命の質量
「悪探最高!」重人がゲームセンターを出てすぐに叫んだ。
いま夢中になっているVRゲームの略称だった。
時間もわすれてプレイしていたせいか辺りはずいぶんと暗くなっている。
携帯電話を取り出し時間を確認すると二十一時をまわっていた。
男の子だからということで門限は決められていない。それでも『夕飯までには帰宅する』というのが鈴置家の暗黙の了解だった。
遅刻ばかりの彼もこれだけは頑なにまもっている。破ったのはこれが初めてだった。
自宅に電話をかけると一回目のコールで春がでた。
「もしもし」
「おう、春! 悪い。晩くなった」
「えーと、どちら様でしょうか?」
「はっ? いや、俺だって俺っ」
「流行のオレオレ詐欺ってやつですか?」
彼女は淡々とした口調で返してくる。
「いや、つか、ほらー実は旧友とたまたま出くわしてさ、ついつい話しこんでたら」
「うん、嘘でしょ? あんた、あたし以外に話し込むほど仲いい人いないじゃん」
「なっ……そ、そんな事ねーし!」
「……もういいよ。ご飯にラップかけとくから」
「おう、わるいな。てか、おばさん怒ってる?」
重人はおそるおそる訊いた。
「母さんの性格、知ってるでしょ?」
「ん、まあそっか」
「うん。それじゃあね」
「おう」と返して重人は通話をきった。
しばらく歩き住宅街にはいる。ぽつぽつと並ぶ街灯と、家屋からもれる明りが一斜線の道路を淡く照らしている。
道路標示のない小さな交差点にさしかかり左右を確認すると東都高校の生徒が歩いていた。
「柳じゃん。あいつん家ってこの辺だっけ」
少し考えて重人は眉をあげる。
あれだけ目立つ女が近くに住んでいて気付かないわけがない。
ひとり納得して向き直ると家路を急いだ。
翌朝、重人は学校を遅刻した。
春が声をかけてくれなかったからだ。(どのみち遅刻はするのだが)
まだ昨晩のことを怒っているのかもしれない。
三時限目の途中、重人は考えていた。
帰りが晩くなったくらいでそこまで怒るのだろうか。それに怒っているのとは少し違う気がする。妙に他人行儀とでもいうか。
学校がおわり、重人はまっすぐ帰路についた。
寄り道せずに帰ろう。そうすればまたお節介で口うるさいあいつにもどるはずだ。
次の日の朝――
「遅刻するよっ」と声をかけてきた春に「馬鹿めっ」と重人が返す。
普段より早く目覚めた彼は布団の中で“お節介”を待ち構えていた。
「どうっ。すでに起きてるっていう」
「なら、はやく支度しなよ」
「お、おう」
部屋を出ていく彼女の後姿が、やっぱりよそよそしかった。
次の日も同じだった。その次の日も。その次も。
「つまんね」
放課後の教室。春が部活へ行くのを見送って重人はひとりごちた。
すると「ご、ごめんね」と、彼の横にたつ須藤明穂が謝った。
心ここにあらずといった様子の重人を見て、彼女はその視線を目でおった。それから向き直ると、
「は、春のこと?」
「ん、まあ。あいつ最近なんかおかしくね?」
「え、うーん。言われてみるとそうかな」
「やっぱそうだよな」
「う、うん。……ね、ねえ山田君。このまえ話してた、か、からあげ」
裏返った『からあげ』に、重人は振り向いた。
「そんな話してたな」
「あ、あ、あ、あしたっ! つ、つくってこようかっ!」
いつも以上にモジモジしていたのはこれを言うためだった。
「んじゃ、明日はサボれねえか」
明穂はリンゴのように赤くなった。
「あの、そ、そのもしよかったら明日の朝、一緒に登校、し、しませんか?」
「いいけど。なんで丁寧」重人が小さく笑う。それにつられて明穂も笑った。
「俺、遅刻するかもだぜ?」
「あ……うん」彼女は間おいて返事をした。
遅刻は絶対にダメ。時間通りにきて。
本心ではそう思っていたのかもしれない。神妙な面持ちで小さく頷き、意を決したように言った。
「あたし、一緒に遅刻する」
重人は眉をよせた。「それはダメだろ」と言おうと思ったが、彼女はすでに沈む船と運命を共にする船長みたくなっていた。
こりゃあ絶対に遅刻できねえなと困り顔になる重人。
そのとき「おーい」という魚沼さやかの声がした。
「ちょっと待ってって、さやっ」
声を上げてから、すぐさま重人に向き直る。
「あ、あしたの、待ち合わせ場所と、時間どうしよ」
目だけを斜め上に向ける重人。
彼女の家の場所は春つたいで知っている。なので適当な場所「コンビニ」と答えた。
「う、うん。あそこね。じ、時間は……?」
「七時四五分くらいでいいんじゃね?」
「う、うんっ」明穂がリスみたいに頭を振った。
「おーい、あきー」
また魚沼さやかが呼んだ。さきほどよりも少し硬さがあった。
「ご、ごめんね、山田君。あたし、行かなきゃっ」
そう言って彼女はパタパタと教室をあとにした。
夕飯どき、重人は机の向い側に座る鈴置春のハンバーグに手を伸ばした。
普段ならそれこそ電光の如く彼女の箸が奔る。だがこの時は「半分ならいいよ」と、微笑むだけだった。
らしくない。表情もどこか硬い。
食べ終わると、ここ数日と同じで部屋にこもったきり出てこない。
「なんだってんだよ」
ベッドで横になった重人は何だかおかしくなってきている日常に愚痴を吐いた。
この奇妙な感覚は自分だけなのだろうか。
春の態度もおかしいが、よく考えてみればクラス全体が以前とはどこか違う。
休み時間でも自習をしていたような生徒が、授業が終わるやいなや駆け出し、校庭でサッカーをしていた。授業中居眠りばかりしていた生徒が、真面目にノートをとっていた。口数の少ない生徒はよく喋るようになり、騒がしい生徒は大人しくなっていた。いったいぜんたい――
ふと、つけっぱなしのテレビに目を向けると報道番組が流れていた。内容は東都町で起こっている連続殺人事件についてだ。
現場に赴いているキャスターが切迫した表情で『また新たな犠牲者が――』と報じている。
二日前にも『また新たな』というのを見た気がする。しかも今回の犯行現場はやたら学校に近い場所だった。
物騒だな、と思いつつ重人はテレビから天井に目を移した。あれこれ考えすぎたせいか急な睡魔に襲われた。
そういえば明日は明穂と通学する。長い付き合いだが二人きりで登校するのは初めてだ。あれほど自分に話しかけてくるもの。
やはり奇妙だな、と重人は微睡の中で思った。
唯一変らないのはIF以降見るあの夢だけだった。
朝目覚めてすぐに重人は部屋のドアに目をやった。
ドアはぴたりと閉じている。
彼は小さな溜息をついた。
春が声をかけてくれなかった事が分かったからだった。
彼女は開けたドアを閉め切らず、必ず少し隙間を明けていく。
幼い頃、理由を訊くと『こうしておけば、しげ君と一緒にいる気がする』と言っていた。
その時のことを思い出しながら、重人は着替えを終わらせて通学路についた。
須藤明穂との待ち合わせ場所は、鈴置家との位置関係から学校と反対方向に向かわなければならない。なので徒歩通学や自転車通学をしている他の生徒とたびたびすれ違った。
なんでこいつは逆走をしているんだ?
そんな好奇の目が何度も彼のほうを向いた。
待ち合わせの場所が近づき、重人は辺りの雰囲気に違和感をおぼえた。
なんだかざわついている。
思っていると突然、歩道に面した店からスウェット姿の男性が飛び出してきた。
なんだ? と思う前に、次は後ろからスーツ姿の男性が走って横を通り過ぎていった。
向かいの通りではスポーツウエアを着た女性が足を止めてスマートフォンを忙しく操作している。
「すんませーん。なんかあったんすか!」
「なにって、事故よ、事故!」女性はスマホから目を外し、うざったそうに声をあげると電話をかけ始めた。
交通事故でもあったのだろうか。
重人はその場を通りすぎて大きな交差点を右に折れた。
待ち合わせ場所のコンビニが見えた。人だかりが出来ている。
嫌な予感がした。
駆け寄って人垣を押しのけると、突然フッと手応えがなくなった。
重人は人だかりの輪の中心で転んだ。
体を起こすと目の前に血だらけの須藤明穂が倒れていた。周りには彼女の鞄や髪留め、ブレスレットの破片が転がっている。
それらを目で追ってから、改めて彼女へ目を向ける。
今ある光景すべてが信じられなかった。
駆け寄り、ぐったりと弱りきった身体を抱き起こす。
「どうなってんだ! おいっ!」何度呼びかけてもぴたと閉じられた目は開かない。
重人はハッとしたように周りを見回した。野次馬たちをぐるりと一周しかけたところで見覚えのある二人組を捉えた。そっと彼女を横たえ、二人組に詰め寄る。
「てめえらか?」
「な、やっぱり山田重人っ!?」
声をあげたのはIFが起こった日に重人と喧嘩をしていた薪薔薇学園の生徒だった。
「訊いてんだよ」
重人が茶髪の襟を掴みあげる。すると小さな悲鳴をあげて顔を伏せた。
「まてよ山田くん」見かねた金坊主が横から割って入った。「俺等はたしかに無茶な事もするけどさ、女相手にこんなむごい事はしないぜ」
「じゃあ誰がやった」
「わからないよ。俺達がきた時にはもう人だらけだったから」
金坊主の言葉に合わせて、茶髪が首を立てに振る。
重人は襟から手をはなすと、他の野次馬たちに目を向けた。
掴みかかろうと一歩踏み出した、その時だった。
「や、山田君……」
明穂の声がした。
振り向くと彼女が上体を起こそうとしているところだった。
力が入らないのか、体はまったく持ち上がっていない。
それでも消え入りそうな声で「山田君……」と呼ぶこえに、重人は駆け寄った。
彼女の背に腕をまわして支えると、
「馬鹿野朗っ! 死んじまったかと思ったぜ」
「……何、いってるの……。そうだ……と、けい」
「なんだっ、時計?」
「うん」
重人はポケットから携帯をとった。
「見せ、て」
「おうっ! ほらっ」
明穂が微笑んだ。
「八時四五分、ぴったし。遅刻じゃない、よ」
「なに言ってんだ。当たり前だろっ」
「へへ。じゃ、じゃあ、行こ」
「おうっ、すぐ病院につれてってやっから!」
明穂は首を横にふった。
学校へ行かなきゃ、とでも言うようだった。
「だっておまえ」言いかけて重人はハッと携帯に目を向ける。
救急車を呼ぶという考えが今になってやっと頭に浮かんだ。
「待ってろよ! すぐに医者がくんぜ!」これで大丈夫だ。病院へ行けばこんな傷くらい。
重人の指が一一九番を押そうする。
「だめっ」
明穂が制止した。
今までとは違いその声は強かった。ただ目の焦点は合っていない。
彼女の視線は先程からずっと宙を向いている。
あたかもそこに想い人が見えているかの様に。
「……おねがい。さぼってもいいから。もう少し、こうして、よ」
袖を掴む彼女の手が震えている。離れたくないという意思表示だった。
「ごめん……こんな事に、なって」
「何でお前があやまんだよ……」
「そ、そんな悲しそうな顔しないで……お、おぼえてる? 初めて、出会ったときのこと」
「あ、あん? あたりめえだろ」
「ほん、とう……? 小学生の、頃だよ。……あたしと、さやと、はるで遊んでたら、上級生の男の子がやってきて、いきなり、いじわるな事いってきて……あたし恐くって、泣いちゃって……そしたら、山田君がすごい勢いで、走ってきて『はる達をいじめる奴は、ぶっとばす』って。かっこよかったなぁ。ほん、と……あの時から、山田君は、ずっと、あたしの…………」
彼女の瞳から光りが消えていくのが分かった。
重人は歯を食いしばった。
「最後まで言えよ、聞いててやるから」
明穂はそんな彼の声に応える様に告げた。
「あたしも、はるみたいに、山田君のこと……その、下の、名前で呼びたいな……」
「はっ? そんな事かよっ。好きに呼べよ」
「ほ、ほんと?」
彼女の目が、今日はじめて重人の方を向いた。
「おう、当たり前だろ」
「うれしい。ありが、と……し…………」
ふっ、と一瞬だけ明穂が軽くなった。そうして何かが抜けていったぶん、すぐに彼女のからだは重くなった。
遠くのほうで救急車のサイレンが鳴っている。誰かが通報したのだろう。
重人は明穂を抱き寄せた。
そして、彼女が言いかけた言葉を紡ぐ様に、その耳元で囁いた。