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『独りよがりの作品』って?

 『矢久が今まで描いた作品たち』というのを同サイトに掲載してるんだが……。

 これ、俺自身にとってわりと便利で、よい備忘録になっている。

「いずれも徒花で終わった作品なのだから忘れてしまっても変わらないだろ」……という方は、自作品というものをその程度にしかとらえていないのだろう。

「忘れてしまう作品なのに偉そうにいうな」 ……という方には、「自作品の二百三十四ページ目に何が描いてあるか言えるのか」といった感じだろうか。

 忘れてるわけではないのだ。ただ、インデックスとして優秀だと言っている。

 先日一作品仕上げたが、引き続き項目増やして記録しておいた方がいいんじゃないかと思ったりもする。


 ところで、『自作品の解説までしている、イタイ作家』が堕ちていく様を描いた作品を横目に挟んだ。

 独りよがりの作品を描いて評価されないことに憤り、開き直って「閲覧数などいらん」と言いつつ、自作品の解説までして、病的に自己肯定している男を描いている。

 ははっ、俺じゃん。この作品を描いた筆者はこの男を、相当の悪意を持って表現しているから、こういうアマチュア作家を軽蔑しているのだろう。

 この作品は一定の評価を得ているから、同調や共感できる奴らも一定数いるのだと思う。


 ところで、ここでいう〝独りよがり〟とはどういったものを指すのだろう。

 同作品の言葉を借りれば『自分の描きたいものを描く』ことを〝独りよがり〟と言っているようだが、では、流行やトレンドに乗らないものを描くことすべてが〝独りよがり〟なのだろうか。

 他にも『読者を置き去りにした〝独りよがり〟な……』という表現があったが、読者を置き去りにしているというのはどの時点から言うのだろう。


 俺はもともと、〝共感〟という尺度で物語を求めることに疑問がある。

 共感というのは、自分の経験や見識、知識を元に、その人間の目線に近い心理やシチュエーションに対して得られる同調性だ。では、今日考えられない……もとい、共感が得られない(笑)物語というのは、いわゆる〝ありえない心理やシチュエーション〟だというのか。

 たとえば作中、怪物に追い詰められた少女が、恐怖のあまり己の両手の指をすべて噛みちぎった……というシーンがあったとする。それは共感できますか。

「怖かったら、そりゃそうなるよねーー」ってなりますか。

 ……実は、この話は実話だそうだ。ホロコーストの被害者となったユダヤ人の少女の話。

 これほどの恐怖を味わって、初めて思い至る心理。いや、思い至る前に彼女は本能のままにそれを実行してしまったのだろう。そんなものが現代日本でそうそう共感されるものではない。でも共感されないからと言って、事実に基づいて描いているものが"そんなことが起こりえるはずがない"と断言されるのもおかしな話だ。

 ついでに、『小公女セーラ』って物語が昭和にあったの知ってます?

 親が破産してすべてを失い、どん底に陥ったセーラが入学していた全寮制の学校で使用人として扱われることになり、学院長?にいびり倒され、同級生にいじめられ、"想像もできない悲しい生活が、私を待ち受けていたのです(原文ママ)"……という生活を送ってたのに、最後ダイヤモンド鉱山発見した親戚に助けられて元の生活に戻ることになった、時に。

 セーラは一つも恨まず、学院に多額の寄付をして去っていったというのだ。……現代を生きる人間たちにこの心理が理解できるか?

 イマドキの物語なら、ここからの復讐劇になるわけだろ。でも本当のプリンセスはそんな瑣末なことはしないんだよ。分かるか庶民。俺だってわかんねー。(笑)


 ともあれ……。

 分からないものが『共感できないこと』ならば、共感という尺度で物語を求めるということは、分かる範囲でしか物語を理解するつもりがないと言っているのと同じだし、それをもって『読者を置き去りにした〝独りよがり〟』というのは、あまりに了見が狭いとしか言いようがない。それはアナタがさまざまなことを知らないだけかもしれないじゃないか。

 共感を求めて物語を探すことがいけないと言ってるわけではない。共感を基準にして、そのカタルシスが得られない物を断罪することに疑問を呈している。

 実際は、ここまで大げさでなくとも、共感したい受け手側の視野や価値観、知識、経験が乏しいほどに、身近なことですら共感できないことなどたくさんあるだろう。なのに、これを自分の尺度で『読者を置き去り』と言われても、作家としては納得できるところではない。


 では、流行やトレンドに乗らないものはすべて〝独りよがり〟であるとするならば。

 ……それって、模倣作品至高主義ですか?

 流行やトレンドに乗るということ自体が、直接キャラクターやストーリーを真似るわけではなくても、〝模倣〟と言える要素を秘めていることは間違いない。

 ではそういう〝独りよがりな自己満足〟作品をすべて否定したら、どこから新しい要素を持った作品が生まれるというのだろう。

 評価されたいなら模倣作品を描けと言われれば、それは真理の一つかもしれないし、それに外れた作品はすべて新しい要素を持った作品かと言われれば、そのほとんどはそうではないとは思う。しかし、トレンドから外れたものを独りよがりや自己満足などと軽蔑して悪であるようにいうのは、創作芸術というものを根源から揺るがしかねない。


 自分の描きたいものを描いている=他人(読者)のための物語ではない。という論理がそもそも論。そんなの何を基準に決めるんだろう。

 そう断罪する読者の価値基準でしかない。

 じゃあ俺の作品はどうですか?と聞いてみたくもなるが、思えばこういう価値観の人間一人に認められても認められなくても人生に影響はないわけで、議論を戦わせる価値すらない。

 なににせよ、一定数こういう価値観でアマチュア作家を見てる読者が冷笑してることも事実。キテレツ風にいえば"頭が~痛くなっちゃうよ"。(笑)

 まぁ、コチラが正しいと主張するつもりもないし、俺が何かを言ったところでこういう層の考えが変わるものでもないだろう。

 なによりだ。

 こんなことにいちいち反応してること自体、自分が弱い証拠なんだよな……。

 なんだかんだ、迷子から抜け出せないからこんな作品にぶつかるわけだし、なにを言ったって、文芸においてまったく満足が得られてないのも間違いない。

 はっ、くだらねぇ。くだらねぇのは、自分であることが何よりくだらんわ。

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