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言い訳:興味がなかった

作者: 府雨
掲載日:2025/09/02

「言い訳:興味がなかった」


 同窓会ですらない。


 中学の時も、特別たくさん話したことはなかった。


 覚えているのは二つのエピソード。


 僕より僕の名前を書くのが上手だったことと、僕の前で転んで制服のスカートがめくれたこと。


 あと、小学生の時に転校してきた僕に、一番最初に話しかけてくれたのは、彼女だった気がする。


***


 小学校時代の友達と何年かぶりに会って、昼を食べた時に、彼女の話になった。


 方宮さん。そう。苗字を聞いて名前を思い出した。方宮希。


「浅上は、その時転校生で、とても不思議な男の子だって、噂になっていた」

「方宮さんが美人だったことは覚えてる」

「またまた、興味なさそうにしていたくせに」

「結局相手にされないから、興味を持たないようにしているだけだよ」


 僕の前の萩くんは、アイスコーヒーに口をつけた。


 僕と方宮さんには、現在、わずかばかりの接点もなかった。


「なんで方宮さんの話をしたの?」


 僕は聞いた。萩くんは、しばらく考えた後「もったいない気がして」と答えた。「もったいない?」僕は問い返した。


「相性良さそうだったから」

「占い師かよ」


 萩くんは笑った。


「これ」

「ん?」

「今日、浅上に会うって言ったら、昔の小学校のグループで、話したいって人が何人かいた。方宮も」

「どうして?」

「案外わからないものだよ。浅上は高貴だったから」

「そんなお世辞に僕は笑わないよ」


 萩くんは笑った。


「入らないってことだよな?」

「グループに? 僕は転校生だよ」

「関係ないし、入ったらきっと人気者だ」

「どうして?」

「京大に入った同級生なんて、お前くらいだ」

「まさか、僕が京大だって言ったの?」

「ダメだったか?」

「いや。でも誰か、東大に行った人だっていたんじゃないか?」

「俺らの世代では、浅上が一等だ」

「なんてこった。みんなあんなに優秀だったのに」


 方宮の話をしたのは、と萩くんは継いだ。


「浅上がどうしているかって、方宮が、俺に聞いてきたからだ」

「元気にしているよって、答えてあげて」

「本当に興味がないんだな」


***


 僕の書いた論文が、懸賞に当たったと、連絡が来て、僕はしばらく有頂天だった。


 分野は哲学で、誰が読むのかわからない、世の中の隅っこの懸賞だったけど、僕は嬉しかった。


 大学院生をやっている僕は、日々の糊口をしのぎ、本を読み、時折友達と京都を歩く生活を続けていた。


 懸賞の出版社には、それでも少しの反響があり、手紙も送られていた。


 東京に出た時にそれを受け取り、実に想像力に富んだ解釈をしてくれる人の存在におののき、トンチンカンな批判をする手紙を捨てた。


 懸賞論文のおかげで、いくつか仕事が依頼されるようになった。僕は博士号を取り、紆余曲折あって三十三歳で大学の講師になった。


 研究室を訪ねてきたのが、方宮さんだということに、僕は一瞬気づかなかった。


 同室の教授が、しかめっつらで方宮さんに対応していた。


 僕の中学の同級生と言ったって、研究室に入れるわけにはいかないと、教授は思ったのかもしれない。


 タイミングよく、僕はその問答の局面に遭遇して、一も二もなく方宮さんを大学の喫茶店に連れて行った。


「こんにちは、浅上くん」

「こんにちは、方宮さん」

「萩くんから聞いた。講師になったんだってね」

「なんとかね」

「京大に行ったなら、私たちに京都を案内してくれてもよかったんだよ?」

「どこか行きたいところはある?」

「わからない。どこかおすすめはある?」

「僕は、南禅寺が一番好きだよ。紅葉の季節は外れているから、人も少ない」

「他には?」

「そこから哲学の道を歩いて、銀閣寺に抜ける。ここからだったら、逆に銀閣寺から哲学の道を通って南禅寺に抜けて、そこから地下鉄で三条まで出る」

「いいね。暇だったら連れて行ってくれない? でもその感じだと、何回か歩いてる?」

「暇だからね」


 方宮さんを連れて僕は今出川通を東に行き、アイスを食べながら、銀閣寺道を上った。


 方宮さんは、昔と変わらぬ笑顔で、僕に話しかけた。もちろん僕は不思議に感じていた。なぜわざわざ研究室を訪ねてきたのか、理由がわからなかった。僕はその理由を聞いた。


「歳の離れたいとこが同志社にいるの。遊びに来て、せっかくだから」

「よく僕のこと覚えていたね」

「私のこと忘れてた?」

「いや。昔、僕の名前を黒板に書いた時、僕の字より上手かったなって。忘れられない」

「? いつの話?」

「いや、なんでもない」


 方宮さんは、くすくす笑った。


「そんなこと覚えているんだ」


 僕は、心を込めて案内した。受け取った好意に報いなければと思った。


「今どうしているの?」

「翻訳会社に勤めているの」

「そういえば、方宮さんの家は、外国語の勉強が盛んなんだってね」

「よく覚えているね。私そんなこと言った?」

「発表か何かで。お母さんが十三カ国語堪能とか。正確にどうだったかは、覚えてないけど」

「すごいね。でも、私もよく浅上くんのこと覚えてるよ」

「小学校に転校した時初めて声かけてくれたのが、方宮さんだった」

「そうなんだ。でも小学校では、浅上くんは、神崎さんの方が好きだった。中学校では、円ちゃん」

「よくわかったね」

「私には目もくれず」

「高嶺の花だったんだよ」

「浅上くんの方がよっぽど高貴だった」


 高貴。平凡な容姿で、勉強も中学では何人かに伍して、悔しかった。


「その逆境に対する姿勢に、みんな敬意を払っていた。その結果が、京都。浅上くんに居場所をもたらした。技術の時間とか、美術の時間に、黙々と作業する浅上くんは、とても魅力的だった。今でもたまに浅上くんの夢を見るよ。分け隔てなく、人に接する浅上くんを」

「あんまり人に興味がないだけだよ」

「そんなふうに嘘をつかないで」


 方宮さんの顔は、いつも柔和で、それは今でも変わらなかった。さらりと言った方宮さんの「嘘」という言葉は、買い被りすぎか、どこか作り物のようなせりふだった。


「もし、浅上くんが人に興味がないのなら、私も浅上くんに興味を持たない。持つはずがないよ」

「僕のことをよく知ってるんだね」

「まあ、しばしば見ていたからね。でも確かに、浅上くんはいつも目の前のことに集中していた。今もそう?」


 僕は、しばらく考えて、それから首を振った。


「昔とは違うよ」

「恋愛はする?」

「いや、あんまり」

「変わってないね」

「そう?」

「村上春樹的には、おそらく浅上くんは、『ハンサムな』男の子だよ」

「方宮さんは、姫でも嬢でもなかったね。可愛いのに驕らなかった」

「私が、そういう顔をしていたってだけ」

「事実は違う? 何かを自分に課しているようには見えなかった。自然で柔和だった」

「それは、たぶん違うと思う。女の子をそんな単純に見ないでほしい」


 僕は、その言葉すら笑って言う方宮さんの雰囲気に、軽く目眩がした。


 僕たちは歩き、京都の山から吹く冷涼な風を感じた。北白川の水が流れる微かな音は、穏やかで、まるで肌が肌に触れているみたいに心地よく、耳を通り抜けた。


 僕たちは南禅寺を訪れ、方宮さんは三門の写真を撮った。方宮さんの品のいい笑顔は、どこから来るのだろう。


「変わったね。小中の頃は、浅上くん人と話すのが苦手だったように見えたけど、今は慣れたもんという感じね」

「気をつけているからね。萩くんも、僕が昔より楽に見えると言っていた」

「私は?」

「変わらない。でも、しっとりしている」

「どういうこと?」

「大人びている」

「それはそうだよ。流石に十代とは違うよ」


 僕たちは三条で地下鉄を降りると、寺町通を少し上って、二条の喫茶店に入った。


 ケーキを美味しそうに食べているのを見て、僕は少し嬉しかった。


 二条寺町の雑貨屋で、僕は方宮さんにマグカップをプレゼントした。京都土産として。そしてそれは、またしばらく会うことのない、方宮さんへの餞別でもあった。もちろんそんなことは言わないけれど。


 僕は方宮さんの写真を撮らないし、連絡先を聞くこともなかった。


 興味がなかったわけじゃない。


 ただ怖かっただけだ。


 もしかしたら恋人がいるかもしれない方宮さんを、好きになったら、僕は傷つくだけだ。


 僕の研究室に来たのは、僕のことを好きだからなんて勘違いを、してはならないと僕は強く自分を戒めた。


 方宮さんの笑顔が、「特別な笑顔」なのかどうか、僕にはわからなかった。方宮さんはいつも笑顔だったから。


 そして僕は、方宮さんのことが好きなのか、まだよくわかっていなかった。


 言い訳でしかなかったけど、僕は、興味がないのだと、自分に言い聞かせた。


「変わらないね」

「へ?」

「んー。私のこと忘れてたでしょ?」

「顔と名前は覚えていたよ」

「そういうことじゃないよ。私はお地蔵さんじゃないんだよ?」

「僕のこと、覚えてたの?」

「思い出したのは、雑誌で浅上くんの名前を見た時。京大にいるって知って、研究室探して、会いに来たの。どうしてだと思う?」

「僕の研究に興味があったとか?」

「全然違う」


 方宮さんは笑った。「そんなわけないじゃん」


 僕は少し凹んだ。


「好きだったからだよ」

「昔?」

「いろんな人のために、正義を貫いて、一方にあなたを好きな人がいて、他方にあなたが嫌いな人がいた。私は、あなたに惹かれていた。好きだった一方だよ?」

「中学の時の話ね」

「どうしてそうやって距離を取るの?」


 僕は答えなかった。


「浅上くんは、私のことが嫌い?」

「僕は、言葉を信じていないんだ」

「悲しいこと言わないでよ。私は、浅上くんに会いに来たの」

「ありがとう」

「それだけ?」


 肩肘をついて頬に手を当てて、僕に笑顔を見せる。しっとりした肌の上のほくろがこぼれていて、唇は紅く輝いていた。


「見つめあってる時間も楽しいけど、私はそろそろ答えが欲しいな」

「そういえば、卒業の日に、僕の下駄箱にハートが書かれた栞が入ってた。それは、方宮さん?」

「さあ、どうでしょう」


 方宮さんは嬉しそうに笑った。


「嬉しいよ。萩くんと思い出話をする時も、僕は欄外にいて、メインプレーヤーのことを羨ましく思っていた」

「浅上くんは、立派なメインプレーヤーだよ。みんなが浅上くんのことを気にしていた」

「感じたことがなかった」

「でも、みんな、浅上くんのことが好きだった。女子トークの人気者だったよ。じゃあ、引いてあげる。私は、大人になった浅上くんと、話してみたかったの」


 僕は、むず痒い思いをしながら、じっと見つめてくる大きな瞳に、なんとか抗っていた。


「ありがとう。僕も」

「ん? 僕も?」

「そう言われて嬉しくないはずがない」

「東京に帰ってきたら、連絡して」


 僕は本意と不本意を半ばする形で、連絡先を交換した。気づいたら陽が落ちていた。


「新幹線は何時?」

「七時十分」

「京都駅まで送る」

「ありがと」


 烏丸線に乗ると、僕は浅上さんを座らせた。


 方宮さんは僕に耳を貸すように仕草して、僕は吊り革を掴みながら顔を方宮さんに近づけた。


「京都って雰囲気いいね」

「そう?」

「私みたいな人がたくさんいる感じがする」

「私みたいって?」

「たぶん、優しい男の子が好きなんだと思う。? 自分は優しくないからな〜、って思った?」

「思った」

「いい表情」


 地下鉄の音は、とても心地よく僕たちの言葉を細かく刻んだ。僕の言葉は方宮さんにだけ届き、方宮さんの言葉も、僕の耳にのみ聞こえた。


 じゃあね。方宮さんは新幹線の時間に急かされて、京都駅へ駆けていった。


***


 東京に帰ると、少しでも時間を作って、方宮さんと会うようになった。渋谷で焼肉を食べたり、表参道でとんかつを食べたり、銀座で中華を食べたりした。


「いろんな店を知っているのはどうして?」

「小さい頃よく外食していたんだ」

「私の感想言っていい?」

「どうぞ」

「浅上くんの小さい頃の、途方もないミステリアスさは、それが理由だったの?」

「そうかもしれない」

「外で食べるのは特別なことだよ。それがたとえ、家族とか友達とかとであっても」

「母親が皿洗いしたくなかっただけだよ」

「家庭に守られていなかったから、強くならざるを得なかった」

「たいしたことじゃないよ。特別なことでもない。それに、もしそれが特別なことなんだとしたら、その特別の源泉を探し当てることができる方宮さんの慧眼に、僕は一杯奢らなくちゃね」


 それに対する方宮さんの微笑みは強烈で、僕はくらくらしないわけにはいかなかった。

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