作家としての、ささやかな希望
今日も作品を描いている。
だけど、今描いてるのはコンテストを意識していない。
ただ、描いてる。面白いものが描きたい。人を唸らせるものを描きたい。
名作と言えるものを……描きたい。
今回駄目ならこの小説賞から撤退しよう……と思いながらとあるコンテストに全力をつぎ込んで以来、コンテストから気持ちが離れてしまっている。今回駄目なら本当に角川も講談社もどうでもよくなる気がする。
思い上がりの勘違いかもしれなくても、俺の中では巷に出回ってるものと同等かそれ以上の作品がエントリーされているが、思い上がりの勘違いだけに、今まで先方に認めてもらったことはない。
それを、「世間はなんとセンスがないんだろうか」と思ってしまうほどの傲慢さから、なにが心配って、『コンテストであれらの作品群が全滅しても、俺はガッカリ絶望できないんじゃないか』ってこと。
……負けることが悔しくもなくなってしまったことが、何よりも腹立たしい。
ところで……、
どこかで言ったかもしれないし、どこかで言っておきたいのだが、俺は、自分自身が有名になることにはまったく興味がない。むしろ有名になどなりたくない。
俺が有名になってもらいたいのは自分の作品であって俺自身ではない。絶大な評価を得てベストセラーになりたいのは自作品であって、自身ではない。ここ、俺にとってはすっげー大事なとこだ。これがまったく理解されない出版社からはデビューしたくないと思えるほどに。
天才や秀才とも、努力人とも苦労人とも言われたくない。先生と言われてちやほやされたくもなければ、べつに成功者と言われることに喜びなどは感じない。
有名になったから能力を認められるとか、交友関係が広がるとか……今の俺を認めず、そうなったら認めて近づいてくるようなヤツラなど、もともとコチラの眼中にない。
俺は、俺なんかではなく、作品を見てほしいのだ。
面白い物を描いて、人を唸らせて、社会現象になって日本という国を沸かせてやりたい。
俺は日本語でしか世界が描けないから、遠くウクライナの人たちまで感動させようとは思わない。国内だけでいい。作品で、人を沸かせたい。
……そういうものを送り出すのが作家であって、俺がどういう性格なのかとかどういう人生を歩んできたかなんて、どうでもいいことだ。着ぐるみみたいなもんで、全身化けて夢を売るのが仕事であり、中の人が出しゃばっちゃいかんわけだよ。
ところが最近は有名になるとやたら顔が出るし経歴が出るし、いろんなことに紐付けられる。本当にやめてほしい。こんなことを言い出せば『取らぬ狸の皮算用』と笑われるのかもしれないが、今から言っておきたい。やめてほしい。
繰り返すが、すごいと思われたいのは作品であって俺ではない。売り出したいのは作品であって、俺ではないのだ。
めっさ大作家になっても、ウィキペディアとかで一つの情報もない作家となりたい。そうしてる人たちにケチをつけるわけではないが、作家矢久勝基として、テレビ出演する気もなければ、矢久勝基として作家以外で収入を得ようとも思わない。
作家矢久勝基が死ぬほど有名になっても、俺という人間がその名であることは隣近所にいても知らないし、みたいなのがいい。俺も誰にも言うつもりはない。
俺にはただ、執筆に専念できる環境と、デキに対する対価があればそれでいい。あとは矢久勝基がすげぇ作品描いてやる。それでいいじゃないか。
すげぇ作品を描いてやる……。
これのみが、今の俺の、作品作りのモチベーションだ。
「それならゴーストライターならよくね?」って思うかもしれない。
が、それは別だ。矢久勝基の作品は、矢久勝基の作品なのだ。矢久勝基が子供でもじじいでも女子高生でも地球外生命体でもかまわないが、俺は幽霊ではない。