乙女と恋と愛と Ⅴ
SIDE:リオ
捕らえられた人攫い。
集められた彼らが繋がれていく様から遠ざけるように、テレーゼさんは私を小奇麗な馬車へと誘導した。
「あちらへどうぞ。それから身支度と、お話をお伺いします」
「はい、あの、テレーゼさんは……お店の方じゃなかったんですね」
「テレーゼで結構ですわ。シスター・リオ」
「はい、ありがとう、ございます」
テレーゼは店員さんだったときとは違い、凛々しい雰囲気を纏っていた。
アルと一緒に駆けつけた彼女は、おそらくアルのように砦に勤めている人だ。
多分、今日の護衛はアルだけじゃなかったのだ。
元々アルだけとは言われていなかったが、あえて隠していた可能性は捨てきれない。
でなければ、エラだってあんなにムキにはならなかっただろう。
あの子はアルと二人で出かける私が気に入らず、独り占めしたくてあんなことをしたんだから…
『やっぱりあんたムカつくわ!!!!』
『アルっ助けてぇっ!リオがっリオが連れて行かれちゃう!』
『………リオ……ごめん、なさい…こっこんなことになるなんて、あた、あたし思わなくて……っ』
何も、言えなかったんだ…私は…
泣きながら謝る年下の女の子に、私は…何も…
「あの!…エラたちは、どうなるんですか?」
「それはまだ…ですが、あなたのお話も証言として残り、加味されるとだけお答えしておきます」
馬車の戸を閉めたテレーゼはそう言うと、私がいつも着ている修道服によく似た服を差し出した。
「ありがとうございます」
「いいえ。こちらこそお救いするのが遅くなり、申し訳ありません。私は背を向けていますからお気になさらず」
「はい」
普段なら同性だからと気にしないことも、今はその気遣いがありがたく思う。
服を脱ごうとすると、さっき触られた箇所を嫌でも意識してしまうから。
見られていると尚更に。
痴漢にあったことはあるが、通勤途中、服の上から撫でられる程度だ。
誰が犯人か見極めてから、とか、これ以上されたら声をあげよう、とか、女の子なら誰でも声を上げるまでには躊躇いがあって、私もそうだった。
堂々と見回して犯人を確認する勇気もなく、声を上げる前に電車から降りたりしていたので、誰だとわかっている相手に、直に、あんなに触られたのは初めてだった。
それだけじゃない。
誘拐されて、弄ばれて、売られるところだったんだ。
「―――っ、う」
修道服を頭から被って誤魔化したつもりだったけど、テレーゼは何も言わずに背を向けていてくれた。
それからしばらくして、私は馬車の前方にいた。
御者だったか…馬車を操縦する役割を担っている人物の後に少しの段差があり、そこにテレーゼとともに座り、町の大通りを行った。
馬車自体に乗るのが初めてなのでわからないが、御者の背後のスペースが広くとられているように思えた。
わざわざ馬車の個室から出てここに座るのには、何か意味があるのかと疑問が過ぎってすぐ、テレーゼは心を読んだかのように「今後のためにも、町の住人たちにシスター・リオの顔を覚えてもらいましょう」と説明してくれた。
確かに、とテレーゼの言葉に納得しながら、私はずっと考えていた。
町の住人に大注目を浴びつつも、あまり萎縮せずに済んだのはそのおかげだ。
この馬車といい、テレーゼたちの周到さ―――今日のことはすべて、想定されていたことだったように感じる。
私がどこかの誰かに誘拐されるだろうことも、こうして衆目にさらされて帰ることになるのも。
テレーゼ以外にも、アークライト様と呼ばれていた魔術師のような人や数人の騎士のような人たちもいた。
もし彼らが護衛してくれていたのなら、エラたちの接触もわかっていたはず。
顔見知りだとわかっていて許したにしても、あれだけ人数がいれば、路地裏に入るところで止めることも出来たんじゃないだろうか。
(…わざと?)
でも、さっきの人攫いたちが繋がれていた檻には既に何人も繋がれていたから、そちらに人手が割かれていたせいとも考えられる。
そもそも、彼らどころか、この世界の警護とはどういったのもなのか。
監視カメラなんてないだろうし、盗聴用のトラックとか、テレビで見るような現代的なものしか浮かばない。
そんな私が、あれこれ考えたって答えなんて出るわけなかった。
やむなしか、わざとか…アル以外の護衛の存在すら内緒にされていた私に、そんなこと聞いたって教えてくれるだろうか?
というか、聞いていい立場なんだろうか。
部外者だからということ以前に、私なんて、アルが護衛についてくれることにだって「なんだか大げさで悪いな」とすら思ってたくらいだ。
身の危険なんて、まるで他人事のようにとらえていた。
初めて見る異世界の町並みやショッピングに浮かれて、念のためにアルもいてくれるんだから大丈夫、それに町中でそうそう危ないことにはならないだろうって高を括っていたんだ。
まさに百聞は一見に如かずだった。
昔の人は、本当にうまいこと言う。
―――もう助かったのに、指先の熱が戻らない。
エラにだってきっと、もっと他に言い方があったかもしれない。
私があのとき、ちゃんとエラを宥めることが出来ていたなら…
それを言うなら、もっと早くにエラとの不仲をどうにか出来ていたなら…
責任転嫁や自己嫌悪ばかりが、ぐるぐると頭を占める。
こうなってくると、何もわかっていなかった今朝の自分すら引っ叩きたくなってくる。
今更それに何の意味があるかとさらに否定を繰り返しながらも、考えることだけはやめられなかった。
(癒し手の貴重さはわかってるつもりだったけど…本当にただのつもりでしかなかったんだ…)
(今頃エラたちは砦に―――)
あっという間に夜になり、私は自室でただ蝋燭の火を眺めていた。
あの後、私は教会ではなく砦で事情聴取のようなものを受け、その際もう一度セレスティノ・アークライト様という方に会った。
助けていただいたときには碌な会話もなかったが、改めて礼を言うと逆に、今回の件のお詫びの言葉をいただいてしまった。
こちらが驚くほどあっさりと、アークライト様をはじめとした保護支部の方々は、囮作戦についても話してくれた。
「万全を期したつもりでしたが、あなたの身を危険に晒す結果となってしまいました。申し訳ありません」
「いえっ!あの…」
とても落ち着いた、身分の高い男性に頭を下げられて、私は言葉に詰まった。
貴族の方に会うの自体、あのベルケル様以来である。
今日はそれでなくとも頭がパンクしそうなのに、気の利いた返答なんて無理だった。
子供みたいにまごつく私を、アークライト様は何を言うでもなく、少しの間ただ見守ってくれた。
その目が優しくて、私は不覚にもまた人前で溢れそうになる涙を抑えなくてはならなかった。
だからただ、頭を下げた。
教会へ帰ってすぐ、シスター・エイプリルに抱きしめられたときは、また少しだけ泣いてしまったけれど。
(シスターもきっとショックを受けてるのに私…何も言えなかった)
「エラのことは聞いています」と言っていたのに、ただ「大変でしたね」と抱きしめてくれたシスター。
シスターが私のことを娘のように思っていてくれるのと同じように、エラだってシスターの娘の一人だ。
辛くないはずないのに、今もこうして、私を一人にしてくれている。
自室から出てこない私、帰らないエラ、子供たちだってきっと不思議がっているのに。
あの人のようになりたいと思ってるのに、まだまだ私は程遠いと思い知らされる。
(アルはどうしてるのかな…)
事情聴取のときも、アルベルトの姿は無かった。
自分の手で妹を連れて行かなくてはならなかった彼の心中を思うと、罪悪感に似た気持ちで胸が痛む。
何もかも自分のせいだと思って、勝手に自己嫌悪に浸るのはただの傲慢だとわかっている。
それでも、少しだけこの世界にも身の置き所があるのだと感じ始めていた私の心を揺らすには、充分な大事件だった。
誰も自分を知らず、必要としていなかった場所でのアイデンティティの確立には、誰かの役に立つのが手っ取り早かった。
幸運にも回復魔法はそれにお誂え向きの能力で、おかげで肌荒れなんかの問題も解消されて万々歳。
だから急に怖くなった。
この力は、そんな都合のいいだけの力じゃなかったんだって。
(結局自分のことばっかり…)
自業自得とはいえ、今日私を誘拐しようとした連中は死罪が確定しているそうだ。
もしかしたら死ぬより辛い目にあうかもしれなかったことを考えると同情は出来ないが、この国では誘拐は死罪に相当するのだろうか?
私がシスターだったから?
だとしたら、直接人攫いたちと関係なかったらしいエラたちだってどうなるかわからない。
(人の役に立ってたつもりだったけど、波風を立ててるのも私だ)
アークライト様は、私の噂を聞いた人攫いたちがこの町に集まっていると踏んだ上で、囮作戦を決行したと言っていた。
人攫いが潜伏している、それだけでも町の治安に影響がなかったとは言い切れない。
(私…ちゃんと知らなくちゃ。だって…)
「リオ!リオいますか!?」
「っはい!」
焦りを含んだ大きな呼び声に驚く間もなく、私は返事と共に扉を開けた。
私たちが急いで呼ばれる理由は、既に身体の方が条件反射で覚えてきているようだ。
「急患です!!急いで!」
「はい!!」
駐在所から先に知らせに走ってきてくれた門番によれば、その患者は中年の女性で、包丁で刺されたようだと。
私とシスターがベッドや治療器具の準備をしていると、すぐに駐在所の制服を血に染めた青年に付き添われた女性がやってきた。
「こっちです!!ここに寝かせてください!」
「わかりました!」
「ロザリー?ロザリーではありませんか!!」
青年に手を貸そうと踏み出した私の後ろから、シスターが驚きに声を上げる。
女性の横腹には深々と包丁が刺さっていて、一目で事故じゃないとわかった。
「まずは患部の消毒からします。沁みますから貴方は彼女を抑えて。それから私が包丁を抜くのに合わせてリオは回復を!出来ますね!」
「はい!」
「はっはいっ!」
「っうぅっ」
ベッドに寝かせた女性は少し呻いたが、それだけだ。
普通はもっと痛みに声をあげたり、色々話すものなのに。
薬液が沁みても悲鳴をあげず、男性の補助が必要ないくらい、女性は我慢強かった。
薬液をかけ終わったのを見計らい、私も手をかざした。
そのときだった。
「!!」
手を、すごい力で掴まれていた。
「……っお、願いし…おねが…っ」
「ロザリー!あなたっ」
女性は苦しみに引きつった顔で、必死に何かを伝えようとしていた。
「手を離しなさいロザリー!アレン、彼女の腕を押さえて!」
「はいっ!」
彼女の肩を押さえていた青年、アレンさんが腕に手を伸ばそうと力を緩めた一瞬のことだった。
ロザリーさんはもう片方の手で、あろうことか自分の腹部に刺さったままの包丁の柄を握っていた。
「っぅあっ、お願いっします…話を…話を聞い、てくださぃ…っ」
重傷者にあるまじき素早さで動いた彼女に、アレンさんは動きを止める。
下手に刺激すると、さらに包丁が深く刺さりかねない。
「何をしているのですかロザリー!!死んでしまいますよ!」
「このまま…っ聞いてください。っはぁっ……でないと、刺します、もっと…だから……」
「お願いですロザリーさん、せめて治療をさせてください!お話ならその後に聞きますから!!」
どんな話かわからないけど、このまま出血が続けばシスターの言うとおり死んでしまう。
内臓だって無事かわからないのに、早くしないと手遅れになる。
それしか頭になかった私を、シスターがその瞳を歪めて見ていたのを、私は気がついていなかった。
シスターは気づいていたのだ。
「約束、してくださいますか…?あの子を……っ」
「それ以上は言ってはなりませんロザリー!!」
「…っ…ユリアンを…お助け、っは…くださると…っ」
彼女が命がけで息子の許しを乞いに来たのだと―――――