第2話 裏切りの婚約破棄
リリアナとレオナルドがまるで恋人同士のように寄り添って手を取り合っていたのを見たわたしは、思わず手で口元を覆ってしまった。
「リリアナ……レオナルド……?」
声は震えていなかった。
自分でも驚くほどに冷静だった。
「「な……」」
2人は振り向いた。
驚愕、動揺、焦燥感……。
とっさに浮かべた表情が逆にすべてを物語っていた。
「セ、セレナ……! ち、違う、これは……!」
「……どう違うというの?」
「そ、それは……いや、その……っ」
しどろもどろになって、レオナルドは視線を泳がせた。
ああ……こういうはっきりしない態度は彼の悪いところ。
わたしが苦手とする彼の一面だ。
焦ってなんの言葉も出てこないレオナルド。
だが、その傍らのリリアナはほんの一瞬、勝ち誇ったように口角を上げた。
すぐに表情を取り繕うあたり、さすがだとすら思った。
「お姉さま……ごめんなさい。でも、でもね、わたし、レオナルドさまのこと……ずっと好きだったの」
「……そう」
「家のための婚約なんて、間違ってると思うの。レオナルドさまだって本当はこんなお姉さまとではなく、わたしのほうが……」
その言葉にわたしはそっと小さく息を吐いた。
「……それであなたは裏で逢瀬を重ねていたのね。わたしの婚約者と」
「っ……!」
リリアナの顔が一瞬強張ったが、すぐに目を伏せ、か弱いふりをして肩を震わせる。
「仕方なかったの。好きになっちゃったんだもん……気づいたら、止められなくて……」
仕方なかった……?
その言葉が胸のどこかに引っかかった。
でも、怒りも悲しみも、不思議と込み上げてこない。
ただ、静かに、確かに悟った。
ああ、この人たちは……わたしの“味方”ではなかったんだ。
ただそれだけ。
なにかを失ったというよりも、長いあいだ背負っていた重荷が音を立てて崩れ落ちていくようだった。
「……あなたたちのこと、舞踏会が終わったら父に報告するわ」
「セレナ、それは――――!」
レオナルドが慌てて近寄ってきたがわたしは一歩、後ずさった。
「……貴族としての責務を果たしたかっただけよ。愛とか恋とか、そんな理想論はもう聞き飽きたわ」
その場から静かに退いた。
背後でなにかを叫ぶ声がしたけれど、それはもう、わたしには届かなかった。
妹にとっては己の立場が危うい絶体絶命の危機。
にもかかわらず堂々とした態度を取り続けるその様は不気味に映った。
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舞踏会の音楽は華やかに響きわたり、人々の笑顔が会場に溢れていた。
けれど、わたしの耳にはさっきまでのあの2人の声がこだまして離れない。
レオナルドとリリアナ。
わたしの“家族”と“婚約者”だった人々。
今、そのどちらの肩書きにも、なんの意味もないことを知った。
もうすぐだ……この茶番も終わる。
カーペットの上を歩くたび靴の音が微かに響く。
人々の視線がこちらに向けられるが、わたしは堂々とひとつも乱れのない足取りで進んだ。
「セレナ嬢。お、お美しいですね……」
「ほ、本日のドレスも素敵ですね」
「なんと理知的な立ち居振る舞いだ……」
その場しのぎの言葉など、もうどうでもいい。
貴族の令嬢という肩書しか見ていない彼らに構う理由はない。
レオナルドは向こうの柱の近くでリリアナと談笑していた。
まるで、すでに公然の仲のように。
いや――――そうだったのだろう。
父は舞踏会の主催者として客人の接待に追われ、母は婦人方と談笑している。
誰もまだ、真実に気づいていないはず……。
――――だからこそ。
「みなさま、少々お時間をいただけますか」
会場の中央でレオナルドが声を張った。
……先手を取られたか。
わたしは静かに息を吐いた。
人々がざわめく中、彼は軽く咳払いしてから続けた。
「本日はこのような素晴らしい場を設けていただき、誠に感謝しております。そして、この場をお借りして――――皆さまにお伝えしたいことがございます」
一瞬、沈黙。
人々の視線が集まる。
わたしはその視線の中心に立たされる側の人間だった。
「セレナ・ローゼリア・フォン・カーライル嬢との婚約を破棄させていただきたい」
――――静寂。
その言葉は音楽よりも鮮烈に、会場の空気を凍りつかせた。
「なっ……」
「婚約破棄、だって……?」
「まさか、あの誠実なレオナルド殿が……!」
誰かが呟いた声が幾重にも波紋のように広がっていく。
「理由は……?」
「そうよ、なにか理由があるのでしょう?」
問いかけが殺到する中、レオナルドは少しの間、躊躇した。
だが、彼の傍にいたリリアナがそっと腕を絡ませる。
まるで、“言って”とでもいうように。
――――そう、これは演出なのだ。
2人がここまで、打ち合わせてきた筋書き。
リリアナは『わたしこそふさわしい』と勝ち誇り、レオナルドはその傍で困ったような顔をしてみせる。
芝居のつもりなのかもしれない。
けれど、観客にされる側として、わたしには到底耐えられるものではなかった。
それでも――――泣かなかった。
泣けば、わたしの誇りが汚される気がしたから。
「……了承いたします」
わたしは一歩前に出て、はっきりとした声でそう言った。
会場のざわめきがぴたりと止まる。
レオナルドも、リリアナも、一瞬目を見張った。
「お、お姉さま……?」
「わたしはあなたを責めません。あなたには、あなたの意思がある。それに前妻の娘であるわたしよりも後妻のリリアナの方が婚約者にふさわしい――――父もそう納得しているのよね」
「え、まぁ……そうね」
「ならばその婚約破棄は受け入れなければならないものです」
「理解してくれてうれしいよ、セレ――――」
「ただ、それが今まで隠されていたことが、その……残念です」
冷たい笑みすら浮かべて、わたしは言った。
レオナルドは苦々しい表情を浮かべる。
「……すまない。君を傷つけるつもりはなかったんだ」
「ええ、きっとそうでしょう。あなたはいつだって“誰か”に言われた通りに動いてきた。今回も同じだったのね?」
「うっ……」
返す言葉がないというように、レオナルドは唇を結んだ。
リリアナの顔には、一瞬、余裕の笑みが浮かんだ。
――――勝った、という顔。
勝ち誇ればいい。
いずれ、その“勝利”がどんな代償を伴うか、思い知るときが来るだろう。
「わたしはもう、誰かの影では生きない。まして、誰かの“ついで”になるつもりもない」
そう言って、わたしはくるりと背を向けた。
もうこの場に、わたしの居場所はない。
けれど、心は驚くほど、穏やかだった。
――――誰かに決断を委ねず、自分の意志で動く人。
それが“男”というものなのだと、昔、あの人が教えてくれた。
幼い日の記憶の中におぼろげながらに浮かぶ、あの少年の顔。
わたしが憧れた、誇り高い瞳。
ユリウス・アイン・オルステッド王子。
――――あの人のようにわたしも生きてみせる。
ドレスの裾を翻し、静かに退室するわたしを誰も止めはしなかった。
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