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今、俺が金持ちでないのは

 今月も何とか生きながらえたと、毎月ながらに思う。

 本業からの収入は減り、よくぞ生きてるとわれながら寒心する。あ、感心と書こうと思ったら寒心になってしまったが、まぁ遠からずだ。

 自分の無能のせいで本業が躍進する芽を見つけることはできず、また作家への筋道も立っていかない。

 昔、とある社長は「社長に求められることはただ一点。月末に、必要な額を用意できるかだけだ」と言っていたから、そういう意味では曲がりなりにも自営業を貫いてはいるが、まったく立派に感じられないから困る。


 本稿は、そんな俺の自分語りである。正直、ショーセツ家が自分のことを語り始めたら終わりだと思うのだが、もう恥も外聞もない。自分の作品にさえツバを吐かなければ何でもいいと思えてきた。

 書くのが好きだから書く。今を文章に叩きつける。

 誰にも読まれなくていい。人間嫌いで浮世離れした俺が書くことだからろくなことは書かないことは先に言っておく。アンチになるかもしれんのに、わざわざこんな場所を閲覧する価値はないだろう。

 じゃあ書くなって?……余計なお世話だ。


 まぁそんなわけで金がない。だが金持ちにはなりたい。

 個人的に、あまり物欲のない人間だから、金持ちになってどうということもないのだが、ある程度の金があればとりあえず家族に迷惑はかけまい。

 理想はジャンボ宝くじかなんかの高額当選などに当たることだ。税金もないし、一生食える額の確保が出来る。……もっとも、あんな不確実なものに生活費を分配する余裕などもないのだが。

 ともあれ、棚ぼた的に金がほしいぞ! 金さえあれば磐石だ! 心置きなく執筆に専念できるし、資料集めや時間にケチケチしなくていい。すばらしい話じゃないか!!

 …………

 ……

 ……本当にそうだろうか……?


 今俺に、金銭的なハングリーさが一つもなかったら、本気で執筆を続けるだろうか。執筆は金のためではない。作品作りは金のためではないのだけど、この疑問は尽きない。

 物を描くことは好きだし、天才ではなくとも、ある程度の適正はあると思う。でもその上で、俺がもし今、一生生きていけるだけの金を手にしたら、物語を描き続ける自信があるかといわれれば、ない。


 俺の目標はショーセツ家としてのデビューなどではない。

 その通過点すらまったく到達してないのにえらそうだが、デビューが決まっても万歳もしないだろうし、作品が書籍化されても別に喜ぶことはないだろう。いわんや、一次通過、二次通過など励みにもならず、ここの活動報告のため以外の理由で自分から通貨状況を調べたこともない。受賞したなら連絡があるんだろうくらいにしか思ってない。(寸評がくれば読むけど)

 だって、結局その時点で俺の収入は0でしかないからだ。


 結局金か?って話になるかもしれない。そうとも言え、そうでないとも言える。

 俺が描いているのはエンターテイメントだ。今まで一度も、"自分のために"作品を仕上げたことはない。流行なんか追わないし、浮世離れした俺の文章など世間様に通用したことなんかないんだけども、それでも俺の物語はすべて、他人を楽しませるために生きている。

 自分の物語に驚いてほしいのだ。楽しんでほしい。笑ってほしい。泣いてほしい。

 名作が描きたい。自他共に認める、すばらしい作品を描きたい。それが、俺の作家としての無二の目標であることに揺るぎはない。

 

 しかしだ。しかし。

 それがノンプライスで流通することを、俺は望まない。その感動に、対価が発生してほしいのだ。

 なぜって、それが一番分かりやすい評価基準だから、である。


「タダなら見たい」「金払ってでも見たい」……ここには厳然な差がある。

 たとえば『小説家になろう』には五段階の評価があげられる仕組みがあるだろう。

 俺自身は描くこと専門だったからほとんどこの仕組みを利用したことはないが、たぶん皆さん自分の価値基準でそれぞれの作品に評価をしていくのだろう。

 では問うてみたい。

「最高評価をした作品すべてに、本当に金が払えますか?」と……。


 yesと言い切る読者がどれほどいるかはわからないが、それほど多くはないんじゃないか。とすれば、この最高評価には、分岐があるということになるだろう。

 すなわち、「最高評価だけど金は払えない」「最高評価! 金払ってもいい!」

 ……この差は、筆者にとって、非常にわかりやすい基準だ。実際に金が払える作品。それこそがホンモノじゃないか。

 まぁぶっちゃけた話、この世の多くの創作物の閲覧は先払いが当たり前だから、本来は読了後に「でもまぁ、金を払うほどではない」というのはスジ違いだ。映画館で全部見終わってから『金返せ』とフロントに詰め寄るようなもの。

 とすれば、「タダなら見たい」「金払ってでも見たい」の基準は多く、実際の内容とは異なる要素で判断されるわけだが、そういう部分は置いておいて、「コイツの作品なら金払ってでも見たい」と思われ、実際に支払いが生じることこそ、本当の評価ではないかと思うのだ。

 かつ、その報酬で生きていけることが、自分の能力を最大限燃焼して生きている証と言えるのではないだろうか。


 俺が、ただの"カネノモージャ"じゃないことは分かるだろうか。

 金を払ってもよいと思われるほどに作品を評価され、かつ、その金で飯を食うことが、俺の作家としての満足だということになる。

 先生先生なんてもてはやされなくていい(むしろウザい)。顔を売る気もまったくない(有名人になどなりたくもない)。俺は俺の作品と、俺の作品を支持してくれる読者と、まっすぐ向き合えればいい。

 贅沢?……そうな。贅沢だと思う。

 だが一度しかない人生。夢が贅沢じゃなくてどうする。


 ともあれ、俺の満足はそこまでがセットだから、すでに潤沢な後ろ盾があったら、この構図が成り立たない。そのエクスタシー(?)を感じられなくなった世界で、俺は本当に執筆を続けられるのかと思う。

 長編一つ仕上げることは楽ではない。「もうこれ描くのやめたい」と思わなかった物語はない。しかし、その最終目標があってこそ、俺は長い間一つの勝利を得られなくても諦めずに描き続けている。

 必要のない金のために物語が描けるだろうか。執筆を趣味というには、長編作品というのは、あまりに人生に負担が大きすぎる。


 逆に言えば……だ。

 俺に宝くじが当たらないのも(←比喩)、運命が、まだ俺を呼んでいるからかもしれないよな。

「描け。お前はまだ描け」と……。

 作家になれ。作家になってそれで飯を食え。家族を養え。自分の能力をいかして生きろ。

 ……ということなのかもしれない。

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