15.大学教員になったその日…
授業で、南は「社会で生きる力と生き残る力」について学生とディスカッション形式の授業をやった。
学生から…
「南先生、生きる生き残る力が分からないので、逆にどうすればいいのかを聞きたいです」と言う学生が多かった。
「どうするかを聞く前に!まずは自分で考えてごらん!」と言うと…か。
暫くして…自分の言葉で様々な意見が学生から出た頃を見計らって、パワーポイントでその方法と考え方を説明した。
「まず、自身の強みと弱みを知る事が大事。その時、ほとんどは自分の思い込みで強みと弱みを認識している場合が多い。しかし、自身の潜在的な強みは意外と認識出来ていない。では!どうすれば知る事が出来るか?である。それは、自分を良く知る両親や兄弟、又は学校の先生や友達などから自身の強みを聞いた方が早い。その強みが認識出来たら、それを徹底的に磨き伸ばす事が大事である。弱みは、自らの習慣や性格とか苦手意識のものが多い。それはなかなか直せないものだから、徐々に改めて行けばいい」と伝えた。
更に南は、『直観力と想像力』が私の強みだと知った事を自分の経験則から伝えた。
それと『価値観や価値基準』などを伝え。その価値基準で判断すれば、自身の時間ロスにならずに済む事や…。想像力を高める為に、常に『問題意識』を持ち課題を想像し仮説検証で解決を導く事も伝えた。
それらの一連の行動は、『リスクマネジメント』と言う日々の危険を回避出来る事が、即ち生きる生き残る力だと伝えた。
授業を終えた時。学生が近づいて来て…
「南先生!今の授業内容について、色々質問してもいいですか」と聞いて来た学生が2人いた。
「私の研究室で、その続きの討論をしょうか?」と伝え、その続きをやった。
南は、学生が疑問や質問をして来たら納得行くまで討論をしたいと思っていた。
高い学費を払って学びに来ている学生に、社会に出た時に授業内容が少しでも役立つて欲しいからである。
教育とは…問題意識をどう様に持たせるかである。その問題について考え想像させて行く積み重ねが大事である。
それが後々我が身を助けるものになる経験と実感になるからである。
南は大学時代の恩師から、「学ぶ姿勢」が如何に大切かを教わった。その姿勢が、彼が社会人になった時。その学ぶ姿勢の習慣化が様々な課題解決にも非常に役立つ事を実感したのである。
壁が立ちはだかれば、その壁を乗り越えるには何を学び、その学んだもので様々な事を考え、想像し仮説で企画を立てそれで乗り越えられるかを検証し突き止める事である。
そうやって、南は大企業で28歳の若さで課長職迄登り詰めたのである。更に36歳には所長代理(役員待遇)として、年収7200万円まで貰う事が出来たのである。
これもそれも…大学時代の恩師の教えである「学ぶ姿勢」のお陰だと。南は恩師に感謝をしていた。
教育とは?如何に「興味ある事」を作り。「学ぶ姿勢」を育む事である!。
ただの教科書や専門書の知識の請負いではない。と南は思っていた。
それが高等教育の大学なら、尚更!高みを追い求めるべきだとも…思っていた。
それと同時に、今の小中高の学校の在り方や教育内容などにも非常に疑問があった。
これらの様々な課題解決をしなければと思っていた…。
多くの大人達は、今の日本教育の在り方に…何故?疑問すら持たないだろうと、南は不思議でならなかった。
何故なら、あれだけの「時間と費用!」を投じたにも関わらず…日本人の殆どは外国人と真面に英会話すら出来ない!。
更に言えば、小中高又は大学で学んだ事が社会人になって実社会で「その学び」が生かされているかどうか?である…。
現実は、一部の人達を除けば…せいぜい国語の読み書きや算数の足し算引き算に掛け算程度しか!普段は使わずに過ごしているのが現実である…。
その現実を見てもおかしいと気づかない!大人達の「問題意識の低さと想像力の欠如」こそが多いに問題だと南は思っていた。
つまり、実社会で生かされる学びや教育が殆どなされてないこの国の現実がおかしい事に我々はそろそろ気付くべきだと南は思っていた…。
例えば、教育現場では子供達が生きて行く上で「必要」あるものではない雑用に教員達は追われ。
受験やテストの為の公式や方程式及びテストに出る箇所などの暗記状態で教えられているから、社会人になった時にその殆どが忘れ去られている現況を多いに認識すべきである。
教育者もその様な教えを受けた人達が教育者になっている故。負の連鎖は今日迄続いている。
親は学校に行かすだけでその子の未来を全く想像していない。
実社会が肩書きだけの学歴社会故。親は引かれたレールさえ行っていれば安心だと思っている。
しかし、現実は「問いのない答えが分からないのが…」この世だと言うのに!その事さえもが疑問になっていない。
今日の様な激動(混迷)の社会で、日本人が世界から益々取り残されるのは当たり前だと南は思っていた…。
では何故?殆どの大人達は「学んだ事」が忘れ去れているのか?。
それは…「疑問や関心に興味」さえも持たずに、ただいい学校への進学や卒業の為のテストの得点を上げる事のみに一生懸命にやって来た環境だからである。
その目的が終われば…同然その学びは忘れ去れるのは当たり前!だと南は認識していた…。
実社会では、古今東西どの国でも「アイデアや知恵」のある人達がいい暮らしと生活をしている。
ただ世界でも日本の公務員や政治屋達の年収や様々な待遇は「例外中の例外!」だとも言えよう。
何故なら、生産性のない業務で毎日繰り返す流れ作業と同じ様な答弁を繰り返す連中に世界一(その業界)の報酬と様々な手当が安定的に支払われている。
まして、我々の税金で!高額な報酬?…これこそ!『おかしな現実』だと南は前々からそう思っていた。
本来なら、そのアイデアや知恵は…様々な学びから生まれる筈が、日本では学校や教育現場ではなく。「独学!」でその要因を高めているのが日本の「現実!」である…。
一部の人を除けば…日本の大学に進学し卒業するのは自己満や親の満足の為である。
今や「2人に1人」が大学進学する時代。過去の高卒に匹敵する状況に成りつつある。
ならば資格取得(目的ある資格)で専門学校に進学し、その他の教養(広い視野等)や専門性は書籍などで独学で身に付けた方が理に適っていると南は思っていた。
日本の場合は、実質的な能力育成ではなく。名目的・自己満で大学や名門(一流も含め)大学に進学している場合が非常に多い。
これこそ!実社会では「時間と費用」をドブに捨てていると言っても過言ではない…。
特に、今の様な激動時代では!…。
南は幾つかの科目を持ち。ゼミを持ち。研究所で様々な都市研究やシステム開発に実験を通して研究に没頭していたら、あっという間に半年が過ぎた。
南はその頃、元部下の伊藤愛を大学に向かいれる準備と根回しをしていた…。
無事に伊藤を常勤准教授として向かい入れる事が出来た。
学部は昨年創設された同じイノベーション創造開発学部である。
同時に都市創造研究所の准教授としても赴任させた。
学部と研究所は、半年前に赴任した南教授が副学長として指揮っていた。其処に伊藤愛が准教授の立場で投与されたのである。




