4.入社後、才能と特技が発揮される…
4.入社後、才能と特技が発揮される…
南鼓太郎は、第一志望は落ちたものの。前々からやりたかった企画の職場に入社出来た。それは大手企画会社の伝播プランニング社である。
伝播Pとは、今や誰もが憧れる最先端のイノベーション企画会社に変身していた。
広告代理店時代は業績が悪化し続けていたが、社名も変え業務内容も新しい価値を生む研究と提案で息を吹き返していた。
会社名と業務内容を一新した職場であったが、相変わらず偏差値の一流大学出の社員が多かった。その中で世間で言う私立三流大学出の彼は稀の存在でもあった。
それも第一線の戦略企画部の戦略プランナーとして配置された。 それもこれも稀に見る南鼓太郎の優れた直観力と想像力の才能を見抜いた上層部の取締役中野雅のお陰だった。
中野は入社試験の筆記答案用紙と面接の際に、答案内容もそうだが南鼓太郎が発言した内容に関して、彼は特別な才能があると中野は思ったからである。
中野以外の周りは、これまでの新卒入社試験に於いて彼の大学から入社実績もなく。特別な成績もなく。これぞと言う特技(語学や※資格等)やスポーツ実績もなかったから、南鼓太郎の入社を拒む人は多かった。何故なら、企業は人でありこれまでの平均値と尺度で判断すべきだと言う意見が多数だったからである。
※資格とは主に難関資格と言われている弁護士、公認会計士、不動産鑑定士、税理士等を指す。
しかし中野は、その反対を強引に押し切って入社させたのである。
社長の和田は中野を右腕として非常に期待を寄せている面も幸いした。
中野がそこまで言うなら入社させようと社長が決断したのである。
中野は一流国立大学の九中大学出とは言え。非常に苦労して自身で学費を稼ぎ、大学を卒業した苦学生だった。
何事にもチャレンジ精神が旺盛で尚且つ随一のやり手でもあり、人格者でもあった。
また、中野は広告代理店時代のカリフォルニア支社に3年勤務していた頃があった。
その時、日本の常識と全く異なる常識に触れていた。これは、現社長の和田も同じ経験をしていた。
当時部長職にいた和田は一眼で彼の能力と人格を見抜き、和田が出世する度に中野にも重要なポストを与えた。
中野は和田の期待通りの仕事を見事に果たした。その事もあり、中野は最年少(43歳)で今のポジションに着くことができたのである。
中野の肩書きは取締役戦略企画部統括本部長であった。社内きっての頭脳を持つ本部長として、社内外でも非常に有名な人であった。いずれは和田社長の後継者とも言われている人物でもある。
中野の眼力は正しかった…。
南鼓太郎は、6ヶ月の社内研修を終え。戦略企画部に配属された。戦略プランナーの肩書きで南は次々と難題の仕事をこなしてクライアントの信頼をえる様になっていた。
彼の持ち前の優れた直観力と想像力で様々な競合コンペにも勝利を重ねていた。特に、持ち前の文章作成力と論理構成にも、更に磨きがかかり。彼の企画書とプレゼンは周りや他社の人からも評判になる程であった。
1つの優れた技と才能が難題の課題解決に繋がる事を会社に示したのである。それを見抜いた中野もまた、より社内での評価も高くなっていた。
「そうら〜見ろ!常識やこれまでの実績や動向で物事を見てはいけないのだ」と中野は心の中で叫んでいた。
南が配属された戦略企画部の一課部長や課長は、南は内のお荷物になると最初は嘆いていた。もう1人の同期入社の本郷智秀は上野部長(47歳)の出身大学である超一流の国立東帝大学卒でもあり、礼儀正しく尚且つ何でも無難にこなす素養が、見るからにありそうな風情があった。
世間で言う世渡り上手の風情である。当然、一課スタッフからも期待される新人だった。
南は本郷と真逆な存在だと言える。一課スタッフの大半は、南に期待する人は2人を除けばいなかった…。
それどころか、今回の新人南鼓太郎を一人前に育てる教育指導は大変な事だと偏見に近い見方をしていた。
入社して1ヶ月経った頃。各課で新人歓迎会が行われるのが慣習になっていた。
その飲み会の席で部長や課長を含めた先輩達から、南は散々屈辱的な言葉を発せられた…
「南君、君は何処の大学出身だったけ!」と部長から聞かれた。
「はい、私は文帝大学です」
「君はあの私立大学の文帝大学出身か」と既に部長は知っているにも関わらず!驚いた表情で大きな声で言った。
「そうか!文帝大学か」と課長も含め周りの先輩達も頷く様に発した…。
「その大学で良く内に入れたね!」と言う先輩もいれば…
「南君は運がいいのかもしれない!」と言う人もいた。
更に畳み掛ける様に…部長から「君は、凄いコネがあるのか?又は、凄い資格の持ち主なのでは?」と言われた。
「いいえ、私はコネも優れた資格もありません!」と南は腹の中で怒りさえ感じながら言い放った。
この様に出身大学の学歴に頼っているサラリーマンは意外と多い…。何かに付けてどこどこの出身大学と言う奴がいる。別に聞かれたわけでもなく。自慢げに言う奴もいる。こう言う人の多くは仕事が出来る訳でもなく、過去の学歴にしがみ付いている場合が多い…。
また、テレビに出ているコメンテーターや評論活動をしている方々にも!有名出身大学の学歴をプロフィールで出している人は非常に多い。
そう言う人に限って!コメントはありきたりの事しか言えない人もいる。
例えば、●●大学出身とか●●大学客員教授などなどは…学歴しか誇れないのか?又は経歴に箔をつけたいのかと南は思っていた…。
要するこの国は…優れた能力を持つ人も少なく。仕事に関しても当たり障りの事しか出来ない人に限って…彼らの様な人を見下す事を発言する人が世に言う学歴エリートと言われている人に多い。
又は、「皆んな凄い大学を出ているですねー!」と劣等感丸出しの人もいる。
「あの人、あんな偉そうに言っているけど…私より偏差値が低い大学出身なんですよー」と陰口を言う人もいる。
南は、そう言う人達とは関わらずにそれらの発言には全く興味も気にする事もなかった…。
何故なら、こう言う偏見や狭い視野の人と関わる事そのものが馬鹿馬鹿しかったからである。
こう言う人達の中でも…南鼓太郎に期待する人もいた。それは南の上司になったチーフの塚本武だった。
塚本はおっとりした性格で温厚な人柄であった。彼は37歳でやっとチーフに昇格し、出世街道から外れた人物だった。ある意味、彼は一課のメンバーからお荷物に近い存在の人でもあった。
彼はそれなりの大学を出たが、上司(現部長)と馬が合わず意見の相違から段々上司に歯向かう様になり。そのお陰で出世の機会を何度も見送られた人であった…。
温厚な性格ではあったが、個性が強く多少変人な所が垣間見られる人物でもあった。
大学は理科系出身で一流の国立筑紫大学だった。大学時代の成績はオール優の抜群の成績で入社した。新人の頃はある程度期待された人でもあった…。
特に、理科系と言う点から論理構築が得意な面と口が立ったお陰で周りから面倒臭い人と思われてしまっていた。
塚本は、南鼓太郎の事を指導教官として研修に接していた頃から、「コイツは面白い!」と何度も思っていた状況があった。
出世競争から外れた塚本が何故?新人研修の教官になれたのか。それも中野による指名であった。
中野は塚本の事も気に掛けている面があり。彼がこの歳迄出世出来なかったのは上司に恵まれなかったせいだと思っていた。
ただ、一課の内部状況に余り口出をすると逆に混乱を招くだけで、彼を引き上げるチャンスを伺っていた。
彼は非常に勉強家であり。根が真面目で実直な性格故。生はかな人達(仕事は出来ないくせに、学歴のプライドで凝り固まった連中)にとっては、ただ煩わしい人として片付けられる事を中野は知っていた。
そう言う状況から中野の権限で、塚本を指導教官に抜擢したのである。更に彼の論理的思考や洞察力にも、中野は信頼を寄せていた。
また、塚本の抜擢には理由があった。南鼓太郎は見る人が見れば、彼の才能は周りには無いものを彼は持っていると、きっと見抜くだろうと思ったからである。
塚本は指導後に「南君を私のチームに引っ張りたい」と思いその行動をした。その事を中野本部長に直接頼み込んだのである。中野は彼に言われる前から、塚本の下に南鼓太郎を置くつもりであった。
「そうか!そんなに君の下に置きたいのなら」と言ってその依頼を承諾した。中野は内心嬉しかった…。
やはり、塚本は南鼓太郎の才能を見抜いたかと思った。
「ありがとうございます。彼を私が守り。必ずや戦力になる人間にします。もしかしたら、彼は内を背負う凄い人間かもしれません。私はそう思っています」と多少緊張した表情で中野にその思いを伝えた。
南が配属され塚本の下で働くようになった頃…
「南君、君には期待しているよ」と真っ先に塚本が声を掛けた。
「ありがとうございます。塚本さんは社内研修の時、教官だった方ですよね」と南が返事をした。
「そうだよ、よく覚えているねー」と笑顔で返された。
「僕は、君の事を鮮明に覚えているだ!」と言い始めた。
「特に、君の様な鋭い直観力で様々な想像力を働かせて書いた答案用紙を見た事がなかったからねー」と言って来た。
「そうですか?私はただ思い付いた事を書いて発表しただけです」とその設問を思い出しながら照れくさそうに返事をした。
「今度、詳しくあの解答内容を教えてくれ」と言い残して会議室に急ぐ塚本との最初の会話であった。
南はアイデアや発想が思い浮かばない時は、視点をズラして考える様なクセを身に付けていた。
また、人間はどんな事を考え興味を持つのだろうか?と常に疑念を持って考え想像する事を心掛けていた…。
大学の恩師や中野に塚本が言う想像力や直観力の才能は生まれながら授かったものではないと本人(南鼓太郎)自身が認識していた。
それは普段の行動と習慣化の賜物だと認識していた。
南は学生時代から習慣化していた事があった。小学生の頃から続けて来た読書と空想する習慣化である。
書籍は値段が高い故。暇さえあれば図書館に通って様々な本を読み漁っていた。
彼の日課は住んでいる荻窪駅から中野駅にある中央図書館に通い。図書館で読むか近くにある行き付けの喫茶店で、借りて来た書籍を読む事を習慣化にして来たのである。
本と共に想像力と空想力を育んだ事がその才能を身に付けたと南は思っていた。
チャットGTPやSNSの動画などは全く興味を示さなかった。何故なら、そんなものは…生きる力となる脳の栄養にはならないと思っていたからである。
特に生成AIを世界中の科学者が競って開発をしているが…南はそれは人間の脳を破壊する物だと非常に危惧していた。
何故なら、この様な便利ツールを頻繁に使えば人は想像もしなくなり。尚且つ推測や仮説さえもしなくなると見越していたからである。
要するに、人間の脳の栄養どころか害そのものだと既に推測をしていた…。
南は過去の歴史を図書館で様々な書籍を通して学ぶ事で、殺し合う武器を作るわ。自然を破壊し目先の経済を企む事を繰り返して来た「愚かな生き物!」が人間だと思っていた。
つまり、知識と認識こそが最も大切だと思っていた。その為に先を見通す事がこれからはより重要だと思っていたのである。
それらの状況を考えると…
毎日!想像する事と空想する事を日課とする習慣化を南は心掛けてきたのである…。
南に期待を寄せるもう1人がいた。チームの中で最も優秀な女性チーフの伊藤愛であった。
彼女は頭脳明瞭で、心優しく機転が効く活発な女性であった。
名門女子大学の私立東日女子大学出で、小中高と部活と勉強の両立をして来た事もあり…積極性と行動力も兼ね備えたチームのエース級でもあった。
彼女は4年前に入社し飛び級でチーフに昇格した期待の女性ホープであった。
この業界は実力主義と能力主義の職場だとして若者達から人気が高い。それは広告代理店時代からそう言われて若者の人気を集めた時代背景がある。
中野を含めこの2名は、密かに南鼓太郎は稀に見る才能で様々な難題を解決していくだろうと思っていた…。
戦略企画部は1課から5課迄あり。1課あたりの人数は50人。総勢250名の構成であった。各課の部長職が1名と課長職が2名。チーフ職はそれぞれのチームによって異なるが1課に3名位はいる状況であった。
また比較的、他の職場と異なり女性の比率は高く。3対1の比率で女性が多かった。管理職でも女性は多く。戦略企画部全体で女性部長職は1名。課長職は2名。チーフ職は4名の女性がいた。
入社当時の南鼓太郎を知るもので、彼が最も早い出世をするとは、この3人以外は誰も想像していなかった…。
南は入社5年の28歳で課長職になった。いずれは中野の後継者になると社内で囁かれる迄になっていた。
南鼓太郎は第一志望の大学に行きたくて、一浪したにも関わらず願いは叶わなかった。何故その大学なのか?それは大手総合商社に多数の新卒を送り込んでいる実績を調べて分かったからである。
最年少の出世になったのは、彼の稀に見る抜き出た直観力と想像力及び構想力の賜物であった。
小中高及び大学でもそれ程、存在感がなく。何か1つ長けた才能と特技で、ここまで仕事や様々な出来事で活躍をし出世するとは…南孤太郎自身も想像していなかった。
南はもともと出世などに興味がなかった。ただ、楽しく仕事が出来て給料がそこそこ貰えれば、それで良いとさえ思っていた。
次々に持ち前の才能と特技で難題を解決して行くなかでクライアントからも絶大な信頼を得る迄になるとは想像もしてなかった。
ただがむしゃらに仕事をこなした結果が、気がつけば課長職になっていたに過ぎなかった。それも経った5年で昇り詰めたのである。
本部長の中野以外は誰も想像していなかった。ただ、中野だけは予想通りでもあった。
当然同期どころか会社設立以来の最も早い出世だった。
会社名を伝播プランニング社に変更し、業務内容をイノベーション企画を中心に出発した時代背景も彼の才能と特技を後押したのかもしれない。
何が正しく何をすれば良いのか?が分からない時代。そんな時代でこれまでの消費者行動は予測がつかず。また、各企業はこれ迄の慣習ややり方による商品開発や広告戦略及びクリエイティブ戦略、販売促進などでも、既に行き詰まっている事態に直面していた。
彼はまさに!救世主そのものだった。社内外で、これがイノベーションなのか?と実感する状況が度々あった。
今や、新しい価値を生む・作るイノベーションがどの業界や業種でも求められている。その新しい価値にはイノベーション企画で求められる多様性と感性及び想像力が如何に重要な要因なのかを彼が示し、その結果を出したのである。
イノベーションで成功したのが、誰もが知る米国の超優良IT企業4社であるグーグル、アマゾン、フェースブックス、アップルのガーファである。
これまでにない新しい価値を提供し莫大な利益をもたらしたのである。
そのイノベーションの要因が、主人公である南孤太郎の才能と上手くマチングしたのである。誰もが頭ではその事が分かっていても。いざ実行に移せないのが、今日の日本の現実であり、今の世の常でもある。
特に、古い体質や慣習に縛られ。更に前例に囚われていると新しい発想や想像が出来なくなる。
長年培って来た企業の組織風土を変えるには環境とやはり人である。
南鼓太郎が入社し、持ち前の才能で次々に難題を解決し、素晴らしい結果を生む状況を間近で見る環境が幸いした。
その人と環境で漠然とした時代の流れや時代の要請に、各自が実感と肌感覚で認識する様になっていたのである。
才能とは、普段想い描き育んだ能力が開花して才能となる。最初から備わった才能などある筈がない。
稀に生まれ持つ天才としての才能がある人もいる。ただ、それはほんの1%の確率でしかない。




