会社では無口な俺がカードショップで美人の同僚に見つかってから、なぜか毎日話しかけられる
「それなら、高いほう買わなくても、こっちで十分だよ」
さっき見せてもらったカードを思い出しながら、俺は棚から箱を取った。小学生の男の子が両手で受け取る。
「でも、こっちのほうが強いんでしょ?」
「強いけど、今持ってるカードと一緒には使いにくいんだ。せっかくなら、好きなやつ使いたくない?」
「それは、うん」
「じゃあ、こっち。お母さんにも中身見せてから決めな」
男の子が母親のところへ駆けていく。
レジにいた店長が、こちらへ片手を上げた。
「高橋君、自分には高いほう買ってたじゃない」
「俺は我慢できないので」
「来月も新しいの出るよ」
「今はその話やめてください」
笑いながら対戦席へ戻ろうとして、入口に立っている女性と目が合った。
会社では結んでいる髪を、今日は下ろしていた。
「……高橋さん?」
「水野さん」
「高橋さん、ですよね?」
「そうですけど」
「会社にいるときより、ずっと楽しそうですね」
「今、仕事してないですから」
いつもの店の調子で返すと、水野さんが吹き出した。
「それは、そうですね」
「水野さんも、休みの日だと違いますね」
「そうですか?」
高橋直哉、二十六歳。中堅メーカーの事務職で、入社四年目。
会社では仕事の話と挨拶をして、たまに同期と喋る。昼はだいたい一人だ。
水野美咲さんは一つ年下で、別の部署にいる。
廊下やコピー機の前で顔を合わせれば挨拶する。そのくらいの関係だった。
いつも誰かと楽しそうに話しているし、整った顔立ちもあって、俺の周りではたびたび名前が出る。
その水野さんが、日曜のカードショップにいる。
「何か買いに来たんですか?」
「甥の誕生日プレゼントを。カードが欲しいらしいんですけど、姉も私も全然分からなくて」
水野さんは商品棚を見渡し、困ったように笑った。
「一番人気のものなら、間違いないかなって」
「甥っ子さんが何を使ってるか分からないと、選べないですよ」
「え。好きなゲームの名前は聞いてきました」
「同じゲームでも、持ってるカードによって欲しいものが違うんです」
「……危なかった。名前が合ってれば大丈夫だと思ってました」
「今、お姉さんに聞けます? 使ってるカードの写真があれば、だいたい分かるので」
「聞いてみます。高橋さん、時間大丈夫ですか?」
「あと二十分くらいなら。友達との対戦待ちなんで」
「じゃあ、二十分以内でお願いします」
水野さんはスマホを取り出すと、素早く指を動かした。
返事を待つ間、棚の上の大きな箱を見上げる。
「小学五年生のプレゼントって難しいですね。去年は図鑑で喜んでくれたんですけど」
「何の図鑑ですか?」
「深海魚。自分で選ばせたら、それでした」
「だったら、今回も本人に聞いたほうが早いかも」
「内緒にして驚かせたいんです」
「なるほど」
「叔母としては、まだ喜ばせたいんですよ」
真剣な顔で言うので、少し笑ってしまった。
水野さんは俺を見て、眉を上げた。
「笑いましたね」
「いや。甥っ子さん、幸せだなと思って」
ちょうどスマホが振動した。
届いた写真には、机に並べられたカードと、端に写り込んだ小さな手があった。
「姉が、前から欲しがってたものを覚えてたみたいです」
「じゃあ、そっち探しましょう」
店長にも確認して、欲しがっていたカードが必ず入っているセットを見つけた。
予算が少し余ったので、カードを傷から守る袋も薦めた。
「袋は、余ってたら買わなくていいので、お姉さんに確認してください」
「あ、この柄かわいい」
水野さんが手にしたのは、白い猫がずらりと並んだものだった。
「これは甥っ子さんの好み、聞いたほうがいいかも」
「ああ、私が欲しいだけでした」
結局、袋は青い無地のものになった。
会計を終えた水野さんは、プレゼントの袋を持って俺のところへ戻ってきた。
「ありがとうございました。これから姉の家に行くので、渡してきます」
「喜んでもらえるといいですね」
「高橋さん、会社でもこういうふうに話せばいいのに」
「カードのことなら話せますけど」
「カードじゃない話もしてましたよ。深海魚とか」
確かにそうだった。
返事を考えている間に、対戦席から友達に呼ばれた。
「高橋、準備できたぞ」
「今行く」
水野さんが、また少し笑った。
「じゃあ、続きは会社で」
そんな続きがあるのかと思いながら、俺は彼女を見送った。
◇
月曜日、コピー用紙を補充していたら、後ろから声をかけられた。
「高橋さん。昨日、すごく喜んでました」
水野さんがスマホをこちらに向ける。
画面の中で、昨日の箱を抱えた男の子が大きく口を開けていた。
「いい顔してますね」
「ずっと説明してくれたんですけど、途中から全然ついていけなくて。とりあえず、すごいねって」
「それでいいと思います」
「それでよかったんですか?」
「たぶん聞いてもらいたいんですよ。好きなものが手に入ったから」
水野さんは写真を見直した。
「あ。今度、叔母ちゃんともやるって言ってました」
「大丈夫ですか?」
「全然大丈夫じゃないです」
その真顔に、思わず笑った。
「最初は教えてもらえばいいですよ。ちゃんとやろうとすると、向こうも喜ぶと思うので」
「負けたら、もう一回って言ってもいいんですか?」
「もちろん」
「じゃあ言います。負けたまま帰るの嫌なので」
意外と負けず嫌いらしい。
コピー機が動き出し、水野さんが横に一歩ずれた。俺も空の紙袋を畳む。
「高橋さんって、毎週あのお店にいるんですか?」
「だいたい。土曜か日曜、どっちかは」
「そうなんですね」
昼に廊下ですれ違ったときも、話しかけられた。
「さっき姉から連絡来ました。昨日は箱を枕元に置いて寝たそうです」
「つぶれなくてよかったですね」
「そこですか?」
水野さんが笑う。
俺も、少しだけ笑った。
翌日は、自販機の前で会った。
水野さんはボタンを押しかけた手を止めて、俺が持っていた缶を見た。
「それ、おいしいです?」
「普通のコーヒーですけど」
「眠くて。苦いの苦手なんですけど、効くかなって」
「苦手なら、やめたほうがいいと思います」
「カードのときも、買わなくていいって言われましたね」
「買って飲めないと、もったいないんで」
水野さんは少し迷って、いつものカフェオレを買った。
「これで眠かったら、高橋さんのせいにします」
「俺、普通のコーヒーは薦めてないですよ」
「じゃあ自分のせいにします」
そう言って、笑いながら自分の部署へ戻っていった。
缶のふたを開ける。
女性との雑談では、返事を探しているうちに話題が変わることがよくあった。水野さんは俺の返事を待って、もう一つ返してくれる。
◇
木曜日の午前中、水野さんから社内チャットが届いた。
『この前のお礼をしたいので、お昼一緒にどうですか?』
一度画面を閉じて、もう一度開いた。
やっぱり俺宛てだった。
『大丈夫です』
送信してから、もう少し何か書けばよかったと思った。
すぐに返事が来る。
『何か食べたいものあります?』
『水野さんの好きなものでいいですよ』
『じゃあカレーで。辛いの大丈夫ですか?』
『普通くらいなら』
『私もです。辛いのが苦手な人同士で行きましょう』
昼休み、会社から五分ほどのカレー屋に向かった。
水野さんはメニューを開くと、すぐに指を止めた。
「期間限定、ある」
「好きなんですか?」
「つい頼んじゃうんです。あとで、いつものにすればよかったってなるんですけど」
少し迷った末に、水野さんは季節の野菜カレーを頼んだ。俺はチキンカレーにした。
「ここの限定、前も食べました?」
「食べました。豆がいっぱい入ってて」
「おいしかった?」
「豆がいっぱい入ってました」
俺が笑うと、水野さんも笑った。
向かいの席に座ると、どうしても目が合う。
水のグラスを少し動かした。
「高橋さんは、休日ずっとカードをやってるんですか?」
「ずっとではないです。家でプラモデルも作ります」
「へえ。どんなものです?」
スマホを取り出し、先月完成したロボットの写真を見せた。
灰色と青を基調に塗って、盾のふちに少し傷をつけてある。
水野さんが身を乗り出した。
「これ、本当に高橋さんが作ったんですか?」
「そうです」
「箱の写真と同じものができるんだと思ってました」
「その予定だったんですけど、途中で気が変わって」
「途中で?」
「青もいいなって。一回思うと、やってみたくなるので」
水野さんが、写真をもう一度見た。
「期間限定に弱い私と、ちょっと似てますね」
「おかげで、日曜の予定が全部それになりました」
彼女が笑ったので、俺も笑った。
「塗るのも自分で?」
「はい。元はもっと赤いです」
箱の写真も見せると、水野さんは二枚を行き来して見比べた。
「こっちの色、好きです」
指さされたのは、俺が作ったほうだった。
「……ありがとうございます」
「急に丁寧になりましたね」
「褒められ慣れてないので」
「だって、落ち着いた色でかっこいいです。ここも細かい」
盾の端につけた傷を、画面の上から指でなぞる。
そこを気に入ってもらえるとは思わなかった。
写真を横に送ると、今作っている別の一体が出てきた。
「顔、ない」
「まだつけてなかったんで」
「さっきの写真のあとに見ると、ちょっとかわいいですね」
自分でもそう見えて、俺はスマホを持ったまま笑った。
ふと見ると、水野さんは画面ではなく、俺を見ていた。
「……何か?」
「いえ。高橋さん、そんなふうに笑うんですね」
「そんなふうに?」
「楽しそうで。こっちまで笑っちゃいます」
カレーが運ばれてきた。
水野さんは一口食べ、すぐ水を飲んだ。
「普通って書いてあったのに」
「辛いですか?」
「一口目から、もう普通じゃないです」
メニューを見ると、野菜カレーだけ小さな唐辛子の印が二つついていた。
俺のチキンカレーは、特に辛くない。
「交換します?」
「でも、高橋さんも辛いの苦手ですよね」
「普通くらいまでなら平気です。一口分、こっちに入れてもらっていいですか」
味を確かめると、辛いが、食べられないほどではなかった。
水野さんは一度断りかけたあと、俺の皿を見た。
「じゃあ……お願いしてもいいですか?」
「どうぞ」
「ありがとうございます。これ、お礼のはずだったんですけど」
「じゃあ、次は辛くない店を教えてください」
水野さんがスプーンを止めた。
「次、いいんですか?」
「あ。いや、言い方が」
「行きましょう。次はちゃんと調べます」
訂正する前に決まってしまった。
ただ、嫌ではなかった。かなり。
店を出ると、水野さんがスマホを持って立ち止まった。
「会社の外でも連絡したいので、連絡先、聞いてもいいですか?」
「はい」
追加された名前を見ながら、俺もスマホをしまった。
彼女が先に歩き出す。横に並ぶと、こちらを見上げてきた。
「さっきの写真、送ってください。顔のないほうも」
「完成品だけじゃ駄目ですか」
「両方ください」
その日の帰り、送った二枚の写真に返事が来た。
『作りかけのほうも、完成したら見たいです』
写真はいつも、趣味の友達にしか見せていなかった。
今作っているものも、週末には少し進めようと思った。
◇
水野さんと話す機会は、翌週も増えた。
朝、顔を合わせれば「昨日のあれ」と話の続きが始まる。
コピー機の前で、彼女が紙の束を抱えていたら、俺から「今日も多いですね」と声をかけるようになった。
「会議の資料なんですけど、一ページ増えると三十枚増えるんです」
「三十人分ですか」
「はい。なので半分運んでください」
「聞かなきゃよかった」
空いていた台に資料を置くと、水野さんは笑いながら枚数を数えた。
途中で話しかけたせいで、最初から数え直すことになった。
「高橋さんのせいです」
「今度は俺のせいですね」
その夜、「ちゃんと三十部ありました」と連絡が来た。
資料のことだけで終わったあと、今度は水野さんが店のリンクを送ってきた。
『ここ、どうですか。普通のオムライスです』
『普通じゃないオムライスもあるんですか』
『限定は見ないことにします』
次の昼食は、金曜日になった。
今度は水野さんの部署で会議が延びて、待ち合わせに十分遅れた。
小走りで来た彼女が、息を整えながら謝る。
「すみません、先に入っててくれてよかったのに」
「一緒に行きたかったんで」
水野さんが俺を見た。慌てて付け足す。
「店までの道も、よく分からないし」
「じゃあ、案内します」
五分ほど歩いて店に入り、残り時間を見ながら、二人ともすぐ食べられるランチセットを選んだ。
水野さんは、届いたオムライスを見てほっと息をついた。
「これなら失敗しないはず」
「店を紹介するの、そんなに緊張します?」
「前回が前回なので」
一口食べて、こちらを見る。
「どうですか?」
「うまいです」
「よかった」
俺よりうれしそうだった。
何か話したいのに、食べ終わるまで二十分もない。俺はスマホを出して、作りかけのプラモデルの写真を一枚見せた。
「顔、つきました」
「あ、本当だ」
水野さんが笑う。
笑ってもらいたかったのか、褒めてもらいたかったのか。
その写真も、彼女に送った。
「完成したら、また送ります」
「お願いします。……私から送れるもの、ないですね」
「前のカレーの写真とか」
「それ、もういいです」
昼休みはあっという間に終わった。
会社に戻る途中、水野さんが腕時計を見た。
「お昼って、短いですね」
「休み時間ですからね」
「うん。そうなんですけど」
彼女は何か言いかけて、部署の入口で足を止めた。
「また、来週」
「はい」
席に戻ってから、あの返事はもう少しどうにかならなかったかと思った。
来週も誘われるつもりでいるのは、どうなんだろう。
チャットを開いた。会計は別々だったし、もうお礼という話でもなかった。
『来週、よかったらまたお昼行きませんか』
俺から送ると、すぐに返ってきた。
『行きます』
『次は高橋さんが選んでください』
月曜日までに、会社の近くの店を三軒調べた。
◇
それから二週間ほどして、木曜日の昼休み。
俺は水野さんと、休憩室で弁当を食べていた。
雨が降りそうで、彼女も売店で昼食を買ってきたのだ。
「今週末もお店ですか?」
「土曜に行きます。二時くらいから」
「カードの?」
「はい。前に見てもらったプラモデルは、昨日できました」
「見たいです」
スマホを渡すと、水野さんは画面を拡大した。
「本当にできてる。顔だけじゃなくて、足も」
「顔だけで完成にはしないですよ」
「送ってくれてもよかったのに」
「昨日、遅かったから。今日見せようと思って」
水野さんが顔を上げた。
俺は弁当のふたを閉じながら続けた。
「前のと色、似てますけど」
「うん。こっちも好きです」
その言い方に、ちょっとだけ期待してしまった。
俺が作ったプラモデルの話だ。分かっている。
それでも、目が合ったまま言われると、耳が熱くなった。
食後、水野さんは先に自分の部署へ戻った。
俺も弁当箱を持って廊下へ出て、その少し先で二人が立ち話をしているのに気づいた。
水野さんと、営業の先輩だった。
会議で何度か一緒になった。こちらの部署にも気軽に声をかけてくれる人だ。
「水野さん、土曜の夜って空いてる? 駅前に新しくできた店、行かない?」
「土曜ですか?」
「うん。よかったら」
「予定確認してからでもいいですか?」
「もちろん。急にごめんね」
会話が終わる前に、俺は自分の部署の入口へ曲がった。
弁当箱を机の下に置き、午後の仕事の画面を開く。
ああ、そういう人と付き合うんだろうな。
最初に思ったのは、それだった。
昼を二人で食べるのは楽しかったし、写真を見せたときの反応も、俺はかなりうれしかった。
だから、少し残念だ。
そこまで考えて、マウスを動かす手が止まった。
少し、だろうか。
その夜、水野さんに写真を送ろうとトーク画面を開いて、やめた。
昼に見せたばかりだ。今送ると、あの会話を聞いたせいで何かを取り戻そうとしているみたいだった。
作業机の上には、完成したばかりのプラモデルがある。
いつもなら棚に置く前に、何枚か写真を撮る。
今回はどの角度なら彼女が細かいところまで見つけてくれるか、そんなことを考えていた。
俺、水野さんが好きなんだな。
彼女ができたことは、二十六年間、一度もない。
そのうち縁があれば、くらいには考えていた。けれど今は、相手の名前も顔も、昼休みの残り時間を気にする横顔も、全部分かっている。
ただ、何度か一緒に食事をしただけで、ほかの誘いを断ってほしいと言えるわけではなかった。
スマホが振動した。
『写真、もらってもいいですか?』
水野さんだった。
俺は撮影用の白い紙を敷き直して、何枚か撮ったうちの一枚を送った。
『これで全部そろいました』
返事と一緒に送られてきた画像には、今回の制作途中の写真が順番に並んでいた。
顔も足もないところから、少しずつ形になっている。
『保存してたんですね』
『してますよ。次も楽しみにしてます』
昼間からずっと落ち着かなかった胸が、少し楽になった。
金曜日も、水野さんはいつもどおり話しかけてきた。
俺もいつもどおり返して、週末の予定については聞かなかった。
◇
土曜日のカードショップで、俺は二回続けて同じ友達に負けた。
「今日、そっちばっかり見てるな」
「そっち?」
「スマホ」
机の端に伏せてあったスマホを、俺は鞄にしまった。
「次は集中する」
「さっきも言ってたぞ」
三回目は、ちゃんと勝った。
片づけを始めたころ、入口のほうから声がした。
「いた」
顔を上げると、水野さんが立っていた。
「水野さん?」
「よかった。今日来るって言ってたから」
彼女は席の隣まで来て、俺の手元を見た。
「まだ対戦中ですか?」
「いや、今終わりました」
友達が、自分のカードを箱に入れながら立ち上がった。
「俺、あっち見てくる。じゃあまたな」
「おう。また」
水野さんは彼にも会釈してから、俺へ向き直った。
俺は壁の時計を見る。三時半を少し過ぎていた。
「今日、予定あるんじゃ?」
「断りました」
「……そうなんですか」
すぐに返ってきて、次の言葉が出なかった。
水野さんのほうが、少し困った顔になる。
「聞こえてたんですね」
「廊下を通ったときに。すみません」
「謝ることじゃないですけど」
少し間が空いた。
店内の奥では、さっきの友達が店長と話している。
水野さんが、鞄の持ち手を握り直した。
「高橋さん、今日このあと暇ですか?」
「暇ですけど」
「じゃあ、ご飯行きません?」
心臓が、大きく鳴った。
会社の昼休みではない。確かめ方が思いつかなかった。
「……俺と、二人でですか?」
「はい。高橋さんがよければ」
水野さんは一度目を伏せ、それから俺を見た。
「高橋さんとご飯に行きたいから誘ってるんです」
水野さんの耳が赤い。
いつも笑って話しかけてくれる彼女が、今は俺の返事を待っていた。
「俺も、行きたいです」
やっと言えた。
「何食べるか、まだ聞いてないですよ」
「水野さんと行きたいので」
言ってから、熱くなるのが耳だけではなくなった。
水野さんは小さく「よかった」と言い、口元をほころばせた。
「じゃあ、カード片づけてください」
「はい」
箱を鞄に入れようとして、ふたがきちんと閉まっていないことに気づいた。
水野さんがそれを見て笑う。
「初めて会ったときは、すごく慣れてたのに」
「カードには慣れてます」
「こっちは?」
「全然です」
その返事には、彼女も何も言わなかった。
代わりに少し笑って、出口のほうへ並んで歩き出した。
夕飯には早かったので、駅前の喫茶店で時間をつぶした。
水野さんはメニューに期間限定の文字を見つけて、俺の顔を見た。
「頼んでもいいですか」
「食べたいなら」
「半分食べてくれます?」
「辛くなければ」
運ばれてきた桃のパフェは、甘くて、二人で食べても十分な大きさだった。
夕飯をどこにするか相談しながら、彼女は何度か時計に目をやった。
「時間、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。まだ四時半なんだなって」
俺も時計を見る。
いつもの昼休みなら、もうとっくに席へ戻っている。
「まだ話せますね」
「はい」
水野さんが、スプーンを置いた。
「私、高橋さんには趣味の話をしたほうがいいのかなって思ってました」
「どうしてですか?」
「最初、お店で楽しそうだったから。普通の話をしたら、つまらないかもって」
俺は、カフェオレのときのことを思い出した。
眠かったら俺のせいにすると言われて、笑った。紙を数え直したときも、オムライスの店へ急いだときも。
「水野さんの話、聞きたいですよ」
「失敗したカレーの話ばっかりですよ」
「あれ、俺も気に入ってます」
「カレーを?」
「話のほう」
彼女は笑い、少しだけ椅子に座り直した。
「じゃあ、今日の話も聞いてください。来る前に、店の前を一回通り過ぎたんです」
「どうして?」
「一人で行って、変じゃないかなって。甥の買い物でもないし」
あんなにはっきり誘ってくれたのに。
俺は鞄の取っ手から手を離した。
「連絡くれれば、迎えに行ったのに」
「次はそうします」
「次は、俺から誘ってもいいですか?」
水野さんが顔を上げた。
「またお昼ですか?」
「休日に。水野さんとご飯に行きたいから」
彼女は笑ったあと、スプーンで桃を一切れすくった。
「じゃあ、誘ってください」
その日は、彼女の部署の忙しい時期の話も、甥に負けて二回やり直した話も聞いた。
俺も、仕事で失敗して同期に助けてもらったことや、初めて作ったプラモデルの腕を折ったことを話した。
カードショップにいなくても、帰りの電車の時間まで、話は続いた。
◇
俺から誘った次の土曜日、夕飯の帰りに水野さんへ告白した。
駅へ向かう途中で「好きです」と言うと、彼女は足を止めた。
「私もです。……やっと言ってくれた」
たった一週間でも、待たせたらしい。
俺が「付き合ってください」と続けると、彼女はうなずいて、空いていたほうの手を差し出してくれた。
それから、三週間。
会社の休憩室で弁当を広げたところへ、水野さんが来た。
「今日、こっちで食べてもいいですか?」
俺は向かいの鞄をどけた。
「昨日も一緒に食べただろ。いちいち聞かなくていいよ」
「じゃあ、明日も彼氏と食べます」
少し離れた席にいた同期が顔を上げた。
水野さんは満足そうに座り、弁当の包みを開く。
「今週、カードショップ行くんですよね?」
「行くけど」
「私も行きます」
「対戦してる間、退屈じゃない?」
「見てます。高橋さん、あそこだとよく喋るから」
俺は箸を止めた。
「ここでも喋ってるだろ」
「うん。最近は」
水野さんが笑う。
俺は昨日作り始めたものの写真を見せようとして、先に聞きたかったことを思い出した。
「昨日、会議どうだった?」
「聞いてくれます?」
「うん」
彼女が弁当のふたを置いて、俺のほうへ少し身を乗り出した。




