第35話 街に咲く花のように
「それでは補正予算編成に関する協議はこれくらいでよろしいでしょうか」
「構いません」
「ええ。完璧です。王妃さま」
「大蔵大臣、顔負けですな。ははっ。こりゃもう大蔵大臣なんて職をなくしても構わないくらいだ」
「あの、大蔵大臣のあんたが一番言っちゃいけないことを言っているんだが……」
ある日の評議会でのことだった。
今回は即位後ということで新たに発生した支出に対応するために、緊急補正予算会議を開いた。会議自体は特に大きな問題もなく滞りなく終わった。
(大蔵大臣が少し適当すぎるところは気になるけれど……許容範囲かしら)
わたしは予算会議のついでに、もう1つ提案をしようかと思っている。
それは王都の景観改善と、民の生活に潤いをもたらすための提案だ。
別に思いつきで提案するわけではない。
以前からいつかは実現させようと思っていた政策の1つだ。
場の雰囲気もいいし、通過させるなら今しかないだろう、そう思っての判断だった。
「国王陛下、そして、ここに居られる皆様。わたくし、セレナ・ローゼリア・フォン・カーラ――――ローゼンハイムに、1つご提案を申し上げてもよろしいでしょうか」
わたしは貴族たちの視線を集め、声を張り上げた。
「王都の街路樹としてバラを植えるのはいかがでしょうか。色とりどりのバラは人々の心を和ませ、街を明るく彩ってくれるはずです。そして、バラはわたくしの名にも入っております。ローゼリア……王都が『バラの都』と称されるようになれば、この国の象徴として、世界にその名を知らしめることもできるでしょう」
わたしの提案に評議会の席からはかすかなざわめきが起こった。
「贅沢をする気か?」
「お転婆ダメ王女みたいなことを言うな」
「いや、あの王妃のことだ。なにか狙いがあるのだろう」
一部の貴族は首を傾げ、実用性に欠けるとでも言いたげな表情を浮かべている。
「王妃さま、バラを植えるなど、費用も時間もかかりましょう。それに国民の生活を安定させることが急務では……」
ある老貴族が眉をひそめて意見を述べた。
しかし、わたしは怯まなかった。
「はい。費用はかかります。ですが、民の心に与える影響は計り知れません。疲弊した民の心に潤いをもたらすことは経済を活性化させる上で、ときになによりも重要なのです」
わたしは具体的な経済効果や、観光誘致への影響、そしてなによりも、民の心の豊かさが、国の活気に繋がることを論理的に説明した。
「まぁ……職のない民に給金を渡して働かせるというのは、うん。及第点といいますか――――」
「ここ最近、王都への外国人の出入りが活発だ。情けない王都ではなく、華やかな王都を見せつけることで、この国がいかに繫栄しているかを視覚でわからせるという効果もある。軍の責任者として大賛成だ」
ちらほらと有力な大臣たちも賛成に手を挙げてくださる。
「良い提案だ、セレナ。バラはこの国の多様な民を象徴する花でもある。私も賛同する」
ユリウスさまの支持もあり、わたしの提案は可決された。
それからというもの王都の街には、次々とバラの苗木が植えられていった。
色とりどりのバラを丹精込めて育て、街路を美しく彩っていく。
春には街全体が甘いバラの香りに包まれ、訪れる人々の目を楽しませた。
民衆はその美しい景観に喜び、王都は『バラの都』として、内外にその名を轟かせるようになった。
――――これは後世に語り継がれることになるだろう。
そう願いたい。
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わたしは公務の合間を縫って、王都の街に出るようになった。
アルベルトさんとルイスさんが護衛係だ。
「なにがあってもセレナさまは我々が守るのでご安心を」
「でも、王妃さまなんだから、あんまり頻繁に外に出歩くのもよくな――――」
「ルイス、それ以上は言うな」
「ごめんなさいね。わたしのわがままに付き合わせてしまって」
確かにわたしが外に出なければ、彼らも余計な仕事はしなくて済んだはずだろう。
けれど、民が今なにを欲して、どういう状況にあるかを知るためにはこうして、街に繰り出すことも必要なのだ。
「セレナさま! 今日も素敵ですわね!」
「優しい妃さま! 街がこんなに美しくなるなんて、夢のようです!」
「バラの香りが、こんなにも心地良いなんて! 毎日が楽しくなりましたわ!」
「ありがとうございます、セレナさま!」
道行く人々が笑顔でわたしに声をかけてくれる。
彼らの温かい言葉はわたしの心を温かく満たしていく。
「セレナさま! 見てください!」
ある日、街を歩いていると、小さな子どもたちが元気いっぱいに駆け寄ってきた。
彼らは小さな花束を差し出し、満面の笑顔を向けてくれる。
それはわたしの名と同じ、バラの花だった。
「わあ、可愛いバラですわね。ありがとう、坊やたち」
わたしはしゃがみこんで、子どもたちの目線に合わせて話しかけた。
「セレナさま、大好き!」
「ローゼリアさま、また来てね!」
子どもたちは屈託のない笑顔で、わたしのことを『ローゼリアさま』と呼んだ。
(あまりその名で呼ばれることはないけれど、子どもが言うとかわいらしく感じてしまうわね)
その可愛らしい呼び名にわたしの頬は自然と緩む。
かつて、わたしが蔑まれ、孤独に過ごした日々が嘘のように温かい時間が流れていく。
彼らの純粋な笑顔がわたしの心を洗い流してくれる。
ユリウスさまもまた、わたしとともに街を訪れることが増えた。
彼は民衆と触れ合うわたしを見て、いつも穏やかに微笑んでくれる。
「セレナは本当にこの国の民に愛されているな」
ある日、ユリウスさまがわたしの手をそっと握りしめ、そう囁いた。
彼の声には深い愛情と、そして、わたしへの誇りが込められていた。
「まさか、このような日が来るなんて。夢にも思いませんでした」
わたしはそう言って、ユリウスさまに微笑みかけた。
過去の孤独と絶望はもう遠い記憶の彼方にある。
あのとき、家を飛び出し、すべてを失ったと思っていたわたしがこれほどまでに満たされている。
夜、ユリウスさまと2人で王宮のバルコニーに立っていた。
王都の灯りが夜空にきらめき、まるで星のようだ。
風に乗って、街からバラの甘い香りが漂ってくる。
「わたしは……幸せです、ユリウスさま」
そう呟き、ユリウスさまに寄りかかった。
彼の腕がわたしを優しく包み込む。
「ああ、セレナ。俺もだ」
ユリウスさまはわたしの頭を撫でながら、そう答えた。
彼の声は深く、そして温かかった。
わたしはあの日の舞踏会ですべてを失った。
婚約者を奪われ、家族にも見捨てられた。
しかし、その絶望の先にわたしは、本当の“わたしの幸せ”を掴み取ることができた。
ユリウスさまという、わたしを心から愛し、信じてくれる人に出会い、この国の王妃として、民の皆様とともに生きる喜びを知った。
そして、わたしの身体には新しい命が宿っている。
街に咲くバラのようにわたしの人生もまた、美しく咲き誇っている。
過去の傷はもうわたしを縛りつけるものではない。
むしろ、わたしを強くし、より多くの人々を愛する力を与えてくれた。
この温かい光がいつまでもわたしたちを照らしてくれることを願いながら、わたしはユリウスさまの温もりの中で静かに目を閉じた。




