乙女と恋と愛と Ⅰ
少し前に初任給を貰った私は、今日初めて町に出る。
今まではお金が無いのと必要が無いのと余裕が無いので出なかったけれど、シスター・エイプリルが私を心配して外に出さなかったのは知っているし、急に色々な場所や常識を教えられても、凡人の私では半分も頭に入ったかどうかわからない。
物覚えが悪くて、教えてくれる相手に二度手間なんてかけさせるのも嫌だし、元々私は積極的とは言いがたく、どちらかというと保守的だ。
何事も、見知っていくのは確実に慎重にいきたいと思っていたから、今まで別に不服もなかった。
それどころか、お給金ももらったことだし、そろそろ外に出て見てまわりたいと思っていたところ、丁度良くシスターが行ってみてはどうだと声をかけてくれて渡りに船だった。
「嬉しそうだね。無理ないと思うけど」
「だって町を見るのって初めてだもの!景色だけは少し知ってるけど」
教会は背後を騎士団の小さな砦に囲われるようにして高台に建っているので、場所によっては町が一望できる。
すぐ隣に魔術師たちの詰め所も騎士団の砦と同じ敷地内で、教会は騎士と魔術師によって『コ』の字型に守られており、教会への行き来は、砦と繋がる入り口を通るほかは、必ず一本道を通って来なければならない。
教会の少し手前には駐在所があり、シーリアさんの旦那様はそこで門番の仕事をしている。
教会に門番というのも不思議な話だが、患者に紛れて聖職者を狙う人や、教会では治療費をとらないために、ほんの小さな怪我でも楽して治してもらおうとやってくる人も時にはいるそうで、そこである程度の制限をかけているのだ。
私の知っている教会の常識からは考えられないが、ここではどこの教会でも普通にあるもののようだ。
「シスターの魔力も無尽蔵じゃないものね」
「ああ。肝心なときに治療が出来ないといけないから、あそこで治療箇所の確認なんかもしている。俺たちは砦から入るから特に制限はないけど、一般用の入り口はあそこだけで、一度に入れる人数も決まっている。祈りの時間やミサの日とか、その時々で増減するけどね」
「重要な場所だったのね……なのに私、駐在所があるってだけで、そういうの、全然知らなかった…」
「それはリオはずっと中にいたからだ。ゆっくり知っていけばいいさ。そのための外出でもあるんだ」
「そうね。ありがとう」
今回私は初めてその門を越え、案内と護衛を兼ねてくれているアルベルトと一緒に、その緩やかな坂の一本道を下っていた。
「ところで、わざわざごめんね。アルは今日、お休みなんでしょ?」
「そうだけど……もしかしてエラ?」
アルベルトの鋭い洞察力に、私は日本人の得意技、曖昧な笑いを発動した。
町の地の利も、患者さん以外の人脈も無い私が修道服で町に出るのは危険ということで、今日は私服だ。
下着や寝巻きは、院の子たちの買い物と一緒に買ってきて貰えていくつか持っているけれど、私服は修道服以外着る機会がなかったのもあって持っていなかった。
町で買えたらと思っているところだったので、今日は院では年長さんにあたる14歳のエラに借りたものを着ている。
そのときエラが言っていたのだ。
「アルはホントは今日は非番なのに、ついてないわね。アルはまだ若いから休日でも鍛錬とか色々あるのに…リオも別の日に他のベテランの騎士様のお世話になればいいのに」
リオからすると、可愛らしい嫉妬と一緒に。
自分の好きな人と出かけるための服を借りに来る女に厳しくなるのはわかるし、嫌味を言いつつも、きちんと服を貸してくれるのだから、20年以上女として生きているリオにはかわいい意地悪だ。
ちらっと見えたタンスの中で、一番色あせてそうな服ではあったけど。
「リオが気にすることないよ。それより、リオは今日めいっぱいやりたいことやって、楽しむことを考えなよ。今までずっと教会に閉じ込められてたんだから」
「閉じ込められたなんて思ってないよ。町に行けるのは嬉しいけど」
別に監禁されていたわけではなし、学ぶことが多くて外にあまり目を向けられなかったのだって本音だ。
癒し手に危険な世の中なら、下手に出回らないのは当然の自己防衛である。
「なら良いんだ。聖職者は珍重され保護されるかわりに危険と不自由も多い。エラはまだそれがよくわかっていないんだ。悪く思わないでやってほしい」
「?うん。悪く思うほどのこと、ないもの」
そう言って笑うと、アルベルトも微笑み返してくれた。
後で聞いたが、アルベルトとエラは従兄弟で、一緒に孤児院に入ったらしく、小さいときはずっと一緒で兄妹のように育ったのだそうだ。
小さいときから自分を守ってくれていた年上の男の子が、カッコよく成長して騎士にまでなったら、それは恋しちゃうよなーと、そのときの私はただただほのぼのしていた。
思えば甘かったのだろう。
少女といえど、恋する女を舐めてはいけなかったのだ。
町へ着いてからというもの、あれやこれやと質問ばかりしていた私に、アルベルトは苦笑しつつも嫌な顔せずに丁寧にひとつひとつに答えてくれた。
アルベルトは馬鹿にするというよりも、何だか子供を見るような目だった気がする…。
不快にさせるよりはマシだけど、エラ情報によるとアルベルトは19歳らしいので、何かちょっと…うん。
気にしない…ようにする。
その後もおのぼりさん全開でぐるっと町をひとまわりしながら、目に付いたお店で必要なものを購入していると、あっという間にお昼になった。
「待たせてごめん!お腹すいたよね。何か食べるとこないかな?」
「リオは何がいい?あっちは食堂とかのレストラン通り、あっちには屋台とか出店があるよ」
荷物をさげた手を左右にやるアルベルトにつられて見てみると、丁度仕事が昼休憩になった人たちのグループが出たり入ったりしているのが見えて、私は出店と答えた。
時間をずらしたら食堂でもいいかもしれないが、お店で買ったほうが安くつくだろうし、混雑に巻き込まれなさそうだ。
アルベルトも同意見のようである。
自分の両手と私の両手にさがった荷物を見比べ、二人で人ごみに入るのを諦めると、アルベルトに連れられて、荷物と一緒に近くの座れる場所まで歩いた。
「了解。それでも混んできてるから俺が適当に買ってくる。そこで荷物と一緒に待ってて。絶対動かないで、何かあったら大声出すんだよ」
これだけは(心の中で)言っておくけどねアルベルト。
私はもうすぐ23歳なんだからね。
孤児院の方式(年下=弟妹)でいくと、君は私の弟なんだからねー!
なんて言っても仕方ないので、私はおくびにも出さず、良い子のお返事をすると木の箱のようなものの上に座った。
簡易的な椅子代わりのようで、屋台の近くのあちこちで同じように座っている人が見受けられる。
アルベルトは列に並びながら私のほうを度々確認していて、私はそのたびに手を振って応えた。
すると先ほど買い物をした洋服店の店員さんが通りかかり、
「あら、さっきのお嬢さん。お兄さん待ってるの?」
お、弟………!!
日本人はよく若く見えると言われるけれども、これはこれで屈辱である。
今はまだ我慢できても、大人扱いされる日来なさそうじゃない?
私もう、成長なんてしないよ?
だいたい、アルベルトをはじめ、この世界の人間が欧米人並みの体格なのがいけない。
見てなさいよ。
アジア人は年取ってからが勝負なんだから…!
回復系魔力のおかげでお肌はぷるっぷるだし、不老といわれるアジアの神秘の底力を見せてやる。
30年後に笑うのは私、私だからね。
――――って何考えてるんだろう私。
たった半日で、アルベルトをはじめ町のいたるところで子ども扱いされすぎて、ちょっとテンションおかしいわ…。
そもそも30年後だなんて……
「リオ!!」
物思いにふけっていた私は、突然名を呼ばれて驚いた。
「………エラ?」
「偶然ね!」
え、絶対違うと思う……。
チラチラとアルベルトのいる方を見ながら、彼の視界に入らないよう気をつけているところを見ると、内緒でつけてきたのね、エラ。
でも、その割にはお洒落をしている。
パフスリーブのシャツにリボンを着けて、いつもより鮮やかな赤いスカートを履いて、どう見てもデート仕様だ。
私が首を傾げたままでいると、エラはおもむろに隣にいた男の子を肘で突付いた。
「あっあっと…俺、ユリアンっていいます。シスター・リオ」
「はじめましてユリアン。私はまだシスター・エイプリルの助手みたいなものだから、リオでいいよ」
「っはい!リオ、さん…」
ユリアンはちょっと気の弱そうな男の子で、年はエラと同じくらいに見える。
立場は完全にエラが上みたいだけど。
また肘で突付かれてる。
かわいそうに、あれではむしろ肘鉄だ。
「ね!ユリアンは、リオに、用事が、あったのよねっ」
「うぐっ!…うん」
「そう!それで、あたしはわざわざリオを探していたのよ」
胸を張るエラには気の毒というか…いや、真に気の毒なのは腹を抱えるユリアンか。
言わせているのがバレバレである。
「ユリアンのお母さんが足をケガしたっていうんだけど、教会まで行くのが少し大変らしいのよ。だからリオ、行ってあげて!」
「おっお願いしますリオさん!」
「ちょっと待って。今アルがいないの。もうすぐ戻ってきてくれると思うから、そしたら皆で行きましょう」
これで引いてくれるといいな、と思いアルベルトの名を出してみると、エラは慌てて言い募る。
「なっ何言ってるのよリオ!そんなっ……ユリアンのお母さんは今も痛みに耐えてるのに!」
そうくるか。
わかりやすくてかわいい、と微笑ましかったのもここまでだ。
「ねえエラ」
「なっなによ」
「私はアルにここで待っているように言われたから、ちょっとの間待ってて。もし私がいなくなったら困るのはアルでしょう?」
私もエラの邪魔をしたくて言ってるわけじゃない。
アルベルトはあくまで護衛として付き合ってくれているのだ。
彼の騎士としての責任は勿論のこと、これで私に何かあった場合、リオ(わたし)というより癒し手を失ったということで、大事になりそうな気がする。
「そんなの!あたしが伝えとくわよ!!」
「エラ…」
いつアルベルトが戻ってくるとも限らない状況で、エラは焦っていた。
おそらく私をを引き離して、自分がアルベルトとデートする作戦だったのだろう。
眉をしかめ、ヒステリックに叫ぶエラに注目が集まりつつある。
「…アルベルトが戻ってきたら今日はもう帰ることにする。だからその後の時間はエラの好きにしたらいいわ。ユリアンのお母さんのことは聞かなかったことにしておくから」
「リオさん…」
エラの横で、ユリアンはホッとしたように息を吐いた。
気が弱いのもあったかもしれないけれど、彼がオドオドしていたのは、嘘をつく罪悪感が大きかったのかもしれない。
「…によ……なによなによっなによ!!その譲ってやるみたいな言いかた!!やっぱりあんたムカつくわ!!!!」
「っ!!」
「エラ!?」
突進してきたエラに口を塞がれ、私は衝突した勢いのまま、建物が立ち並ぶ通りの隙間に倒れこんだ。