞬間、彼女の視線がこちらを向いた。思わず足を止める重人。

「何よそ見してんだ? コラッ!」ヒゲ面が柳に近付いて胸ぐらを掴んだ。頭半分男がでかい。体格で言えばひとまわりは違う。

 だが、地面に突っ伏したのは男の方だった。腹を押さえ、うめき声をあげて地面を転がっている。

「何しやがったてめぇ!」

 また一人バラ学の男が柳へ近づいた。それに続いて他の男達も足並みを揃える。

「ちょっとまった!」

 双方の間へ重人が割って入った。

「なんだぁ? こいつの彼氏おとこか? おめぇもやっちまうぞっ!」一人が重人に近付く。

 ガシッ、と重人の拳が男の口を小突いた。ふらついたところにもう一発。次は鼻を殴る。

 男は千鳥足になりその場に尻もちをついた。

 その様を見て、残りの三人のうちの一人が訊いた。「お前、都校の重人か?」

「だったら?」

 訊ねた男が嬉しそうに笑った。

「おめえの事は聞いてるぜ。うちの者が世話になったらしいじゃねえか」

 身に覚えがある――重人が眉を上げる。

「上等だ」別の男がのしのしと力強く前に出てきた。やる気満々といった様子だ。

 自分一人なら一対三でもどうということはないが、今は柳真央美がいる。彼女を守りながら三人を相手にするのかなり面倒だ。

 重人は後ろにいる柳を肩越しに見た。相も変わらず無表情。というより涼しい顔をしている。

「おら! やっちまうぞ!」

 詰め寄ってくる男を見て、やるしかない、と重人は覚悟を決めた。

 次の瞬間、男が吹っ飛んだ。それも腹を支点に体をくの字に折って、一メートルは浮いていた。

「できれば巻き込みたくはなかったのだけれど」

「お前、今の――」

 振り向く重人だったが、彼女の視線は既に敵を捉えていた。空を薙ぐように小さく腕を振ると、ほぼ同時にバラ学が宙を舞った。しかも二人同時に。

 背中から着地する男達を認めてから、重人がおそるおそる訊ねた。

「……本当に人間か?」

「ええ。あなたとも、そこの五人とも少し違うけれど、人間よ」

「はあ? 何事もなかったみたいな面しやがって。お前、今あいつらを……よくわかんねえけどブッ飛ばしただろ。そんなこと」

「出来るはずがない」柳が代弁した。

 重人はぐっと奥歯を噛んだ。

 一人目が倒れた時には気付かなかったが、今二人を倒した時の手の動き、それと連動するように放たれたなにか――

 それが宙を奔り男達を倒したのだと彼は感じとっていた。

「つかなんで、明穂のことを調べてんだ?」

「須藤さん……?」今日初めて柳真央美の無表情が崩れた。訝しげで、それでいてどこか悲しそうにも見える。

「おまえ何か知ってんだろ」

「仮にそうだとしても、あなたを巻き込むわけにはいかないわ」

「その変な力と関係があんのか?」

「あなた――」柳が眉を寄せる。

「別にお前の力になんて興味ねえよ。俺は明穂をやった犯人をブッ飛ばしてえだけだ」

「なら、なおのこと教えるわけにはいかないわ」

「力ずくでも聞くぜ」

 柳が首を横に振る。

「やめておいた方がいい。今のを見たでしょ。腕っぷしに自信があるのはわかるけれど“普通”の人間であるあなたがいくら頑張っても結果はみえてる。それがわからないほど馬鹿ではないでしょ」

「やってみなくちゃわかんないぜ」

「無理よ。私に触れる事すらできないわ」

「そうかよ!」

 重人が地面を蹴った。

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