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仏教、知ってますか?

作者: 岳石祭人

*ブログからの転載です。整理していたらけっこう面白かったもので。

小説を書くために仏教について改めて調べました。


皆さんは仏教徒ですか?

わたしは仏教徒とは名ばかりのエセ仏教徒です。

仏教って、どんな宗教か知ってますか?

はい、わたしは知りませんでした。



仏教に、神はいません。



はあ?仏様って神様でしょ?、と思いますよねえ?

阿弥陀如来とか、観音菩薩とか、帝釈天とか、不動明王とか、

あれって、仏教の神様でしょ?、と思いますよねえ?

う〜〜む、

帝釈天と不動明王は‥‥神様と言っていいかも知れません。

違うんですけどね。

どっちなんだよ!?、ってねー、要は解釈の問題で‥‥。あーめんどくさい。

面倒なのは置いといて、

如来と菩薩は神様ではありません。これははっきりしています。

これは、仏様です。


だあかあらあ〜〜、

仏様って神様じゃないのお〜?、ってことなんですけど、


そもそも仏教の祖たる釈迦が説いたのは、



仏になりなさい、



ってことで、これはもちろん「この世なんてつまんないから死んじゃいなさい」と言ってるわけではなく、

それじゃあ「生き仏」なんて「LIVING DEAD」になっちゃって、ゾンビになっちゃいます(罰当たりめ!)。

そもそも仏というのは、



仏陀=無限の輪廻転生から解脱した者



を言うのです。(だよねえ?だんだん自信なくなっていくんだけど)


この世はすべて苦、生きていくのはすべて苦、であり、

死んでも次の世に生まれ変わり、その苦しみは続く、

解脱して輪廻の輪から抜けない限り永遠にその苦は続く、

だから悟りを開いて解脱しなさい、


というのがそもそも釈迦の教えです。

だから「仏」というのはその人個人の問題であって、神対人、という構図にはないんです。


で、一生懸命修行して仏になりなさいというのがオリジナルの仏教=いわゆる小乗仏教です。


それに対して、「ざけんなよー、そんな修行、金持ちの貴族のボンボンしかできねえじゃねえか? こちとら庶民は毎日の暮らしでてんてこまいでそんな暇ねえんだよ!」と貧乏な一般市民に大ひんしゅくを買って(おいおい)、それならば、


仏様のご威光にすがって衆生すべてが成仏できるようにしましょう、


と出血大サービス!を行ったのがいわゆる大乗仏教。

ここで仏に「お願いします〜」と神様性が生まれてくるわけですねえ。

仏教の人気獲得大作戦は更に拡大し、

様々な仏様を登場させるというキャラクター商法が展開されます。(おいおい)

ここで登場するのが阿弥陀如来とか、観音菩薩とかいうキャラクターたちで(おいおい)

ここら辺まではまだ釈迦の説法の中に名前が出てきたりしていて、一応直接的なバックボーンがあります。

が、

これが帝釈天とか不動明王とかになると、これはまったく、釈迦尊とは関係ありません!

だってね、これ、別の宗教から「おいでおいでー」と勝手にゲストに呼んで、「お友だち♪」と勝手に仏の仲間にしちゃった、まったくの赤の他人の「神様」なんですから。

おいおい本当かよ?それじゃあまったくでたらめじゃん?!、と、仏教に対する不信感が生まれたかと思いますが、

一応ね、ちゃんとした理屈があるんですよ。



仏は一切の輪廻から解き放たれた、

時と空間を超越した存在であり、

仏はすべての時と空間に存在する、

すなわち、

すべての仏は仏陀がその時その場所に現れたかりそめの姿であり、

すべての仏は仏陀の化身で同じ物である。



というのです。

なあ〜るほど〜、なにせ観自在空自在、かりそめのこの世なんてそのつもりになってみればなんでもかんでも解釈次第だぜ!、と、理屈に理屈を重ねて‥‥それっていわゆる屁理屈じゃないか?と悟りにほど遠い煩悩で詰まりまくった悪い頭はすぐに深く考えることを放棄しちゃうんですけど、


そうなんですうっ!!


すべての仏は仏陀の化身にして同じ物なんですうっ!


その理屈を押し進め、

なんと、畏れ多くも宗祖釈迦尊までも、


あれは永遠の存在である仏陀が現世に現れた一つの姿に過ぎない、


と、釈迦を超越した仏の最強キャラクターを創出します。

それこそが




   大日如来




であります。Oh,Great!

ちなみに如来というのは解脱した仏、菩薩というのはまだ解脱していない修行中の人のことを言います。

で、

この最高仏=大日如来を世界の中心として、仏のキャラクターレベルを示したのが曼陀羅であります。

ですからこの曼陀羅に描かれるすべての仏は大日如来の化身で、形を変えた同じ物なんです。(ゲストの天や明王まで同じにしちゃっていいのかなあー?と思ったりもしますが)

ですから上の方で「キャラクター」と茶化して書きましたが、この考え方で言うとキャラクターというのは正しいんですよね。同じ物が化けているわけですから。

この考えを更に押し進めるなら、

世界を表した曼陀羅のず〜〜〜〜〜〜っと、外縁には、我々一般の庶民どもがずら〜〜〜っと居並んでいるはずで、究極的には、


我々庶民もすべて大日如来の化身である、


という事も言えます。

なんて事を言うと、

「こおの、大馬鹿者があ〜〜!! この罰当たりめえええ〜〜っっ!!!」

と怒られそうですが、でっもお〜、そおいうことでしょお〜〜?

ま、大日如来とわたしとじゃほぼ「永遠」の距離があるでしょうが。


ということなのですよ。

仏教の考え方がご理解いただけたでしょうか?

(わたしの解釈がどの程度合っているのかかなり怪しいですが)

仏教に神はいないというのも理解していただけましたよね?

つまりですね、


『皆の者、曼陀羅の頂点、大日如来目指して精進せよ!』


Let's GO!ということで、

その途中にいる諸仏はそのガイド役ということです。ま、たったの一生分で悟り=大日如来になんてなれるわけないから、まずは手近なところ(失礼)を目指してがんばんなさいよ、ということです。


ふう〜〜〜、簡単に済ませようと思ったのに、けっきょくこんなに書いちゃった。

わたしが考えるに、正しい仏教の実践法として、自分の目指すべきキャラクター=仏様を選んで、その仏様に近づけるように自分なりの修行=生き方をしていけばいいんじゃないでしょうか?

いやあ、きれいにまとまったなあ。これなら仏罰は下らないかな?

わたしも信心する仏様を決めました。



 愛染明王と弁財天様。



う〜〜〜〜ん、一生煩悩から抜け出せそうにないなあ。

皆様もどうぞ良い仏様とお巡り会いくださいませ。


*いろいろ罰当たりなことをごめんなさい。かなり大雑把な解釈なので、細かいクレームはご容赦くださいませ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 拍手やわ 楽しい解釈やなー でも事実違うかなー これでカードゲームでも作ります?
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