イスルギとオウガ
ブルー・サブミッションのドアが開き、カンランカンランとベルが鳴った。
ちょうど今、踊りを終えたイスルギは、ステージから店の入り口まで、流れるように駆けて行った。
「にーに!!!どうして此処がわかったと!?」
「神様が教えてくれたからばい。」
「さっすがにーにばい!!」
店内の殆どのゴーストと人間が、イスルギと似たような服装の、体格の良い男にきょとんとしているが、ユンとサンは「いつもの事か」と小さく肩を竦めた。
イスルギは"にーに"に、「この前は食べて貰い損ねたけん!」とソーセージシチューをしきりに勧めている。
にーに、ことイスルギの歳の離れた兄・オウガは数ヶ月に一回、南の国から遥々妹を訪ねてやって来る。
おそらく、イスルギがずっと南の訛りで喋る事ができる1つの要因だろう。
今回は7ヶ月ぶりの来訪である。
傍目には、イスルギは大のお兄ちゃん子のように見えるのだが、イスルギ自身は普通の兄弟仲と思っているらしい。
兄はたくさん話を聞いてくれるので好きらしい。
彼女曰く、兄は話し上手で聞き上手。
それもその筈。
兄の職業は【占術師】。
神の声を聞き、神と対話し、民に伝える、神が選んだ仲介者。
兄の聞き上手は神のお墨付きなのだ!
イスルギの待機席兼イスルギ探偵事務所の出張相談所となっている、隅の席から、ゴーストが恐る恐るといったふうに近付いて来る。
「あのぅ、イスルギ様ぁ……」
相談にやって来て、イスルギを待っていた客である。
「あのぅ、にーに様も踊り子なのですか?」
「これは占術師の衣装ばい〜。」
「踊りもするばい。」
呆れた調子で機嫌良く返すイスルギに、にこやかな兄が続けた。
2人は似た様な格好をしているが、パンツスタイルだと踊り子、スカートだと上位職の占術師である。
ちなみに、イスルギは「占い師」と間違えられる事があるが、探偵である。
オウガたち占術師も、占い師も、似た名前ではあるが、別の職業である。
・占術師は神の言葉を民に伝える仕事。
・占い師は統計に則って相談者に最適解を提示し、相談に乗ってあげたり、精神をケアしてあげたりする仕事。
占術師は、居るところには何人でもいるのだが、割とマイナーな職業なので、似たような名前の2つは混同されがちである。
そして、シュラ周辺の占術師は、オウガも例に漏れず、占い師のような気軽さで神託を授けてしまうので、これも混同の原因である。
また、今は昔。
オウガたちのようなシャーマン・占術師が、旅行者たちから"よく当たる占い師"と勘違いされ、彼らの評判に乗っかろうと、占術師の衣装を真似る占い師が出て来た。
その中に、没個性のために埋もれていた腕の良い占い師も居た。彼らがまた評判を呼び、
"シュラの占術師風の衣装の占い師"
が増えていった。
そして占い師は、結界だとか、浄化だとか、力を高めるとか、様々な謂れがあって、水晶玉を手元に置く。
イスルギ本人は全く無自覚だが、実はめちゃくちゃ占い師っぽい格好をしている。
……ちなみに、カード、棒、石などの道具を使うシャーマンの儀式を真似た方法を使う占い師の中には、神がバックに憑いている、実質占術師が稀によく居るので、違うとは説明したものの、実際もうめちゃくちゃである。
「せっかくだから、にーにから神託を貰ったら良かばい!」
イスルギは機嫌良く、客の両肩を持って、兄と向かい合わせた。
客はおろおろしているが、オウガはニコニコと……かと思うと、ハッとして、客の二の腕を掴んだ。
「今すぐ止めに行った方がよか!今すぐ!大急ぎ!にーにが着いて行ってやらんね?いや、一緒に行くばい!」
オウガはイスルギの客を急かして、慌しく出て行った。
「もぉ……何なのぉ…………?」
ずっと状況が飲み込めず、ぽかんとしていたマスターがやっと喋った。
その声に、会計の手が止まっていたココスキはレジ打ちを再開したが、会計待ちの客はイスルギを見て、まだポカンとしている。
「イスルギの歳離れた兄だよ。」
サンが、迷惑そうにマスターに応えると、すぐ客に呼ばれて注文を取りに行った。
サンは彼が、とても、苦手だ。
ユンとサンが彼に初めて会ったのはイスルギと連れ立って旅をするようになり、最初の町に着いた時だ。
『にーに!!!どうして此処がわかったと!?』
『神様が教えてくれたからばい。』
『さっすがにーにばい!!』
という"いつもの"やりとりを見て、ユンもサンもまさかそれが数ヶ月に一度のお約束とは思わなかった。
イスルギの驚き方は毎回新鮮なのだ。
サンはユンのいない所で、
「サンちゃんは女の子に対して、傍にいてくれたら誰でも好いち思いよる。」
「自覚が無いのは尚悪い。気付かずにそういう思考を持っとるち事ばい。」
「"誰でも良い"ち言いよる子だって、サンちゃんが思うほど本気でそうは思っとらんけんね。」
という調子で、初対面であるにも関わらず、全てを知っている様相のオウガから懇々と説教された。
あまりに恐ろしい体験だった。
……挙句、毒婦に誑かされて賭け拳闘で闘わされる事になったり、ハニートラップに引っかかって降霊術を得意とする事を露呈、重要人物を降ろし、求められるまま重要情報を喋った、などの10代後半のやらかしをユンに告げ口されたので、オウガが大の苦手である。
ちなみに、ユンはサンのいない所で、
「サンちゃんにサンちゃんだけの友達がおってもユンちゃんが駄目ちことでは無いけん。ユンちゃんはよくやっとるよ!」
「サンちゃんはユンちゃんに助けて貰ってばっかりち言う負い目があって、ちょっと疲れてしまう事があるばい。」
「イスルギと仲良くしてあげてね。」
と言われたのでオウガを妹思いの良い人と思っている。
オウガはと言うと、自慢の妹と仲良しの、ちびの双子を、生まれたての妹のように思っている。
そして幸か不幸か、多くの兄と妹がそうであるように、サンから"お兄ちゃんなんて嫌い!"という扱いを受けている。
マスターは、イスルギの兄がちゃんと帰って来て店の売り上げに貢献するか気にしていたようだったが、そのうちに出掛けた。
ブルー・サブミッションで演奏したいというバンドの演奏を聞きに。
バンドの演奏をわざわざ聞きに行くのは、それがマスターの趣味だからである。
この、しっかり趣味を楽しむマスターの性格を、店員達は愛している。
ココスキが厨房の補助に入り、演奏を終えてまかないを食べたユンがホール係を代わる。
常連のコンビがステージでサックスとバイオリンを奏でる。
暫くして、カンランカンラン、とドアベルが鳴り、オウガが帰ってきた。
だが、一緒に居るのは、出て行った客とは明らかに別人の、大女である。
「あれ?にーに?お客さんは?」
「2人なら今、ちゃんと話し合っとるから。別れるも別れんも、どっち取っても心配無かよ。」
オウガはイスルギの肩を優しく叩いた。
イスルギは、納得した様子で頷いた。
そこにユンが席へ案内しようとやって来る。
「にーに、そちらどなた?」
「あの子のカレシが森に入って、危ない事に巻き込まれるのを阻止したところまでは良かったんやけど、そこにオバケが襲って来て、この、"お花ちゃん"が助けてくれたばい!」
オウガが、隣の女性を紹介する。オウガも体格が良いが、さらに彼女は長身で、ユンよりも頭2つ分は背が高い。ワイルドな風貌のゴーストだ。
「お礼に一杯ご馳走するばい。」
「シチューをな。」
大女は上機嫌だ。
テーブルを拭いていたサンが振り返って気付く。
「マグナス?」
「……サン!!」
「誰?」
「お花ちゃんばい。」
この"お花ちゃん"が遠回しに、サンが以前、彼女に花をお裾分けをした事を揶揄っているのだと気付いたサンは羞恥心と怒りに震えた。
一方、オウガの方に揶揄うつもりは全く無い。
自分にボコボコにやり込められてから、浮いた話が無かったサンに、ついに小さな春が訪れた事をとても嬉しく思っている。
ユンは不思議そうにしている。
席に着いたオウガは、向かいに座るマグナスに信託を与え始めた。
「お花ちゃんは"傍にいてくれたら誰でも好い"ちタイプやね。」
「……!!」
マグナスは衝撃を受ける。
「その通りだ!私は"好きだ"と言われたら特にタイプじゃ無くても好きになってしまう……。そして毎回運命の相手と思ってしまう。」
2人分のソーセージシチューをテーブル に置きながら、サンはマグナスの恋愛遍歴を聞かないようにした。
「サンちゃん、こういう事ばい。サンちゃんは同じ事言われた時、にーにに何て言ったっけ?……サンちゃんは"傍にいてくれたら誰でも好い"ちタイプやね〜ち言われた時。」
「……覚えてない。」
……が、がっつり聞き入っていたサンは、オウガに不機嫌な対応をした。
「"そんなふうに思ってない!"ばい。」
「うるさいなあ。」
お兄ちゃんなんて嫌い!状態のサンとは対照的に、オウガは上機嫌である。
「お花ちゃん、サンちゃんと付き合っちゃったら?」
「絶!対!付き合わない!!!」
……などと腹を立てて言ったものの、結局その数日後、マグナスと付き合い始めたサンは、オウガが二度と来なければ良いのに。
と、思っているのだが、オウガはやっぱりやって来るし、兄貴ぶったお節介を言って帰る。
ちなみに、サンの「絶対付き合わない」発言の後、厨房から引っ張り出され、テーブルの担当を代わらされたココスキは、初対面で
「ココちゃん……にーにが何で怒ってるか、わからんね?キープは駄目ばい。"また"刺される前ににーにが来て良かったばい。」
と、何も聞いてないのに恐ろしい神託を授けられ、いつか突然、何かしらの、自分でも思い当たらないような、記憶の底に埋めた恥ずかしい秘密を掘り当てて暴露されるのではないかと、オウガに怯えている。
【あとがき】
オウガの一人称は基本「にーに」。にーにじゃない時は「オウガ」。
発言が自分のものか女神のものか明確に区別する義務があるので自分を固有名詞で呼ぶ。
女神の名前はフドーヒメノミコトサクマノカミといいます。
もとは海神、雷神であり、怒って山を割ったという逸話が加わり、いつの間にか山神にもなっていました。
"怒って山を割った逸話"は、女神が山頂に立ち入られる事を嫌い、山を割って登山者を谷に落とした、というものです。
この山神が割山神であり、海の民と山の民が交わって行く中で、海神雷神であるシュラの総鎮守・不動命の女性体と同一視されるようになったようです。
総鎮守・フドーノミコトはもともと月の満ち欠けによって男神の時と女神の時があるとされていた神で、その信仰が残っている土地と、完全に男神とされる土地と、完全に女神とされる土地があります。
完全に男神とされる土地では、神に連れて行かれるという事で、女性が船に乗れなかったりします。(波が荒い土地なのです。)
フドーヒメノミコトサクマノカミは、絶世の美女であるとされ、海では卵を抱えて丸々と太った巨大魚の姿を顕わし、船を導くと言われています。
長くなりましたが、更に補足を。
本編でイスルギが「フドー・イスルギ」と名乗っていたのは、フドーという神の氏子という所属を表す名乗りです。
これは、クレヤが「土地・名前・守り神」という畏まった名乗りをした事に対応したものです。
それに対応した北の村人ユンの畏まった名乗り「ユン・カララ・ウル」は、「カララとウル(両親)の子(母の名前が先なので娘)」というもので、続いたサンは「同じく」となります。