第05話 二つの足音
日が落ちるのは、あっという間だった。
夕飯のあと、リルと一緒に家の前で星を眺めていた。
澄んだ空気。虫の声。遠くでかすかに聞こえる焚き火の音。
「星、きれいだね」
リルがぽつりと呟く。
その横顔には、森で初めて出会ったときの影はもうない。
「うん。前の世界では、こんなふうに見えることなかったな」
「“前”って、ユイの生まれたところ?」
「……うん。もう戻れない場所だけどね」
「そっか。でも、こうして会えたの、よかったなって思うよ」
リルがそう言って、ふっと微笑んだ。
その笑顔は、あたたかくて、少し切なくて、僕は何も言えなかった。
◇ ◇ ◇
その夜のことだった。
村の裏山の方から、何かを引きずるような音が聞こえた。
ギィ……ギィ……
静かな夜には似つかわしくない、重たく、湿った音。
僕は寝床から身体を起こし、そっと扉を開ける。
風がない。
草が揺れていない。
――また、あの日と同じ“空気の止まり方”だった。
「……来たか」
直感だった。でも、間違いなかった。
僕は玄関に立てかけてあった木の棒を手に取り、音のした方へ歩き出した。
◇ ◇ ◇
家畜小屋の前。
見覚えのある羊の毛が、地面にぽつぽつと落ちている。
鼻をつくような匂い。
土をえぐるような、爪の跡。
そして――
ガサッ
音がした。
視線の先、茂みの奥で光る目。
月明かりに照らされたその姿は、明らかに“この村のものではない”。
異形の魔物だった。
四足で這い、体毛はぼさぼさに逆立ち、牙のようなものが光を反射している。
けれどその身体は、どこか不自然に痩せ細っていた。
「……飢えてるんだな」
魔物が動いた瞬間、僕は足元の石を拾って、ためらいなく投げつけた。
ゴッ!
石が命中した場所から、黒い液体が飛び散る。
「村に、入らせるわけにはいかない」
その言葉と同時に、僕の身体が反応していた。
何かが、内側からふつふつと“目覚めて”いく。
視界が冴える。
空気の流れ、枝の角度、すべてが脳に刻まれる。
魔物が跳んだ。
でも、僕の動きはそれより速かった。
――光が走る。
僕の手のひらから、一筋の光が閃き、魔物の動きを止めた。
静かに、それでいて鋭く、目の奥まで突き刺さるような“結界”の糸。
魔物は地面に崩れ落ち、二度と動かなかった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
村では、誰も何も知らなかった。
消えた魔物の痕跡は、夜露に消され、何も残っていない。
けれど僕の手には、あのとき魔物に放った光の“痕”がうっすらと残っていた。
リルが心配そうに覗き込む。
「ユイ、なんか疲れてない?」
「ちょっとね。夜、星を見すぎたのかも」
嘘ではない。でも、すべてでもない。
僕はまだ、自分の“力”の正体を知らない。
けれど、それが人を守るためにあるのなら、使い方は自分で決めようと思った。
夜の静けさが破られたあの日から、
村には見えない足音がひとつ、増えていた。
そして僕もまた、その足音に気づかぬふりをしながら、
静かに歩き続けていた。