表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたを褒める仕事をしています  作者: えんびあゆ
佐藤美代子編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/50

第36話 褒めが届かない[3]

圭一はスマホを閉じた。

閉じても、胸の奥に残るものがある。

見えないところで、何かが遅くなっている感じ。

自分の中の時間だけが、ワンテンポずれている。


駅に着き、改札を出て、冬の空気に触れる。

吐いた息が白い。

白い息はすぐ消えるのに、不安だけは消えない。


圭一は、息が白いかどうかを確認する癖がある。

白いと「寒い」。

寒いと「今は冬」。

冬だと「年末が近い」。

年末が近いと「忙しくなる」。

忙しいと「何も考えなくて済む」。


考えなくて済む、はずだった。


それなのに、今日は考えてしまう。


――投稿がない。


それだけで。


一回だけ会った他人のSNSが止まっただけで。

自分がこんなに気にするのは、変だ。

圭一は自分をそう裁いて、でも裁ききれないまま、足を前に出す。


その夜、圭一はコンビニの夜勤を終えた。

レジの奥で小さく伸びをして、バックヤードの時計を見る。

いつもと同じ時間。

同じように体が重い。

同じように腰が痛い。

同じように、耳の奥がジンとする。


“いつも通り”は、優しい。

優しいのに、たまに怖い。


いつも通りなら、いつも通りに戻ってしまう。

戻る場所があるのは助かる。

でも、戻ってしまう場所しかないなら、少しだけ息が苦しくなる。


帰り道、圭一はまたスマホを開いてしまう。

自分の弱さが、指先に出ている。


投稿は――あった。

ただ、短い。


「本日は受付終了」


それだけだった。


いつもあるはずの注意書きがない。

いつもあるはずの温度のない“説明”がない。

あの人の文章には、いつも余計なものがなかった。

だからこそ、余計なものがなくなったときの違和感が、逆に大きい。


圭一は、息を止めた。

胸の奥が、妙に冷えた。


「……だいじょうぶか」


口にしてから、すぐに思う。

何が“大丈夫”なんだ。

自分は何を心配しているんだ。

心配したところで、何もできないのに。


できない。

できないのに、気配は拾ってしまう。

それが、見ているだけの立場の嫌なところだ。


圭一は通知欄を見て、何も来ていないのを確認する。

当たり前だ。

圭一は、しのと繋がっていない。

フォローしているだけ。

フォローは繋がりじゃない。

ただの“見張り”に近い。


見張り、という言葉を思いついて、圭一は苦笑した。

見張っているつもりなんてない。

守っているつもりもない。

守れるはずもない。


――じゃあ、なんだ。


圭一は、画面の小さな文字をもう一度読む。


「本日は受付終了」


終わり。

終了。

それはいつもある言葉だ。


ただ、今日は“時間”が違う。


いつもより早い。

圭一の夜勤明けより早い。

圭一が寝落ちする前より早い。


「受付終了」を早く出す日は、何があった日だろう。


予約が埋まって、終わった。

それなら、まだ分かる。

仕事がうまく回った、という終わりだ。


でも今日の終わりは、違う気がする。


“閉めた”感じがする。

“終えた”じゃなくて、 “閉じた”。

シャッターを下ろした感じ。

奥の灯りを消して、鍵をかけた感じ。

誰もいなくなった空間の、静かな圧。


圭一は、その想像が嫌で、画面を伏せた。

伏せても、想像は消えない。

むしろ暗くなったぶん、頭の中の映像がはっきりしてしまう。


白い壁。

机と椅子。

ぬいぐるみもポスターもない部屋。

あの日、自分が座った椅子の硬さ。

しのの視線。

距離。


距離があるのに、見捨てない目。


圭一は、あの目のことを思い出すと、いつも少しだけ背筋が伸びる。

叱られたわけじゃない。

励まされたわけでもない。

ただ、事実を見られた。


それが、圭一には“褒め”だった。


褒めだったのに。

褒めが届かない日がある、と圭一は今日、初めて現実として理解してしまう。


褒めが届かない。

届かないから、投げない。

投げないから、何も残らない。


何も残らないと、見ている側は余計に不安になる。

不安になるのは、勝手だ。

勝手なのに、勝手を止められない。


圭一は、スマホをもう一度開いた。

別に何かを探したいわけじゃない。

探すふりをしないと、ただ見ている自分が気持ち悪いからだ。


プロフィール画面に飛ぶ。

固定投稿。

過去の注意書き。

いつも見慣れた文言が並んでいる。


「治療ではありません」

「医学的判断はできません」

「事実に基づきます」


圭一は、その“いつも”を見て、余計に息が詰まった。


いつもはある。

いつもは書ける。

いつもは、あの人は淡々としている。


淡々としている人が、淡々とできない日。


“淡々とできない”という表現が、圭一の中で引っかかる。

淡々とできない、というのは、感情的になったという意味じゃない。

あの人が感情的になる姿は想像できない。


もっと別のものだ。

もっと手前。

言葉になる前の段階。


たとえば、ペンを取れない。

たとえば、文章を組み立てられない。

たとえば、短い言葉しか置けない。


圭一は、そこまで想像して、ぶつりと止まった。

想像が具体的になりすぎると、急に悪いことをしている気がする。

覗き込んでいる。

知らない他人の内側を、勝手に。


「……俺、何やってんだ」


声に出すと、冷えた空気が喉に刺さる。

コンビニの外壁に貼られた求人ポスターが、明るすぎる。

“急募”の文字が目に痛い。


圭一は歩きながら、また自分に言い聞かせる。


――連絡する理由もない。

――連絡する権利もない。

――この距離が、正しい。


正しい。

正しいはずだ。

正しい距離は、相手を傷つけない。

自分も傷つかない。


でも、正しい距離のまま、何かが壊れていくのを見てしまったら?


圭一は、その問いに答えを出せない。

答えを出してしまったら、自分はきっと動く。

動いたら、この物語は変わる。

変える役割が自分にあるのか、圭一はまだ分からない。


分からないのに、胸の奥が小さく疼く。


あのとき自分がもらった言葉が、

誰かには届かないのかもしれない、という想像だけで。


圭一は家に着いても、寝つけなかった。

布団の中でスマホを見れば、余計に眠れなくなる。

分かっている。

分かっているのに、手が伸びる。


夜勤は、生活の線を真っすぐにする。

眠る時間、起きる時間、食べる時間。

どれも作業みたいに並ぶ。

作業みたいに並ぶと、考えなくて済む。


考えなくて済むはずの夜に、圭一は考えてしまう。


――あの人、誰にも褒められてないのかもしれない。


思った瞬間、胸の奥が冷えた。

冷えたのに、目は冴えたままだった。


誰にも褒められていない。

それは“可哀想”とか“気の毒”とか、そういう感情の話じゃない。

圭一がぞっとしたのは、もっと単純な事実として。


褒め屋が、褒められない。

褒めを仕事にする人間が、褒めを受け取る場所を持たない。

それは、どこかで必ず折れる。


折れる、と圭一は思ってしまった。

思ってしまったことが怖い。

怖いのに、目を逸らせない。


圭一は、スマホを伏せた。

伏せても、世界は続く。

コンビニの蛍光灯みたいに、白く、平らに。


「……見てるだけだな」


声に出して、少しだけ苦く笑った。

見ているだけ。

見ているだけなのに、見ないでいられない。


そして、見ているだけでは守れないものがある、ということを、

圭一は初めて“自分のこと”として理解してしまった。


翌朝。

圭一が寝落ちして、目を覚ました頃には、タイムラインはいつも通りに流れていた。

誰かの朝食。

誰かの愚痴。

誰かの楽しそうな写真。


しのの投稿は――まだ、ない。


それだけで、圭一の胸の奥がまた遅くなる。

遅くなるのに、世界は速い。

世界だけが先に行く。


圭一は、布団の中で目を閉じた。

目を閉じても、白い壁の部屋が浮かぶ。

机と椅子。

言葉が置かれない時間。


圭一は、何も知らない。

何があったかは分からない。

それでも、分かってしまう。


“届かない日”があったのだ、と。


そして、届かない日が一日で終わるとは限らない、と。


圭一は、息を吸って吐いた。

白い息は、布団の中では見えない。

見えないのに、確かにある。


――観測者は動かない。

――ただ、見続ける。


そう決めたはずなのに。

その決め方が、今は少しだけ痛い。


圭一は、スマホに手を伸ばし、止めた。

伸ばして、止める。

それだけの動作が、妙に“判断”に見えた。


自分は、まだ動かない。

まだ、見続ける。


でも、胸の奥のどこかで、もう一つだけ、別の事実が育っている。


――見続けるだけの人間は、

――いちばん最後に、後悔する。


圭一は、その事実をまだ言葉にしないまま、布団の中で目を開けた。


天井は白い。

何も書かれていない。


何も書かれていないことが、こんなに重いと知ったのは、初めてだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ