乙女と恋と愛と Ⅳ‐Ⅱ
SIDE:アルベルト‐Ⅱ
リオたちが倒れこんだ路地に入ると声が聞こえたのでそちらへ行くと、倒れたユリアンと、ユリアンを起こそうとしている男がいた。
「ユリアンは無事ですか!どっちへ行った!?」
「え、ええ!あっあちらですがっテレーゼ!」
「あーもう!予定がちょっと狂ったのよ!」
目立った外傷もなく、ついている男の様子からユリアンはひとまず安心と踏んだ。
エラはよく気安い友のユリアンを叩いたりしているが、殴って置き去りにするような真似は絶対にしない。
第一、一撃で昏倒させる程の力も技術もない。
ユリアンが昏倒させられたのなら、それは第三者がいて、ユリアンが邪魔になったからだ。
容疑が晴れずとも、これで頭から疑われる可能性が減った分、待遇も変わるかもしれない。
男の言った方へ走ると、また声が聞こえた。
おそらくエラと、知らない誰かだ。
声を見失わないよう、悟られないようにと壁伝いに行くと、そこには地味なローブに身を包んだアークライト様と私服の騎士が二人、険しい表情で、声のする方を窺っていた。
彼らが俺たちを視線で一瞥すると、角の向こうから、男の大きな笑い声が響いた。
「ああそうだよ。お前のおかげで助かった。礼を言うぜ」
血の気が引く、とはこのことを言うのだろう。
まさかエラが、本当に関わっていたのか?
「こいつがムカつくんだろ?良かったな。ちぃと幼いが、このさわり心地だ。好事家どもがこぞって買いたがる。早けりゃ明日の夜にゃあ金持ちのブタどもの下でヒイヒイ泣くことになるだろうさ」
聞くに堪えない内容を笑いながら口にする男を、俺も覗き見る。
この光景が夢なら覚めて欲しかった。
普段は修道服で隠れているリオの白い首元から、男の日に焼けた不衛生そうな腕が侵入し、無遠慮に動き回っている。
今すぐ飛び出して、あの腕を切り捨ててやることが出来れば…
剣を握る手が、怒りで震えた。
道理でアークライト様たちの顔が険しいはずだ。
反吐が出る。
「アークライト様」
「今はまだ抑えなさい。あの娘がどう出るにせよ、人質にされるだけしょう。その場合…命の保障は出来ません」
いざとなれば、誘拐犯の共犯と思われるエラを見捨てても、リオを救わなくてはならない。
例えエラが妹でも――――アークライト様がご存知かどうかはわからないが、それで躊躇う方じゃない。
エラは、こちらに背を向けていて、何も言わない。
そこまでリオを憎む何かがあるというんだろうか。
そんなにまで、エラはリオを貶めたかったのか?
「その前に一度は味わっときたいよなー」
「のんびりしてると、それもおじゃんだぞ。さっさと来い!」
「へーい」
そんなことさせてたまるか…!!
「…けど、だけど…っこんな風にしたかった、わけじゃないのぉっ」
エラは膝をついて泣いていた。
「リオが売られちゃうぅ……っ」
遠ざかっていく男たちを見やり、今や遅しとこの場で最も権限を持つ人を見た。
奴らがエラから離れれば、リオを救う条件が格段に良くなる。
男たちの姿が道を曲がって見えなくなろうとしたとき
「アル!!アルっ助けてぇっ!!リオがっリオが連れて行かれちゃう!」
エラが俺を呼んだ。
両親を亡くした時のように、必死に泣き叫んでいた。
「やはりあの娘は孤児院の子ですか…」
「はい…俺の、妹です」
答えると、アークライト様は眉間の皺を更に深くして、低く吐き捨てた。
「……これだから……」
この短い言葉に、どれだけの思いがこめられていたのか、そのときの俺にはわからなかった。
ただ、テレーゼにはわかっていたようだった。
リオを追うべく、騎士二人を先頭にアークライト様、俺とテレーゼが続くが、エラまでが動き出した。
おぼつかない様子で小走りになって、エラもリオを追いかけようとしているのがわかる。
俺たちと同じように、男たちもエラに気づいた。
エラを置いていったとき、追ってくるかもしれないと想定していたからだろう。
そちらに注意がいっているせいで、俺たちの存在には気づかずにいる。
「見逃してやったってのに懲りないお嬢ちゃんだな。今すぐ逃げるってーなら追わないぞ」
誰かを呼ばれては困ると思っているからこそ、先にエラを消そうとしている。
一人がエラに近づき、もう一人はリオを背負って走る。
「アルベルト、テレーゼの二人はシスターを。動くのは風が吹いてからですよ」
俺とテレーゼは頷くと、先回りすべく道を逸れた。
町の中では比較的治安が悪いだけあり、廃屋になっているところも少なくない。
戸が抜けた窓から家に入り、無人の家を何軒も突き進む。
そうやって回り道の中の近道を通って、リオを背負った男の姿を前方から捉えた。
かかった時間はおよそニ~三十秒といったところだったろうが、俺にはもっと短く感じた。
――――エラは、どうされるのですか?
アークライト様に、咄嗟にそう聞き返そうとした。
でも、言えなかった。
どういう気持ちでこんなことをしたにせよ、エラの浅はかさが招いた事態に変わりはない。
エラの兄として、俺にはエラに責任がある。
エラがどんなに可愛くても、わざとではなかったとしても…
アークライト様はどうされるのだろうか?
進んで犠牲にされることはないだろう。
しかし……そのとき俺は……
「―――考えるなっていうのは無理だろうけど、最悪の状態ばかりじゃなく、アークライト様の御力も信じなさい。あの娘を死なせるような真似はしないわ」
飛び出すのに好ましいポイントを選んで隠れていると、テレーゼが小声で伝えてきた。
「あの方は、生きて思い知らせるほうを選ぶから」
「っだあ!!」
突然声を上げたのはリオを背負っていた男で、あろうことかリオを乱暴に道端に放り出した。
その瞬間、何か光のようなものを見た気がしたが、よくわからなかった。
「おいお前!仲間がいたのか!?」
「いたいっ!イヤ!はなしてよ!!!!」
もう一人がエラの腕を掴んで食って掛かるが、俺たちはまだ何もしていない。
訝しく思って様子を窺っていると
「違うぜ……こいつぁホントにシスターかよ…」
男は転がっている木片を掴み、リオに目掛けて振り下ろした。
「やめて!リオーーーっ!!!!」
エラが叫ぶのと同時に、俺の足も風を待つ前に地面を蹴ろうとした。
テレーゼですら今だと思ったが、風は吹かなかった。
二人は慌てて乗り出した身を再び隠し、その理由を知る。
「こいつだ!俺の腕をこんなにしやがったのは………」
「信じられん……こいつ、実は神殿の巫女か何かか?」
「何?何なの…?」
アークライト様には、あれが何なのかがわかっていた。
だから風は待ったのだ。
「防御魔法だ……っクソ!これじゃ連れて行けやしねぇ!」
そこでついに、風が吹いた。
攻撃魔法を得意とするアークライト様が風を操り、壁に押し付けられて身動きの取れないでいる男を沈め、捕縛していく。
リオの周りにはまた光の膜が出ており、彼女の身の安全が保障されている以上、アークライト様に遠慮はなかった。
ものの数秒で片がつき、俺は倒した男を騎士に預けて縛るのを任せると、リオの隣に膝をついた。
「リオ!」
「触れてもかまいませんか?」
「……ア、ル…と店員さん…?」
リオはぼんやりとしながら、自分でもわからないのだろう――――手近にあるものに手をかざして防御魔法に弾かれないのを確認してみせながら、不思議そうにしていた。
俺はリオを抱き起こし、テレーゼはそんなリオに表情を和らげて、広がった首元をさり気なく元に戻していた。
「はい、テレーゼと申します。シスター・リオ。もう大丈夫ですよ。具合はいかがですか?」
「はい。今なら多分…」
と言いながら、リオが自らの後頭部に手をかざすと、優しい回復の光が灯った。
「脳震盪をおこして集中できなかったのですね……あいつらに?」
「え…あっいえ、倒れたときにたまたま打って…」
労り一色だったテレーゼの瞳が鋭くなり、リオは曖昧に笑った。
あの時か…。
テレーゼが静かに「そうですか」と返すと、俺はエラたち――――エラを見た。
エラは俺と目が合うと、ぼろぼろと涙を零した。
「~~~~っぅ、っごっごめんなさ、ぃいいっ!!」
俺はテレーゼにリオを任せると、親を見つけた小さい子供のようによたよたと歩いてくるエラの方へ向かった。
泣いているエラの手を振り払ったのは、生まれて初めてだった。
俺はその瞳を、きっと一生忘れることはないだろう。
よせていた全幅の信頼が、空気を通すように素通りしたのを味わった瞳から目をそらさず、俺は振り払い様、涙に濡れるエラの頬を叩いた。
「謝るならっ!!まず俺じゃなくてリオを見て言え!!」
「っ!!」
大きく肩をビクつかせたエラは、怯えた瞳で俺を見上げていたが、のろのろとリオの方へ目を向けた。
「………リオ……ごめん、なさい…こっこんなことになるなんて、あた、あたし思わなくて……っ」
テレーゼに支えられたリオは何も言わず、苦しげにエラを見ていた。
「…あの…ユリアンも、あたしが連れてきて…ユリアンは、大丈夫なの?」
「怪我のことを言ってるなら大丈夫でしょう。ですが、これからのことはそうはいきませんがね…あなた共々」
俺のかわりに答えたのはアークライト様で、その表情は厳しい。
怯えたエラはアークライト様から一瞬で視線を俺に戻し、目は助けを求めていた。
「……俺にはどうしてやることも出来ないよ。これまでの小憎らしいだけの我がままとは違うんだ」
女性が俺に話しかけるたびに邪魔したり、我がまま言って困らせたり。
そんな次元の話じゃなくなってしまった。
「何であんなことをした…?何のためにリオたち聖職者に護衛が必要か、それくらいわかってるだろう?」
「っ……うぅっうぇっひくっ」
泣き続けるエラ。
やるせないのは俺の方だ。
俺は頭に血が上っていて、再びアークライト様が口を挟まなければ、もっと怒鳴りつけていただろう。
「アルベルト、気持ちはわかりますが後にしなさい。後に面会の許可を出しますから」
「面会って…?」
「砦へ戻ります。シスターも身支度をされてください。テレーゼ、シスターをお連れして。他の者たちは捕らえた者たちを繋いで。アルベルト、その娘はあなたが連れて行きなさい。先の少年と合流して、一足先に砦へ収容するように」
「はっ」
「ねえ、アル…面会って…?ねえっ」
俺の袖を引くエラは、その意味を理解したくないのだ。
俺だってそうだ。
エラを守ってやりたかった。
互いの親を亡くしたとき、この小さい手の信頼にこたえようと思った。
なのに俺は今、僅かな抵抗をみせるエラを無視して連行しようとしている。
「なあエラ………これからあいつら、どうなると思う?」
エラたちを利用し、リオをの誘拐を企てた者たちは縛られて、アークライト様の命により、滑車の付いた檻に入れられ繋がれている。
「あのまま町中を引き連れて歩くんだよ。こいつらがこの町のシスターを…リオを狙った不届き者ですってな」
リオに身支度をするよう言ったからには、リオの顔見せも兼ねるつもりだ。
捕らえた賊らへの嫌悪を募り、リオの外見を記憶させ、聖職者を失うことへの恐怖を煽るために。
「その後処刑される……苦しみぬいた末にな」
「っあっあたしやユリアンも……?」
「……どうかな」
現場を途中からしか見ていない俺にはまだわからないが、エラの様子を見ると、どうも奴らとの金銭のやりとりがあったようには見えない。
エラたちが金銭と引き換えに雇われたなどという証拠がなければ、ユリアンが暴行を受けたことも踏まえると、あの人攫いたちととの共謀の罪には問われるかどうかは微妙なところだ。
罪が確定しているならば、エラは既に奴らと同じ檻の中で見せしめの時を待っているはずで、その点の判断は、俺じゃなく、あの場を監視していた警護チームや、チームの全てを把握していらっしゃるアークライト様に委ねられている。
ただし、エラたち…エラとユリアンによる誘拐と暴行の容疑だけは逃れられないだろう。
牢に入るのだけは確かだがおそらく…俺の願望がそう思わせるのかもしれないが、テレーゼの言うように生きて思い知らせるのであればあるいは――――
だがそれを今、いちいちエラに教えてやろうとは思わなかった。
絶望に染まるエラの顔を見ていると、自分でも驚くほど暗い気持ちがどんどん溢れてくるのだ。
俺が今日、エラの姿を見たときから、どれだけその恐怖に怯えていたか、お前にわかるか?
「そんな…っあたしっあたしはただ…アルをとられたくなかっただけで…っ!それでっユリアンにも手伝ってって頼んだの…ねえ!わざとじゃっないの!ちょっとだけリオをユリアンに足止めしてもらってアルとの時間が作れたらって、信じて、お願いっ!!」
「エラ。悪いことは言わない。黙ってろ」
エラを見ずに告げると、警護チームが用意していた馬車から、先程ユリアンを抱き起こしていた男がこちらへ歩いてきた。
俺は彼の手にあるものを黙って受け取ると、エラの両手に嵌めた。
「うそっ…!アル?!」
「こちらへどうぞ。先の少年も中におります。共に連行せよと仰せつかっていますので」
「わかった。来い、エラ」
「イヤァっ!!アルやめてっ!おねがい!!!」
ジャラ…と鈍い音をたてる鎖の先の輪を引いて馬車に向かう。
エラは泣き叫びながら手枷と髪を振り乱して抵抗するが、そのたびにジャラジャラうるさく鳴る鎖が外れることはなかった。
馬車の中に入ると鎖を繋ぐためのいくつかの窪みと突起があり、そこへ輪を通して鍵をかけると同じように繋がれたユリアンが力なく腰をおろしており、絶望的な目でエラを見ていた。
「ユリアン…!?」
エラは泣き叫ぶのをやめて驚きに目を丸くしたが、ユリアンはエラに答えようとはせず、ただ呆然としていた。
普段のユリアンに対して強気な姿勢が嘘のように、エラは罪悪感にまかせるままに話しかける。
「大丈夫だったの?」
「ごめんっごめんユリアン…っあたしっ」
「こんなことになるなんて思わなくてっ」
「…………」
だがユリアンは入ってきたエラを一度だけ見た後は、それが聞こえないかのようにまた、馬車の古びた木目に視線を這わせていた。
やがて馬車が出発してもユリアンはそのままで、けしてエラの方を見ようとはしなかった。
謝罪なのか、ただ反論して慰めて欲しいだけなのかわからない懺悔を繰り返していたエラの声も、砦の内部に入る頃にはやんでおり、門を越えた馬車は囚人用の出入り口の前で静かに止まった。
町からこの高台へ帰る道のりが、こんなに不気味であっけないと思ったのは生まれて初めてのことだった。
「ご苦労様です」
「保護支部のバークです。こちらは騎士アルベルト。聖職者護衛任務中に捕らえた被疑者を連行しました。後に詳しい取調べを行いますので勾留を」
「はっ!」
エラとユリアンの鎖を持ち、俺はバークに続いて馬車を降りる。
窓口にいる兵士はバークに書類を渡し、俺は二人の鎖を別の兵士に託した。
エラの縋る瞳が涙を浮かべて俺を映すのをわかっていながら、俺は書類に目を落とし、バークに続いてサインをする。
不思議だった。
あれほど大事に思って愛しんできたエラを、妹を罪人として閉じ込める紙であるというのに、俺の手は驚くほど普通に動いていた。
さながら夢の中で動く主人公を斜め上のアングルから見つめ続けているときのように、自動的に別の誰かの手が動いたような、そんな不可解な感覚。
現在晒し者にされている罪人たちが後で来ることをバークが告げ、エラが俺を呼ぶ声が遠くに聞こえた頃、妹とその友人を収監する手続きはあっさりと終わった。
あっさり…そう、あっさりとだ!!
「………んで………何で……!!!!」
城壁に何度も拳を打ちつけた。
今朝までたしかにあった幸せは、いとも容易くこの手をすり抜けてしまった。
「どうして…おれは…っおれは……っ!!」
妹に枷を嵌め、牢獄に繋ぐ証に記入したこの両手を痛めつけることだけが、今の俺に出来るただひとつの慰めだった。