真空の絶叫 ~ 衛星軌道上の怪談
有人月探査船セレーネー3事故報告書(抜粋)
○20xx年9月、事故当時のセレーネー3とジョンソン宇宙センター・ミッションコントロールとの交信記録より。
『ヒューストン、こちらセレーネー。今ジョシュアが船外に出た』
(30秒後、くぐもった破裂音)
『船体が揺れた。ジョシュア、船外から何か見えるか?』
『スラスターのノズルが千切れて吹き飛ん』
(爆発音とともに船体が揺れ、セレーネーからの映像も音声も途切れる)
『セレーネー応答せよ』
(ミッションコントロールが応答を求め続けるが、数分間交信が途絶える)
『ヒューストン、こちらセレーネー、船尾で爆発が発生した。ジョシュアの命綱が切れ、船の右舷400mほどのところを漂流していて、なおも遠ざかっている。通信にも応答がない』
『……セレーネー、船内の損害状況は?』
『推進剤の大半を失った。船体の回転を止めて姿勢は安定させたが、現状、ジョシュア救出に向かうだけの軌道修正は極めて困難とみられる』
(以下、事故後の対応について、セレーネー3とミッションコントロールとの交信が続く)
*
ジムは宇宙服のバイザー越しに、辺りを見回した。
はるか遠くには、ゆるく弧を描く大地と海が広がっていた。地表面の上には薄っすらと青く光る大気の層が見え、さらにその上には真っ黒な宇宙空間があった。
手が届くすぐ近くに目を移すと、真っ白に塗られた外殻があった。
ここは地上400kmに浮かぶISS――国際宇宙ステーションの、船外だった。
「ヘレン、位置についた。センサーモジュールの交換を始める」
船長として船内で指揮をとるヘレンに報告を入れると、『了解』の声が返ってくる。
ISSの機能に一部不具合が出て、その部品の交換のため、ジムは宇宙服を着込んで船外活動をしている最中だった。
作業そのものは単純だが、総重量100kgを越す船外作業用の宇宙服が厄介である。無重力空間なので大地に向かって引っ張られたりはしないが、慣性はきっちり存在しているので、重いものを動かすにも止めるにもいちいち大きな力が必要となる。また、内圧で風船のように膨らんでいるため、関節を動かすのが大変である。
おまけに、部品やらなにやらは手を離れるとそのままどこかへ漂っていってしまうので、神経をものすごく使うのだ。
作業は二十分ほどで終了した。さて船内に戻ろうというときに、不意に通信ヘッドセットからザーッというノイズが入った。
「ヘレン、通信が不調だ。ノイズが入る」
『**ジ****聞こえ***こち***』
ヘレンの返信もノイズまみれで聞き取れない。デジタル化されている通信で、まるでアナログラジオのようなホワイトノイズが乗るのは奇妙なことだった。
耐え難いというほどではないが、かなりうるさい。
『**レ**ね*****せレ**ネ*****』
ノイズに混じって、何か低い男の声が聞こえたような気がした。
そこでピタリとノイズが止まった。
「止まった?」
先ほどのノイズなどなかったかのように、静まり返っていた。聞こえるのは宇宙服内で響く自身の呼吸音のみだ。
ちょっとしたことでも命取りになりかねない船外作業中は、些細な障害であっても心臓に悪い。どうやら復旧したようで、「はぁーっ」と息を吐いてジムは安堵した。
『ジム、聞こえる?』
「聞こえる。感度良好。なんだったんだ、今のは?」
『これから回路をチェックするわ。あなたは戻ってきて』
気が抜けて、了解、と返信しようとしたところで、
『ギャアアあああああああああああああああああああああああああ
あ゙ああああああああぁああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああぁあああああああああああ
あああああああああぁあああああああああああああアああああああ
あああああああああああああああああぁあああああっっっ!!!』
ヘッドセットからものすごい絶叫が響いた。音量の許容量を超えて盛大に音割れしていて、聞いているだけで背筋が凍りそうな、あまりにもおぞましく恐ろしげな声だった。
「ぅおわわわっ!?」
いきなりそんなものを聞かされたジムは、心臓が止まるかと思うくらいに震え上がった。
耳をふさぎたいが、宇宙服のヘルメットの中ではどうしようもない。
絶叫は十秒くらい続くと、始まる前と同じようにふつりと止まった。あんな音がヘッドセットから流れてきたことが信じられないほどに、静まり返っていた。
『ジム! ジム! 何があったの!? 大丈夫!?』
船内からはジムが叫んだと思われたらしい。
「あ……、ああ、俺はなんともない。というか、今のは俺の声じゃない。誰の声だ?」
『どういうこと? こちらも誰も異常なし……?』
異変は収まったのか、無線に妙な音が混じることはなかった。
問題はなさそうだったので、とりあえずジムは船内に戻った。
*
ヘレンや通信担当のアンドレイも交えて通信機器をチェックしてみたが、機器の異常は今のところ見当たらない。そして、音声データにはあのノイズや絶叫がはっきりと残っていた。
「なんとも、すごい絶叫ね」
「データとして記録されてるってことは、幻聴とかオカルトの類ではない、と」
「ハッキングによるイタズラという可能性は?」
「それは面倒な話になりそうね」
ディスプレイに波形が表示される。
絶叫部分は8.4秒あり、入力が最大値を振り切れて、波形がほとんど帯状のいわゆる「海苔」状態になっていた。どうりで歪んで聞こえたわけである。
ノイズ部分については、フィルターをかけてみると何か言葉らしきものが浮かび上がってきた。
「繰り返し『セレーネー』って言ってる?」
「セレーネーって、まさか……アレか?」
「カールソンの亡霊だったりとか」
「やめなさい、不謹慎よ」
一年ほど前、有人月探査船セレーネー3は帰還途中に事故を起こし、その際に船外活動中だったジョシュア・カールソンが宇宙に放り出された。船自体は応急処置で予定より遅れながらも帰還を果たしたが、カールソンは行方不明のままだ――場所が宇宙空間だけに、行方不明とはいっても死亡しているのは確定しているが。
大きな事故だったため、ここISSにいるメンバーもその話は覚えていた。
「まだ、カールソンは見つかってないんだろ」
「地球が見えてるのに帰れず、ずっと宇宙を漂ってるなんて、ぞっとするな」
「昔、ソ連がガガーリンより前に打ち上げた有人宇宙船が帰ってこれなくなって、今も宇宙空間を漂ってる、なんて話もあったな」
「そりゃ、都市伝説の類だろ。アポロ計画陰謀論とかと同レベルの」
「あー、うん、そうだな」
「はいはい。あなたたち、その話はそこまでにして」
つい口に出してしまったが、彼らにとっては決して他人事ではないので、この手の話はわりとタブーではある。
その時だった。
『ヘレン、クルーエアロックに来てください』
「何があったの?」
『エアロックのハッチから、なんというかその……ハッチの外から、異音がしています』
*
ゴン……ゴン、ゴン…………ゴン……
たしかに、エアロックの外側からハッチを叩くような音が、不規則かつ断続的に響いていた。それはまるで、扉を外からノックしているかのようだった。外は真空だが、船殻を物理的に直接叩けば、その振動は壁を媒介にして音として内部に伝わる。
浮遊物ではこういう周期でぶつかるのは考えにくい。浮遊物でないとなると。
「誰かが、外にいる?」
「今の時間、EVA(船外活動)の予定はなかったはずでは?」
「ないわね」
そもそも船外活動はそうそう気軽に行えるものではない。誰も知らない内に外に出ることなどありえなかった。
そうこうするうちに、何事かと他のISS乗員もエアロックの前に集まってきた。
「これで六人全員揃った、と。じゃあ外のコレは……?」
全員の目がエアロックの奥の外側ハッチに向けられる。ゴンゴン、ゴンゴンと、まだ何かが叩く音は続いていた。
「緊急避難的に誰かがここまで宇宙遊泳してきた? あの映画みたいに」
「それなら地上からこちらにも何かしら連絡があるでしょう。ケスラー・シンドロームが起きてるわけでもなし」
「火星の微生物がでっかくなって、ISSの外を這い回ってる、とか」
「「「「「ヤ・メ・ロ!」」」」」
「フィクションの話は置いときましょう……」
ヘレンが恐る恐るハッチに近づき、ハッチの小窓から外を覗いてみた。だが、見える範囲にはそれらしいものは何も見当たらなかった。
「外部カメラは?」
「ハッチ周辺含めて、どれもおかしなモノは映ってない」
けれど音はしている。
「……外に出て確認しましょう」
スケジュールにない船外活動だが、指揮官のヘレンの言葉に誰も異論はなかった。何より気味が悪い。
ジムとトーマスが出ることになった。ジムはさっき脱いだばかりだが、文句も言わずに再び重い船外活動用宇宙服を装着した。
それから気密状態や、酸素やバッテリーなどの残量、バイタルなどを念入りにチェックする。
ようやく準備が整ったところで二人がエアロック内に入り、内側のハッチを閉じた。
エアロック内の空気が抜かれていき、無音状態となる。こうなると、ハッチを叩く音も聞こえなくなった。
外側のハッチが開いた。
ジムとトーマスはお互いに顔を見合わせた。「お先にどうぞ」とばかりにトーマスがジェスチャーして、気は進まないがジムが折れた。
おっかなびっくりで、ジムは開いたハッチから顔を出して周囲を見回した。
『何もありません。ハッチから出ます』
ジムはゆっくりとハッチから身を乗り出した。トーマスもそれに続いた。
無音の世界で、目視だけを頼りにISSの周囲を確認していく。いつも通りの風景があるだけで、妙なものは何もない。
何も見つからないまま、捜索は三十分間続けられた。
『こちらジム、何も見当たりません』
『トーマスです、こちらも異常ありません』
『わかった、二人とも戻ってきて』
『了解』『了解』
二人が帰ってきて、外側ハッチが閉じられた。エアロックに空気が満たされる。そのときにはもう扉を叩く音はしなくなっていた。
みな釈然としない顔だったが、外に出ても何も見つからないのではどうしようもない。
地上に報告はしたものの、地上でも困惑するだろうことは想像に難くなかった。
*
翌日。
補給と交代要員を乗せた連絡船が到着した。
積み替え作業は特に滞りもなく四時間ほどで終了し、連絡船が帰還する時間になった。帰還するのはジム含めて三名。
手順通りにゆっくりと連絡船がISSから離れていく。
連絡船に設けられた小さな丸い窓から覗くと、高度が下がってきたため地平線はほぼまっ平らに近くなり、その上の真っ暗な宇宙空間とで二分されていた。
ふと、宇宙空間の黒い領域に、何か白い塊が浮かんでいるのが見えた。
「十時方向少し上……見えるか? アレ、なんだろうな」
「人工衛星……には見えないな。まさか、UFO?」
「いや、なんだか、宇宙服っぽくないか……?」
それは船外活動用宇宙服のように見えた。
あれが宇宙服ならば、その距離はおよそ200mもなさそうだった。
「うちじゃないなら、中国か? 母船はどこだ?」
「見当たらないな……」
「連絡のミスでもあったか? 帰還軌道のこんな近くで船外作業してる宇宙船がいるって、マズいだろう」
ニアミスもいいところである。知らないまま突っ込めば、下手をすれば接触事故を起こす恐れもある。
事前にわかっていたら運行計画を修正したり、予期しない事態であれば管制センターから注意喚起がされるなど、何かしらアクションがあるはずだった。だが、これまでそうした動きは一切なかった。
「なんだか接近してきてる……?」
「おい、これ、接触コースじゃないか?」
だんだんと白い物体が大きくなっている。相対的にゆっくりとした動きに見えるが、連絡船自体が猛スピードで飛んでいるので、あの物体もかなりの速度を持っていることになる。
物体はこちらの進路の先に向かって進んでいるようで、このまま進めば接触してしまうのではないだろうか。
もう間もなく大気圏に突入する。船底を進行方向に向けるように船体が回転し、窓の外の物体は視界からはずれた。
物体のことは気にはなるが、今となっては彼らにできることは何もない。接触しないで済むことを神に祈るしかなかった。彼らはシートに座り、ベルトで体を固定した。
大気との摩擦で船体が振動しだし、轟音に包まれる。断熱圧縮により船体下部が炎をまとい始めた。
そこへ、バンッと何かが船殻にぶつかったような大きな音がした。
「え?」
窓の外に、何かが影を差した。
宇宙服のヘルメットのようなモノが、窓から船内を覗き込んでいた。大きく割れたバイザーの内側には、凍りつき干からびてミイラ化した顔があった。
「ぅおわあああああぁっ!?」
「ひぃいいいぃぃぃっ!?」
「ほわっざふぁ○くッ!?」
それが見えたのは一瞬のことで、窓の外は炎に包まれて何も見えなくなった。
船体が激しく揺れ、轟音が船内を満たす。
しばらくして、ふっと振動が弱まった。
窓の外には青い空が広がっていた。先ほど見た光景が信じられないほど、穏やかだった。
しかし、船内にはなんとも言いがたい微妙な空気が漂っていた。
「み、見たか……?」
「あ、ああ……」
「バイザー、割れてたな……」
「まだ、いるか……?」
船が自由落下していく中、ジムは規定を無視してベルトを解除すると、周囲に掴まりながら窓を覗き込んだ。
小さい窓なので視界は狭いが、見える範囲にはおかしなモノは何もなかった。
呆然としながらジムは他の乗員の顔を見回した。
「何も、ない……」
全員がはあぁっ、とため息をつき、船内の張り詰めていた空気が緩んだ。
「なんだったんだ、アレは……」
「まさか、本当にカールソンが……」
「一年で、ここまで漂流してきた……?」
「いや、仮にカールソンだったとしても、漂流してた死体がまっすぐこちらに向かって突っ込んでくるなんて、そんなことありえるのか?」
「……」
彼らは見たものについて話し合ったが、答えが出るはずもなかった。
*
連絡船はパラシュートを開いて降下速度を落とし、無事、カリフォルニアの沖合いに着水した。
回収された船体からは、謎の物体の痕跡は何も見つからなかった。船外カメラにも何も映っていない。船内カメラも窓そのものはフレーム外で、船内で乗員らが驚く姿が映っているのみだった。
彼らが見たと主張するものを証明するような、決定的な証拠は何もなかった。
ただ、大気圏に突入する直前のタイミングで、何かが船体に衝突したような物音と、窓から差し込んで船内を照らしていた光が一瞬だけ不自然に陰ったのが、船内カメラには記録されていた。とはいえ、それらも物証というには弱かったが。
ISSで起きた通信障害、エアロックで起きた不審な物音、そしてこの帰還時の一件は、公式には伏せられた。
しかし、後にどこからか噂として漏れ、UFOネタとは少し毛色の違う、宇宙の亡霊話として都市伝説で語られることとなった。
なお、現在に至るも、ジョシュア・カールソンの消息は不明である。
〔了〕
お読みいただきありがとうございます。
評価や感想を頂けるとうれしいです。
本作は夏のホラー2026向けに書きました。テーマが「音」だったので、ありえない場所で鳴る音というのを考えた結果、舞台を本来無音である真空の宇宙空間にしました。あんまり怪談向きな場所ではないですが、ありきたりすぎるのは遠慮したいので。
ISSや宇宙船の描写などはネットで調べただけの浅い知識しかなくて、不正確な部分が多々あると思いますが、そこはお許しを。




