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負け犬の遠吠え

『 もし、タイムスリップできるのなら、あの頃の自分に話してやりたいことがある。

 人に批判されても、ヤジを飛ばされても、そんな曲なんてクズだくらいのことを言われながらも、詞を書き曲を作り続けたことは、決して無駄にはならないのだと。

 作曲や作詞の才能を磨くというよりも、むしろお前は今、そういう無力感に耐えるだけの精神を鍛えているのだから、気にすることはない、と。

 そっちのほうがまず大事なのだ。そこでへこたれなければ、いくらでもまたトライすることができるのだから。そう話してあげたい。 』


 GLAYのリーダー、TAKURO(敬称略)の言葉だ。

 俺はずっと、そう言える未来を信じて生きてきた。何年間だろうな。何十年とか言い始めると、俺の歳を勘違いされるかな。

 なにをしても、なんにも通用しねぇ。ただひたすらに無視をされ続け、ここでやめても誰も惜しむどころか、同情どころか、やめたことに気づきもすまい。

 もともといなかった人間として扱われ、俺が生きてきた道はなかったことにされるだろう。

 その無力感……『そういう無力感に堪えるだけの精神を鍛えている』のが今なら、後何年間この無力感と戦って生きればいいのか。

 戦うといえば都合がいい。実際は独り相撲といえる、相手もいない戦場で、勝手に突っかかってはボロボロに傷ついてゆく。その無力感と、どう向き合えばいいのか。


 夢をあきらめるのは、才能のせいではない。

 夢は旅のようなもの、歩き続けさえすれば、いつかはきっと行き着けるものなのだ。


 これもTAKUROの言葉。尊敬する、俺の文章表現に関する師の言葉だ。

 その言葉、まだ信じてもいいですか。あなたを信じ続ければ、あなたのようになれますか。

 彼と俺の才能は比べるべくもない。そのことを差し引いて、俺はこの言葉を信じて、まだ走り続けることに意義はあるだろうか。

 ……そう疑えるほどに、年月は過ぎた。


 結局、誰に吠えても答えはくれない。

「いけるよ、がんばれ」と言われても、「いや無理だろ。その程度じゃ」と言われても、結局そこにあるのは、〝俺自身が無力感に耐えるだけの精神があるかどうか〟という部分だけであり、それは他人が決めることではない。

 天才じゃないことなどはずっと前から分かってる。というか、TAKUROが自分のことを天才じゃないというのなら、俺が天才であるはずもない。

 そんなTAKUROが〝(天才でない分)ひたすら詞を書き、曲を作り続けた〟というなら、そうするしか、あの人にはなれない。

 もう全然、全然虚無だけど、描くしか能のない俺は、描くしか、ない。


 ところで、徳間書店はかつて、

『まことに残念ですが…―不朽の名作への「不採用通知」160選 』

 という本を刊行していた。

 世界的に有名な作品が、無能な編集者の無思慮なコメント付きで門前払いされ、その後別ルートで市場に乗ったら〝セカイテキニユウメイナサクヒンニナッテシマッタ〟という例、たとえば百六十作品……である。世界にはそういう例も数多あるという……なんとも出版社が出すには皮肉めいたシロモノだ。

 自分を奮い立たせるため、じゃあ俺もそうだと思うことにしようじゃねぇか。


 カンチガイの言葉を、ただただ叫んでここに来ました

 怒鳴って成ったこの歌を アナタなら信じてくれますか? 

(ギャンブル syudou)


 でかいことを言い続け、疑う『才能と未来』を無理やり手繰り寄せ、自分の人生全額賭けて、……さて、明日は何を描こうかな。

 俺は、今日も面白いものを描いているよ?

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