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第1話 妹に婚約者を奪われたわたし

「私は……セレナ・ローゼリア・フォン・カーライル嬢との婚約を破棄させていただきたい」


 舞踏会の夜、彼はそう告げた。

 わたしのすべてを……冷たい声で打ち砕いて。



 ________________________________________



 雨の日だった。


 あの日も今日も空はどこまでも灰色で冷たい水が静かに、だが執拗に地面を打っていた。



 ――――違う、あれはもう何年も前のことだ。



 わたしが1人、馬車を待っていたあの日の記憶と今目の前に広がる惨状はまったく別のもの。


 けれど、どうしてだろう。

 胸の奥に同じような冷たさが広がっていく。


「セレナお姉さま。いくらなんでも、それは少し冷たすぎませんか?」


 可愛らしい声が耳を打った。

 少し湿った感情を含んだ、計算高い甘さ。




 リリアナ・ローゼリア・フォン・カーライル。




 わたしの2つ年下の妹でこの国の社交界ではちょっとした人気者だ。



 透き通るような金髪。

 いつも柔らかく巻かれた髪の先端には小さな花の飾り。

 淡いピンクのドレスは上品でさながら花嫁のよう。



 見るからに『愛され令嬢』の典型。



 対してわたしは――――。



「……別に冷たくなんてしていないわ。ただ、静かにしていたいだけよ」

「それが"冷たい"って言うんですよ〜」


 リリアナがプクっと頬をふくらませる仕草をする。

 わざとらしい、演技じみた表情。



 だが周囲の貴族たちはその仕草に微笑んでいる。



 わたしは視線を逸らし、窓の外を眺める。

 にこやかに談笑する貴族たちの背後で雨粒がガラスを濡らしていた。




 ……この中でわたしが心から信用できる人は果たして何人いるのだろう。




「まったく、セレナ嬢は今日も愛想がないね」


 後ろから聞こえたのは婚約者――――レオナルド・エリオット・グランチェスターの声。



 名門グランチェスター家の嫡男。

 文武両道、そしてなにより『誠実な人物』として知られている。



 かつて、わたしが雨に打たれたあの日。

 彼は躊躇なく自らの外套を脱ぎ、わたしにかけてくれた。



 濡れながらも笑って、『使用人の手違いなら仕方ないね』と、優しく庇ってくれた人。




 ……少なくともあのときの彼はわたしの誇りだった。




「レオナルドさま。またセレナお姉さまにちょっかいですかぁ?」

「ははっ、リリアナ嬢。からかったつもりはないのだけれどね」


 2人のやりとりに周囲の貴族たちはくすくすと笑う。


 和やかな空気が流れていく。


 わたしは苦笑を浮かべて、再び外を見つめた。いたたまれなくなったのだ。

 だけど――視界の隅でふと気づいてしまう。




 ああ……また、見ている。




 レオナルドの視線がリリアナのほうに向いていた。

 まるで吸い寄せられるかのように。


 彼は確かにわたしの婚約者であるはずなのに、あの目は――――明らかに別の女性を見ている目だった。




 ……やっぱり、わたしの思い過ごしではなかったのね。




 気づいたのは随分前のことだ。

 2人が偶然を装って同じ書庫に入る姿、舞踏会でたまたま向かい合う回数の異様な多さ。

 リリアナは社交的で無邪気に人の懐に入るのが上手い。

 そしてレオナルドは――その笑顔にゆっくりと溺れていったのだろう。



 だが、まさか。

 まさか彼が本当に――――。



 ________________________________________





 リリアナがいなくなったのはほんの些細な口実だった。





「すみません、ハンカチを落としてしまって。ちょっと探してきますね」



 そう言って、扉の外へと軽やかに歩いていった妹の背中を誰も疑いはしなかった。

 彼女はそういう“ふるまい”に長けている。

 愛され令嬢の演技を息をするようにこなすのだ。



 わたしだけが違和感を覚えていた。




 ――――あれはどう考えても探し物をする者の足取りではない。




 ためらいも、迷いもない。

 むしろ確信に満ちた、真っすぐな歩み。



 まるで会いに行く相手が決まっているような……そんな、足音だった。



「……っ」


 わたしは胸の奥のざわつきを抑えきれず、無意識に席を立っていた。

 ドレスの裾をからげて廊下に出る。


 誰にも気づかれないよう、足音を殺して。




 もし、もしもわたしの勘違いだったら、そのときは……。



(謝ろう……)



 そう心の中で願望に近い文言を何度も自分に言い聞かせながら急ぎ足で進んだ。



 カーライル家の離れの書斎――――人の気配は滅多にない。

 執事も侍女も宴の準備で手一杯で廊下はがらんとしている。

 本来なら誰もいない状況。




 ……しかし、扉の向こうからは微かに話し声が聞こえた。




「……大丈夫だよ。もうすぐ、全部終わるから」

「ほんと? レオナルドさま」



 ――――聞き慣れた砂糖菓子のように甘ったるい声。



「……!」


 心臓が高鳴った。耳の奥がじんじんと痛む。

 まるで鼓膜を内側から引き裂かれるような音。



 これは現実なのだろうか――――。



 わたしは扉の傍に身を潜める。

 鍵は……かかっていない。



 ……見たら、きっともう戻れない。



 でも、見なければ。

 このままなにも知らないふりはわたしにはできない。


 そうして、わたしはそっと扉を開けた。


 その中には確かにいた。

 わたしの妹と――――わたしの婚約者が。

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