01.Daybreak
「船酔い?」
甲板の柵に手をかけ、大海原を見つめながら少年は言った。隣に立つもう1人の少年は顔色が優れない。中学校の制服であるワイシャツとズボンからは若干のシワとヨレが見られる。
「昔から乗り物に弱かったよね、春は」
「……フェリーに乗るのは初めてだったんだけど想像以上だこれ」
苦笑いの後に俯いた彼の名は田島 春。修学旅行でのレクリエーションの一環として、とある島に向かう道中。他の学友は食事や会話に夢中になっていたが彼はいつでも海面と見つめ合えるよう甲板に来ていた。
「冬弥の方は大丈夫なのか?」
「え? 僕は酔わないよ」
「言葉が足りなかったな。俺1人じゃなくて皆と一緒じゃなくて大丈夫か?」
「騒がしいのは好きじゃないし。静かに景色を眺めるっていうのも悪くないし。本気で春の体調が悪くなって倒れたら大変だし」
照れくさそうに早口で捲し立てる彼は南 冬弥。目つきの悪い春とは違い、垂れ目で丸顔の冬弥は可愛らしく人懐こい印象だ。春と共に来ていた理由は他にもある。
「ほら、半年くらい前に僕の叔母の橙子さんが亡くなったじゃん。それから皆、僕に対して変に気を遣うようになっちゃってさ」
「確か2隻の船が海上で爆発したんだっけか? 俺達も今は船に乗ってるし、そりゃあお前に配慮するだろうな」
そう言いながら海面に映る自分とにらめっこを始めた春。吐き気が増してきており他人には見せたくない変顔になってきていた。なんとか抑える事に成功しかけたその瞬間、甲板にクラスメイトが入ってくる。女子2人、後ろ手で扉を閉めるのは中舘 千秋。ボブヘアの彼女は柔らかい表情と声が特徴的であり、春や冬弥よりも身長が高いものの威圧感が皆無。隣に立つのは五百久 夏美。腰まで伸びる黒髪と、黒縁のメガネは美しく保たれており彼女の性格を匂わせる。千秋とは対照的に身長は低い。彼女らの制服は男子2人とは違いシワ等もほとんど見受けられず目立っていなかった。
「いたいた〜ほら、差し入れ持ってきたよ」
そう言った千秋は手ぶら。食事が盛り付けられた大きな皿を夏美が差し出した。春は吐き気をなんとか抑えながら冬弥と共に近づいていく。
「冬弥くんなら春に着いていくだろうと思って。あ、どうせ吐くから春の分は持ってきてないけど。水だけならあげる」
夏美は皿に乗せてあった紙コップを渡した。小学生の頃からの仲だ。それぞれの好き嫌いや性格、特徴は把握しきっている。
「2人でなーに話してたの?」
「別に」
「え〜冷たいなぁ。じゃあ私が話したいこと一方的に言っちゃうね」
千秋からの問いにも答えない春。信頼し合う友達同士とはいえ、親族の死についてのおしゃべりは不謹慎だと弁えている。
「今年で私達は中学三年生。今5月だから卒業まで10ヶ月くらい。これまでは地元の皆と一緒だったけどさ、高校に上がったら離れ離れになるかもしれなくて知らない面子と一緒……ちょっとどころじゃないくらい不安なんだよね」
座って食べながらの雑談が始まった。春は相変わらず食べ物を口にしていないが、友との空間で心だけでなく身体も安らいだようで吐き気も控えめになっていた。
「千秋がそんなこと言うなんて意外だな」
「私自身もそう思ってるよ。まぁ1番不安になってるのは半年前に転校してきたばっかりのフィリップくんだろうけど」
「住んでたマンションの管理人が突然失踪した挙句水死体として発見されて、気味が悪くなったから引っ越してきた……だったよな。あんまり家族のこととかも話してくれないし、卒業まで短いしで確かにな」
その後も卒業までの学業や個人的な身の上話等を交わしていると目的地の孤島が見えてきた。大きな緑の中にポツポツと住宅があり、自然豊かな環境だと見て取れる。そして運んできた料理も同時に底をついた。ここは夏美が気を利かせる。
「じゃあ私がお皿を戻しに行ってくるから。もうすぐ着くだろうからおかわりは持ってこないけど、春のために水はもってきてあげる」
「おう、助かる。悪いな」
親しき仲にも礼儀あり。些細な事でもお礼の言葉をかける。ちょっとした喧嘩すらも起こらない4人の関係は理想的の一言に尽きる。
「あの島には農場とか、希少な絶滅危惧種がいたりして動物が多いんだよね? 僕はかわいい動物だったらなんでも大歓迎だけど」
「まあ、実際に見学できるのは農場の豚や牛ばっかりだろうな」
「それ豚や牛がかわいくないって言ってる?」
「顔がな……」
すると冬弥は無言で関節技を春に極めた。春の右腕を太ももで挟み込み自らの両手で反らせる。もちろん冗談の範疇で、2人揃ってプルプルと震えていた。しかし千秋が異変に気がついた。
「ねぇ、何か聞こえない? え……これってフェリーの中から───」
次の瞬間、船内へと繋がる扉が勢いよく開かれた。息を荒くした夏美が目を見開いて汗も垂れている。水を持ってきていないがそんな事を言っている場合ではないと春は判断した。
「押さえるから手伝って!!」
「……っ!」
今まで聞いた事のない声量の夏美。3人は考えるよりも先に扉に駆け寄り、全員の全力で押さえ込んだ。秒も経たずに向こうから悲鳴と衝撃が襲ってきた。聞き覚えのあるクラスメイトの声と、扉を叩いてくる音が幾重にも重なる。
「な、なに!? なんなの夏美!」
「わかんないよ! 犬とか猫とか鳥とか……とにかく色んな動物が皆を襲ってた!」
嘘ではないと分かりきっていた。凶暴な動物の鳴き声、本物の悲鳴、グロテスクな咀嚼音、派手に飛ぶ血しぶき。耳に入ってきているそれらは作り物などではないと。今やれる事はただ耐える事。いつか収まる事を祈る4人だったが希望は砕かれる。急加速したフェリーはついに島に座礁した。
「ぐわぁぁぁ」
フェリーは揺れるどころか大きく傾き、甲板に居た4人はまとめて宙に投げ出された。海岸の砂浜は土やアスファルトと比べて優しく迎え入れてくれたが痛い事に変わりはない。離れようとしていたが足がもたつき動けない。
「は、はやく逃げないと……」
だが悲鳴や鳴き声はなくなっていた。少ない足音が聞こえてきたかと思うと、フェリーから飛び降りる男子が3人。
「なんなんだよぉ……助けてくれよ」
長い前髪で目元が見えず、慌てる様子からは頼りない印象のある彼は多比 彗星。
「とりあえずフェリー内の奴らは俺とフィリップで倒した。今は安心していいだろ」
頬に古傷のある大柄な男子。制服に付着した返り血や、右手には包丁を持っておりその1本だけで襲撃を退けたと推測できる彼は浅田 玲於。
「……生き残りはこれだけ?」
そして白髪の美少年フィリップ 磴。夏美よりも身長が低くこの中では最も小柄だった。声も高く少女と見間違えてもおかしくないほど。けれども何より目を引いたのは彼が持っていた拳銃。
「それにしても、どこでそんなものを見つけた?」
「ないしょだよ」
そう言ってアツアツの銃身に一瞬の口付け。春達4人は他にも生き残りがいた事に安堵したが、同時にその他の人間は死んでしまったのだと改めて実感してしまう。
「僕以外で6人か。ちょうどいいかも」
春の元に駆け寄ったフィリップは意味深な独り言を零す。そして彼以外にとって予想外の事態に発展してしまう。握っていた拳銃を突如として背後に向け2回の発砲。ろくに狙いも定めていないというのに、彗星と玲於の脳天を撃ち抜いた。即死だった。断末魔をあげる暇もなく2人は力無く倒れる。
「は?」
春のその声と同時に3回の発砲。冬弥、夏美、千秋も頭部を撃たれ、死。血と脳漿をぶちまける5人の姿と、真顔で事を進めるフィリップの姿に呆気にとられ声も出なかった。
「じゃあまたね、皆」
ついに春も頭を撃ち抜かれた。血を吹き出しながら倒れる彼の前にしゃがみこみ、フィリップは胸ポケットから6枚のカードを取り出した。
「彼らに対抗できるよう……強く育つことを期待してるよ」
左手の上で6枚のカードを広げると共に微笑みを浮かべる。
『宇宙空間』
『オリオン星座』
『灰色のバイク』
『アイアンメイデン』
『自らの尻尾を噛み円状になっているドラゴン』
『ゴーレム』
それぞれが描かれていた。