02.優しい、嘘
「ん……んぅ?」
湿った土の上で目を覚ました春。曇り空からぽつぽつと小雨が降っており身体を冷やしてくる。上体を起こし周囲を確認するも、生い茂った木々が並ぶのみ。朦朧とした意識が段々と鮮明になっていき先程の出来事を思い出した。
「そうだ、俺……撃たれて!」
咄嗟に自らの額をまさぐる。しかし傷1つなく他の外傷もなかった。
「なにがどうなってるんだ……」
船に謎の怪物が現れ、九死に一生を得たかと思えばクラスメイトに撃ち殺される。夢だと信じたい突拍子のない展開。頭を抱えたその直後、背後から足音が。
「そこにいるのは……春!?」
「夏美! 生きてたのか」
同じく疲労困憊の夏美だった。同時に先程の事が夢ではないと突きつけられたようなもの。彼女もまた額を撃たれたが傷が残っていないと話す。
「そうか……分からないことだらけだな。どうして生きているのかもそうだけど、俺達以外の4人も生きているのか。フィリップは何を考えてこんなことをしたのか……」
「それなんだけど、制服のポケットにこんな紙が入ってたの」
すると夏美はくしゃくしゃになった紙を広げて見せてきた。島の全体図が手書きで描かれており、その下に説明が添えられていた。
『君達の最終目標は座礁した船まで戻ってくること。この島には“凶暴化ウイルス”が蔓延していて、きっと動物たちが襲ってくるだろうけど頑張ってね。2人1組で位置をバラけさせたけど合流しても構わないよ』
名前は記されていなかったがフィリップが書いたのだと読み取れる。だが彼の動機や目的が読めない。島の全体図を見ると北側に船があり、春が今居る場所は南だと記されていた。東と西にはそれぞれ星のマークがあり他の4人もその付近に居ると分かる。
「襲ってくるだろうけど頑張って……とか軽々しく言われてもな」
「それは私もそう思ってたんだけど、これを見て」
同級生を惨殺した動物への対抗策。夏美の両手から黄色い電撃が音を立てて浮かび上がった。
「な、なんだそれ」
「気づいたら出せるようになってたの。これなら動物も倒せると思う。多分……春も同じようなことができるんじゃない?」
「マジか……俺達が生き返ったのも訳分からないけど、こんなことができるんなら死んだ皆も生き返るかもしれないよな? とりあえずフィリップのところに向かうか?」
現実離れした出来事が立て続けに起こり逆に冷静になっていた。自分達が生き返ったのであれば同級生も同じように戻ってくるのではないかと。だがそう簡単にはいかなかった。周辺の林から犬、狼、猿がヨダレを垂らしながら飛び出してきた。唸り声も上げており完全に戦闘態勢だ。
「俺も何か戦える力が出せるんだよな」
希望を持った春が戦意を持つと、彼の右手に灰色の粒子が集まり小柄なサバイバルナイフを形どった。
「こ、こんな小さな武器で戦えっていうのかよ」
*
島にある住宅地。人の気配がなくなってしまったそこで冬弥と千秋は他との合流ではなく食料の確保を最優先に考え家屋を探索していた。しかし既にもぬけの殻。塩や胡椒、ドレッシングといった調味料の類しか見つからない。
「どういうことだろう……そもそも島の人達はどこに? 食料を持って逃げた?」
「でも服とか財布とかはそのまんまだよ? 避難するってなったらもう少し持っていくよね」
冷蔵庫やタンスの中を漁りながら2人は憶測を交わす。拾ったリュックサックの中にタオルや毛布、コップや皿を詰め込んでいく。長期戦を予想し使えそうな物は一通り揃えていた。
「何か……何か僕の頭の中で引っかかってるんだ。ただ逃げただけじゃなくて、何か理由や真実があるんだって」
食料と共に消え去った現地住民の謎。冬弥は真相に辿り着きつつあったが、ある1点が違和感として残っていた。
*
「おいていかないでくれよぉ」
「足手まといじゃないって証明できたらな」
慌てふためく彗星に対し玲於は異様なまでに冷静だった。軽やかな足取りで農場内をうろつく。人どころか農場の家畜すら見当たらない。少々の血痕が辺りに散らばっている。
「フィリップの野郎……せめて撃つ前にあの事くらい話しとけよ」
「な、なんだよ。何か知ってるのか?」
井戸を見つけた玲於は彗星からの呼び掛けに答えず水を汲み始めた。躊躇せず飲み込んだ後、ようやく口を開いた。
「要点だけを言う。俺はフィリップから前もって今回の件について聞いていた。1度死んで蘇った俺達と同じように、船の中で死んだ奴らも生き返らせることも可能だ。だが2度目の死からは蘇ることはできない……気をつけろよ?」
そう言うと背を向け再び歩き出す。ただ不安を掻き立てるだけで詳しい事実については何も教えてもらっていない。彗星の悩みは解消されず、もう一度詰め寄ろうとしたその時だった。玲於の正面にあった家畜小屋から1頭の牛がのそのそと出てきた。目を見開き口は半開き。ヨダレを垂らしながら玲於の方を見つめる。
「ま、こいつらの正体についても言っておくか。いいか? こいつは……元は人間だ」
「え? はぁ!?」
「フィリップが言うには『八百比丘尼の呪い』という名のウイルスらしい。感染すると周辺の“食材”を食い散らかす。それが例え生きている動物だとしてもな。今目の前にいるこいつは……ま、牛にかぶりついたんだろうな」
「ま、まさか。牛を食べた結果こうなったのか!?」
「ああ。生物を直接食べた場合その生物と一体化。自我を持たない凶暴なケダモノになるってワケだ。後戻りもできなくなる」
牛が玲於に向かって走り出した。
「さて、俺にはどんな力を与えてくれたか……見せてもらうぞフィリップ」
余裕の表情を見せる玲於は両腕を正面に突き出す。黄緑色の粒子が集まると瞬く間に武装が創り出される。右腕には植物の強靭なツタが巻き付き、左腕はサイの角と同じ形に変化。ツタが伸びていき牛の胴体を掴むと、一気に玲於は引っ張り首元をサイの角で貫いた。
「こりゃあいい!! フィリップに感謝しなきゃな」
返り血を浴びながら牛の死体を投げ捨て、次の獲物を探しに走り出していく。置いていかれた彗星は力が抜け膝から崩れ落ちた。
「なんなんだよあいつ……! ど、どうしたらいいんだ」
自身にも力が与えられたと聞かされていない。戦える能力を持っていると知らされないままその場でうずくまってしまった。
*
短いナイフでは活躍する事は叶わず、春はただ逃げに徹し夏美に任せっきりになってしまった。夏美が撃ち出す電撃は遠距離から安全に攻撃する事ができ犬、狼、猿の3匹を無事感電死させた。
「ごめん夏美、なにもできなくて」
「別にいい。そんな武器で勝手に突っ込まれた方が迷惑だったし」
無力感に苛まれた春だったが更なる襲撃がやってくる。戦闘の際の鳴き声や音に呼び寄せられた動物がぞろぞろと林から出てきた。狼、豚、烏など様々な種の彼らが揃って2人を睨む。
「おい、嘘だろ……」
手足だけでなく口も震えガチガチと歯が衝突する。動物達は数えなくとも10を超えていると分かる。夏美でもこの数は倒しきれず押し切られる事も分かる。焦りながらも夏海の様子を伺った春は彼女の太腿に垂れる鮮血に気がついた。
「夏美! その怪我……さっきので!?」
「……かすり傷よ。私は大丈夫だから」
明らかな嘘。虚勢だ。
「あとね、あのくらいの数なら私1人でなんとかできる。大技を使えばね。巻き込まれないように、春は離れてて」
すると夏美は春の両肩を掴んで向かい合った。この発言は嘘ではない、とでも言っているような真剣な瞳だった。
「あ、あぁ……」
今まで見た事のない威圧を発した夏美に従う他なかった。春が後ずさると同時に夏美は振り向き、動物達へとおぼつかない足取りで早歩き。その時点で勘づいてしまった。
「……嘘、つくなよ」
引き止めたかった。けれども恐怖で身体が動いていなかった。
「じゃあね、春……」
動物が夏美に噛み付こうとした瞬間、彼女は顔だけを春の方に向けた。微笑みと涙を浮かべた顔を。次の瞬間、夏美は眩い閃光に包まれ直後に春の視界も奪われる。光が弱まっていき、彼の目に映った光景は。
「夏美……? どこだ」
つい先程まで夏美が立っていた場所には何もなかった。地に生えていた草花も消え、周辺には豚の足や烏の羽が散乱するのみ。呑み込みたくない現実を、春は無理やりに噛み砕き。
「夏美……」
深手を負った状態では戦っても犬死に、であれば自爆して春だけでも助ける。そんな選択をした夏美。対して戦う事すらできなかった自分。
「う、うぅ……うぁぁぁぁ」
弱々しい悲鳴を上げながら、行く宛もなく走った。光と音で更に動物が集まってくるだけでなく、この場に居たくないという思いもあったからだ。優しい、嘘。背負いきれないそれから春は逃げ出した。