審判(3)
「そなたが死して間もなく、王女の前にそなたの兄貴が現れた」
「……え?」
混乱を収束させるどころか更なる混乱が訪れる。これまで行方をくらませていた実の兄貴が、余りにも唐突に帰ってきたなどという話を、あまりにも唐突に聞かされた人間の反応としては、これでも上出来な方であろう。
「色々と言いたいこともあるだろうがなぁ、兄貴が全部喋り終わってからにしろよな? こっちだっておめぇの下らねぇ話でも最後まで聞いてやってんだからよぉ」
鉤爪が釘を刺す。しかし、王子は既に老人の話に釘付けである。
老人が続ける。
「そしてその3日後、そなたの兄貴は王女と二人で魔界に乗り込んだ。王女の助けもあり、彼は魔界を統治するものを打ち倒した。これ以降そなたらの世界に魔人が攻め入ることはなくなったそうな」
更なる混乱は超展開へと変貌を遂げる。
初めての接触から然程日が経っておらず、魔人たちについてわかっていることなど殆どない。それが王子の死後3日と少しで魔界へ到達、それどころかその世界の長をたった二人で討伐してのけるという話など、吉報だとしても俄かには信じがたい。
「そして今現在、王国の再建に向けて王室も国民も一丸となって頑張っておるようで、幸い不穏な動きを見せる周辺の国もないとのことじゃ」
それでも、王子には老人が嘘をついているようには思えない。
「余談じゃが、魔界を統治しておった者はどうやら自国での財政政策に長けておったようで、それを買われて現在そなたの国で財務大臣を任されておる。あと、王女の前に姿を現した時、第一王子は以前と比べて酷く日焼けしておったそうな」
言い終わってから、老人が少し間を置く。王子は次の言葉を待つ。いや、待つというよりは、財務大臣だの日焼けだのと理解が追い付かない脳に陰湿な追い討ちをかけられた状態で、割と無関心に近い。
「おぉ、それとそなたの兄貴殿と王女様は以前からの約束通りに結婚したとのことじゃ」
老人が思い出したように付け加える。魔界の長の再就職先や兄貴の日焼けよりも些末なものであるかのように、さらりと。
老人とは対照的に、王子にとってそれは、ともすれば長の討伐よりも重要な情報である。
あてどなく浮遊していた王子の思考が、一瞬で現実を取り戻した。
元々結婚が約束されていたのだ、わかっていたことではある。だが、やはり事実として聞かされると受ける影響が違ってくる。
「以上じゃ。何か突っ込むことはないかの?」
老人が既に突っ込み待ちである事が納得できるほど突っ込む所しかない。
「俺のいないところで、何か色々あったようだな……」
しかし、王子にはそれらに関して触れる余裕などない。
魔人から国が救われたことに関しては、もちろんこれほど喜ばしいことはない。
しかし、あのような形ではあったものの、命を賭して守り抜いた彼女と、実に十年以上失踪していた兄貴が何の前触れもなく帰ってきて、自身の死後間もなくに結ばれたという事実。
そのことに対して、何に抱けば良いのかわからない不条理や理不尽といった感情は否応無しに湧き上がってくる。
きっと偶然なのだろうが、だからと言ってそれでこの気持ちが晴れるということには必ずしも、ならない。
唐突に知ることとなった王子亡き後の世界。魔人の恐怖から解放された世界、そこに存在していたかったという気持ちもある。それは同時に、自分が愛した女性が自分の兄貴と結ばれる世界でもある。
ダリア王女への思いは初めから叶わぬものと諦めるべきだったのだろうか。
こうもはっきりとしない、後ろ暗い異物の様な感情を心に抱くぐらいならば、聞かない方がよかったのかもしれない。
「あちらの世界の事で色々と思うことはあるようだが、我々としてはこの世界についての説明をしておく必要はある」
第二王子の心情はある程度察しているようだが、直方体はそれでも至って事務的に言った。
「どうせこっちで何を思ってもあっちの世界にゃ帰れやしねぇよ。今を見な」
珍しく険のない物言いで鉤爪が言った。
反応を示さない王子に構わず直方体は続けた。
「だいたい想像はついているとは思うが、ここは死者の行く先を決定する所だ。お前らの世界で言う法廷のようなものだな。判決は善か悪かだ。善が出れば次の法廷へ、悪が出ればすぐさま地獄行きだ。ここを含めて法廷はあと三か所残っている」
ぼんやりと話を聞いていた王子は、ただぼんやりと頷いた。死んだ後に生前を語れと言われれば大体の人間がそう考えるだろう。あの日の出来事を説明している時に予想はしていた。
しかし彼の考えた事と言えば「死後の裁判とはこんな風に行うのだな」と、まるで他人事である。
「よほどショックを受けているみたいだが、ここでの記憶は他の場所には持ち越せない。だから安心しろ」
直方体が付け加えた。
「安心か……。安心してるのか、そうでないのか。今のところ自分でもよくわからないよ」
自身の複雑な心情が、そのまま言葉になったような口調で言った。