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風の化石  作者: 野中
6/13

幼い絆

森の中央を巨大な手が抉り取ったかのように、広がる荒野。

その荒野と森の境界に当たる木の枝の上。


葉の影に隠れるように、一人の少女がじっと蹲っていた。



歳の頃は、十五前後。黒髪。碧眼。未だ幼いが際立つ麗貌。



だが、奇妙にうつろで存在感が薄い。


今にも空気の中に溶けて消えてしまいそうだ。

彼女の脳裏で、少年の不遜な声がこだまする。






―――――死ぬほど、後悔しなよ。






あの夜から、同じ言葉がずっと繰り返されていた。消えない。

それでいて。

逃れようと耳を押さえることもなく。

頭を振ることもなく。


むしろ彼女は、声が響き続けることを望んでいるようにも見えた。


少女はただ、荒野で起きている光景を目で追っている。

すべてに興味がないかのように全身が薄汚れ、表情がない。

横顔は無表情。

にも関わらず、幼子が意地を張っている姿に見えなくもない。


碧眼に映るのは。




岩のひとつすらない荒野の中、ぽつりぽつりと見える影――――審問官のもの。

十人は超えるだろうか。


全員の額に、薄青い刺青が施されている。


これほどの数の審問官を一度に見る機会など、普通はあり得ないと言える。




忙しなく動き回る者。

屈んだきり動かない者。

周囲を見渡している者。

行動は様々だが、彼等の目的はひとつ。


フェリックス家滅亡の謎を少しでも解き明かすこと。


審問官の一人が、地図らしきものを覗き込んだ。

その、隣。



毛色の変わった青年が、隣から彼の手元を覗き込み、地図のどこかを指し示す。



眼鏡。純金そのもののような、見事な金髪は、短く刈られていた。

彼は生真面目そうな動きで周囲を見渡し、図面らしきものに何かを書き込む。


審問官ではない。




彼はほんの一年前まで、フェリックス家の屋敷で働いていた男だ。


料理の腕を買われてのことだったが、執務の手伝いもこなすようになり、いつしか、フェリックス家にその人ありと言われる文官にまでのぼりつめた。

ただし、フェリックスの領地でも名を知られた貴族の一員でありながら、何をしでかしたか、家を放逐された男でもある。


フェリックス家は、その彼に手を差し伸べ、仕事を与えたわけだ。


有能という言葉でも不足なほど才気あふれる彼は、信頼によく応え、フェリックス家に誰よりも傾倒していた。

ところが一年前、青年の実家で不幸があった。

あろうことか、当主ばかりか予定された後継ぎまで亡くなったそうだ。


後ろ暗い事情あっての結果であろうことは、青年が浮かべた表情で推し量ることができた。


とはいえ、数日のうちに、後継が当主と名乗りでなければ、お家取り潰しとなるのが貴族の通例だ。

ところが、いまや唯一の直系となった青年には、フェリックスを離れる気がないときている。


起こった混乱は、少し度を越していた。


なにせ、フェリックス藩王家を巻き込み、ひどく揉めたのだ。

そうやって逆に、望まぬ形で主家を自身の問題に巻き込んでしまったせいだろう


結局彼は、フェリックス家に説得される形で実家を継ぐことに納得した。




そんな青年がここで、なにをしているか?

彼は、異変の後、真っ先にこの地に駆け付けた。

身につけた武装が他の何よりも、彼の真意を語っている。


同じようにここに集まったフェリックス家ゆかりの者は多い。


後を追うように現れた審問官たちと彼等の間には、当然、一悶着あった。

審問官により、大半は追い払われたが、青年は、結局、協力することにしたらしい。



言い方を変えれば、審問官に協力してほしいと請われるほど彼が有能であり、処世術に長けているということでもある。



今彼等は、この荒野のどこに何があったかを書き起こす作業に没頭していた。

この青年はあまり、感情を外に出さない。

遠くから見ていても、そんな男が、相当苛立っているのが分かった。


おそらく、―――――埒が明かないのだ。




何が起こったか、まったく掴めない。




刻一刻と過ぎていく時間の中、焦燥だけが順調に精神を蝕んでいく。


いっとき、青年が吐きだした乱暴な息に、一瞬、少女の瞳が瞬いた。

刹那。


…ざわり、審問官たちの気配が揺らぐ。


間をおかず、彼等は次々と顔を上げた。

彼等の中で、青年も目を見張る。


耳慣れない音でも聞いた態度で顔を上げ、不審気に周囲を見渡した。



遅れて、少女も億劫に顔を巡らせた。


確かに、異変があった。



だが、目には見えない。

微細な、本当にささやかな波を空気に感じる。






水面に波紋が広がるように、大気が揺れていた。






審問官の一人が、大きく手を振る。


たちまち、一糸乱れぬ動きで、審問官たちがいっせいに動いた。

蜘蛛の子を散らすように散開―――――ただ一人、一般人の青年だけは、審問官の手で引きずられていたけれど。

よくよく見れば、彼等は。


(屋敷跡から、…離れている?)


なにか、変化があったのだろうか。

期待とも、ようやく判決が下った囚人ともとれる表情で身を乗り出しかけた少女は、唇を噛んだ。




だと、して。




どうだというのだろう。

…あの方がいないなら、もう。

思うなり。


―――――変化は、唐突だった。


いきなり顔面に突風が吹きつけた―――――そんな感覚に身を竦ませた直後。






視界が、緑に塞がれた。


否。


木だ。






すべてを乱雑に鋏で切り取ったかのように、寸前まで荒野だった場所に、突如、木々が現れていた。


木の枝の上、少女は弾かれたように立ち上がる。

これでは、すべてが元に戻ったかのようではないか。

時間を巻き戻したかのように。




この数日の空白など、まるで存在しなかったかのように。




(どういう、こと)


確かに、数日前まで、フェリックス家の屋敷は木々に囲まれていた。


知る者にとっては、今の状態が正しい。けれど。




少女は思わず、足元を蹴る。

木々の枝を渡り、屋敷へ向かった。


こうなっては、先ほどの場所からでは、何も見えない。


ただ、そのいっとき。

前進する一瞬、薄い膜を無理やり通った感覚があった。

少女は怪訝な眼差しを背後に向けたが、長くは構わない。

やがて。





突如、悲鳴と怒号が渦をなして、大気に満ちる。





少女は内心、愕然とした。


―――――これでは、本当に。

あの晩の続きが、今まさに始まったかのようではないか。








彼女が、フェリックス家の屋敷に、侵入者―――――<教>の行者として入り込んだ、あの夜に、…戻った、ようではないか。








黒髪碧眼の少女――――――ウルスラ・バートンは足を止めた。


これ以上近付けば、確実に審問官の【視界】に入る。

その危険をおかすべきか?

警戒が肌を震わせ、直後、自嘲が心を引っ掻いた。



(まだ、命を惜しむの?)



ウルスラは、覚悟していた。

あの日、フェリックスの屋敷で、行者たちは、命を落とす、と。




即ち、自分も死ぬ、と。




藩王家の力は強大だ。

彼らが獣なら、行者など、蟻同然。

だから、確信していた。自身の死を。

フェリックス家に、彼女たちは断罪される。いや。


断罪、するほどのことでもない。


蟻が爪先を噛んだ程度、彼等はなんとも思わないに違いなかった。

鬱陶しいと踏み潰して終わりだ。

それでも。…だから。






(あの方に、頼んだ)






テツに。




通用口を、開けておいてほしい、と。

わずかでも巻きこめば。そう、すれば。

少しは覚えていてくれるかもしれない。最低の、裏切り者として。


―――――フェリックス藩王家の『宝』を奪う。だから。わかるね、ウルスラ。


導師の言葉に逆らう選択肢は、彼女になかった。

ウルスラは、それ以外の生き方を知らない。



命令に従え。導師の言葉に寄り添え。



それが正しいのだ、と繰り返し教育された。


従うことは簡単だ。容易い。自身を押し殺す方法も。

フェリックス家に召使い(メイド)として潜り込んだのも命令だった。ただし。



フェリックス藩王をはじめ、高貴なかの血族は全員、ウルスラの立場を把握していた。



確信はなかったが、そう、感じた。


ところがどういうわけか、彼等はウルスラを処断するようなことはしなかった。

藩王夫妻は優しく見守り、嫡男のテツは面白い、と笑って好んでウルスラを遊び相手に指名した。


長兄にひどく懐いている三人兄弟の下の二人はウルスラが気に入らなかったようだが。


当然、ウルスラは固く心を閉ざした。

力ある者が、弱者を嬲るのと、これは同等の行為だと。




そもそも、ウルスラは間諜でいられるほど器用な性格ではない。


どちらかと言えば、目を覆うほどに不器用だ。

映える容姿も、人目に止まりやすいという点で、間諜にとってはマイナスに働く。




それでも、ウルスラがフェリックス家に派遣されたのには、理由がある。

テツと縁があったからだ。


やんちゃな御曹司は、屋敷を抜け出すことを楽しんでいる時期があった。

その頃、一週間ほど、ウルスラとテツは姉と弟のように、共に暮らしたことがある。

広い領地で出会ったことも。

共に過ごす機会があったのも。



まったくの偶然だったけれど。



それをつてにフェリックスの屋敷に潜り込んだわけだが、言ってしまえば、あったのはその縁だけ。

ウルスラは、いつ殺されても文句は言えない立場にあった。


きっと、当時のウルスラはひどく暗い目をしていただろう。

それが変わったのは、何がきっかけだったか。


…そう。


半年ほど前のことだったろうか。

ある日、客人の一人がウルスラに目を止めた。


かわしかたに慣れていないウルスラの反応は、逆に相手を煽った。

男はしつこく言い寄り、とうとう、こう命じた。



―――――脱げ。



そのとき、彼の片手は、別のメイドの細い手首を掴んでいた。

ウルスラがそこで脱がなければ、彼女に代わりをさせる、と言った。

女を言いなりにさせるのに脅ししか使えない、臆病でばかな男。


なんにせよ。


―――――そのようにされなくとも。

命令に従うのは、ウルスラにとって、呼吸するより簡単だ。

ウルスラは従順に、首の後ろのホックを外した。




―――――お命じ下されば、いつなりと。




何が起こっているかを悟った男の顔がやにさがった、直後。

―――――そうか、分かった。


第三者の低い声が鼓膜を刺す。


同時に、いきなり、ウルスラの視界が反転した。

後頭部を固いものにぶつける。目を見張れば、天井が目に映った。


一瞬、視界が揺れる。



とたん、目にテツの顔が映った。




それがあっという間に近づく。見えなくなった。

と思うなり。



…ガチッ、という音と共に前歯に痛みが走った。



目の奥に火花が散る。

歯と歯がぶつかったのだ、と気付いたのは、床に倒れたウルスラの上に跨ったテツが、勢いよく身を起こした時だ。

何の余韻もなく立ち上がり、テツは男を見上げ、実に不遜に言い放つ。



―――――コレは僕のだ、お客人。キミに、テツ・フェリックスの所有物に触れていい権利は与えてないよ。



ウルスラは、何が起こったのかも理解できず、機械的に起き上がった。

床に座り込んだ体勢で、呆然とテツを見上げる。

―――――ば…っ。

客人は、一瞬激昂しかけた。

しかし、さすがに藩王家の嫡男を敵に回す愚は犯せないと思ったのだろう。

忌々しげに、掴んでいたメイドの手を離した。


床に座り込むウルスラを見下ろす。



―――――主家の子供に手を出すとは、醜聞…。


蔑もうとするなり、




―――――阿呆か、キミは。




テツの鋭い語調が男の声を斬るように遮った。

彼の、心底蔑んだ眼差しは、向けられた相手の心臓に相当厳しいシロモノだ。


しかも、すべてを黙らせる威圧は、正義の味方と言うより、悪の権化と言った方がしっくりくる。


周囲に自分がどう見えるかを承知の上で、テツはこんなことを言った。




―――――フェリックスの人間は、奪う側だ。




当時、テツは九つの子供だ。

愛の行為とその意味すら、正しく知っていたかどうか。

どう考えても、無理がある。

それでも。


なぁ、と頬に伸ばされた掌は温かかった。






(醜聞)


確かに。



このような話が広まれば、より多大な不利益を被るのは、ウルスラよりテツだ。



彼の身分・立場は相当重く、責任がある。

というのに、九歳にして女性との醜聞で経歴に泥を塗るとは。


それでも、テツは堂々と、ウルスラの盾になった。






意識せぬまま、ウルスラは頬に添えられたテツの幼い手に、両手で恭しく触れる。

拒絶は選択の外にあった。




否定がテツの外聞のためになると分かっていても、彼女を守ろうと動いたテツの心を、真っ先にウルスラは抱き締めたかった。




より温かさを感じたくて、目を閉じる。

小さな掌に、頬をすりよせる。

そして、応じた。

―――――…はい。


客人は、怒り狂って出ていった。


その場にいた誰にも、表立った咎めはなかった。

が、それからしばし、テツは藩王家の執務の手伝いに忙殺されることとなる。


ひいては、ウルスラが彼と会えなくなるということだ。


藩王は、知っていたのだろう。




それが、ウルスラにとっての一番の罰になるということを。




テツに振りまわされている間、ウルスラは確かに、すべてを忘れた。

ウルスラは、間違いなく、彼と一緒にいる間だけは、彼女自身で、いられたのだ。


ウルスラはそれを心待ちにしていた。無自覚に。


会えなくなって、気付いてしまった。

知らず、あの屋敷は、彼女にとって、居心地のいい場所になっていたわけだ。

同じ屋敷で過ごしながら、一月ぶりに会えた時。

ウルスラは心からの敬意をもって、テツに跪いた。


…なのに。―――――現実は。









ウルスラを、テツに背かせた。









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