第32話 最後の陰謀
戴冠式を翌日に控え、王宮は厳戒態勢にあった。
わたしの妊娠が発覚して以来、ユリウスさまはわたしを一層大切にしてくださり、その深い愛情にわたしは日々包まれていた。
初めての子を授かった喜びと新たな家族を築く未来への希望がわたしの心を温かく満たしていた。
しかし、その喜びの裏側で不穏な動きがあることをわたしは感じ取っていた。
ユリウスさまの即位を快く思わない勢力が未だに存在しているのだ。
特にレオナルドの実家であるアルバレスト公爵家の残党はその筆頭だ。
彼らは王家の厳しい罰を下されたことで、ユリウスさまへの恨みを募らせていると聞いていた。
(評議会で苛立ちを募らせていた貴族たちもアルバレスト公爵家の影響が強かったわけだし、なにも起こらなければいいのだけれど……)
その日の夜遅く、わたしは書庫で戴冠式で読み上げるユリウスさまの誓いの言葉を確認していた。
「ここの文章はちょっとおかしいかも。修正した方がいいわね……」
夜警の衛兵たちの足音だけが静かな廊下に響いている。
「ここは抑揚をつけて読んでもらいましょう」
王宮全体が深い眠りについているかのようだった。
「このタイミングで民に視線を送ると……」
そのとき、微かな物音が書庫の奥から聞こえた。
(誰かいる……?)
ここには誰も立ち入らないように厳命していたのにも関わらず足音が聞こえた。
わたしはそっと音のする方へと近づいた。
本の棚の陰に身を潜め、様子をうかがう。
そこにいたのは数人の男たちだった。
彼らは黒い覆面で顔を隠し、王冠が安置されているはずの厳重な保管庫の扉をなにやら鍵で開けようとしている。
(王冠を……奪うつもりだわ!)
直感的にそう理解した。
戴冠式当日、王冠がなければ、式典は行えない。
彼らはユリウスさまの戴冠を阻止しようと企んでいるのだ。
その行動はあまりにもお粗末で、無謀だった。
残党とはいえ、ここまで愚かな行動に出るとは。
わたしはとっさに身を隠したまま、状況を冷静に分析した。
男たちの人数は5人。
武器は剣と短刀のようだ。
衛兵に知らせに行けば、間に合わないかもしれない。
(どうすれば……)
そのとき、わたしの脳裏にリウスさまの言葉が蘇った。
『君の知性、君の優しさ、そして何よりも、その強い心が、この国には必要なんだ』
わたしはもう守られるだけの存在ではない。
わたしがこの事態を食い止めなければならない。
男たちは保管庫の扉の鍵を開けようと、必死に作業を続けている。
その隙を突くしかない。
わたしは静かに書棚の陰から抜け出した。
そして、足音を殺しながら、彼らの背後に近づく。
一番手前にいた男が異変に気づいたのか、ゆっくりと振り返ろうとした。
その瞬間、わたしは近くにあった重い洋書を掴み、その男の頭に思い切り叩きつけた。
「ぐあっ!」
男は呻き声を上げて、その場に倒れ込んだ。
残りの男たちが驚いてわたしの方を振り向く。
「な、なんだ貴様は⁉」
「女……だと⁉」
彼らはまさかこんな場所で、女1人に襲われるとは思っていなかったのだろう。
――――その油断が彼らの隙を生んだのだ。
「あなたたちのような愚か者にこの国の未来を奪わせはしません!」
わたしはそう言い放ち、書棚の奥へと走った。
彼らはわたしを追いかけてくる。
「捕まえろ! 戴冠式を中止させるんだ!」
「いいや、その女はいい! それよりも王冠だ!」
男たちはわたしを捕らえるのを諦め、再び保管庫の扉へと向かおうとする。
――――そのときだった。
バンッ!と、書庫の扉が大きく開け放たれた。
そこに立っていたのはユリウスさまと彼を筆頭とする衛兵たちだった。
「も、物音が聞こえてきたのですが……」
「ここはセレナしかいないはずだ」
「それは存じております……」
「ならば、賊でも入った可能性がある。探すぞ」
「はい!」
彼らはユリウスさまの指示を受けて、書庫内に突入した。
「貴様ら! なにをしている!」
ユリウスさまの声が書庫に響き渡る。
その声は怒りとそして、わたしの無事を確認した安堵に満ちていた。
彼の碧い瞳がわたしをまっすぐに捉えている。
「ユリウスさま!」
わたしは彼の姿を見て、安堵の息を漏らした。
「クソっ、王子まで来やがったか!」
襲撃者たちは顔色をさらに悪くした。
彼らは武器を構え、ユリウスさまに襲いかかろうとする。
「無駄だ」
ユリウスさまは冷たく言い放った。
――――彼の剣が一閃。
電光石火の剣技が書庫を駆け巡る。
鍛え上げられた彼の身体が躍動し、迷いのない動きで敵を斬り伏せていく。
「殿下に続け!」
衛兵たちも一斉に襲撃者たちに襲いかかった。
書庫内は剣戟の音と男たちの悲鳴で満たされる。
わたしは書棚の陰に身を隠しながら、その光景を見つめていた。
(さすがに生の戦いを見るのにも慣れてきたわね……)
ユリウスさまの動きは、一切の無駄がなく、流れるようだった。
やはり『処刑人王子』の異名にふさわしい戦いぶりだ。
やがて、部屋にいた襲撃者たちはすべて倒れ伏した。
「呆れた……わざわざ、家紋をつけてここにくるなんて」
彼らの中にはアルバレスト公爵家の家紋を身につけた者もいた。
「大したブレーンがいないと人はここまで愚かな行動を取るのか。また1つ学びを得たな」
彼らは顔を蒼白にさせ、地面にうずくまっている。
ユリウスさまは剣の切っ先を彼らのリーダー格の男の喉元に突きつけ、冷たい声で言った。
「貴様らの罪はいずれ裁かれることになる。今度はもう漏らさない。ここで膿を出し切るつもりだから覚悟しておけ」
男は恐怖に顔を引きつらせ、なにも言い返すことができない。
ユリウスさまは剣を下ろすと、一目散にわたしの元へと駆け寄ってきた。
「セレナ! 大丈夫か⁉ 怪我はないか⁉」
彼の声は切羽詰まっており、その手は震えていた。
わたしを抱き起こすとわたしの頬に触れ、わずかに残る赤みに顔を歪ませた。
「セレナ……!」
彼の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
普段、決して感情を表に出さない彼がわたしの前で涙を見せる。
……そのことにわたしの胸は締めつけられた。
「ユリウスさま……! 大丈夫です。わたくしは、無事ですわ」
わたしは気丈に振る舞ってみせた。
襲われるのは2回目だ。
慣れてはきている……が、怖いものは怖かった。
彼らが襲いかかってきたとき、どれほど絶望したことか。
それでも、わたしはユリウスさまが必ず来てくれると信じていた。
そして、その信念がわたしを支えていた。
ユリウスさまはわたしを強く抱きしめた。
彼の腕の中でわたしは彼の命がけの守りにとめどなく涙を流した。
「セレナ、本当に無理はするな。もう、お前だけの命ではないんだぞ」
「はい。ご心配をおかけして申し訳ありません……お腹の子の命まで危険に晒すところでした」
王妃としての覚悟を固め、強くあろうとしていたわたしだがやはり、彼の存在がなければ、わたしは無力でしかなかった。
彼の腕の温かさがわたしの心を震わせる。
「もう、こんなことにならないように、俺がこの王宮も、国も変えていく」
彼の言葉がわたしの心に深く刻み込まれた。
この人は本当にわたしを愛し、守ってくれる。
「ええ。もう、正直こりごりですから」
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王冠は無事だった。
書庫の保管庫は男たちが侵入しようとしたものの、まだ開けられていなかった。
戴冠式は予定通り行われる。
この反乱は未遂に終わり、わたしたちの信頼がこの国の危機を救ったのだ。
ユリウスさまはわたしの頭脳と機転を褒め称え、わたしは彼の圧倒的な武力とわたしを守ろうとする強い愛に改めて心を震わせた。
夜が明け、太陽の光が王宮の窓から差し込んできた。
昨夜の騒動が嘘のように王宮は再び穏やかな空気に包まれている。
しかし、わたしたちの心にはこの事件が教訓として深く刻まれた。
「朝ですね……」
「ああ。朝が来たな」
戴冠式の日がいよいよ始まる。
この国に新たな歴史が刻まれる瞬間だ。
わたしはユリウスさまと手を取り合い、この先どんな困難が訪れようともともに乗り越えていくことを誓う。




