あなたの死に方占います
夏のホラー企画作品です。他の先生方の作品も是非お読みください。『夏ホラー』で検索出来ます(´ー`)
どんよりとした空気が熱と湿気を帯びて体にまとわりついてくるような、そんな暑い夜だった。
開け放った窓からは涼しい夜風くらい入ってきてもよさそうなもんだが、残念ながら気味の悪いほど黒く塗りつぶされた外の景色からは、低く唸るようなウシガエルの鳴き声が入ってくるだけだ。
「なんでこんな日にエアコン壊れてんだよ」
暑くて寝られやしない……と聡はベッドから抜け出した。
部屋のドア付近まで来ると、電気のスイッチを入れる。
ブブ……ブ……
古くなった蛍光灯が低く唸りながら二、三回瞬くと部屋の中を照らし、思わず暗闇に慣れた目を細めた。
時計に目をやり時間を確かめると、二本の針は午前二時を指そうとしているところだ。今は夏休みで多少の夜更かしは問題無い。それに今日は両親が二人とも出かけていて、久しぶりに心身ともにゆっくり出来るのだ。
そう思うと寝るのも勿体ない気がして、何をしたいわけでもなかったが、とりあえず机の上のノートパソコンに電源を入れた。
画面にアルファベットと数字の羅列が流れると、やがてアイコンが並ぶ待ち受け画面が浮かび上がる。聡は迷うことなくインターネットのアイコンをクリックした。
(さて……サーフィンでもするかな?)
とりあえずお気に入りの掲示板から書き込んであるURLへ飛ぶ。そこからさらに気になるリンクを次々とクリックしては退屈を紛らわそうとした。
(つまんね……)
特に面白い記事がない。暑さでむしゃくしゃする不満をどこかにぶつけたかったのだが……
(なんだこれ?)
とあるホームページで右手のマウスが動きを止めた。真っ黒な画面に赤く血ぬられた文字が浮かび上がっている。
『あなたの死に方占います』
その奇妙なタイトルに背筋がぞくりと震えたが、同時に好奇心をそそられたのも事実だ。すぐにマウスボールがクルクルと回され、画面はスクロールした。
実に奇妙だ。
タイトルの下部には『占う』と書かれたアイコンがぽつりと置いてあるだけ。宣伝リンクや管理者メールボックスどころかサーバーリンクすらなかった。
(独立サーバーかな?)
訝しみながらも益々興味が湧いてくる。それを抑えきれずに右手は勝手にそのアイコンをクリックしていた。
『この占いから逃れる事は出来ない。それでもお前は占うか? Yes/No』
ずいぶん大仰な煽り文句だ。ご丁寧に警告文の下に骸骨の画像を貼り付けてある。
(へえ、なかなか良いじゃない)
一瞬心がブレーキをかけようとするのを強がりな好奇心が押しのけ、マウスに導かれる矢印はYesを選択した。
カチリ……
と、その瞬間
「ひっ……!」
視界が突然闇に覆われた。
真っ暗な部屋にパソコンの仄かな明かりがくっきりと浮かび上がり、無意識に汗ばんでいた背中がビクリと震えた。
ブブ……ブ……
切れかかった蛍光灯が再び光を灯すが、その光度は安定せずいかにも頼りない。
(脅かすなよ……)
飲み込んだ息をため息混じりに吐き出すと画面に目を戻す。そこにはやはり真っ黒な画面に赤い文字が浮かんでいるだけだった。
『あなたの嫌いな友達を思い浮かべて下さい』
聡が思い浮かべたのは同じクラスの高橋だ。ちょっと顔が良いのかさに着て女子に次々とちょっかいを出している。夏休み前に僕の憧れの優子さんに馴れ馴れしく携帯の番号を聞いていた。
(ホントに死んで欲しいぜ!)
思い出すだけでもむかっ腹が立ってくるそんな中、画面に質問といくつかの選択事項が現れた。
『あなたはその人をどうしたいですか?』
(殺したいに決まってる!)
『壱:なにもしない 弐:殺したい……』
迷わず弐を選択しようとしたが、その指を止めた。
『参:自慢の顔を一生台無しにしてやりたい』
(これだぁ)
無様な顔で女にモテるかどうか見せてもらいたいもんだ。その姿を想像するだけで心が躍った。
(待てよ、自慢の顔って……なんで?)
随分と自分の嗜好にあった選択肢だが、まあそんなこともあるかと先へ進んだ。
また画面は変わり、次の項目が浮かび上がる。
『あなたの好きなひとを思い浮かべて下さい』
聡はその優子を迷わず思い浮かべた。
『そのひとをどうしたいですか?』
(どうしたいって……)
高校生の恋愛感情は飛躍すること甚だしい。
『壱:なにもしない 弐:付き合いたい 参:死ぬまで愛されたい』
(優子さんとなら僕は……)
くだらない質問だと分かっていても参をクリックする。クリックしながら周囲がやけに静かな事に気が付いた。かすかに蛍光灯が連続した唸りを上げているだけで、そういえばいつの間にかウシガエルの合唱が息を潜めている。窓の外のすぐ下には小さな用水池があり、よどんだ水の中には腐るほどのウシガエルがいたのだ。
(……ま、静かで良いけど)
意識は再び画面へ戻る。すでに質問は次の項目へと進んでいた。
『あなたが父親を殺すとしたらどのように殺しますか?』
父親……まったく気に食わない男だ。こちらの意見にはまったく聞く耳もたず、自分の人生論を押しつけてくる。苦労したことを自慢する。貧しかったことを振りかざす。
『俺の若い頃は……』から始まる説教を何万回聞かされたか。
『壱:死ぬまで待つ 弐:毒を飲ませて殺す 参:焼き殺す』
(どうせなら苦しんで死んでよ)
選んだのは参だった。
次の質問。
『あなたは母親にどんな死に方をして欲しいですか?』
こんな質問がなんになるんだろうか? 随分奇妙なサイトだが内容も奇妙だ。
母親は口さえ開けば勉強勉強。少しでも反抗しようものなら『大人になって言いなさい』といつも子供扱い。ついこの間も一学期の成績が落ちたことでヒステリックに騒ぎ立て、聡を罵った。
『壱:静かに死ぬ 弐:誰かに殺される……』
(あいつは僕を人間扱いしてないんだ)
『……参:溺れて死ぬ』
またもや選択したのは参。画面上の矢印がすっとそのアイコン上へ走り……
カチリ
とマウスはクリックされた。
ヴォゥ……ヴォーゥ……
その時を待っていたかのように一斉に声を上げたウシガエルの群れ。
ぞぞぞ……と背中を這い上がる不快感に思わず肩をすくめ、窓の外に目線を向けた。
……すると
『ギャアアアアーッ!』
耳をつんざく断末魔の叫び声が体を貫き、体は戦慄にとらわれて硬直した。窓の外の暗闇、ドアの外、部屋の隅に潜んでいた恐怖が一斉にうごめき、聡を取り巻いてゆくようだ。
パソコンが血を搾り取られているような声をあげ、どっと脂汗を体中から噴き出させた。そしてその恐怖は声を出す画面を見るのをためらわせる。
耳を塞ぎたくなるような悲鳴。
それはべっとりと貼り付くように聡を取り巻き、毛穴から体内に浸透して神経を逆なでした。そしてその悲鳴の渦の中、わずかに洩れ聞こえる異様な声に気づくと、それは次第に大きくなり叫び声に割って入ってきた。
『オオ……オ……オオオオ……』
叫び声よりももっと低く、苦しみもがいているように聞こえる男の声。画面の中には一体どのような映像が流れているのだろうか?
しかしそれでも聡は顔を画面に向けることが出来ない。
本能が見てはいけない事を訴えていた。その表れは画面を消そうと震える手をキーボードに伸ばし、見えていないキーを手当たり次第に叩き出したことでもわかる。
カチャカチャと軽いプラスチックの無機質な音が連打されたが、しかし流れ出る音に変化は無かった。
(なんで……なんで……?)
キーを選んでいた指が乱雑になり、ついには手のひらで強打する。
(消えろ……消えろ!)
狂ったようにキーボードを叩く手がピタリと止まると、一層の恐怖が聡の表情に浮かんだ。
「オ……オオオ……」
そのうめき声はさらに大きくなると共に、次第に鮮明に耳に届く。機械を通した音とは思えない。空気を震わせるようにして部屋へ侵入しているような気がするのだ。
それとともに異様な臭いに顔をしかめた。焦げ臭い、そして髪の毛の焼けたような異様な臭い。
想像などしたくない。したくはないが……
ギ……ギシ……ギ……
その音に聡は、背中に冷水を打たれたような寒気に襲われた。
(か……階段を……誰か上がってくる)
小刻みに打ち鳴らされる歯の音に混じって、呼吸音が荒くなってゆくのがわかる。心臓が喉から飛び出しそうな勢いで拍を打ち、腰から下は溶けてしまったかのように椅子と同化した。
「オオオ…オ……オ……」
もう気のせいではない。階段の軋む音とともに、それは部屋のすぐ下まで迫っていた。
顔を向けることが出来ない。見てしまえばそれが現実になってしまうような気がして、必死で窓の外へ視線を釘付けていた……
ヴォーゥ……ヴォーゥ……ヴォッ
不意にそれまで合唱を続けていたウシガエルが静まり返った。そして……
ピシャ……
窓の下に水の跳ねる音が闇夜に響く。
(なにか……いる……)
窓の外にうごめく何かの音が更なる戦慄を呼び起こし、鳥肌をまとわりつかせる聡は恐怖に目を見開いた。
ゾゾ……ゾゾゾ……
続いて草むらを掻き分ける音。それは紛れも無く窓のすぐ下でざわめいている。
(なに……なになになになになにっ?)
「オオ……オオオッ!」
今度は後ろのドアの外に迫り来る声に総毛立った。
ギシッ!
今にもドアは開けられ、それは入ってくるだろう。その恐怖に耐え切れず、窓へ向けた首は恐る恐る反対側へと向けられてゆく。
『ヒィ……ギャアアーッ!』
相変わらずパソコンは鶏がくびり殺されているような叫び声を垂れ流して否応なく耳に絡みつく。流れた汗は瞬く間にその温度を失い、体は冷え切ったように硬直していた。
聞き覚えのある声だと思っていた。認めないようにずっと抵抗していた。
グググ……グ……
首の筋がきしむ音が体を通して耳に入り、唾を飲み込む喉が一際大きな音を立てる。
ゆっくりと視界に入るパソコンの画面。そこにはこう書かれていた。
『明日八月十五日。お前は両親に殺される』
ガンッ!
ノートパソコンが激しく閉じられると聴覚が平穏を取り戻す。そしてあっけないほど再び静寂な世界が訪れた。
肩で息をする聡は今見た信じられない映像を否定しようと自分に言い聞かせる。
(イタズラだ……そうに決まってる……誰かが僕のパソコンにウイルスを……)
浮かび上がった文字の下には凄惨な動画が流れ……そこには恐怖を顔に貼り付け目を剥いた青年が……
そう、自分が確かにいた。
ヴ……ヴォーゥ……ヴォーゥ……
再び窓の外からはウシガエルの鳴き声と熱く湿った空気が流れ込み、澱んだため息とともに部屋を満たしていった。
クラスメイトの高橋と優子がともにバイト先の中華料理屋で煮立った油を被り高橋は重体、優子は死亡したこと。父親が出張先のホテルで焼死したことを知ったのは翌日の昼下がりのことである。
そしていま聡は窓の外を呆然と眺めていた。その目には父の死に絶望して池に身を投げた母親が、白く濁った目を自分に向けて浮いている姿が映っていた。
間もなく日が沈む。再びウシガエルが鳴き出し、昨日の恐怖が迫り来るのだろうか?
チキチキチキ……
右手に持ったカッターナイフの刃先が硬質な音を立てて繰り出された。
自らの死を選ぼう。
刃先をゆっくりと持ち上げ、喉元に滑らせる。これで楽になるだろう。あの恐怖をもう一度味わうくらいならこのまま命を絶ったほうがどれだけ幸せだろうか。
刃先はプツリと皮膚を裂き、赤いしずくが首を伝う。そしてすぐに頸動脈に達っし、聡の人生は終わるのだ。
(……!!)
しかし不意に手首を掴まれ、その刃先は動きを封じられた。
昨夜感じた人外の者が放つ異様な空気が再び聡の足元から這い上がってくる。
耳元で誰かが囁いた。人のものとは思われない濁った声で……
『死ヌマデ……愛シテ欲シインデショ?』
血液と体液でにじむ薄い茶褐色の包帯に覆われた腕が手首を捻り上げ、カッターナイフは手の中から滑り落ちた。そしてそれが誰なのかを理解したとき彼は悟った……
逃れられない亡者どもの世界に足を踏み入れてしまったことを……
──おわり──