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1-5

 スズメさんに見送られて寮を出た時には、夜の刻限がすぐそこまで迫っていた。あたりは薄暗く、空に星が輝き始めている。また長居してしまったなと思いながら一歩歩き出す。と、

「コータせんぱーい! おーい!」

 真正面から元気な声が突き刺さってきた。目を凝らして前方を見やれば人影が四つ。その内の一つが手をぶんぶん振りながら小唄のところへと突撃してくる。ドドドドドっという音が似合うくらいに土煙を巻き上げて迫る小柄な影に減速の気配はなく、あれよあれよという間に縮まっていく距離がゼロになった瞬間、金糸雀小唄の体がふっ飛んだ。たーまやー。

「偶然ですか? 偶然ですよ? 偶然ですねぇ!」

 見事後方に倒れこんだ小唄に跨って、目をキラキラさせながら女の子がはしゃいでいる。

「こんなところで会えるなんて思ってもみませんでしたよ!」

 所作にあわせて黒髪のツーテールがひょこひょこと揺れる。

 唾を飛ばすな。

「今帰るところですか?」

「うん。まあね」

 このマウントポジションから開放されればの話だが。

「えー、なんでです? 今日も食べていけばいいじゃないですかぁ」

 突き抜けるように明るい声でぶーたれるこの少女は一年生の留川桜。(とめがわさくら)鼻の柱に貼り付けた絆創膏がトレードマークの元気娘である。小麦色に焼けた肌に半袖カッターシャツはよく映える。

「そうしたいのは山々なんだけど、今日中に使わないとダメなやつがあるから……悪いね」

 桜の小さな体を難なく退けて身を起こすと、彼女と共に歩いていた三人が丁度追いついてきたのが目に入った。一人が男で、残りの二人が女の子という組み合わせ。男のほうが膨れ上がったビニール袋を持っているあたり、差し詰め買い物帰りであろうことが伺える。その青年が小唄に近づくや、空いていたほうの手を軽く上げてご挨拶。

「こんちわッス先輩」

 柔和なベビーフェイスから放たれる爽やかなスマイルは、雨の日のハルジオンすらも顔を上げそうなほどである。

「おっす後輩。今日も荷物持ちお疲れ様」

 応じた小唄も劣らぬ美笑。

 その文言を受け取った後輩はよよよと瞳を潤ませた。

「うう……ありがとうございますッス。そうやって労ってくれるの先輩だけッスよ」

 右手に携えられたビニール袋の持ち手は今にも引きちぎれそうで、その様が袋の積荷の重量を物語っている。

 何度もそうして腕の疲労を軽減してきたのだろう、極々自然な動きで後輩――泡沫宗士(うたかたそうし)はビニール袋を左手に持ち替えた。短い茶髪が垂れかかった額にうっすらと汗が浮かんでいる。

「のんのんのん! コータ先輩、ソーシに労いの言葉なんて不要ですよ。ねーソーちゃん?」

 得意げな顔でちくたくと指を振った留川桜が、うりうり言いながら宗士が持つビニール袋をつんつんと揺らす。ひでぇ。

「ちょっ、いたたっ、痛い。痛いよ桜ちゃん!」

「荷物持ちの代わりに料理当番免除してあげてんだから、ソーシは文句言わないの」

「は、はい、すみません! 申し訳ないッス! 僕が悪かったから――ってああ! ちょっと桜ちゃん、なにやってちょ、ちょ、重い! 重いよ? 教科書は重い!」

 自分の鞄から宗士のビニール袋へひょいひょいと教科書軍団を投入する桜。

「ほら、重いんならとっとと運びなよ」

 悪びれもせずに言う姿は清々しくすらある。

「そんなぁ……、うう……では先輩、そういうわけなんで失礼するッス」

「う、うん。じゃあ、まあ、頑張って」

 おろろんと泣く顔にせめてものエールを送る。コクリと頷いた泡沫宗士がとぼとぼと歩き出し、

「ほらソーシ! キリキリ歩け!」

 そのケツを留川桜がゲシゲシと蹴った。

「んでは~、ごきげんようです、コータせんぱーい♪」

 片やケツを蹴り、片やケツを蹴られながら、しかしその二人ともがにこやかなに小唄へ手を振るという器用な芸を披露して、後輩コンビは学生寮へとはけていった。飽きないコンビだ。

 仲睦まじい二人を見送って、振り返る。

 歩みを止めていた二つの人影が、小唄の方をじっと見つめていた。一人の眼差しは柔らかだが、もう一人の眼差しが鋭く小唄を抉っている。

 栗色のショートカット。きつく結ばれた桜色の唇に、彼女の不機嫌が色濃く滲む。橘まひる――金糸雀小唄を敵視する校内唯一の女子生徒がそこにいた。

 お互いに目が合ったが、言葉はなかった。その視線の交錯も数瞬で、視線を外して歩き出した橘まひるは、一瞥もせずに小唄を通り過ぎ、さっさと寮へと入っていってしまった。

「やれやれ、進展しないものだな君たちは」

燈火(とうか)先輩……」

 呆れたような声色に目を向ければ、微笑とも苦笑とも取れない曖昧な表情でこちらを見る上級生の姿。長い黒髪は寝癖全開で、せっかくの美人が台無しである。

「以前は恋仲だったのだろう? それがこれほど悪化するとは、ほとほと色恋沙汰というのは意味不明だな」

 制服の上から羽織られた鈴白燈火(すずしろとうか)の綺麗な白衣が風にそよぐ。

「僕はなんとかしたいんですけどね。向こうがあんなのじゃその理由も分からなくて」

 別れる直前、一度だけ彼女と喧嘩をした。それ以来ずっと和解ができないまま今に至る。あの時どうして喧嘩をしてしまったのか――その理由すら今はもう忘れてしまった。二年という時の流れは、いとも容易く小唄の記憶を押し流してしまったらしい。

「まあ、その気持ちもあるだろうが、あまり踏み込み過ぎないことだな。プライベートな領域に干渉されるというのは、私なら鬱陶しい」

「それは、分かっているつもりです」

 小唄がそう返すと、燈火からはククッと片笑みがこぼれた。

「どうかな。君はそのあたり、酷く無頓着に思えるがね」

「そうでしょうか?」

「ああ、そう感じる。君は専ら俯瞰(ふかん)的に物を見る反面、主観というものが薄弱だからな。自己に関して無知すぎる。そんな君が、他人の自己に敏いとは思えないな」

「そんなことは――」

「見ていれば分かることさ。君の行動理念には私利私欲が全く伺えないからね。無欲というのは、無自己の証明だと私は思うよ。察するに、君には自分が無いか、あるいは封殺しているのさ」

「……」

「違うと思うのならそれでいいが、ただ、少なくとも私にはそう見えているということは、覚えておいたほうがいい。……ああ、そう考えると、橘さんとのことは君にとって、自分探しの数少ない糸口かもしれないな。関係を修復したい――君にしては珍しく利己的な欲だ」

 考え込む小唄に対して饒舌に語る燈火。

「よくよく考えることだな。自分を知ることは、おそらく、我々が生きる意味に直結する。他人への奉仕も結構だが、たまには自分を眺めたまえよ」

 とても一年上とは思えない見識を言い放って、鈴白燈火は颯爽と寮へと歩き出した。

 いやはや敵わないなと感嘆の念を心に抱きつつ、その姿を見送る小唄。だが、その背中に発見してしまった。

『恋人募集中☆』

 そうデカデカと書かれた紙が白衣の背中に貼り付けられているのを。

 ――だ、誰だこんなイタズラしたやつ。

 ふと考えて、こんな馬鹿馬鹿しいことを実行しそうなのは定宏風馬以外に有り得ないことに気が付いた。

「燈火先輩!」

 教えてあげようと叫ぶも、本人は何を勘違いしているのか振り向きもせずに右手を上げてひらひらっとご挨拶。いや、恋人募集中☆の背中でそれをやられても、なんていうか、ハードボイルドダサい。

 そしてハードボイルドダサいままの余韻を残して、鈴白燈火は学生寮の中へと消えていった。

 っていうか教えてやれよ後輩三人。買い物中ずっとハードボイルドダサかった先輩がおもしろ――可哀想だろう!

 散々論理的に物を述べながら買い物をしていたであろう先輩の背に、次々と突き刺さる買い物客達の視線を想像しながら、小唄は複雑な心境で帰路についた。


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