第06話 静けさの奥で
朝の村は、いつも通りだった。
炊事場から湯気が立ちのぼり、子どもたちの笑い声があちこちで弾ける。
土のにおい。薪の音。誰かの口笛。
変わらない風景に、僕はほんの少しだけ違和感を覚えていた。
……何が違うんだろう。
風景は同じなのに、空気が少しだけ重い。
目に見えない“薄い膜”のようなものが、この村を包んでいる気がした。
「ユイ~、お水持ってきたよ!」
リルが井戸の桶を両手で抱えて走ってくる。
その顔はいつも通り、明るくてやさしい。
「ありがとう。重かっただろう?」
「ううん、平気。……でも、なんかね、今朝は鳥の声が少なかったかも」
「……鳥の声?」
「うん。いつもならチュンチュン鳴いてるのに、今日は森が静かで……ちょっとだけ、こわかった」
それは、僕がさっきから感じていたものと同じだった。
――静かすぎる。
音が、どこかへ逃げていってしまったような感じ。
◇ ◇ ◇
その違和感が確信に変わったのは、午後になってからだった。
村の東側、畑のそばにあった井戸が、突然濁った。
水を汲もうとした農夫が、泥水に顔をしかめる。
数人の村人が集まり、騒ぎ始める。
「昨日までは澄んでたんだぞ……!」
「獣の死骸でも落ちたんじゃ……?」
「でも臭くないし、濁り方が不自然すぎる……」
僕もその場に立っていた。
井戸をのぞき込むと、黒いもやのようなものが、底でゆらゆら揺れていた。
それはまるで、“見られている”かのような、気味の悪い感覚を残していた。
「……これは、自然のものじゃない」
口にした瞬間、まわりの空気がぴりっと張り詰めた。
「ユイ……?」
リルが不安げに僕の袖を握る。
その手のひらのあたたかさが、今の自分を現実に繋ぎとめてくれる。
「大丈夫。……でも、ちょっと気をつけた方がいいかも」
僕は笑ってみせたけれど、内心では――確信していた。
これは“偶然”じゃない。
◇ ◇ ◇
夜、再び“風の止まる瞬間”が訪れた。
窓を閉める手が止まる。
暗い外の気配が、肌の上をゆっくりなぞっていくような感覚。
月は出ていない。星もない。
空が、夜の奥に沈んでいる。
「ユイ」
背後からリルの声がして、僕は振り返った。
「さっき、牛小屋の近くで、誰かの足音がした気がするの。……でも、誰もいなかった」
「見間違い……じゃ、ないよな」
「うん。わかんないけど……ユイは、なんか感じてるよね?」
僕は、うなずいた。
「リル。しばらく、夜はあまり一人で外に出ないようにしよう」
「……わかった」
リルは素直に頷いたけど、その瞳の奥には、子どもなりの覚悟が宿っていた。
この村に、何かが近づいている。
目には見えない。声も聞こえない。
けれど確かに、僕たちの暮らしの“奥”で、それは静かに息をしていた。
夜はまだ、静かだった。
でも――その静けさこそが、最も深い闇の兆しだった。