第7話 完璧王子の隠された真実
図書館という場所にはわたしにとって特別な意味がある。
静寂に包まれた空間、墨の匂い、整然と並ぶ背表紙。
そのすべてが心を落ち着けてくれる。
あの屋敷では味わえなかった平穏と充足感がここにはある。
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わたし――セレナ・ローゼリア・フォン・カーライルは今、王都の図書館で働いている。
館内の掃除や蔵書の整理、貸し出し記録の管理。
貴族の娘としては到底やらされることのなかった仕事の数々を今のわたしは当たり前のようにこなしている。
そして、空いた時間には本を読み、学び、書き記す。
「実力試しに受けるだけ受けてみてはどうですか? うちで働いている人はみんな受けていますよ。ま……毎年合格者ゼロで痛い話ですがね。ちなみに私も落ちています。あははっ」
ニコニコ笑顔のおじいさん。
御年70歳の館長が言うなら受けておこう。
「じゃあ、受けるだけ受けてみます」
館長さんの勧めで官吏試験の勉強も少しずつ再開した。
(やっぱり……わたしは知識が好きなのかな)
気づけばいつも夢中になって本に没頭している。
わたしは恋愛よりも、舞踏会よりも、宝石よりも……なにかを知ることのほうが心を満たしてくれる。
こんなふうに過ごす日々がまさかこんなに幸せだとは。
「あぁ……、また手が止まってる」
「面白いですからね~」
「あ、館長さん。すみません」
「いいですよ~。働くのも大事ですが学びはもっと大事ですからね~」
本を整理しながらつい読書に没頭してしまう。
そんなクセを最近わたしは笑って受け入れられるようになった。
「おおっ……これはこれはユリウス第二王子殿下。今日もいらしてくださいましてありがとうございます」
「館長こそ俺がここに来ていることを黙っていてくれて感謝する。俺が図書館で入り浸っていることを知ったら嫌がる連中もいるからな」
そんな折、彼がふらりと現れた。
そう、彼はユリウスさま。
この国の第二王子だ。
金髪に碧眼、端正な顔立ち、そして気品を感じさせる物腰。
彼は今日も図書館の奥の席に静かに腰を下ろし、本を手にしている。
(……また、来てくださった)
彼の存在がこの静かな図書館での生活に彩りを与えていた。
まるで彼のいるところが王宮になる、みたいな……。
といっても、最初のころは言葉を交わすこともなかった。
ただ黙って、同じ空間にいるだけだった。
「最近、どうだ? 勉強の調子は」
ふいにユリウスさまが声をかけてきた。
「え? あ、はい……順調です」
図書館ではあまり声を出さないよう気をつけているが、このときばかりは小さな声で返した。
「それはよかった。ここは静かだから、集中できるだろう」
「……はい。ここに来てから、気持ちも少しずつ落ち着いてきました。いいですね。館長さんも優しいし、すごく珍しい書物もありますし」
「だろ。この図書館の蔵書はかなりいいものばかりだ」
不思議なことに本の話をするときの彼は、少しだけ気分よさげだ。
いつもは寂しげ顔をしているのに。
(やっぱり……この人にはなにかあるんだわ)
知りたい。
でも、知ってしまったら、きっと今のようにはいられなくなる。
だから、踏み込まない。
問い詰めない。
この時間が壊れてしまうのが怖いから。
それでも――彼のことを、もっと知りたいと思ってしまう自分がいる。
そして、そう思うようになったのは彼がただの『助けてくれた人』ではないから。
わたしの記憶が正しければ、彼は――――。
あの名を思い出したときの衝撃をわたしは今も覚えている。
幼い日の記憶。
王宮の庭園で出会った少年。
芯のある瞳でわたしに『泣いてもいい、でも顔を上げろ』と言ってくれたあの人。
わたしが理想とする、強く、真っ直ぐな人。
この国の第二王子——ユリウス・グランディア王子。
――――彼はどんな闇を抱えているのだろう。
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ある日のことだ。
「……話しておきたいことがあるんだ」
彼の口からそう切り出された。
(え……?)
「聡明なお前なら相談相手になれると思ってな……ダメか?」
「ダメってことではありませんが……」
彼の表情は真剣そのもの。
いつも物憂げな表情を浮かべている、その理由を話したがっている。
そんな気がしていた。
「お話しくださいませ」
これまで彼に尽くしてもらったのだ。
恩返しのつもりで話を聞こう。
「ありがとう――――今の王は……俺を次の王にと考えている」
「え……その、失礼ですが、殿下は第二王子なのでは?」
とんでもない話だ。
父王が王太子である第一王子を差し置いて、第二王子を王位に据えることを望んでいるなんて……。
「ああ。当然、王宮の権力闘争を招いた。だから兄――――第一王子派との軋轢が日々激しくなっている」
「……そんな、ことが……」
「息が詰まるような王宮から離れて、少しだけ静かに過ごしたかった。……それで、図書館に通っていたんだ」
中央から離れた領地にいたからそんな情報これまで入ってこなかったけれど……。
王室が外部に情報を漏らさないように秘匿しているのだろう。
「ふう……少し気が楽になった。秘密を共有できる相手がいるのはいいものだな」
わたしの胸がじんと熱くなった。
この人はわたしを信じてくれたのだ。
『カーライル侯爵家の娘』という立場を捨て、名も告げずに新たな人生を歩み始めたわたしに。
「わたしに……できることなんて、ありません。でも、少しでもあなたの心が癒されるなら……この時間だけでも、寄り添いたいです」
今のわたしに権力も財力もない。
でも、力になってあげたい。
その想いを素直に伝えたとき、彼の目に驚きが浮かび、そして……微笑んでくれた。
「ありがとう。お前と話す時間は……俺にとって癒しになっていたのかもしれないな」
(……ありがとう。そんなふうに言ってもらえるなんて)
誰からも見捨てられ、家族にも裏切られたわたしが誰かの『救い』になれる。
そんな日が来るなんて、思ってもいなかった。
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ユリウスさまは筋肉質でどう考えても武闘派だ。
軍人としてもかなりの功績を残していると聞く。
国民は彼に本を読んでいるようなイメージは抱いていないだろう。
そんな強いユリウス第二王子に付き従う人間がいるからこそ今の政争が成立する。
もし、図書館に籠ってゆったりとしている彼の姿を見てしまえば、彼の派閥が減衰するかもしれない。
(考えすぎかもしれないけれど……)
だからこそ、これはわたしたちだけの秘密なのだ。
ユリウスさまが図書館で過ごす日々を癒しだと考えていること。
そして、わたしと過ごす時間を楽しいと感じてくれていること。
わたしはその秘密を大切に胸に秘めておこうと決意した。




