第15話 過去との決別
ユリウスさまとの正式な婚約が発表されてから、わたしの生活はめまぐるしく変化した。
図書館での穏やかな日々も、下宿先でのつつましい暮らしも、もう遠い過去の出来事のようだ。
わたしは今、王宮内の屋敷に滞在し、未来の王妃としての日々を送り始めている。
本当にユリウスさまが王位に就かれるのはまだわからないけれど、順調にいけばありえる未来だ。わたしはそんな未来に向けて、できるだけの準備をしている。
侯爵邸にいたころは冷遇され、粗末な食事を与えられ、使用人たちにさえ馬鹿にされることが常だった。
それが嘘のように今はちゃんとした食事が与えられ、召使いに軽んじられることもない。
かつてのわたしであればこれだけでも十分な幸せだっただろう。
王宮での生活はなにもかもが初めてのことばかりで、戸惑うことも少なくない。
豪華な調度品に囲まれた部屋、複雑な王宮のしきたり、そして、わたしに向けられる貴族たちの好奇の視線。
それでもわたしは動揺を表に出さなかった。
王子の婚約者として、ユリウスさまの名誉を汚すわけにはいかない。
どんなときも、凛として、堂々とした態度でいること。
それが今のわたしの使命だと感じていた。
ユリウスさまは公務の合間を縫って、いつもわたしのもとを訪れてくれる。
彼と話す時間はわたしにとってなによりの安らぎだった。
そして、そんなユリウスさまの周りには彼を慕う側近たちが集まっていた。
彼らはみな、ユリウスさまと同じように知性と品格を兼ね備えた男性たちだった。
ある日、ユリウスさまがわたしのもとを訪れた際、2人の男性を連れてきてくれた。
「セレナ、紹介したい者がいる」
「紹介したい方ですか……」
「そうだ。お前はあと1週間程度でこの王宮内におけるマナーや軍事や政治といった基礎的な教養をマスターする必要がある。だから、少しでも力になればと、家臣を連れてきた――――まず、こっちは俺の側近であるアルベルトだ」
そう言って紹介されたのは知的な雰囲気を纏った黒髪の青年だった。
瞳の奥に強い意志を感じさせる、端正な顔立ちの男性だ。
「セレナさま、初めまして。アルベルトと申します。殿下から、セレナさまの聡明さと類稀なる知性について伺っておりました。お目にかかれて光栄です」
「類稀なる知性だなんて……わたしはただ机にかじりついているだけの頑固娘です」
「ははっ。ご冗談もお得意とのことで」
(真面目だけど、朗らかな印象ね)
「ではでは……次の者に代わりましょう」
アルベルトさんは深々と頭を下げた。
その言葉遣いは丁寧でわたしを敬う気持ちが伝わってくる。
「そして、こっちはルイスだ」
次に紹介されたのは柔らかな茶髪に優しい眼差しを持つ青年だった。
彼もまた穏やかで知的な雰囲気を醸し出している。
「ルイスと申します。セレナさまにお会いできるのを楽しみにしておりました。セレナさまの読書に関する知識の深さは殿下から何度も聞いております。セレナさまのことになると、いつもよりも饒舌になるんです」
「ごほん……ルイス。余計なことを言うな」
「ははっ。必要なことですよ、殿下」
(アルベルトさんよりもかなり軽いノリ……けれど、しっかりと主従関係は意識されている)
ルイスさんははにかむように微笑んだ。
彼らの言葉にわたしは驚きと同時に温かい気持ちになった。
「わたしはこの1週間で王宮のことに慣れなければなりません。短い間の付き合いになるのかもしれませんが、よろしくお願いいたしますね」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「お互い学びあえるところはあると思うので。あ、殿下に配慮して我々はもっと遠くの距離からお話をするので、心配ご無用――――」
「ルイス……俺はお前たちのことを信頼してセレナに紹介した。そんなことをわざわざしなくてもいい」
これから彼らから王宮でのマナーだったり知識だったりを学びつつ、わたしもこれまで学んできたことを彼らに教えていくことになる。
けれど、それをユリウスさまが不安に思うかもしれないと思ったのか、ルイスさまは余計なことを言って、怒られている。
「申し訳ないです殿下。じゃあ、遠慮なく距離を詰めて話しましょうか、セレナさま」
「ええ……」
「ルイス。セレナさまが困っているからやめておけ」
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この1週間は壊れてしまいそうになるほど、ずっと頭を動かしていた。
だけれど充実した日々であったと思う。
「セレナさまは本当に飲み込みが早いですね」
「日々の勉強の成果でしょうか。これなら殿下に怒られずに済みます」
「おい、ルイス……」
わたしの勉学を評価してくれる人がこんなにもいるなんて思いもしなかった。
侯爵邸では机にかじりついてばかりいると嘲笑され、知識は貴族の世界では意味をなさないと言われてきたから、彼らの言葉は砂漠に水が染み渡るように、わたしの心に染み渡った。
ユリウスさまの側近たちは研究熱心な者ばかりだった。
植物学、天文学、歴史、芸術……様々な分野に精通しており、知識欲旺盛なわたしとはすぐに意気投合した。
彼らとの会話はわたしの知的好奇心を刺激し、尽きることのない学びの喜びを与えてくれた。
「セレナさまは本当に博識でいらっしゃる。こちらの書物についてもっとお話を伺いたいです。あ、もちろんセレナさまの勉学に支障が出ない程度でよろしいので」
アルベルトさんが熱心な眼差しでわたしに問いかける。
「私もセレナさまのお考えを伺うことで新たな発見があることが多い。いつも刺激を受けております」
ルイスさんもまた、穏やかな笑顔でそう言ってくれた。
彼らはわたしを『王子の婚約者』としてだけでなく、『1人の人間』として、そして『知識人』として敬ってくれているのがわかる。
そのことがわたしにとってどれほど大きな喜びだったか。
侯爵邸では父も継母もわたしの内面など見ようともしなかった。
ただ、愛想がない、社交性がないと貶めるばかり。
彼らの言葉は過去のわたしを肯定し、今のわたしを強く支えてくれた。
王宮での生活が始まる一方で、水面下では新たな陰謀が動き始めていた。
「……まさか、あのリリアナさまが」
ある日、側近の一人がひどく憤慨した様子で口を開いた。
どうやら、妹のリリアナと元婚約者のレオナルドが再び接触し、『セレナを貶めよう』と画策しているらしい。あくまでも噂だけれど……。
「殿下の忠告を無視している……いや、理解できなかったのでしょうか」
「これ以上、手出しは無用と厳命されたはずです。にもかかわらず、またしても愚かな真似を……!」
アルベルトさんとルイスさんが怒りに震える声でそう言った。
レオナルドは当初は嫌がっていたらしいが、結局リリアナの圧力に負けたのだという。
もうリリアナの嫉妬心は頂点に達していた。
彼女はわたしがユリウスさまの婚約者となったことを、どうしても認められないでいるのだ。
自分よりも要領のいい姉は昔から嫌いだったらしい。
わたしが幸せになること自体が彼女にとって耐え難い苦痛なのかもしれない。
その報せを聞いたとき、わたしの心は意外なほど冷静だった。
かつてなら、きっと胸が締めつけられ、悲しみや怒りに震えていただろう。
しかし、今は違う。
わたしはもう、彼らからの裏切りに心を揺さぶられることはない。
(もう絶対に負けないわ……この日常を守るためにも)
そう、静かに心の中で誓った。
ユリウスさまはわたしの様子を心配そうに見守っていた。
「セレナ……辛ければ、無理しなくていい」
「いいえ、ユリウスさま」
わたしは彼の優しい手にそっと自分の手を重ねた。
「あなたとの幸せな生活のためなら、なにがあっても戦います。もう、誰にもわたしたちの幸せを奪わせはしません」
わたしの言葉にユリウスさまの瞳に強い光が宿った。
彼はわたしをそっと抱きしめてくれた。
その温かさがわたしの決意を一層強固なものにする。
過去のわたしは彼らに翻弄され、傷つき、家を追われた。
けれど、今のわたしは違うのだ。
ユリウスさまがそばにいてくれる。
そして、彼を支える素晴らしい側近たちがわたしの味方についてくれている。
わたしは決して彼らに屈しない。
この得がたい幸福を守るためならどんな困難にも立ち向かおう。
そう、心に深く誓ったのだった。
お読みいただきありがとうございました!
これで第1章が終わりです!
第2章もお楽しみください!
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