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風の化石  作者: 野中
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予兆

聡明なテツのことだ。

ウルスラがいつもの彼女らしからぬ申し出をした時、既に察するところはあっただろう。


ただ、その結果はどうだろうか?


結果。

つまり、ウルスラがメイドではなく、侵入者としてフェリックスの屋敷に足を踏み入れたあとに起きた出来事だ。


それは、ウルスラにも、その身内にも想定外のことだった。

フェリックスの屋敷へ、土足で踏み込んだ夜。




<教>の行者たちは、混沌学の一派と顔を合わせた。


示し合わせたように。

同じ時刻。

同じ場所。


約束していたと言わんばかりのタイミングで。




年々壮絶になる戦いの歴史が、最早思考を通ることもなく猛烈な敵意と殺意に代わる双方が、顔を合わせてそれじゃあさようならですむわけがない。


事態はどう見ても不自然―――――ウルスラ程度の下っ端の目にも、事態の背後に、第三者の操りの糸の存在が見えた。

が、目的を脇へ押しやり、一瞬で百度に沸騰した戦意に、我を忘れなかった者はいない。


ウルスラとて、同様だ。


他と同じく殺意から逃れられなかった。

そんな、彼女が。



どうにか冷静を取り戻した理由があった。



それは。






別の集団の存在だ。


血で血を洗う<教>の醜悪な騒乱の中、ウルスラの意識を感じたことのない気配が掠めた。

窓から外を覗きこめば、何者とも知れない集団が庭先を横切ったのが見えた。






憎悪の応酬の中、いったい幾人が、それらに気付いていただろう。


おかしい。異常事態だ。

そもそも。



行者の導師が望んだ、フェリックス藩王家の『宝』とは何だったのか。



それすら、ウルスラは知らない。

混沌学の狙いも、同じだったのだろうか。

それとも、別の何かだったのか。


混沌学の一派の幾人かと刃を合わせたあと、先ほど庭で見た、見慣れない連中が一挙に屋敷の奥へ向かうのを見て、ウルスラは眩暈を覚えた。


血の気が下がる。



――――いけない!



他はどうだっていい。ただ。






テツだけは他の誰の目にも触れさせたくない。






それから、どうやって行動したのか、ウルスラには覚えがなかった。

気付けば、テツを屋敷から連れ出し、木々の合間に駆け込んでいた。


血と埃で薄汚れたウルスラの姿になど動じず、テツは薄く笑った。



―――――やったんだね、ウルスラ。



少年の表情には、これっぽっちの危機感だって、なかった。

おそろしく不敵で、冷静。

ウルスラは、表情こそ変えなかったものの、息苦しい心地は誤魔化せなかった。

声は、苦労して絞り出したものだ。

―――――ここにいれば、…安全です。


―――――ふん。安全、ね。

テツは鼻を鳴らす。ウルスラは足を止めた。

続くテツも立ち止まる。


しずかに口を開いた。




―――――危険を招き入れたのはキミでしょ、ウルスラ。


―――――許したのは、あなたでしょう、テツちゃん。




…こういうとき。


テツが、頑なに何も譲ろうとしない時。

ウルスラは、どうしてもテツの前でお姉さんぶってしまう。




二人が出会ったのが、フェリックス藩王家嫡男と召使いとしてでなく、下町の少年少女として、だったせいだ。


しばらく、偽の姉弟として過ごした期間が、ウルスラの素が出るとき、テツを、つい『テツちゃん』と呼ばせる。


対するテツもたまに『姉貴』と呼ぶが、今回はそうならなかった。




その呼び方はやめろ、ということもなく、手を振りほどく。

表情一つ変えず、テツは踵を返した。

とたん。


全身が、冷えた。


子供の拒絶一つ、で。

倒れ込みそうになった。そのくせ。

―――――だめよ。

ひどく冷静な声で告げる。



―――――ここにいなさい。全部が終わるまで。



わずかに、テツの肩が揺れた。

ウルスラは知っている。

最初の印象が根強く残っているのは、ウルスラだけではない、と。

ウルスラが迷いなく、テツの事を思って実の姉のように命じれば、テツは臆する。


言うことを聞かねば、と思ってしまうらしい。


だが、今回ばかりは、その魔法は長続きしなかった。

遠くから、助けを呼ぶ声が聴こえたのだ。

あにうえ、と。

ばかりでなく。


―――――…え…?




途方に暮れたような声をこぼしたのは、どちらだったろう。




いきなり、空気が萎んだような気がした。

いや、寸前まで空気に満ちていた何かが、一息に消滅した感覚が、あった。


その変化の正体がなんなのか。


自身の周囲が戸惑うほど頼りなくなった事実の正体に、ウルスラが意識を凝らそうとした刹那。

テツがまとう空気が、変わった。


―――――ねえ、ウルスラ?


声が、低い。






―――――キミたちの狙いって、なに。






とたん、ウルスラははじめて後悔した。


ただ、命令に従うだけだったことに。

命令に疑問の一つも持たず、一度も意味を問わなかった、自分の愚かさを。


ウルスラは、ただ沈黙した。


表情を、歪めずにいることが、精一杯で。

声など出せば、泣きだしてしまいそうだった。



自身のその行動こそが、テツに対する一番の裏切りであった気がして。



はじめて。






…罪悪感を、覚えた。






沈黙を、どう取ったのか。

テツは微笑んだ。剃刀めいた微笑。


―――――あー…、まぁいいや。もう。とにかく、キミ。


ウルスラは、奥歯を噛みしめる。

(…そう。もう、名前すら)


胸の内で叫んだのは、子供の彼女だ。


黙れ、と理性はそれを殺す。


仕方がない。

先に彼を切り捨てたのは、ウルスラだ。その上。

屋敷の方で、おそらく、最悪とも言えることが起きている。



罵倒は甘んじて受けるべきだ。



次の言葉に耐えるべく、ウルスラは拳を握りしめた。刹那。


テツがウルスラの襟もとに手を伸ばす。


気付けば、掴まれていた。


避けられなかった。



油断していた。



力づくで、引き寄せられる。

息を呑んだときには、不敵に笑うテツの顔が、目の前にあった。


近い位置に迫った双眸に、息を呑む。


なんて。






力強くきれいな、あか。






―――――死ぬほど、後悔しなよ。


耳元で囁かれた言葉に、ウルスラは息を呑む。

声に、覚悟があった。




彼はまだ、何も諦めていない。




間近でテツの神通力が、蠢くのが分かった。

ただしそれは、ウルスラを傷付けるものではなく。


―――――許しません、待ちなさい!


それが何かも分からず叫んだときには、―――――ウルスラの身体は見慣れない場所に放り出されていた。

(転移術…!)

そこは、フェリックスの領地のはずれにある、草原だ。

知らない場所、ではなかった。

が。


直後、何か、猛烈な爆発に似たものをウルスラは感じ取った。


フェリックスの屋敷がある方角からだ。


領地のはずれからでも、波濤のように力の波動が押し寄せ、呑まれそうになる。


うそ、と知らず、こぼれた声が震えた。

これは。








意志持つ法則に従い、編み上げられた巨大な神通力が、破裂した感覚だ。








それが、一瞬で収束する。

何かに吸い込まれるように。


ひどく不吉な現象だった。




―――――うそ、いや、いや、いや…!




尻もちをついていた彼女は、這うように立ち上がる。

よろめいた。

転ぶ。

再度、立ち上がる。


子供のようにうろたえ、いやだ、と幾度も繰り返しながら、ウルスラは屋敷の方へと駆け出した。


それから?

…思い起こせば、何も口にしていない。

なにせ、不思議と空腹は感じなかったからだ。


荒野と化した、フェリックス藩王家の屋敷跡を見てからは、心が凍りついたようで。


事態が動いた、と思えば。




「…いったい、何が起こったの…」




危険を冒して近寄れば、審問官が、圧倒的力で<教>の者たちを虐殺しているところだった。


無感動にそれを目に映し、直後にウルスラは自覚した。

少し、うろたえる。

どうしよう。

彼女が心配していたのは、テツだけだ。

ずっと共にいた仲間のことなど―――――まったく頭になかった。


惨劇を目の前にしている、今も。



彼等のために、フェリックス藩王家を売ったようなものだというのに。



…身内とも言える存在を、既に欠片も案じてすら、していない。



胸の内は、テツだけで占められていた。



ウルスラは、呆然となる。

そのとき。



「屋敷にいる<教>の連中を、一人も逃がすな! これは、取引だ」



張りのある男の声が、場を圧した。






「フェリックス太子との、取引だ。審問官の誇りにかけて、果たせ!」






その、言葉に。

ウルスラの、思考が止まる。

いっきに、意識がそれを叫んだ男の方へ向いた。


糸のように細い目。無精ひげ。全体的に、くたびれた雰囲気の男。

ただ、額に薄青い刺青があるからには、審問官の一人なのだろう。

先ほどまでは見なかった顔だ。いったい、どこから現れたのか。


いや、そんなことはどうだっていい。

問題は、



「審問官!」



悲鳴じみた声で叫んだのは、生真面目な、フェリックス領の貴族。

必死の形相で、その審問官へ手を伸ばしながら叫ぶ。






「テツさま…御曹司はご存命か!!」






審問官は、にやりと笑った。

「いかにも!」

「何処に!」


審問官は、勝ち誇ったように空を指差す。




「神人に加護を受けし、ヤト学園に」




―――――ヤト学園!


ウルスラは見張った目で空を見上げた。

とはいえ、意外だ。

いつだったか、テツが両親と相談している言葉を聞いたことがあるからだ。




―――――学校には、興味があるよ。ただ…。


―――――そうだね、タキがついていきたがるね、絶対。


―――――ユヤは暴れるわ、感情的ですからね、あの子。




彼らが出した結論は、テツはヤト学園の入学を見送る、というものだった。


テツは学校に興味を持っていたが、問題は、下の弟妹にある。


彼等は総じて、物分かりが悪い。

普段、テツが一番の問題児で、他二人がそうでないように見えるのは、執着するものが少ないからだ。

いや、テツとて執心は薄い。


ただ、彼は自由すぎる。しかし。


(ヤト学園)

入学は見送りとなっていたため、そこに向かうとは予想の範疇外にあったが、…成程。

今のテツに、ヤト学園ほど適切な場所はない。

安全という面でも。


冷静に、思う反面。







咄嗟に、ウルスラは口元を押さえた。


わけも分からず、叫びだしたくなったからだ。

喜悦に。


この数日死んでいたものが、胸の内で、急に息を吹き返した。


全身が震える。動けない。






生きている。

いきている。

テツが。


その、事実は。

目の前で、審問官と言う強敵に、蹂躙されていく身内たちの姿が別の世界の出来事に見えるほど、ウルスラを狂喜させた。

その、目の端を。


黒衣の集団が掠めた。…のみならず。


彼等の内に、見慣れた子供の姿が見えた―――――気を失っているようだが、間違いない。

いっきに、意識が冷える。

(―――――…あれは)






タキ・フェリックスと、ユヤ・フェリックス―――――テツの弟と妹。それに。






黒衣の集団は、あの夜に見た、<教>ではない連中だ。


いったい、何者なのか。

信じられないことだが、彼等は審問官の目を逃れたということだ。

おそらく。


<教>の者たちを、隠れ蓑にして。


だとしても、簡単にできる話ではない。

(…得体の知れない…)




目の前で起きていることは、正しく、あの夜の続き、なのだろうが。


ウルスラはいっとき、屋敷の方へ目を戻した。




ある者は戦い、ある者は殺され、ある者は捕縛されている。


審問官に見つかった以上、もう、ここにいる<教>の組織は全滅だろう。

(だったら、…仕方ない)

ウルスラは、目を細めた。


ただし、碧眼に浮かぶのは、諦めではなかった。


彼女は、何かに従う生き方しか、知らないけれど。




もう、新しい方針なら、用意されていた。




ウルスラは、このときはじめて自身の意思で、それを選び取った。








―――――死ぬほど、後悔しなよ。








テツは、そう言った。

ならば。

ウルスラは、木の枝から飛び降りる。


大地の上を、影のように駆け出した。


黒衣の集団を、追って。






これからは、テツの言葉に従うことを、生きる方針にすればいい。






そう、思えば。

踊りだしたいほど、身体が軽くなった。


何でもできそうなくらい、わくわくした。


世界の明るさを楽しみながら、ウルスラはやさしく微笑む。


(死ぬほど、後悔するわね、テツちゃん)

大丈夫。

一度、テツに背いてしまったのだ。

それ以上のことは何もない。


きっと、もうどんな罪を重ねたって、こわくない。







その日、純粋な狂気がひとつ、世界に向かって放たれた。





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