他人の日記を読む背徳感は何物にも代えがたい緊張感を伴うが、実際には大したことが書かれておらず落胆する。
サブタイトル候補①
「醜悪な思想は美しくないが、それを打ち明けることは美しい」
美しい、醜いは、だれが決めるのだろう。
幼い頃の私はそう思った。
テレビを見ていると、全身が体毛で覆われた動物が、ピンク色の舌を出して荒い呼吸をしているシーンが映し出された。犬という名前だった。
テレビの出演者は、「小さくてかわいい」「毛並みが美しい」と褒めた。私は考えた。小さい生き物はかわいくて、毛が生えていると尚良し。毛虫を捕まえて親に見せた。かわいいを満たす条件は一致しているはずだった。しかし、完璧に思われたこのロジックは否定されてしまった。
それからは試行と実験を繰り返した。
サンプル数が増えるにつれて、情報は正確になる。
動物はかわいい。昆虫は微妙。爬虫類は人による。哺乳類はかわいい。魚類は気持ち悪い。それもこれも主観に基づくから、あくまでも統計上の正解ではあるかもしれないが、その母数に偏りがあることを考えると正しいと断定できないのが実情だ。
話を規定路線に戻そう。
これからはお仕事の話になる。
職業を特定されるのは困るので、あえて情報を不鮮明にするが、それは不誠実によるものではないことをあらかじめ了承してほしい。
さて、私は敵を作りやすい性格だ。
若い頃は友達を百人作ろうとしていたが、今となってはその維持と管理に費やすコストが膨大であることに気付き、やめた。
私の職場は排他的である。
そのため私は職場を追放されそうになったことが何度かあった。
当時の私は小説を書いていた。それも毎日更新だ。
休憩中にも執筆しなければ間に合わないペースだった。
だから空き時間にはよく小説を書いていた。
それをよく思わない人物がいたらしい。
名前はわからない。
正面から向かってこない臆病者など、こちらとしても眼中にないので気にしていないが、上層部に密告された。
日本の労働者はわれわれの想像以上に法律に守られているらしく、そんなに簡単にクビにすることはできないそうだ。だからこそコソコソと嗅ぎ回っていたのだろう。私を職務怠慢だとして追放するために。
結論から言うと、私が休憩時間中に小説を書いたことが事実であったと仮定して、それを断罪することができるのかという話だが、それは不可能だ。
労働基準法34条3項にはこのように記されている。
「休憩時間を自由に利用させなければならない」
つまり休憩時間であるにもかかわらず、非合理的な制約を設けて他者の自由を侵害した場合は、それは休憩であるとは認められず、労働基準法に違反していることになるのだ。……これはあくまでも私の解釈だから、気になる人はお近くの弁護士に無料相談をしてもらいたい。
故に私は、自分は正しいと主張した。
人が法律を守るんじゃない。
法律が人を守るのが正しいんだと思う。
堂々としていたら、不問にされた。
そして今回、また事件は起こった。
私は他者とのコミュニケーションが苦手だ。
それならば一人で勉強しているほうが楽しいと思ってしまう。
しかし社会人であるからにはそうもいかず、嫌いな上司と一緒に、狭い個室で事務作業をさせられることもある。
私は大雑把な性格で、細かいミスをよくする。
カギの閉め忘れとか、書類作業の簡単な計算ミスとか、相手からのレスポンスが遅い場合には、相手の意見を先読みして間違えた結論を出してしまうとか、書類の記載漏れとか、著しく業務に支障をきたすことはなくとも、どこかしらでミスをしてしまうのだ。
私の上司はそれが気に入らなかったらしい。
おそらく高血圧のせいで赤くなったであろう顔面を鬼のようにこわばらせ、太く立派な眉をしかめて、回転椅子を軋ませてから、こちらに清く澄んだ眼差しを向けて言った。
「お前は何回ミスをするんだ。俺を陥れるつもりか」
私はすいませんとあやまったが、上司は「なぜ、なぜ」と追及の手を緩めなかった。言い訳をする際、人間の脳は本領を発揮する。私は反射的に言葉を返しつつも、全く別のことを考え始めた。
こいつは上司に向いてねーな。
多くの人間は質問の回答に対して「なぜ」を3回問いかけると思考が止まってしまうのだと精神科の先生が教えてくれたことがある。
根拠となる文献はあるのか、どこの大学もしくは研究機関が発表していて、なんという雑誌に掲載されているのかも知りたかったが、それを尋ねると嫌われるので黙っておいた。
そのような経緯から、質問をするためにはまず、自分が模範解答を用意しておいて、相手を自分の持つ思想に誘導していくやり方が正しいと私は思った。それこそが世の中の美しいあり方だ。
私の正義から大きく逸脱したこの上司は、私の意見に対して、「意味がわからねえ」「お前は間違っている」とののしるばかりで建設的な意見は一つも言わなかった。いや、その能力がなかったのだろうから、言わなかったのではなくて、言えなかったのだろう。「なぜ、なぜ」と認知症のように繰り返すばかりで、おのれがバカであることを露呈しているように見えた。
獲物に対して、自分は下等な生物であると誤認させて、寝首をかこうとしている可能性もあったが、兎にも角にも頭の悪い人間と議論をすることは、お金をドブに捨てるよりも愚かな行為だ。それは美しいとは言えず、醜い行為だと思った。
冒頭に美醜の判断はだれが下すのかと問うたが、それは自分自身であるべきだ。他人の意見などというものは利権や人間関係に大きく左右される。
例えばお笑いグランプリの審査員が絶賛していたら、自分は面白くないと思った芸人さんのネタも玄人には受けるギャグなんだろうなと思うし、仲の良い友達の相談には親身になれるが、嫌いな人の話は聞きたくもないから相手を糾弾するだろう。大して努力もせずに成果を上げると、お前はいつも頑張っていたと事実をねじ曲げて称賛されることだってある。
要するに他人は結果だけを見て、経過を推測する。そこに客観的な事実がなくとも、自分の意見には自信を持っている。
そんな批評家気取りの論評などは聞く価値がない。物事の本質が見えていないからだ。「このシャンプーは良いよ。だって売上ナンバーワンだから」は根拠として薄弱だ。そんなことも理解ができない人間は意外と多い。私もその中の一人かもしれないので自戒すべきだが。
「お前は何回ミスをするんだ。俺を陥れるつもりか。もう勘弁してくれよ。頭がおかしくなりそうだ」と上司は眉間をつまんでうつむいた。その手が充電ケーブルに繋がれたスマートフォンに触れたから話が終わったのかと思ったが、「おい、何でよそ見してんだよ」と神経質な叱責が飛び、「お前は何回同じミスをするんだ。俺を陥れるつもりか。もう勘弁してくれよ。頭がおかしくなりそうだ」と繰り返した。
うるさいなと思う。映画上映中におしゃべりしているやつと同じくらい迷惑に感じた。永遠に同じ話を繰り返すから語彙力がないのだろう。そして「意味わかんねえよ」を連発するから理解力にも乏しいのだろう。
「訴えたら勝てるぞ!」
は? と思った。
その言葉を真顔で紡ぐ上司の綺麗な双眸は、おのれの発言を信じて疑わぬ少年のように透き通っていた。
ミスをしてしまったことに対しては私に責任がある。そこに弁解の余地はない。だからこそ改善をはかり、修正すべきだとは思っているが、相手の発言には納得ができなかった。
「お前は何回もミスをする。俺を陥れるつもりだからだ。もう勘弁してくれよ……頭がおかしくなる。そうだ、この話をすれば、お前が俺を陥れようとしたことは白日にさらされる。これは動かぬ証拠だ。度重なるミスは過失ではなく故意によるものだろう。そのせいで俺は精神の病を発症した。裁判したら勝てるぞ!」
「だったら好きにやれよ」
という言葉を私は飲み込んだ。
「覚悟しろよ。俺は本気だからな。そしたら賠償金を請求してやる。勝算ならあるぞ、教えてやろうか。お前は何回もミスをした。俺を陥れるつもりだからだ。もう勘弁してほしいよ、頭がおかしくなりそうだった。だからこそ法廷でこの話をしてやるつもりだ。お前が俺を陥れようとしたのが悪いんだ。これは動かぬ証拠になる。度重なるミスも過失ではなく故意によるものだろう。そのせいで俺は精神の病を発症したんだからな」
だったら早く手続きをしろよ。
私に猶予を与えたらお前が不利になるだけだぞ。
まず被害届を出して、刑事事件にした場合。
被害者は裁判費用を負担しないからふところは傷まないことになる。しかし私は罪を犯していないためその案は棄却される。むしろ相手のほうが私を恫喝し、精神的な苦痛を与えたのだから居直り強盗も甚だしい。
次善の策としては民事裁判がある。
その上司は最近、一軒家を建てたというから、軍資金はそれほど用意できないだろう。青息吐息で開廷にこぎ着けたとしても、敗訴した場合、その裁判費用を自らが負担しなければならない。それだけでなく、弁護士も雇うならば追加で支払いを行わなければならなくなるから泣きっ面に蜂だろう。
「俺が死んだらお前のせいだからな。なぜかわかるか? お前は何回もミスをした。俺を陥れるつもりだからだ。もう勘弁してほしかったよ、頭がおかしくなりそうだった。だからこそ訴えたら勝てるぞ。お前が俺を陥れようとしたのが悪いんだからな。これは動かぬ証拠になる。度重なるミスも過失ではなく故意によるものだった。そのせいで俺は精神の病を発症したんだからな」
なぜか被害者のような口調で同じことを繰り返す。
「いやマジで自殺しようかな。俺が死んだらお前のせいだぞ。何回もミスをしやがって。俺を陥れるつもりだろ。もう勘弁してくれ、頭がおかしくなる。お前が俺を陥れようとしたことはわかってる。これは動かぬ証拠だ。度重なるミスも過失ではなく故意によるものだろうな。そのせいで俺は精神の病を発症したんだ」
だったら裁判してみろよ! 経済的に追い込まれて自殺すればいいじゃん。それがお前の本懐なんだったら私はあなたの意見を尊重するよ。だって尊敬する上司様のお言葉なんだから。
小窓から夕日が差し込んだ頃に、私は沈黙を破った。
「冷蔵庫にシュークリームの差し入れがあるので、早めに食べたほうがいいですよ。賞味期限が今日までしかないので」
ごうんと稼働音を鳴らし続ける電化製品の扉を開けると、暖かい色で照らされた棚には洋菓子だけでなく、コーヒーや大福やプリンが並んでいた。ありがたいが量が多すぎる。
「俺に命令してんじゃねえよ。おめぇ何様のつもりだよ。いい加減にしろよ、俺のことバカにしてんだろ。そんな物は捨てろよ、どうせ食わねーんだから。どうでもいいことをいちいち報告するな。それよりも、お前が俺を陥れようとしたのは自明の理だからな。これは動かぬ証拠だぞ。度重なるミスは過失ではなく故意によるものだろう。今回もそうだ。いらない報告しやがって! そのせいで俺は精神の病を発症しちまったよ。裁判したら勝てるぞ! 覚悟しろよ。俺は本気だからな。俺が死んだらお前のせいだからな。いやマジで自殺しようかな」
お前の発言のほうがよっぽど意味わかんねえよ。
仏の顔も三度まで、私の顔も三度までだ。
私は机を叩いてブチギレた。
「いい加減にしてくださいよ。だれもあなたをバカになんてしていませんよ!」
大仏の手のひらのようなすさまじい包容力を持つとされる私にだって我慢の限界はあるのだ。
「おい、何ムキになって大声だしてんだよ。お前が、俺に、命令するのが悪いんだろうが。逆ギレしてんじゃねえよ」
「そりゃだれだって怒りますよ」
「あ? どういうことだよ」
「自分が尊敬する人物に思いが伝わらないどころか、曲解されて受け取られてしまっているこの現状を見てください。それも数秒や数分じゃありません。何時間も何日間も誤解され続ける。それで平静を保つなんて無理な話ですよ。もしも私があなたに関心がなかったならば、それは可能だったかもしれません。しかし尊敬する人物に思いが伝わらないもどかしさがあなたにはわかりますか?」
しまった。言い過ぎた。
こんな長文、バカには理解できない。
どうすれば伝わるんだ。
なるべく言葉も噛み砕いたつもりだが。
「まあ、お前の気持ちは、理解した」
照れくさそうに口元に笑みをこぼして、上司は回転椅子をテレビ台に向けた。え? 気持ち悪い。なんで理解できるの?
さっきまで「意味わかんねえよ」を決め台詞であるかのように連発していた理解力ゼロの鬼バカが、なんの脈絡もなく唐突に手のひらを返したのだ。お前の頭の中はどうなってんの? と問うてみたかった。
建物は静寂に包まれて、廊下には私が鳴らす足音のみが響いた。夜の見回りを終えて個室に戻ると、上司が不機嫌そうに電子レンジを睨みつけていた。
認知機能が低下して、テレビとの見分けがつかなくなったのかもしれない。
「おい、なんで言わねえんだよ」
「どうかしましたか?」
あきらかに面倒くさそうな雰囲気を察知して、私は肩を落とした。脱力したらため息も漏れそうだった。
「差し入れがあるのになんで黙ってた。お前のせいで捨てることになっただろうが。もったいねえ! しかもお前だけ自分のぶんを食いやがって自己中心的すぎるだろ。俺が死んだらお前のせいだからな。報告ひとつも満足にできねえのかよ。そりゃそうだよな、俺を陥れるつもりなんだろ。もう勘弁してくれよ、頭がおかしくなりそうだ。訴えたら勝てるぞ。お前が俺を陥れようとしたのが悪いんだからな。これは動かぬ証拠だ。度重なるミスも過失ではなく故意によるものなんだろ。そのせいで俺は精神の病を発症したんだからな」
モスバーガーの袋や包装紙の中にある肉まん、コンビニで売ってるからあげ棒を一掴みにするとそれをゴミ箱に投げ捨てた。ゴミ箱のふたがくるくると回転して、やがて止まった。
その上司はものすごい剣幕で青筋を立てて怒鳴る。
うん、どうしようもないバカだな。
私はそう思った。
自分の発言を忘れたのかよ。
「いらない。そんなことをいちいち報告するな」
そう言ったのはお前だろうが。
まあ認知症で理解力ゼロの鬼バカには難しい話だろうがな。
数日間行動をともにしているとその上司が哀れに思えてきた。勉強をしていないと、人間はこんなにもバカになるのか。
私が語学の勉強をしていると「くだらない」「何が楽しいのか意味がわかんねえ」と言ってきた。
「くだらない」のはお前の人生だし、「何が楽しいのか意味がわかんねえ」のもお前の人生だ。お前には生きる価値がないから早く死ねばいいじゃん。
なんて。
醜い感情を吐露する私は美しいな。
なんてことを思いながら、幕引きとする。
私は私の汚い感情が大好きだし、自己中心的な行為こそ人間の愛すべき本質だと思う。少なくとも他人中心に行動する人よりも信頼がおける。自分の人生なんだから自分中心に生きて何が悪い。それが今まで他人中心に生きてきた私の意見だ。
自分を大切にできないやつが、他人を助けられるか。まずは自分を幸せにしてみせろ。幸福は伝染するからな。自分を犠牲にするな。不幸は伝播するからな。
それでも綺麗事が美しくて、汚い本音が醜いと思うならば隠して生きればいい。美しいとか醜いの判断は他人に任せず、自分で決める。他人に嫌われても、自分に嫌われなければ、それだけで生きる価値は十分にあるのだから。
サブタイトル候補②
「アンネという人が身近にいたならば、私はアンネの日記を読んだだろう。読んだことないけど」