表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風の化石  作者: 野中
4/13

審問官

常磐仁は死後、ヒトならぬ存在の手で、テツ・フェリックスの身体に放り込まれた。

その後、既に四日経つ。


それとも、まだ四日、と言うべきだろうか。


一瞬一瞬が怒涛だ。

濃い瞬間の連続は、もう一年経っている気にもさせる。


テツとして反省室へ恭しく閉じ込められたのは、幸いだった。


静寂がこれほどありがたいものだとは。

とにかく真っ先に、仁は沈黙した。




疲れた。




胡坐をかく。しずかに、座した。

ようやく、自分の内側へ目を向ける時間が取れた。

とたん、奇怪な変化を覚えた。

常磐仁は今までと何一つ変わらない、と思っていたが、…どうも違う。


変化していた―――――常磐仁は。


芯は変わらない。ただ、それを取り巻く精神が変容している。

テツ・フェリックスその者になったというわけではない。

さりとて、もはや常磐仁そのひとでもなかった。

ただ、確かなことは。



常磐仁は、もうどこにも見当たらない、ということだ。



一瞬、焦る―――――すぐ思い直した。

常磐仁は、死んだのだ。仕方がない。


常磐仁でなくなったのは、今の肉体が、十歳の子供というのも、きっと理由のひとつだ。

形が変わった程度で、とも思うが、人間の心と言うものは、おそらく強烈に肉体の影響を受けている。

自覚がなくても。


テツの肉体の形を、意識的にじっくりと辿ってみる。


若いというより、幼い肉体は、頼りないほど未成熟で華奢に感じた。

子供の身体はそのぶん、大きな可能性を秘め、未来に開けているようだ。


そのわりに、テツ・フェリックスの肉体に宿って以来、何かがはじまるというより、いつも終わりの危険と正面衝突している。


気のせい、と希望は告げるが、鋭い現実感覚は、彼に逃避を許さない。

これが現実だ。取り替えはきかない。


近いうち、仁とテツの意識の分離は難しくなるかもしれない―――――いっとき悩み、首を傾げる。

それは、深刻なことだろうか?

困る話ではない。悩むことでもない。


成長と共にひとが変化するのは、当たり前の話だ。


融合したところで、問題なかった。

まずは。

お前は変わったな、昔はこんなだったのに、と言われる程度には、長生きしなければならない。

直後。


仁は、妙な気配を感じた。




今、なにか、動いた――――――神気?





思うなり。







―――――ズ、ドン!







地響きが床を揺らす。

刹那。反省室の扉が吹っ飛んだ。

目の前を過ぎった残骸を、左から右へ目で追う―――――平穏を破った相手は、破壊を意に介した様子はない甲高い声で挨拶した。



「や、元気かい?」



扉が消えた戸口に立っていたのは、随分と、可愛らしい容姿の少年だった。

明るい茶の巻き毛に、大きな碧眼。色白の肌は、陶器のようにすべらかだ。


だが、虫一匹殺せそうにないか弱げな容姿とは裏腹に、双眸には暴力がちらついている。


テツの記憶を探るまでもなく、厄介な相手ということは、すぐ見当がついた。






彼の名は、ヴァリス・ディン。


藩王家の一つ、ディン家の次男坊。

最悪の甘ったれ、加減知らずの問題児。






ヴァリスは半ズボンのポケットに両手を突っ込んだ姿勢で身を屈め、テツをばかにしきった声で言った。

「ヒトゴロシくん」

仁は心の中で嘆息する。


どうやらもう時間のようだ。


仕方ない。

仁は胡坐を解いた。

うっそりと立ち上がる。


さぁ、仮面をかぶろうか。






破壊の舞踏に付き合おうじゃないか、―――――テツ・フェリックス。






顔を上げた時にはもう、常磐仁の名残は、一つも残っていない。

テツ・フェリックス特有の、不遜な表情に笑みが閃く。刃じみて鋭い微笑。



「何の用かな、凡人くん?」



口にしたのはもちろん、『ヒトゴロシ』へのお返しだ。

ヴァリスの愛らしい顔が歪む。

それも一瞬、高慢に顎をしゃくった。

とたん、取り巻きらしい個性のない連中が、整然とした動きで反省室の中に入ってくる。


実のところ。

この部屋―――――反省室と言われているが、外からカギがかかるようになっているだけで、造りも調度も心に毒なほど豪奢で、理解不能なほどただっ広い―――――賓客のための客室と言ってもいいほどだ。

猛烈に落ち着かなかったため、

「連れてこい」

…連れ出してくれるなら、もろ手を上げて歓迎する。ただ、


(剣呑だな)


雰囲気が、まったく楽しげでない。

ヴァリスは、命じたあとは、さっさと踵を返して部屋を出ていった。


気の毒なのは、取り巻きたちだ。

なにせ、相手は力を暴走させた、と自己申告した藩王家の太子である。


下手を打てば、自分たちが奈落の底へまっしぐらだ。


よくよく見れば、テツを取り囲んだはいいものの、彼らは怯えきった顔で突っ立っている。

揃いの白い制服を着た彼等とて、そう身分が低い者ではないだろう。

と言うのに、顎で使われているとは、気概のない。


それだけ、藩王家嫡子と知り合いであるということは、魅力的な事実なのだろう。

ならばそれに殉じればいいというのに、その思い切りもないらしい。


テツは、周囲を鼻で笑った。

悔しいと思う以前に、彼らは怯んだ。

その姿にはもう目もくれず、扉がなくなった方へと歩き出す。


無言で道を開けるヴァリスの取り巻きたちに、テツは命じた。



「僕はどこへ行けばいい。案内しろ」



振り向きもせず、廊下に出る。

とたん、また呆れた。

―――――広い。


向かいの壁が、ずっとずっと遠い。


頭上に広がる天井が、気が遠くなるほどはるか向こうだ。


余すところなく敷き詰められた高級な絨毯。



複雑な彫刻の施された柱。



天井に描かれた神話らしき絵画。





ぜいたく。





立ち止まりそうになった。

が、テツとして、かろうじでなんでもない風情で足を進める。

この光景の中を進むのは、当然と言った態度で。


だが、とつい意識が逸れそうになる。

常磐仁は、元・大工だ。

見慣れない建築物を見れば、つい詳細に調べて回りたくなる誘惑が、悪戯に意識を引っ張ってくる。


歩きながら、大きく息を吸い込んだ。

息を止める。

ぐっと視線を正面に据えた。


―――――いつでもできる。調べ回ることなんて。




とにかく、今だ。今しか、できないことをしよう。




街に置いてきた眷属たちを思い出す。

彼等の我慢は、そろそろ限界だろう。連絡を取る約束もしていた。

ゆっくり、息を吐きだす。


最中、両耳の深紅のピアスに意識を集中―――――クロガネに預けた思念石を脳裏に思い描いた。


心の中で呼び掛ける。





『聴こえるか?』





始まった眷属たちとのやりとりのおかげで、表向きだけでもテツ・フェリックスを保てたのは僥倖だ。

やはり、別人になりきるのは、いきなりは難しいと実感する。


常磐仁として積み重ねた人生は、そう簡単には抜けない。


テツ・フェリックスには、この程度の環境は当たり前のものだ。

仁は知っている。

テツの記憶をもっているから、だけではない。


常磐仁の死後、ヒトならざる<あの男>の悪戯で、垣間見ることができたからだ。




十歳で閉じることになる、テツ・フェリックスの人生を、その誕生から死の瞬間まで、彼の中で。




とはいえ、まるごと十年、テツの中にいたわけではない。

<あの男>は、一夜の夢と言う形で、十年の歳月を仁に見せた。


時間感覚のでたらめさに、正直、驚愕したが、―――――ふと冷静になってみれば、そう言うものなのかもしれないと思う。


人間の人生と言うものは。

虎の兄妹と話している最中、不意にテツは眩しさに目を細めた。


気付けば、外に出ている。


周囲を鋭く見渡せば、競技場らしき場所だと理解できた。

その中央で、


「テツ・フェリックス!」

ヴァリスがふんぞり返っている。

会話らしい会話すらまだ交わしていないのに、既に勝ち誇った態度だ。


こっちはいまいち状況が読めない。

なんとも反応しようがないのが残念だ。


思うものの、テツの中にある記憶を探れば、年に二回は行われる藩王家の会合―――――社交パーティのようなもの――――で出会うヴァリスは、いつもこんな感じだった。

「いや、ただの殺人者に名など必要ないな」

ヴァリスの言葉は意識半分聞き流し、テツは思念石へと囁きかける。



―――――では二日後に。



テツが通信を打ち切ると同時に、ヴァリスの高らかな宣言が、ひときわ高らかに響き渡った。






「ボクはここで、キミを公開処刑する」






「キミは、つまり」

テツはわざとらしく目を見張る。


「暇なのか」


地団太を踏んだヴァリスの手の内で、何かが渦巻くのを感じ取った。

神気だ。ばからしいほど濃密な。


前触れもなく投げつけられた。


コントロールも何もない、いかにも幼稚な軌道―――――ただし食らえば、命が終わる。

また、終わりが目の前に用意された。仕方ない。


見切るのは容易だった。

できるだけ最小限の動きでテツは身をかわす。刹那。



足元から弾け飛んだつちくれの礫に、顔をしかめる。



きちんと均された地面を神通力が抉り、拍子に土や小石が炸裂したのだ。

たいした威力はないが、いやがらせ程度には痛い。


当てる気はあるのかと疑いたくなるようなノーコンぶりだが、本気さは直球だ。


しかし、敵意はあっても、殺意はない。

当たれば死ぬ、という理解はきっとないだろうと思えば頭痛がした。


ここまでバカだといっそ清々しい。


こんな面白そうな相手と仲良くなれそうにないのは残念だが。

いい機会だ。




折角だからこの敵意と遊んでやろう。




にやり、テツは笑った。

駆け出す。


「おとなしく処刑されろよ、ヒトゴロシ!」

舌打ちするヴァリスを煽るように、テツは手を鳴らした。


「当ててみな! 遊んであげるからさぁ」


「逃げるなんて卑怯だろう!」


神気が中途半端な塊になり、自棄の勢いで乱発される。

制御はさらに乱れ、おそらくヴァリスにも、なにがなんだかわからなくなってきているに違いない。


と言うのに、呑気なものだ、いつしか観客が増えてきている。


幼い生徒を窘める者のひとりもいないのか。

教師たちは、いったい何をしている。


人が増えてくる状況を危険と感じる正気など、ヴァリスには元から期待できない。

何よりテツには、それを責める資格がなかった。



「力を暴走させた、だって?」


低いが激しい声で、ヴァリスは叫ぶ。






「つまりキミは、自身の弟妹を殺したってことだ!」






とたん、テツの記憶の片隅からある光景が浮かびあがる。

そう言えば、傍若無人のこの我儘坊ちゃんは、フェリックスの子供たちを気に入っていた。


テツを除いて。


ヴァリスが近寄ってきたのは、おそらく、テツの弟妹の見目のせいだろう。

血のつながりを疑ってしまうほど、凄絶に美麗な連中だ。

どうやら面食いらしいヴァリスは、彼等にまったく相手にされていなかったが、それが逆に執着を煽っていた。

ゆえに。

彼らがあとを追っていた兄が気にくわない。


つまり、テツだ。


テツは、自分が駆け抜けたあとの地面を振り返った。

ぼこぼこと無残に抉れている。

「どの穴でもいい、中に入れよ。墓をつくってやるから」

ヴァリスの気迫ににじむのは、ひたすら、怒気だ。

テツは軽くかわす。


「ご親切にどうも。けど、こんな場所じゃねぇ」






「―――――これはなんの騒ぎ?」






テツの惚けた声に被る格好で、凛とした声が響く。

ヴァリスが振り向いた。

攻撃が止むのは、ありがたい。


その間に、対策を練らねば。



増え続ける観客の中、どう逃げるか―――――どう、周囲への被害を避けるか。



思うなり、げんなりする。

下手をすると殺されるかもしれない側がする心配ではない。


弾まない心で、テツも声がした方に目を向けた。


ギャラリーの中、胸の前で腕を組み、燃える紫の双眸で二人を睨む少女がいる。

状況にひとつも臆さず、傲然と続けた。


「話がしたいなら、しずかになさい。これ以上暴れるなら、わたくしが強制排除するわよ」


断罪するような声には覚えがある。

ヴァリスが面倒そうに呟いた。

彼女の名を。




「アイシャ・オーズ」




呼ばれた少女は、不愉快そうに眉を潜める。

ゆるいウェーブのかかった豊かな焦げ茶の髪に縁取られた顔立ちは、可愛らしい、というより―――――うつくしい。


その顔立ちと堂々とした振る舞いのせいか、女帝然とした豪奢な雰囲気がある。


彼女こそ、五藩王家が一、オーズ家の長女だ。

「邪魔だよ」

ヴァリスが唸った。

この少年の場合、高慢な表情をすればするほど愛らしさが増す。


アイシャの鮮やかな紫の瞳が、冷たく凍える。


「愚かね、ヴァリス・ディン。藩王家の一員のくせに、状況が見えないの?」

「状況が見えていないのは君だ」

唇を尖らせ、ヴァリスは激しく言い募った。




「人殺しを処刑する、それの何が誤りだ?」




「裁ける立場の方は、これから来られるわ。その方に任せるのが正しい。わたくしたち子供に、その資格も経験も度量もないのだから」

退屈するほどの正論―――――だがテツは、そんなものには興味はない。

興味があるのは。


テツの口元に一瞬、暴力的な笑みが閃く。


いいことを聞いた。

テツが行ったことを、裁ける者が来る――――つまり審問官だ。

無論、それは、テツも知っている。


だが、審問官が、いつ学園に到着するかは知らなかった。


答えは、ヴァリスの行動、そして今のアイシャの言葉に見え隠れしている。

反省室に閉じ込められたテツを、ヴァリスは丸一日放置していたにも関わらず、今、唐突に動いた。

彼は、テツが裁かれる前に、『自分』の手で始末したかった――――裁きたかったからだ。

つまり、これ以上待っていれば、ヴァリスはテツを自分で裁けなくなると思った。

と言うことは。




審問官が学園を訪れるときは近い。




ヴァリスは焦っている。

ともすると、すぐにも現れるかもしれない。

いつだ? どこから。


テツは、思わず周囲を見渡した。


その耳に、アイシャの厳しい声が届く。

「なにより、命を奪う行為を罪と言うなら、戦士たちはどうなるの」


この世界、戦は、今この瞬間にも、どこかで起こっていた。

藩王家の威光は遍く行き届いているが、どの藩も、戦争を放棄するとは謳っていないためだろう。

それでいて不思議と、秩序が保たれているのは、禁じられていないことが逆に、人心に反作用として働きかけているのかもしれなかった。


心と言うものは、禁じられたら逆に行いたくなるものだ。


代わりに、藩王家同士の争いは暗黙のうちに禁忌とされていた。

こればかりは仕方がない。

神通力の強さは、下手をすると大陸一つ沈めてしまう。


ぶつかり合えば、残るのは、滅亡の道一つ。


テツはヴァリスを一瞥した。

子供の喧嘩とはいえ、ヴァリスは禁忌の一端を侵している。




―――――そこまでの自覚はないんだろうな。




そうは言っても。

藩王家にも、ある程度のガス抜きは必要だとテツは思う。

もちろん、アイシャの叱責でことを終わらせれば、表面上は何事もなく終わることは、理解している。

丸く収まる。

じょうずに。


ただ。






…遺恨が残る。






一方的に抑え込まれ、くすぶったまま無意識に押し込まれた負の感情ほど、手に負えないものはない。

それは、消えない。

いつかきっと、顔を出す。


最悪の形で。


なら、まだ制御可能な今のうちに。

―――――全部、暴いてやったほうが親切だ。


「で、…ヴァリス?」

テツは、実に意地の悪い声で、自身を嫌う相手の名を呼んだ。

煽る。


ふてぶてしく。




「もうやめるか、公開処刑。小娘一人に叱られた程度で」




テツなら、負け犬になっても、同情されるのはごめんだろう。

どうせなら、細胞の一つまで破壊し尽くさなければ気が済まないくらいの敵意を最期まで向けられる方がいい。

「…小娘ですってっ?」

アイシャがわかりやすい部分に、分かりやすく反応―――――言った直後に、テツは内心、冷や汗をかく。


別に、アイシャが怖かったわけではない。




ただ、小娘、というのは、十歳児に相応しい言葉ではなかった。




テツだって、小僧だ。ひよっこだ。

人生経験なんて、ないに等しい。

それが。


小娘?


「よく言った!」

だがそんな違和感を吹き飛ばす怒気を、ヴァリスが爆発させた。


バン!


ヴァリスの両掌が、自身の胸の前で合わされ、直後、何かを迎え入れるように開かれる。

周囲の神気が根こそぎ、音を立ててヴァリスの胸の中央に吸い込まれていくのが見えた。


ごうごうと呑みこまれ、竜巻じみた渦と化す。




あ。これはヤバいかも。




煽った手前――――やせ我慢ではないが、テツはもう、避けられない。

いや、今ヴァリスが今度用意しているものは、避けられるほどの大きさではなかった。

競技場らしきこの場所すべてを圧せるほど巨大な隕石じみた弩級の神気の塊が、怒気のままに練り上げられていく。

物理的に、避けられない。


避ければ、周囲は完全に巻き添えだ。


だが、テツとて、棒のように突っ立っていたわけではない。

練る。神気を。ヴァリスとは、逆の方向性で。

ヴァリスは攻撃。

テツは防御。

ただし。

…誰にも、気付かれないよう、細心の注意を払って。


テツは、意表を突くのが好きだ。


「踏み止まりなさい、ヴァリス!」

こんなときにも、アイシャは正しく、乱れない。だが、


「掟は絶対よ!」


正しいことが、間違っていないことだとは限らない。

実際もう、言葉では止めようがなかった。


攻撃とは違い、繊細さを要する神気の制御に頭が痛くなるほど必死になりながら、アイシャの物言いに、テツは薄く笑う。



「それ、つまんない」



アイシャが頬を紅潮させた。直後、

「――――壊れろ!」

加減するどころか全力で、ヴァリスは神通力を振り下ろす。


視界の隅で、アイシャが唖然となった。


まさか、ヴァリスが本気で暴挙に出るとは思っていなかったようだ。

彼女を尻目に、

「いいや」


頭上に落ちるそれを見上げ、テツは慄いた。

恐怖にではない。


昂揚に。






―――――さぁ、あしらってやろうじゃないか。











「壊すのは、僕だ」











とはいえ。


身一つで立っているのに、起死回生の策などあるわけがない。

あるとすれば。




刹那。




思考が、吹き飛んだ。











―――――背骨が粉々になる感覚に、一瞬、膝が笑った。











脳天からの直撃に、ほとんど意識が飛びかける。

(…こらえろ!)

テツは攻撃を避けなかった。

避けられなかった、というのが、正確なところだが。

爪の先まで、痛みで痺れる。


(おいおいおい…)


普通だったら、肉体が爆散している威力だ。

無防備でいれば、人生にエンドマークがついていた。

本気で殺しにこられたのは、はじめてだ。


神気を鎧に見立て、全身を覆っていなければ、確実にここがテツの墓場になっていただろう。


目を瞬かせる。

視界に、地面が映った。

知らない間に俯いていたようだ。


顔を、あげなければ、と思う。


そしたら、ぜんぶを笑ってやる。

起死回生の策なんかなかった。

あるとすれば。




真正面から受け止めきって、それでも、どうだ、生き残ってるぞって敵意を笑って吹き飛ばしてやろうって気概だけだった。




よし、どうにかなった。

テツの肉体の頑丈さに感謝する。


そう思うのに、なかなか首に力が入らない。


ざわめいているのはわかるが、周囲の音が遠かった。

思うなり、






「テツくん!」






間近で、声。

いきなり、身体に芯が入った。

弾かれたように、顔が上がる。勝手に。とたん。


まぶしい。


わけのわからないまま目を細めたテツに、その輝くものがしがみついてきた。

気付けば、涙の膜を張った空色の瞳がテツの顔を覗き込んでくる。


「ど、どこも痛くない? 怪我は? 私のこと、分かる?」


なかなか意識がはっきりしないまま、テツは呆然と呟いた。




「…シルヴィア・ゴネット…」




シルヴィアの大きな目が輝く。

本気でまぶしい。


目に痛い。


「良かった…」

大きく息を吐き、直後、彼女は後ろを振り向いた。

シルヴィアが何かを言いさす。

思わず、テツは彼女の肩を掴んだ。

その手に力を込め、シルヴィアの言葉をおし止める。


代わりに、




「なに、これで全力?」




減らず口を叩いた。

ヴァリスを見遣る。

立て続けに威力の高い神通力を使ったせいで、さすがの生意気坊ちゃんもふらふらだ。

だが、そこまでしてなお倒れなかったテツの姿に、一瞬、恐怖が浮かぶ。

直後、忌々しげに舌打ちした。

「ゴキ○リなみだね…」


あ、いたっけ、ここにも。あの生命体。

テツがちいさな発見をしている間に、ざわめきはさらに広がっていく。

テツがあの巨大な神通力をどのように凌いだか、誰にもわからなかったらしい。

なんの防御もせずに耐えきったなら、本当に化け物だ。


…ばけもの、と。


思われているようだ。

が、残念ながら、種も仕掛けもある。

(こっちもふらふらだしな!)


ヴァリスの反応を、テツは鼻で笑った。



「どうなんだい? 僕、嘘と半端は嫌いなんだけど」



周囲には、ヴァリスが加減をしていた、と思わせる方が妥当だろう。

「この…っ!」

体力の消耗が隠しきれない状況で、ヴァリスが頭に血を登らせた刹那。




「あなたたち、何をしているのっ?」




響いた女性の声に、ヴァリスは身を竦める。

「うわ、タチアナ先生…」

目に見えてうろたえた。


なんだ、アイシャのときとは随分違う反応だな。


慌てたように、観客を決め込んでいた生徒たちが道を開けた。

その向こうから現れたのは。


美人、というよりは、どちらかと言えば可愛らしいと言える容姿の女性だ。


家庭的なほんわりした雰囲気のせいか、怒った表情をしてもあまり怖くない。

どちらかと言えば、彼女を困らせてしまった、と相手の罪悪感を煽るタイプだ。


「ヴァリスくん? いったい何が…」


惨状を見渡し、タチアナが当惑の眼差しをヴァリスに向ける。

ヴァリスが恨めしげに呟いた。

「審問官が来るから、教師は職員室で待機って聞いてたのに…」


「それがね、ヴァリスくん」

タチアナに続いて現れたのは、―――――アルバート・キルヒス。

「審問官殿は予定の時刻には職員室にいらっしゃらなかったんですよ。代わりに」

何を考えているのかわからない笑顔で、アルバートは続けた。




「職員室に届けられたのは伝言です。審問官は、数刻前に、とっくに到着なさっている、と」




「はぁっ?」

なんだよそれ、ヴァリスが喚く。ほぼ同時に、









「実にあっぱれ!」









ご機嫌な大音声が場を圧した。

びく、と意表を突かれた全員が顔を向けた先にいたのは。

無精ひげの男。


彼は、肩に引っかけたくたびれた上衣をなびかせ、観客席の片隅で、腕を組んでいる。


陽気だが、雰囲気が、生活に疲れたサラリーマンと見えなくもないのは、なぜだろう。

とはいえ、男がいつからそこにいたのか、おそらくは誰にもわからない。


得体の知れない男は、骨太な笑いを浮かべ、大股にテツたちの方へ近付いてきた。



「わたしはきちんと最後まで見届けましたよ。これは嬉しい結果です」



男の目は、糸のように細い。

だが、その額。

眉の間より、わずかに上の部分。


そこに、なにか―――――得体の知れないものがあるのを、テツは感じた。



神通力と似通った、力の塊が。



目に見えるのは、薄青い刺青だけだが。






仁の知識では、第三の目と呼ばれるもの―――――あれはおそらく、真実を見抜くと言われる、審問官の目だ。






聞いた話によると、その目をもって生まれた子供は、どこからともなく現れた審問官に連れていかれると言う。

どれほど、両親がその運命を拒んでも。


秩序の番人として広くその存在を世間に知られていても、彼等は謎に満ちた存在だ。


その、審問官が今、目の前にいる。

この男が、そうか。






確信を持ったテツは、そばにいたシルヴィアをぐいと背後に押し込む。

テツのそばにいるというだけで、この少女まで巻き込むわけにいかない。


「フェリックス太子は、追い詰められていたにもかかわらず、やり返さなかった」

歌うように、審問官は言葉を続ける。

テツは、大きく息を吸った。


よろしい。これからが、正念場だ。


審問官の目は、どこまで見抜く?

真実を。

テツは冷静に、近づいてくる彼を見上げた。



「力を暴走させませんでした」



テツの元まで二、三歩、と言ったところで、審問官は立ち止まる。

悠然と跪く。


立ち居振る舞いは、戦士の者と似ていた。


「彼は自分で証したのです」

恭しく、彼は頭を下げる。






「―――――自分は世界の脅威とはならないと」






今度、生徒たちを支配したどよめきは、最前までとは意味が違うものだ。

審問官は委細構わず、穏やかに告げる。


「フェリックス太子を<教>から守るのが、我らの正義でしょう」


審問官の結論は、誰にも覆せない。

アルバートが、考え深げに顎を撫でた。

タチアナが当惑した表情で、書類を抱えた腕に力を込める。


「では」

アイシャが生徒たちの惑いを代表し、尋ねた。



「テツ・フェリックスは無罪と?」



「おかしいだろ!」

ヴァリスが喚く。

「ヤツは自分の弟と妹を殺したんだぞ!」

審問官は不思議そうに顔を上げた。

「そうなのですか?」

テツに尋ねる。


ヴァリスは地団太踏んで言い募った。


「状況を見ればわかるだろう! 審問官は無能の集団か? それともテツに買収でもされてんのか!」

「おや」

審問官は、からりと笑う。




「そのお言葉、審問官の目を侮るのと同じですが、そのお覚悟が?」




飄々とした言葉に、さすがのヴァリスも怯んだ。

他はともかく。

実のところ、テツの興味は、審問官が下す断罪になどなかった。

テツ・フェリックスは無罪?

笑える。


(テツに罪があろうとなかろうと、誰にゆるしを求めるものかよ)


ただ、聞きたいことがあった。

「ねえ、キミは」

テツは、声を張る。



「フェリックスの領地にも、行っているよね」



「はい」

審問官は頷いた。

赤子でもわかることだ。


審問官が人生かけて守るものは、世界の均衡――――四日前、フェリックスの領地で起こった謎に、興味を持たないわけがない。なにより。


五藩王家の一角が消滅したのだ。

彼らが、見過ごすはずはない。

「ゆえに、知っているのです」


審問官は淡々と言葉を紡いだ。






「そもそも、貴公に罪はない。―――――貴公は、誰も殺していない」






ヴァリスは、ぽかんと口を開いた。アイシャがまなじりを吊り上げる。

「なんなの…だったら最初からそう言いなさいよ!」

おとなしくテツの背後にいるシルヴィアが、息を呑んだ。

「でも、なら」

ヴァリスが呆然と呟く。


「フェリックスの屋敷にいた者たちは、どこへ行ったのさ。屋敷ごと」



場が一斉に、しんとなる。



テツは肩を竦めた。


その程度のことは、どうでもいいと言わんばかりに。


「…貴公の力は、誰も殺めていません。だから、分からない」

審問官は、跪いたまま、わずかに身を乗り出した。

ここからが本題だ、と言いたげに。


テツは思わず笑った。



その笑い方が、相手の悪感情を確実に煽ることを承知で。




なにしろ、待ちかねていた。

話が通じる相手を。


この審問官は、知っている。気付いている。


あの場所で、何が行われたか。

だが、テツにはまだ確信がない。


彼がどこまで知っているか、確信がほしい。




(言えよ)




テツは、どこまでも不遜に言い放つ。

「聞いてごらん? …答えてあげるからさぁ」

テツの傲慢さに、審問官は、表情一つ歪めなかった。


むしろ、感謝を告げるようにわずかに頭を下げる。



「貴公は何をしたのです?」



頭を下げたまま、彼はつい、と言いたげな勢いで口早に言った。

一瞬、我に返ったように口を噤む。


次いで、ゆるり、頭を上げた。



「我ら審問官が貴公の力を辿った結果、探り当てた気配は、ただひとつ」



審問官は、告げた。

重く。


…厳かに。










「未完の禁術」









テツは、心の中で大きく頷く。

来た―――――交渉が、できる相手が。


(コイツは、合格だ)


これは、ちょっとした賭けだった。

どうやら、テツは勝ったようだ。…ここまでは。



問題は、この先。



テツは片手を上げ、差し招く。

微笑んだ。



それは、この少年にしては珍しく、無垢であどけない微笑。






「ようこそ。僕は、キミを待っていた」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ