第09話 ぬくもり
旅人――イグナスが去って、二日が経った。
村は、少しだけ静かになった。
それは安心からか、あるいは何かが過ぎ去ったあとの空虚か。
でも、僕の心の中では、ずっと言葉が残っていた。
「君の存在が、静かに世界に波紋を生んでいる」
何者でもなかったはずの僕が、誰かの目に映りはじめている。
それは、嬉しいようで、少しだけ怖かった。
「ユイ、少し歩かない?」
夕方、リルが声をかけてきた。
手には包み。中にはふかした芋と、ちょっとしたお菓子。
何でもない、普通のおやつ。
「森の見える丘、行こう。……わたしのお気に入りの場所なんだ」
「うん、行こうか」
◇ ◇ ◇
夕日が、森をゆっくりと赤く染めていく。
ふたりで並んで腰を下ろし、風の音を聞いた。
包みを開いて、ひとつずつ分け合う。
「ユイってさ、前の世界で友達、いたの?」
ふいに、リルが聞いた。
「……いたよ。たぶん。でも、ちゃんと“いた”って言えるほど深くなれた人は、少なかったかも」
「なんで?」
「僕が“誰かの役に立つこと”ばっかり考えてたから、かもね」
「……そっか。わかる気がする」
リルは、ぽつりと言った。
「わたしも、家族がいなくなってから、ずっと“ひとりにならないように”って、そればっかり考えてた」
「……それは、寂しいね」
「でも、ユイが助けてくれた。
それからは、“ひとりでも大丈夫かもしれない”って、少しずつ思えるようになった」
リルが、そっと僕の手を取った。
あたたかい。小さな、でも確かな手。
「だからね、今度はわたしが、ユイのそばにいるよ。
今度は、わたしが“手を取る側”になるから」
僕は何も言えなかった。
ただ、握り返すだけで精一杯だった。
人に優しくすることはできても、
人の優しさを、正面から受け止めるのは、どうしてこんなに難しいんだろう。
でも、
――あたたかかった。
◇ ◇ ◇
帰り道、リルが小さな声で言った。
「ユイ。……わたし、ユイのこと、もっと知りたいって思ってる」
「僕のこと?」
「うん。名前のこととか、力のこととか……それだけじゃなくて、好きなものとか、苦手なこととか、笑うときの顔とか……」
恥ずかしそうに笑いながら、それでもしっかり僕を見つめてくる。
「それって、わたし、ユイのこと――」
言葉はそこで止まった。
でも、それ以上は何も言わなくても、わかった気がした。
僕は静かに微笑んで、リルの頭に手を置いた。
「ありがとう。……僕も、君のこと、大切に思ってるよ」
空には、ひとつだけ星が浮かんでいた。
誰にも気づかれなかった僕が、誰かと手をつないでいる。
ただ、それだけのことが、世界の何よりも眩しく思えた。