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第3話 父の失望、そして追放

 朝から嫌な予感がしていた。

 けれど、それが的中するなどとは思いたくなかった。

 わたしの甘さだったのだろう。




 ――――父に呼び出されたのは朝食を終えた直後だった。




「書斎へ来なさい」



 側仕えの者から伝えられた言葉にわたしは静かにうなずき、重い足取りで廊下を進んだ。


 あの日、婚約破棄された舞踏会から、まだ幾日も経っていない。


 屋敷中の視線が冷たいのは知っていたし、誰1人としてわたしに声をかけてくれる者もいなかった。



 大理石の床がわたしの足音を冷たく反響させる。

 心なしか、壁に飾られた家族の肖像画がわたしを非難しているように見えた。



「……失礼します」



 ノックのあと、扉を開けると、父――エドワード・フォン・カーライル侯爵が厳しい表情でわたしを待っていた。


 執務机に向かっていたその目がわたしに向けられると同時に鋭く細まった。


「座れ」


 命令のような声だった。


 わたしは無言で椅子に腰を下ろす。



 数秒の沈黙の後、父は机の上の文書を叩いた。


「お前は家門に泥を塗った。わかっているのか?」


 その言葉は胸に杭を打ちつけられたような痛みを伴った。


「……わたしはなにもしておりません。むしろ、公爵家のレオナルドさまと妹の――リリアナのほうが、あのような形で公衆の面前で婚約破棄を――」

「黙れっ!」


 叩きつけられた怒号に背筋が凍った。

 父の怒りはまるでわたしだけを責めるように向けられている。


「公の場で醜態を晒すことがどれだけ家の名誉を傷つけるか、わからぬのか! お前がもっと賢く、愛想よく立ち回っていれば、あのような事態にはならなかったのだ!」




 ……信じられなかった。




 わたしが悪いと? 

 妹と婚約者に裏切られたわたしが家の恥だと?


「父上……それはあまりにも不公平です。レオナルドさまとリリアナの関係を知ったのはわたしも当日です。あれは明らかな裏切りで――」


 言われてばかりではダメだ。


 徹底的に反論しなければ父を説得することはできない。



 だが、彼はわたしに弁明する機会さえ与えてはくれなかった。



「家の名誉を守ることができなかった、それがすべてだ。そもそも、お前にはもともと社交性というものが欠けていた。貴族の娘としてふさわしい気品も愛嬌も持ち合わせておらぬ。代わりになにを持っていた? 机にかじりついて得た机上の知識か? お前は勉強だけはできるもんな。だが、貴族の世界ではそんなものは意味をなさぬのだ!」


 わたしは黙っていた。

 唇を噛みしめる以外、できることはなかった。


「そもそも女には最低限の教養さえあればいいのだ。机にかじりついて勉学に励むのは男の役目だ」

「……」

「リリアナのほうが、ずっと可愛げがある。周囲からの評判もいい。公爵家が勉強ばかりのお前ではなくそちらに目を向けるのも当然だ」


 わたしは、ただ静かに視線を伏せた。




 そう、これが今のカーライル家なのだ。




 実の父でさえ、わたしよりも継母の娘を愛している。

 それが事実だった。

 母――いや、継母エリザベートもまた、あの日から一度たりともわたしに声をかけてこなかった。


 わたしが傷ついていようと心配する素振りすら見せなかった。



 そして、妹のリリアナは――。



 彼女は……まるでなにもなかったかのように笑っていた。


 あの日、わたしの婚約者を奪って、そして平然と両親に甘えている。

 そうして『今までごめんなさいね、お姉さま』と、まるでわたしを哀れむような瞳で見下ろしてきた。



 あれが、心底、嫌だった。



 わたしが、しっかりしていなかったから……?



 自分を責める声が頭の中に響く。


 違う。わたしはずっとまっすぐにやってきた。

 誰よりも真面目に誰よりも誠実にこの家に尽くしてきたつもりだった。


 けれど、その姿は父にも、継母にも、妹にも届かなかった。


 わたしはここでは必要とされていない。


 それを今日改めて思い知らされた。


「お前はしばらく外出も控えよ。今さら誰に顔向けできるというのだ。修道院に入るという選択肢もあるのだぞ。そのほうが、お前のためにもなるかもしれん」

「――……修道院?」


 思わず声が漏れた。


 父は目を細め、腕を組む。


「以前より王都北部の修道院から若手教育係の候補者を募っているという話があった。必要とされるならば、こちらから推薦してもいい。今のお前にはそれしか道が残されていないのではないか?」


 修道院。

 そこは、世俗から離れ、神に仕え、静かに生きる場所。


 誇りある役目だとは思う。だが、それはわたしが望んだ未来ではない。



 ……とうとう、ここまできたのね。



 わたしは椅子の上で、拳をぎゅっと握りしめた。


 この家の人間はわたしがどうなろうと構わないと本気で思っている。

 いや、むしろ――邪魔なのね。


「ふう……」


 深く息を吐いた。

 そして、わたしは決意したのだ。


 このまま、この家にいれば、わたしはいずれ『都合のいい駒』として扱われ、捨てられる。レオナルドにも、リリアナにも、両親にも、誰にも期待などしない。




 ――――もう、頼らない。




 わたしは『わたしの意志』で未来を選ぶ。




 ________________________________________




 修道院送り――。



 父がその言葉を口にした瞬間、わたしの中でなにかが決定的に崩れた。


 ああ、もう駄目だ。

 この家にわたしの居場所はどこにもない。



 わたしは侯爵令嬢として、幼い頃から厳格な教育を受けてきた。

 貴族としての礼儀作法、舞踏の心得、学問に芸術、すべてにおいて恥じぬよう自らを律し、努力を重ねてきた。




 それはわたしなりに――父に認められたかったからだった。




 けれど今、その努力のすべてが無意味だったのだと父の冷酷な言葉が証明してくれた。


「……お心のままに」


 わたしはそうだけを答えて、書斎を出た。

 涙は出なかった。



 出るほどの感情すらすでに削ぎ落とされていたのかもしれない。




 長い廊下を歩きながら、わたしは静かに自分の部屋へと戻った。

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