修道女の祈誓
あの娘を抱えたベルケル様がいらっしゃったとき、最初に感じたのは圧倒的な力の差だった。
美しくきめ細かい肌、まるでみずみずしい果実がごときまろい頬。
遠目に見ただけでもわかる、癒しの力の恩恵を受けているのだと思える容姿と、その身に宿る強大な魔力。
「この娘をこちらで預かって欲しい。あなたと同じ癒しの力を賜りし子だ」
「えっええ!でも私とは比べ物になりませんわ!どちらの神殿の方でいらっしゃるのです?預かるとは…」
「先の泉に瞬間移動魔法と思しき光の穴があらわれ、この娘が落ちてきた。おそらく神殿の者ではない」
「!!まあっなんてこと!?」
ベルケル様が抱えていた少女を礼拝堂の長椅子に下ろしたので、私も近づくと、少女が何故ベルケル様のマントで赤子のように包まれていたのかがわかった。
下から覗く素肌は、少女が生まれたままの姿であることを示していたのだ。
「……このような無防備な姿で移動魔法など………ましてこの娘は私と同じ聖職者なのでしょう?」
移動魔法を使える聖職者など、国中探してもいないだろう。
それは魔女や魔術師の使う魔法で、完全な畑違いなのだから。
ベルケル様も頷く。
「娘が目覚めたら名前と出身を聞いておいてくれ。失踪者かもしれない」
瞳の奥に隠せぬ怒りを宿し、吐き捨てるように言った。
その意味を悟り、私もやるせないはがゆさを感じる。
稀有な魔力を持つ者の売買は、いつの世も闇に紛れて行われてきた。
特に私たちのように戦う力に恵まれていない者は、身を守る術が限られてくる。
癒しの力は誰もが保身のためには傍に置いておきたい能力。
買い手はいくらでもいて、しかも攻撃魔法で抵抗される心配はほとんどないので、やろうと思えば簡単に捕まえることが出来るのだ。
そうして数少ない使い手たちが私利私欲のために乱獲されていけば、いずれ困るのは国であり、民である。
よって稀有な魔力が発現した人間は、国の保護機関に登録されるのだ。
私も子供のときから登録され、保護されている。
騎士団の砦や、魔術師たちの詰め所が教会の近くにあるのはそのためだ。
この町で回復魔法が使えるのは、私たち聖職者を含めてもほんの数人。
人口比からすると、かなり少ない。
だから大切に守られる。
それでも需要があるために、狙われる。
「―――――私たちは狩られるだけの、野をゆく獣ではないというのに……」
どうかこの娘にも、安らぎと幸いが訪れますことを―――――
跪き、祈りを捧げる私の後ろで、扉が開いて、閉じた。
しばらくして目覚めた少女は、名をリオ・モリムラといった。
耳に慣れぬ響きの名からして、もしかすると国外から飛ばされてきたのかもしれない。
彼女は自分の格好を見て驚き、こちらの質問には、何故か問いの意味さえ理解できないといった顔をしていた。
まだ混乱しているのかと思い、彼女を休ませるために席を外した私は騎士団の砦へと出向き、ベルケル様にひとまず彼女の名だけでもと報告した。
ところが、失踪者の中に娘の名は無かった。
念のため失踪者以外の、国内に保護されている癒し手、聖職者のリストも当たってくださったようだが、それも空振りに終わっていた。
となると、今現在手の届くところにある最大の謎は娘、リオである。
彼女は一体どのようにしてここへ辿りついたのか…
保護されている能力者はその国の財産といっても過言ではないため、どの国も国外にその情報を流さない。
我が国でもそうだが、特に聖職者の失踪は民を動揺させないためにも秘匿とされ、国内の失踪者リストさえ、国の保護機関から各地の騎士団や神殿、教会の者しか知ることは出来ない。
とんでもない辺境でもない限り…最低限教会のある規模ならば、町や村には必ず聖職者が常駐するよう近年国法で定められたため、聖職者の異動は珍しくもなくなった。
民の安全性は勿論のこと、失踪者の不自然さを隠すのにもこの法は打ってつけだった。
リオの捜査もその存在もまだ、ベルケル様とその場にいた騎士数人の方、私しか現在この町で知るところはない。
国内でもこれほどの情報制限があるのだ。
彼女が国外の失踪者だとすれば、いかに騎士団とて身元を洗い出すことは難しい。
身元の照合が出来なかった以上、現段階で最も建設的なのは彼女本人から聞くことであるが…
ベルケル様とともに再び彼女に事情を聞こうと彼女のところに戻ってみると、彼女は名前以外の一切をわからないと言った。
記憶を失うというのは稀にあるらしいが、捜査にあたった騎士様方も、私もこれにはほとほと困り果てた。
本当に何も覚えていないのかと信じられない思いもあったが、彼女の身元を示す一切がないため、嘘と一蹴する証拠もなければ、彼女の物知らずはとても演技とは思えなかった。
「彼女のことはもうしばらく様子を見よう。記憶が無いとしても、何らかのきっかけで思い出すとも限らん」
「そうですね。貴重な癒し手ですし、発見した際の魔力測定器の値からみても、彼女自身には何の過失の意思も感じられません」
魔力の測定器とは、その人の潜在する魔力の中で一番強い力の種を選びとり、その大きさをあらわしてくれる道具で、これは幅広く出回っていて、教会にも一台ある。
しかしこのとき使用されたのは、色々な種類の魔力を細かく分類して測定できるという、ごく一部にしか使用を許されていない高性能な測定器だそうだ。
「まず、数値を見る限りでは彼女自身があのとき魔法を使っていた痕跡もありませんでした。何より彼女には攻撃魔法の才はほとんどない。彼女の身体には移動魔法の名残がありましたが、彼女自身に移動系の才は皆無のようです。間者として送り込むのだとしたらこれほど不適格な者はいないでしょう。何らかの訓練を受けたとは思えないカラ……いえ、様子でしたし」
「っアルベルト!!何てことを!あなたって子は……!」
私はたまらず昔の調子でアルベルトを怒鳴りつけた。
後の方で言葉を濁したとはいえ、アルベルトの頬にはしっかり赤みがある。
アルベルトもベルケル様に付いて現場にいたのだろうが、それは仕方ないにしても、うら若き乙女の肌を見たと、ついでも暗に公言するなどとは、はしたない!!
私の怒りに反し、周囲はアルベルトに同情的に苦笑している。
「まあまあシスター・エイプリル。アルベルトはあなたに叱られるのには弱い。勘弁してやってください」
「すみませんシスター。…口が過ぎました」
「お気をつけなさい」
ふん!と鼻を鳴らすと、頭を上げたアルベルトの顔は院にいた頃を思い出させ、私は懐かしさに頬を緩めた。
空気が若干和んだところで、この一切のやりとりに口を挟まずにいらしたベルケル様が口を開く。
「アルベルトの言うとおり、彼女は本来なら神殿や王宮に召されるほどの才を有している。移動地点はおそらく魔法の失敗か、事故だろう。人身売買に移動魔法は極めて便利だが、才の有る者は大抵国の管轄下にあり、雇われる外法術師は質が低いのが難点だからな」
なるほど…稀有な才能のない者が、無い才を無理やり伸ばしてそこそこ使えるようにし、高い報酬を目当てにその能力者のフリをするという外法術師の存在は、私でも聞いたことがある。
「過去にも移動時の失敗で救い出された例は、実は多いですからね」とアルベルトが続ける。
身元がわからないのに騎士様方が落ち着いていたのは、リオのような事例が珍しくなかったからだったのか。
「…にしても記憶喪失かー。思い出してくれさえすれば、あの娘を売り買いしようとしてた奴らも摘発できるだろうに。何とか記憶を取り戻すっていうのは無理でしょうかね?」
「無理に情報を引き出そうとするのはやめておいた方がいいのではないでしょうか。記憶喪失とは通常の病や外傷とは違って、有効な方法が決まっていないと聞きます。仮に彼女が国外の聖職者だったとしても、記憶が無いようでは帰りようもありません。記憶が戻らなければこの町で新たな聖職者となってくれる可能性もありますし、現段階で手荒な真似をして、彼女の信頼を失うのは惜しいと思います」
「そうだな。この件の最たる被害者でもある。シスター・エイプリル」
「はい」
「このまま彼女を教会で受け入れてもらえるだろうか」
「勿論ですわ!!」
幸いにも、子供の頃から保護され守られてきた私などが、同じ境遇というにはおこがましいかもしれないけれど、同じ癒しの力を持つ者として、人として、神に仕える者として、断るわけがない。
「ただし」
早くも息巻く私に、ベルケル様は冷静に付け加えられた。
「身元のわからぬ者を教会に住まわせるというリスクもある。特に同じ能力を有したシスター、貴女の視点から、不審な点がないかは随時報告して欲しい」
「そんな…」
監視する必要があるとは、とても思えないのに。
「シスター、彼女を疑っているわけじゃないんだ。教会は町の皆にとって大事な場所だ。今後あらぬ疑いをかけてしまわないためにも、最初に彼女の人となりを把握しておく必要があるんだよ」
「アルベルト…」
「それに……彼女はもしかしたら『名も無き者』かもしれないから、よく見ていてあげて」
名も無き者――――保護登録すらされず、保護機関のリストにのれないまま消える者たちの総称である。
主に、子供の頃に目先の大金に釣られた親に売られていたり、捕まえやすい孤児たちなどが手当たりしだいに魔力測定器の篩いにかけられ、選別誘拐されて消えていくことで生まれる。
この場合、国内どころか国外の保護機関にも名前が載ることがないため、今回のリオのようにいくら身元を探そうとも見つかることはない。
近年増えてきた手口だと、いつだったかアルベルトが仕事の合間に院に来たとき、子供たちを心配して教えてくれた。
「少しの間でかまわない。時々そちらにアルベルトをよこすので、気づいたことを話してくれればいい。頼む、シスター」
「そういうことでしたら……謹んでお受けいたしますわ、ベルケル様。己の浅慮が恥ずかしゅうございます。お許しくださいませ」
それから一月以上、私はなるべくリオと行動をともにすることで、彼女を知ることにした。
年齢的にも最初は院に入れるべきかと悩んでいたけれど、彼女が自分は大人だと言い張るので、シスター見習いをしてもらうことにした。
これなら一緒にいる時間も多く取れるし、この娘が聖職者だったのなら、記憶を取り戻すいい機会になるのではと、我ながらいい思いつきだと思った。
「やあシスター。リオはどう?」
「あらアルベルト、また来たの?お昼時に来るだなんて、食事はちゃんとしたの?」
「シスター…勘弁してよ…」
子供の頃から院の子の中では一番勉強が出来たアルベルトは、小さい時から妙に理屈屋で、町の女の子には涼しい顔が人気みたいだけど、こうやって項垂れていると、まだまだ可愛いわね。
「さっき院の方で食べさせてもらったよ」
「じゃあリオもいたでしょう。わざわざ、どう?なんて聞きにこなくたっていいじゃないの」
「俺じゃなくて、シスターの意見を聞きにくるのが仕事なんだよ」
「何度も言うようだけど、あの娘にはもう必要ないと思うわ」
「うん…ベルケル様もそろそろいいだろうって言ってた。最初から一ヶ月程度って決めてたみたいなんだ」
「そうだったの」
「でも、少し前からリオの調子が悪そうだって言ってただろう?だからもしかして記憶が戻ってきたんじゃないかって、もう少し様子をみようかってことになってたんだけど、今日の様子じゃ、大丈夫そうだね」
「そうね。ベルケル様もリオのことを気にかけてくださっているんだもの。きちんとお知らせしておかなくちゃね。実は――――」
「魔法を知らなかった!?」
「そうなのよ。私もうっかりしていたわ。まだ治療に立ち合わせてはいなかったし、ここでは私のほかに魔法を使うことなんてないし…」
「記憶がないんだもんな…」
しみじみと呟くアルベルトに、私もこの間のことを思い出す。
「どうしてもっと早くに気づいてあげられなかったのかしらって、自分が嫌になったわ。あの娘を気遣ってるつもりが、やっぱりあの娘を見定めることばかりに目がいってたんじゃないかって……。人一倍真面目な娘よ?あんな手になっても、一生懸命ここに馴染もうって頑張って…」
「うん知ってる。いい娘だよ。ちょっと変わってるけど」
「ええ。なのに私ったらつい自分の物差しで考えてしまったのね。癒しの力があるからって、そんな心配全然していなかったの。かわいそうに。膿が出るまでひどくなっても言い出せずに…魔力を身体に纏えていなかったみたいなの。だから急に肌も荒れて調子が悪かったんだわ」
私程度の回復魔法にも、まるで奇跡を目にしたかのように驚き、子供のような無邪気な目をして喜んだリオ。
魔力の認知に少々手間取っていたようだったけれど、あの大きな魔力を制御する苦労を考慮すれば、彼女の覚えはかなりいいと言えた。
教会の魔道書を久方ぶりに引き出して教えていたけれど、2~3ヶ月も経つ頃には、既に私の能力を全てにおいて上回ってしまっていた。
徐々に彼女も治療に参加するようになり、たくさんの血に怯え、震えながら手をかざす姿は、昔の私を見ているようでもあった。
私はリオを叱りもしたが、命の重さを恐ろしく思うのは悪いことではないと思っている。
躓きながらも、何とかしようという気持ちがあれば、人は人を救うことが出来るのだと、私は信じている。
この娘が私の跡を継いでくれたら…
いつしか私は、自然とそう思うようになっていた。
便宜上、シスター見習いとして教会で保護したリオ。
彼女は本来なら、こんな平凡な町に止まる器ではない。
私がこの年になっても習得出来なかった解毒魔法をいとも軽々と覚えてみせた才は、都の聖職者にも引けを取らないだろう。
加えてあの美しさ。
健やかさを取り戻した肌は男女問わず、思わず触れたくなるように素晴らしく、顔立ちは幼くとも充分に人目をひく愛らしさがある。
警護の問題もあって、私たちはあまり教会の外に出ない。
リオもこの敷地内からほとんど出たことがないのであまり騒がれていないけれど、女性にはどうも一歩ひいた態度の、あのアルベルトが親しみを覚えているくらいだ。
高貴な方の目にとまったりして、どこか遠くへ嫁ぐなんてことになったら…
「……ター…シスター!」
「!」
「どうかしました?」
………いけない。
治療道具を片付けている途中だったわ。
「何でもないわ。少しぼうっとしてしまったみたいね」
「シスターが?珍しいですね。どこか具合でも…?」
「いいえ。ありがとう、大丈夫よ」
ホッと頬を緩めるリオに、私も笑みがこぼれる。
「寄る年波かしらね?」
「シスターがですか?そんなこと言ったら世のおばあちゃんたちに怒られますよ」
「そうかしら」
そのまま談笑しながら教会の施錠も済ませ、院への短い道のりを歩く。
やがて落ちる日の色に染まった孤児院の方から夕食の香りが漂ってきて、今日も一日が終わったのだという実感をくれる。
「ねえリオ。あなたは…何かなりたいものはある?」
「なりたい…というと職業ということですか?」
「ええ、そうよ」
リオにとっては唐突な質問だろうけど、ずっと言おうと思っていたことだ。
彼女はシスターの見習いなのだからと、今はまだ、日々学ぶことに手一杯で考えていないに違いない。
でも、いざ迷ったとき、私はリオに、この町を重荷に感じて欲しくはなかった。
「教会で保護したとき、とりあえずあなたをシスター見習いとしたけれど、もしもあなたが他に……これから学んでいくうち、やりたいことを見つけたのだとしたら、その時はあなたのやりたいようにおやりなさい。今やあなたの魔法は私を凌駕しているわ。あなたは気づいていないのかもしれないけど、ここで一介のシスターにおさまっているのが不思議なくらい」
「…………私は、ここが好きです」
戸惑いの色を濃くする琥珀の両目に、私は安心させるよう目を合わせる。
好きだと言ってくれる気持ちが、嬉しかった。
「勿論、あなたにここにいて欲しくないわけではないのよ。あなたの魔法を抜きにしても、もうあなただってこの家の……私は娘みたいに思っているわ。院の子たちだって、あなたのことが大好きだし、町の皆だって頼りにしてる。――――でもね、あなたならきっと、都で高い地位を得ることも夢じゃない。他の選択肢だってあるってことを、きちんと知っていて欲しかったの」
知ったうえで、いつかこの土地を選んでくれたらいい。
そうしてしばしの沈黙の後、リオは躊躇いがちに口を開いた。
「ええと……その、私こういうの言うのってちょっと苦手というか…子供みたいなのはわかってるんですけど、どうにも恥ずかしいというか……っすみません…」
夕日色の中にあっても、リオの頬が赤みを帯びたように見えて、私は軽く首を傾げる。
その後に続く言葉が、私に何よりの喜びを与えてくれるとも知らずに――――
「あまり外のことはよく知らないけど、私も、神殿の方が身分があったり裕福だったりするのは知ってます。本にもよく出てきますし………でも私は、私なんかがって思うんですけどっ私…私、なるならシスターみたいになりたいです」
私…?
「シスターっていう職業よりは、あなたみたいになりたいって言った方が正しいのかも…や、正しいんですけど!」
そこまで言うと、リオは何か吹っ切れたように背を伸ばし、顎を引いて真っ直ぐ私を見た。
「私は、シスター・エイプリル。あなたのような人になりたい」
この後、年甲斐もなく泣き崩れた私は、この導きを下さった主に誓った。
傍で慌てるこの娘のこれからを、私は残りの一生を捧げてでも見守ってゆくのだと――――――
リオ嬢が夜な夜な「粉ふき~あかぎれ~」と呪詛のように心中で唱えていた頃の、シスターサイドの異世界事情。
別名『シスターごめんなさいの回』。
リオ嬢は日本人らしく、自分の気持ちを伝えるのが苦手なタイプで、最後は憧れのシスターを前にものすごく照れてます。
ここを書きながら、昔アルバイトしていた頃のことを思い出しました。
当時まだ10代だったにちきは、バイト先の40代の女性○○さんにとても懐いておりました。
「ねえお母さん、私将来○○さんみたいな人になりたい」
「何でそこでお母さんみたいにって言わないの!」
と理不尽にキレられたことを…(=v=;)
子供から「あなたみたいに」って言われるのは、親にとっては憧れなんだろうなあって思います。