乙女と恋と愛と Ⅵ‐Ⅰ
――ミュロン砦・保護支部塔内アークライトの執務室――
「やはりそうきましたか」
教会の周囲に仕掛けていた探査魔法により、アークライトは先程砦へ訪れたユリアンの母が教会へ潜り込んだことに気づいた。
アークライトは風使いとしてその名を馳せており、本人もそのように振舞っているがその実、彼は風に限らず、何かを動かす力に長けた『動』の魔術師だ。
それは彼の優秀さにより振動を操る域にも達していて、空気を振動させる音に関してもその限りである。
彼には、現在教会で治療を試みるシスターたちと泣き縋る母親の様子が筒抜けであった。
元々砦と教会には、魔法師団による目に見えない守りが常に展開されている。
高位の聖職者たちの防御魔法、結界のようなものではない。
各砦にいる魔法師団の人員によってその種は様々だが、言うなれば魔法によるトラップや監視が行われているということだ。
リアルタイムに効果を及ぼす魔法と、仕掛けてそのまま持続する魔法との二種に分けるなら、現在のアークライトの探査魔法が前者、砦と教会の守りが後者にあたる。
元の魔法に加え、アークライトがわざわざ自身でも魔法を仕掛けていたのは、勘と生来の用心深さからだ。
ユリアンは未成年とあって、取調べと並行して保護者への連絡も密に行っており、エラはシスター・エイプリルが、それぞれ砦へと赴いていた。
被保護者の容疑についてと、保護者への事情聴取を兼ねた呼び出しだったが、シスターはともかく、ロザリーの取り乱しようは凄まじかった。
それは聖職者誘拐、及び暴行という大罪の前には致し方ない動揺と言ってよいが、如何せん、このような事態も容易に想像できたのである。
彼女はバークらにユリアンの無実と釈放を訴えたが、チームの監視下にあったとて、充分な検証もせずに簡単に釈放など出来るわけがない。
実質的にリオに危害を加えたのはエラのみだったが、共犯だった時点でユリアンも無実とはいかない。
金銭の授受の証拠も今のところなく、未成年だ。
過失の度合いにもよるが、二人とも命は助かるだろう。
バークらも、死刑にはならんだろうと宥めて帰していたが、それも効果はなかったらしい。
母親はどうやらあのまま家に帰ってすぐ、自宅の包丁を持ち、駐在所からギリギリ見えない地点で腹を刺し、まんまと教会へ入ったようだ。
駐在所の面々は知った顔のロザリーの大怪我に、一目散に教会へ走った。
まだユリアンやエラのことは罪状の確定もまだで、公表していないので当然だ。
それにしても、とアークライトは思う。
母親とは時に歴戦の騎士より思い切ったことをする、と。
もしロザリーが無傷で訪ねたなら、おそらく駐在所で止められていた。
夜に教会を訪ねるに相応しい理由があれば別だが、仮に教会まで辿りついたとして、シスター・エイプリルがリオに彼女を会わせるはずがない。
そして生半可な怪我でもそうだ。
シスター・エイプリル1人で充分な傷であれば、リオがわざわざ出てくることもない。
この短時間に計算したのなら、最も捨て身で確実な策だから恐れ入る。
彼女、ロザリーは見事目的を果たしてみせた。
武器を持ったまま教会内に侵入したのだ。
――同時刻・教会内治療所――
「……ユリアン君、の…おかあ、さん…?」
リオが呆然と呟いた途端、あれだけの痛みにも涙ひとつ零さなかった女性の目から、たくさんの涙が溢れ、流れた。
「う、うちの子は、悪くない…です…そんな、大それたこと、出来る子じゃっないんで…すっ!…っおねが、です…信じて、…じてくださ」
リオは動けなかった。
必死に縋る母の形相に、完全に気圧されていた。
ともすれば震えそうになる手も、ロザリーに掴まれて震えることすらままならない。
それほど強い力だった。
こんなにひどい怪我をしているのに、女性なのに、どうして、どこからこんな力が湧いてくるのだろうと、不思議に思うほど―――
「リオ!!」
腹の底から出した声に、リオはハッと我に返った。
「教えたはずです!!治療中はけして、思考と、手を止めてはならないと!」
叱り付けたエイプリルは、リオが今までみたことのないくらい険しい顔をしていたが、それを噛み締める暇はない。
リオの瞳に力が戻ったのを見たエイプリルが頷き、リオも頷き返した。
「アレン手伝ってください!多少刺さろうが広がろうが構いません!刃を抜き取ります!!」
「っはい!!でもっ」
「このままこうしていても同じです!!」
「わかりました!」
「っや、いやぁっおはな、しを…っうちの、子はぁっあああっ!!」
「リオの魔法で癒しながらなら大丈夫!アレン!思いっきり引き剥がして!!」
アレンのおかげで自由になった手で、リオは急いで回復魔法をかける。
ロザリーの抵抗で僅かにぶれた刃先が傷口を広げるも、同時進行で灯る癒しの光の前に、それは一瞬で元に戻り、着実に傷を小さくしていった。
エイプリルの言葉とリオの魔法効果に後押しされたアレンは、ロザリーの腕ごと包丁を高く掲げ、すぐさま叩き落した。
ガラン ガラン ・・・
床に叩きつけられた刃の音はすぐ止んだが、母親のすすり泣く声は続いた。
落ち着きを取り戻したアレンに両二の腕を押さえられ、シスター・エイプリルに太ももを押さえられ、ガタガタとベッドを揺らすロザリー。
リオはじっと回復魔法をかけ続けた。
「わた、しは死んでもいいんっですっ!!あの子を助けてください!!助けてくださいっ助けてくだざいぃっ!!!」
「おそらくユリアンは大丈夫です。無罪放免とはいかないでしょうけど…バークたちにも言われたのではないですか?」
「あの子はっ!あの…子はまだ、14なんですよ…っこれからまだ、やりたいことも…楽し、いことも…たくさん…っなのにっ……いい子なんですっ!罰を受けて出てきても、一生後ろ指差されて生きていくなんて……っそんなのっ」
回復魔法により患部は塞がりつつあり、叫びも抵抗もより激しくなっている。
「お願いですシスター・リオっ!!どうかっあの子をお許しくださいっ!」
「…っ」
「代わりに私が罰を受けます!どうなっても構いません!!だからどうかっどうかユリアンは無実だとっお口添えください!!」
ロザリーの言葉に顔色を変えたのは、リオよりむしろシスター・エイプリルだった。
「いいかげんになさいロザリー!!そんなことが許されるとでも思っているのですか!?」
善悪の前に、自分たちを保護してくれている機関に虚偽の供述をし便宜を図れなどと、自殺行為に等しい。
ユリアンにリオを害す意思がないのは明白で、再犯などあるわけないとエイプリルも思っている。
が、それとこれとは別だ。
いくら聖職者が保護の対象にされていても、リオの供述が正当性に欠けるという評価を受ければ今後の安全に関わる。
「もしリオがあのまま攫われていたらどうなっていたと思います!?これからエラとユリアンが受ける罰など軽く思える仕打ちを受けたのは明白です!!その原因を、作ろうとしたことは確かなのですよ」
護衛と引き離そうというのは、そういうことなのだ。
「それはエラでしょう!?ユリアンがそんなことするはずありません!!元はといえばエラのせいではないのですか!?あの子は悪くありません!」
ロザリーの目は、シスター・エイプリルを責めてさえいた。
エラの母親にあたるのはシスターなのだから。
「……エラのことは申し訳なく思っています。私の監督が及ばなかった…ごめんなさい」
「それなら…それなら…っ」
「でも、その皺寄せをリオに求めるのは間違っています。わかってください」
エイプリルは、動きが鈍くなってきたロザリーから身を起こして頭を下げた。
俯いた顔から落ちた一滴が皺くちゃになったシーツに沁みこむのを、リオは見逃さなかった。
「…………ロザリーさん」
「なんで、どうして」と繰り返してすすり泣いていたロザリーは、ゆらり、とリオの方へ首を動かした。
意を決して口を開いたリオが、何を言うのか。
ロザリーは、リオについて噂でしか知らなかった。
一人息子のユリアンと然程変わらぬ年齢でありながら、珍しい解毒魔法を使えるシスターだと。
シスター・エイプリルは無理だったとしても、まだ少女であるなら、自らの命を持って願えば絆されてくれるのではないかと、浅ましくも打算を働かせた。
ユリアンが助かるなら、どうだってよかった。
だが、どうだ。
ロザリーはリオと目を合わせて悟った。
「私もさっき…保護支部の方にお話しました。今日起こった事を…ありのまま、伝えたつもりです。そうすることしか出来ませんでした。これからも……それしか、出来ません」
ロザリーの強い愛情にも、また揺らぎそうになったけれど、それではダメなのだ。
「今日、私は色々なことを考えました。全然わかってなかったんです。考えたこともなかった……。ロザリーさん。もし、私がユリアンやエラを許したとして、それで保護してくださる方々は納得されると、思いますか?」
だとすれば、聖職者の保護など成り立たないだろう。
「私は…思いません」
ロザリーとて、そんなことわかっていたはずだ。
それでも、大事な子供のために命がけでやってきた。
だからリオも、お為ごかしは言わない。
「自分の身だって大事です。人としての尊厳を奪われたくない。あんな怖い思いも、保護して下さっている方々に失礼なこともしたくない」
それに…
「それにね、もしそれで許されたとしたら、多分、危険なのはむしろ私より…この町の子供たちじゃないんでしょうか……」
「…ぇ?」
「だって…子供にやらせれば許されるかもしれないとか。孤児院の子達なんて、私たちと面識あるからなおのこと絆されやすいんじゃないかって思われたら…まずは子供たちをどうにかしようとするでしょう?」
何かあっても大丈夫。
子供なんだから、前にもそれで許されたんだから。
それを免罪符に子供たちを脅したり、唆さないとも限らない。
「…たしかに」
そう洩らしたのはアレン。
彼は急患を運んできただけで事情は全く知らなかったが、彼女たちの様子から、だんだんと状況を理解してきた。
そして思ったのだ。
この少女、シスター・リオの言う可能性が、そう低くない想定であるとも。
シスター・エイプリルもまた、ロザリー同様驚き、アレンと同じ気持ちだった。
「リオ…あなた……」
「もし、そうなったら…何か事件が起こったとき、聖職者と子供たちは、どちらが…」
優先されるんでしょうか――――言いかけた言葉は呑み込まれたが、この場の全員が察していた。
「わからない、んです。何が起こるか…どうなるか…だから、私…不用意に前例を作るのも…それで誰かを危険に晒すのも……嫌なんです。したくない。ごめんなさい」
いつの間にか傷は塞がっており、ロザリーは自分の手が柔らかなものに包まれているのを感じた。
自分の手とは違う。
すべらかで、あたたかい聖職者の手だった。
「ごめんなさい。私…何も知らない。勉強します。自分のことだから、ちゃんと」
泣きそうになるのを耐えて、リオはロザリーから目を逸らさなかった。
「だから…あなたの言うことは聞けません。それが私の……守られる側の責任だと思うから」
アークライトの命を受け、少し前から治療所の様子を窺っていたテレーゼは、城壁のそばで腐っていたところを強制的に引っ張ってきた元同僚を盗み見た。
「…テレーゼの言うとおりだった。一人で腐ってる場合じゃなかったな」
「ひとまず彼女も落ち着いているようだし、入るなら今ね」
「ああ。俺も…俺も、俺の責任を果たしに行くよ」
兄としても、騎士としても。
アルベルトが教会の扉を開こうと手を伸ばしたその時だった。
中から何かの崩れ落ちる音、そしてロザリーの名を呼ぶシスターたちの声がしたのは。
バァン!!
素早く開け放った扉の先で二人が見たのは、自身の首に刃をつき立てるロザリーの姿だった。