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第33話 戴冠の日

 戴冠式の朝、王都は祝祭ムードに包まれていた。




 前日の襲撃事件の緊張感は厳重な警備によって完全に影を潜め、人々は新しい時代の幕開けを心待ちにしているようだった。




(緊張せず、リラックス……)




 わたしは王宮内の自室で戴冠式で身につける衣装に身を包んでいた。



 白を基調とした、シンプルなデザインながらも最高級のシルクと繊細な刺繍が施されたドレスは光を受けてまばゆく輝いている。



「セレナさま。お美しいです。これなら民もあなたを王妃であると認めることでしょう」

「ありがとうございます」



 セシリアさまから太鼓判を押してもらったから大丈夫なのだろう。



「式典中に気分が悪くなったら言ってください。飛んでいくので」



 カトリーヌ医師もなんだかんだいって心配してくれる。

 本当にありがたい。



「これがわたし……」



 鏡に映る自分の姿はもうかつての地味な侯爵令嬢セレナではなかった。





 ――――誇り高く、そして、堂々とした王妃の姿がそこにあった。





 (母さま……わたし、ここまで来ましたわ)




 胸元にそっと手を当てる。

 亡き母が残してくれた手紙の言葉が脳裏に蘇る。





『あなたは気高く、誰よりも愛されるべき子』





 その言葉がわたしをここまで導いてくれた。





 支度を終え、わたしはユリウスさまの待つ控えの間へと向かった。

 そこにはすでに戴冠式の衣装を身につけたユリウスさまが立っていた。



 きらびやかな王装に身を包んだ彼の姿はあまりにも神々しく、息を呑むほどだった。

 彼の金色の髪にはこれから載せられる王冠がどれほど重いかを示すかのように静かな光が宿っている。



「セレナ……」



 ユリウスさまがわたしを見ると、優しい笑みを浮かべた。

 その碧い瞳はわたしをまっすぐに捉えている。



「準備はできたか?」

「はい、ユリウスさま。いつでも」



 わたしも彼の目を見て微笑んだ。


 緊張はある。


 だが、それ以上に彼とともにこの日を迎えられる喜びがわたしの胸を満たしていた。



 ________________________________________



 戴冠式は王都の広場に特設された祭壇で執り行われる。

 そこにはすでに多くの民衆が集まっていた。



 彼らは新しい王と王妃の誕生をその目で見届けようとしている。

 わたしはユリウスさまの隣に立ち、馬車に乗り込んだ。



 民衆の声援が窓の外から聞こえてくる。

 歓声は熱狂的な渦となって、わたしたちを包み込んだ。


 祭壇へと続く道を馬車はゆっくりと進む。

 沿道には、色とりどりの旗が掲げられ、花吹雪が舞い散っている。



 民衆は歓喜の声を上げ、手を振っている。




 その中にわたしは、見慣れた顔を見つけた。




 ――――下宿先の女将さんだ。




 彼女は王都の賑わいに目を細めながら、わたしが乗った馬車に向かって、精一杯手を振ってくれている。





「セレナさまー! おめでとうございまーす!」





 女将さんの朗らかな声が喧騒の中でもはっきりと聞こえた。

 その隣には下宿で共に過ごした人々も満面の笑顔でわたしに手を振ってくれている。


「セレナさま! お元気でいらっしゃいましたか!」

「わたくしたち、セレナさまのこと、ずっと応援してましたわよ!」

「本当に、本当に、おめでとうございます!」



 彼女らの言葉1つ1つがわたしの心に温かく、すっと染み渡っていく。



 あのとき、家を飛び出し、すべてを失ったと思っていたわたしにあの人たちはなんの偏見もなく、温かい居場所を与えてくれた。



 彼女たちの純粋な祝福がわたしの胸を熱くする。

 わたしは馬車の窓から身を乗り出し、彼らに向かって、精一杯手を振り返した。





 さらに進むと今度は見慣れた老紳士が書物を抱えて立っているのが見えた。




 ――――図書館の館長さんだ。




 その隣にはアルベルトさんやルイスさんといった、ユリウスさまの側近たちも誇らしげな顔で立っている。




「セレナさま! また本をたくさん読んでくださいませ! 新刊が入ったところです!」




 館長さんが目を輝かせながらそう叫んだ。

 その言葉は、わたしが図書館で過ごした、穏やかで充実した日々を思い出させた。



(新刊……早速行ってみたいところね)



「王妃さまになられてもぜひ図書館にもお越しください!」



(ありがとう。館長さん)



 アルベルトさんとルイスさんもにこやかに手を振ってくれる。



「おい。ルイス。あんまりはしゃぐなよ。ここで失態を犯したらセレナさまや殿下……いや陛下の顔に泥を塗ることになる」

「はいはい。わかってますよ――――セレナさま、おめでとうございます!」

「わかってないじゃないか……」



 彼らはわたしが知を愛し、勉学に励むことを心から評価し、支えてくれた人々だ。


 彼らの存在がわたしが王宮で知的な王妃として生きていく上での、大きな心の支えとなるだろう。



 彼らの温かい声援と純粋な祝福の波がわたしを包み込む。



 わたしは涙をこらえきれず、そっと目頭を押さえた。



 それは過去の苦しみが報われ、今、心からの喜びを感じている証だった。



 ________________________________________



 祭壇に到着するとわたしたちは馬車を降り、ゆっくりと階段を上り始めた。

 大勢の貴族たちが厳粛な面持ちでわたしたちを迎える。


 その中には複雑な表情を浮かべる者もいたが、彼らの視線はもうわたしを貶めようとするものではない。



 ただ、静かにわたしたちの戴冠を見守っている。



 祭壇の中央に立つと、国王陛下が厳かな表情でわたしたちを迎えてくださった。

 老齢の国王陛下は穏やかな眼差しでユリウスさまを見つめている。



「我が息子、ユリウス・フォン・ローゼンハイムよ。そなたはこの国の未来を背負う覚悟があるか」



 国王陛下の言葉にユリウスさまは毅然とした態度で答えた。




「はい、父上。私はこの国の民のため、命を捧げる覚悟でございます」




 ユリウスさまは右手を高く掲げ、神に宣誓した。

 その声は力強く、広場に集まった民衆の心に深く響き渡った。



「そして、セレナ・ローゼリア・フォン・カーライルよ。そなたは王妃として、ユリウスの隣に立ち、ともにこの国を支える覚悟があるか」



 次に国王陛下の視線がわたしに向けられた。

 わたしはユリウスさまの隣でまっすぐに前を見つめ、答えた。



「はい、陛下。わたくし、ユリウスさまとともにこの国の未来のために力を尽くすことを誓います」



 わたしの言葉にユリウスさまがわたしの手をそっと握ってくれた。

 その手の温かさがわたしの心を強く支えてくれる。



 儀式は厳かに進んでいく。

 国王陛下がユリウスさまの頭に重厚な王冠を載せる。





 ――――その瞬間、広場全体が割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。





 ユリウスさまはこの国の新しい王となったのだ。




 次に国王陛下がわたしの元へと歩み寄ってきた。

 国王陛下の手には煌びやかなティアラが握られている。




 それは王妃のみが身につけることを許された、特別なティアラだ。




「セレナ・ローゼリアよ。そなたにこの国の王妃としてのティアラを授ける」




 国王陛下がわたしの頭にそっとティアラを載せた。

 その瞬間、わたしの全身に王妃としての重責と、そして、無限の喜びが広がった。




 かつて、社交界で嘲笑され、家を追われたわたしが今、この国の王妃となった。

 その光景はあまりにも劇的で、現実離れしているようだった。



 けれど、これは夢ではない。

 わたしが自分の力でそしてユリウスさまの愛と信頼によって掴み取った、確かな現実だ。




 民衆の喝采と祝福がわたしたちを包み込む。

 喜びあふれる市民たちが、口々に『万歳!』、『新しい王と王妃に、栄光あれ!』と叫んでいる。



 その歓声は天まで届くかのようだ。

 ユリウスさまはわたしの手を取り、高く掲げた。



 わたしたちは民衆の歓声に応えるように、満面の笑顔で手を振った。



 新しい時代の幕開けとして、王と王妃は手を取り合う。

 わたしの隣には愛するユリウスさまがいてくれる。



 彼とともにこの国の未来を、そして、わたしたちの家族の幸せを築いていくのだ。

 わたしの目からは自然と涙が溢れ出した。



(ああ……涙腺が弱くなっているのかしら。最近、泣いてばかりだわ……)



 けれど、それは過去の苦しみが報われた喜びと未来への希望に満ちた温かい涙だ。

 恥じることはない。今だけは存分に涙を流してもいいだろう。



 ユリウスさまがわたしの肩をそっと抱き寄せ、その唇がわたしの耳元に触れる。



「セレナ……見てみろ、この光景を」



 彼の声は熱っぽく、そして誇らしげだった。

 わたしは彼の言葉に促されるように、広場に集まった民衆の顔を見渡した。



 一人ひとりの顔に浮かぶ、純粋な笑顔。

 その笑顔がこの国の未来を明るく照らしているかのようだった。



「この民のためにこの国をもっと素晴らしい場所にするんだ。君と俺とで」



 ユリウスさまの瞳は未来を見据えている。

 わたしもまた、彼の決意に深く頷いた。



「はい、ユリウスさま。わたしたちの力を合わせれば、必ず」



 わたしは彼の手にそっと自分の手を重ねた。




「この国の未来はわたしたちが創ります」




 彼の温かい手がわたしの手を強く握り返してくれた。




「ああ、君と俺とで最高の未来を」




 2人の誓いが広場に響き渡る歓声に溶けていった。


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