言い訳:興味がなかった
「言い訳:興味がなかった」
同窓会ですらない。
中学の時も、特別たくさん話したことはなかった。
覚えているのは二つのエピソード。
僕より僕の名前を書くのが上手だったことと、僕の前で転んで制服のスカートがめくれたこと。
あと、小学生の時に転校してきた僕に、一番最初に話しかけてくれたのは、彼女だった気がする。
***
小学校時代の友達と何年かぶりに会って、昼を食べた時に、彼女の話になった。
方宮さん。そう。苗字を聞いて名前を思い出した。方宮希。
「浅上は、その時転校生で、とても不思議な男の子だって、噂になっていた」
「方宮さんが美人だったことは覚えてる」
「またまた、興味なさそうにしていたくせに」
「結局相手にされないから、興味を持たないようにしているだけだよ」
僕の前の萩くんは、アイスコーヒーに口をつけた。
僕と方宮さんには、現在、わずかばかりの接点もなかった。
「なんで方宮さんの話をしたの?」
僕は聞いた。萩くんは、しばらく考えた後「もったいない気がして」と答えた。「もったいない?」僕は問い返した。
「相性良さそうだったから」
「占い師かよ」
萩くんは笑った。
「これ」
「ん?」
「今日、浅上に会うって言ったら、昔の小学校のグループで、話したいって人が何人かいた。方宮も」
「どうして?」
「案外わからないものだよ。浅上は高貴だったから」
「そんなお世辞に僕は笑わないよ」
萩くんは笑った。
「入らないってことだよな?」
「グループに? 僕は転校生だよ」
「関係ないし、入ったらきっと人気者だ」
「どうして?」
「京大に入った同級生なんて、お前くらいだ」
「まさか、僕が京大だって言ったの?」
「ダメだったか?」
「いや。でも誰か、東大に行った人だっていたんじゃないか?」
「俺らの世代では、浅上が一等だ」
「なんてこった。みんなあんなに優秀だったのに」
方宮の話をしたのは、と萩くんは継いだ。
「浅上がどうしているかって、方宮が、俺に聞いてきたからだ」
「元気にしているよって、答えてあげて」
「本当に興味がないんだな」
***
僕の書いた論文が、懸賞に当たったと、連絡が来て、僕はしばらく有頂天だった。
分野は哲学で、誰が読むのかわからない、世の中の隅っこの懸賞だったけど、僕は嬉しかった。
大学院生をやっている僕は、日々の糊口をしのぎ、本を読み、時折友達と京都を歩く生活を続けていた。
懸賞の出版社には、それでも少しの反響があり、手紙も送られていた。
東京に出た時にそれを受け取り、実に想像力に富んだ解釈をしてくれる人の存在におののき、トンチンカンな批判をする手紙を捨てた。
懸賞論文のおかげで、いくつか仕事が依頼されるようになった。僕は博士号を取り、紆余曲折あって三十三歳で大学の講師になった。
研究室を訪ねてきたのが、方宮さんだということに、僕は一瞬気づかなかった。
同室の教授が、しかめっつらで方宮さんに対応していた。
僕の中学の同級生と言ったって、研究室に入れるわけにはいかないと、教授は思ったのかもしれない。
タイミングよく、僕はその問答の局面に遭遇して、一も二もなく方宮さんを大学の喫茶店に連れて行った。
「こんにちは、浅上くん」
「こんにちは、方宮さん」
「萩くんから聞いた。講師になったんだってね」
「なんとかね」
「京大に行ったなら、私たちに京都を案内してくれてもよかったんだよ?」
「どこか行きたいところはある?」
「わからない。どこかおすすめはある?」
「僕は、南禅寺が一番好きだよ。紅葉の季節は外れているから、人も少ない」
「他には?」
「そこから哲学の道を歩いて、銀閣寺に抜ける。ここからだったら、逆に銀閣寺から哲学の道を通って南禅寺に抜けて、そこから地下鉄で三条まで出る」
「いいね。暇だったら連れて行ってくれない? でもその感じだと、何回か歩いてる?」
「暇だからね」
方宮さんを連れて僕は今出川通を東に行き、アイスを食べながら、銀閣寺道を上った。
方宮さんは、昔と変わらぬ笑顔で、僕に話しかけた。もちろん僕は不思議に感じていた。なぜわざわざ研究室を訪ねてきたのか、理由がわからなかった。僕はその理由を聞いた。
「歳の離れたいとこが同志社にいるの。遊びに来て、せっかくだから」
「よく僕のこと覚えていたね」
「私のこと忘れてた?」
「いや。昔、僕の名前を黒板に書いた時、僕の字より上手かったなって。忘れられない」
「? いつの話?」
「いや、なんでもない」
方宮さんは、くすくす笑った。
「そんなこと覚えているんだ」
僕は、心を込めて案内した。受け取った好意に報いなければと思った。
「今どうしているの?」
「翻訳会社に勤めているの」
「そういえば、方宮さんの家は、外国語の勉強が盛んなんだってね」
「よく覚えているね。私そんなこと言った?」
「発表か何かで。お母さんが十三カ国語堪能とか。正確にどうだったかは、覚えてないけど」
「すごいね。でも、私もよく浅上くんのこと覚えてるよ」
「小学校に転校した時初めて声かけてくれたのが、方宮さんだった」
「そうなんだ。でも小学校では、浅上くんは、神崎さんの方が好きだった。中学校では、円ちゃん」
「よくわかったね」
「私には目もくれず」
「高嶺の花だったんだよ」
「浅上くんの方がよっぽど高貴だった」
高貴。平凡な容姿で、勉強も中学では何人かに伍して、悔しかった。
「その逆境に対する姿勢に、みんな敬意を払っていた。その結果が、京都。浅上くんに居場所をもたらした。技術の時間とか、美術の時間に、黙々と作業する浅上くんは、とても魅力的だった。今でもたまに浅上くんの夢を見るよ。分け隔てなく、人に接する浅上くんを」
「あんまり人に興味がないだけだよ」
「そんなふうに嘘をつかないで」
方宮さんの顔は、いつも柔和で、それは今でも変わらなかった。さらりと言った方宮さんの「嘘」という言葉は、買い被りすぎか、どこか作り物のようなせりふだった。
「もし、浅上くんが人に興味がないのなら、私も浅上くんに興味を持たない。持つはずがないよ」
「僕のことをよく知ってるんだね」
「まあ、しばしば見ていたからね。でも確かに、浅上くんはいつも目の前のことに集中していた。今もそう?」
僕は、しばらく考えて、それから首を振った。
「昔とは違うよ」
「恋愛はする?」
「いや、あんまり」
「変わってないね」
「そう?」
「村上春樹的には、おそらく浅上くんは、『ハンサムな』男の子だよ」
「方宮さんは、姫でも嬢でもなかったね。可愛いのに驕らなかった」
「私が、そういう顔をしていたってだけ」
「事実は違う? 何かを自分に課しているようには見えなかった。自然で柔和だった」
「それは、たぶん違うと思う。女の子をそんな単純に見ないでほしい」
僕は、その言葉すら笑って言う方宮さんの雰囲気に、軽く目眩がした。
僕たちは歩き、京都の山から吹く冷涼な風を感じた。北白川の水が流れる微かな音は、穏やかで、まるで肌が肌に触れているみたいに心地よく、耳を通り抜けた。
僕たちは南禅寺を訪れ、方宮さんは三門の写真を撮った。方宮さんの品のいい笑顔は、どこから来るのだろう。
「変わったね。小中の頃は、浅上くん人と話すのが苦手だったように見えたけど、今は慣れたもんという感じね」
「気をつけているからね。萩くんも、僕が昔より楽に見えると言っていた」
「私は?」
「変わらない。でも、しっとりしている」
「どういうこと?」
「大人びている」
「それはそうだよ。流石に十代とは違うよ」
僕たちは三条で地下鉄を降りると、寺町通を少し上って、二条の喫茶店に入った。
ケーキを美味しそうに食べているのを見て、僕は少し嬉しかった。
二条寺町の雑貨屋で、僕は方宮さんにマグカップをプレゼントした。京都土産として。そしてそれは、またしばらく会うことのない、方宮さんへの餞別でもあった。もちろんそんなことは言わないけれど。
僕は方宮さんの写真を撮らないし、連絡先を聞くこともなかった。
興味がなかったわけじゃない。
ただ怖かっただけだ。
もしかしたら恋人がいるかもしれない方宮さんを、好きになったら、僕は傷つくだけだ。
僕の研究室に来たのは、僕のことを好きだからなんて勘違いを、してはならないと僕は強く自分を戒めた。
方宮さんの笑顔が、「特別な笑顔」なのかどうか、僕にはわからなかった。方宮さんはいつも笑顔だったから。
そして僕は、方宮さんのことが好きなのか、まだよくわかっていなかった。
言い訳でしかなかったけど、僕は、興味がないのだと、自分に言い聞かせた。
「変わらないね」
「へ?」
「んー。私のこと忘れてたでしょ?」
「顔と名前は覚えていたよ」
「そういうことじゃないよ。私はお地蔵さんじゃないんだよ?」
「僕のこと、覚えてたの?」
「思い出したのは、雑誌で浅上くんの名前を見た時。京大にいるって知って、研究室探して、会いに来たの。どうしてだと思う?」
「僕の研究に興味があったとか?」
「全然違う」
方宮さんは笑った。「そんなわけないじゃん」
僕は少し凹んだ。
「好きだったからだよ」
「昔?」
「いろんな人のために、正義を貫いて、一方にあなたを好きな人がいて、他方にあなたが嫌いな人がいた。私は、あなたに惹かれていた。好きだった一方だよ?」
「中学の時の話ね」
「どうしてそうやって距離を取るの?」
僕は答えなかった。
「浅上くんは、私のことが嫌い?」
「僕は、言葉を信じていないんだ」
「悲しいこと言わないでよ。私は、浅上くんに会いに来たの」
「ありがとう」
「それだけ?」
肩肘をついて頬に手を当てて、僕に笑顔を見せる。しっとりした肌の上のほくろがこぼれていて、唇は紅く輝いていた。
「見つめあってる時間も楽しいけど、私はそろそろ答えが欲しいな」
「そういえば、卒業の日に、僕の下駄箱にハートが書かれた栞が入ってた。それは、方宮さん?」
「さあ、どうでしょう」
方宮さんは嬉しそうに笑った。
「嬉しいよ。萩くんと思い出話をする時も、僕は欄外にいて、メインプレーヤーのことを羨ましく思っていた」
「浅上くんは、立派なメインプレーヤーだよ。みんなが浅上くんのことを気にしていた」
「感じたことがなかった」
「でも、みんな、浅上くんのことが好きだった。女子トークの人気者だったよ。じゃあ、引いてあげる。私は、大人になった浅上くんと、話してみたかったの」
僕は、むず痒い思いをしながら、じっと見つめてくる大きな瞳に、なんとか抗っていた。
「ありがとう。僕も」
「ん? 僕も?」
「そう言われて嬉しくないはずがない」
「東京に帰ってきたら、連絡して」
僕は本意と不本意を半ばする形で、連絡先を交換した。気づいたら陽が落ちていた。
「新幹線は何時?」
「七時十分」
「京都駅まで送る」
「ありがと」
烏丸線に乗ると、僕は浅上さんを座らせた。
方宮さんは僕に耳を貸すように仕草して、僕は吊り革を掴みながら顔を方宮さんに近づけた。
「京都って雰囲気いいね」
「そう?」
「私みたいな人がたくさんいる感じがする」
「私みたいって?」
「たぶん、優しい男の子が好きなんだと思う。? 自分は優しくないからな〜、って思った?」
「思った」
「いい表情」
地下鉄の音は、とても心地よく僕たちの言葉を細かく刻んだ。僕の言葉は方宮さんにだけ届き、方宮さんの言葉も、僕の耳にのみ聞こえた。
じゃあね。方宮さんは新幹線の時間に急かされて、京都駅へ駆けていった。
***
東京に帰ると、少しでも時間を作って、方宮さんと会うようになった。渋谷で焼肉を食べたり、表参道でとんかつを食べたり、銀座で中華を食べたりした。
「いろんな店を知っているのはどうして?」
「小さい頃よく外食していたんだ」
「私の感想言っていい?」
「どうぞ」
「浅上くんの小さい頃の、途方もないミステリアスさは、それが理由だったの?」
「そうかもしれない」
「外で食べるのは特別なことだよ。それがたとえ、家族とか友達とかとであっても」
「母親が皿洗いしたくなかっただけだよ」
「家庭に守られていなかったから、強くならざるを得なかった」
「たいしたことじゃないよ。特別なことでもない。それに、もしそれが特別なことなんだとしたら、その特別の源泉を探し当てることができる方宮さんの慧眼に、僕は一杯奢らなくちゃね」
それに対する方宮さんの微笑みは強烈で、僕はくらくらしないわけにはいかなかった。




