第4話 皇太子は、弟たちが少しだけ羨ましい。
今回も皇太子レオンのお話です。
側近のアランに押し出されるようにしてレオンが廊下に出ると、少し先で婚約者のセレーナが夜空を見上げていた。
「セレーナ、待たせたな」
「レオン殿下。いいえ、私も先ほど準備が整ったところです」
「そうか……」
(アランに聞いた限りでは、待たせてしまったはずだ)
夜の国の第二王女、セレーナ。月の女神の名を持つ女性だ。
月の光のように白い肌に銀の髪。たおやかな身体のラインに淡い翡翠色の瞳。
そして、内面は穏やかでありながらも芯が強い。譲れないところは決して曲げない。
レオン皇太子にとって、どストライクな姫君だ。
出会った時はレオンが二十歳、セレーナは十三歳だった。
その頃のセレーナは、まだ幼さが残る顔つきながらも、凛として少し冷たいような表情が印象的だった。
自分に興味がない、もしくは嫌われたのだろうかとレオンは思った。
しかし、いざ庭を歩きながら話してみると、好きな本、好きな茶葉や花の種類などが同じで会話が弾んだ。七歳も下の王女と帝王学の話で盛り上がったことにも驚いた。
あれは何とも心地の良い時間だった、とレオンは回想する。
そして、冷たくさえ感じていた整った横顔が、笑うと春の陽だまりのように見えて、息が止まりそうになったのも昨日のことのようだ。
年齢は離れているが、国同士のバランスが調度良いという理由だけで引き合わされた。
しかし、何が何でも婚約、ゆくゆくは婚姻を結びたいと父である皇帝に自ら強く申し出た。
他の国の王子に盗られてしまう前に縁談をまとめておかなければ、とレオンは焦ったのだ。
そして無事に婚約し、七年の時を経た。
その間にもセレーナの美しさと聡明さに磨きがかかり、レオンの理想通り――いや、理想以上の大人の女性へと成長してしまった。
本来であれば、それは僥倖なこと。しかし現在、レオンにとっては複雑な状況となっている。
いまだに正式な求婚ができていないのだ。婚約期間が長かったことも理由の一つ。
しかし一番の理由は、やはりセレーナが高嶺の花に育ち過ぎたことだった。
レオンは王位を継承する前に他国の様子を学ぼうと、一年半ほど外遊していた。
そして、第二皇子リオが雪の国に向かう少し前に帰国した。
少女が女性へと本格的に羽化する時期に、セレーナと離れたことがいけなかった。
出会った頃のような若気の勢いがあれば良いのだが、セレーナという花を手折る勇気がすっかりなくなってしまったのだ。
『チキン』
何度かアランの口から、ぼそっと聞こえたことがある。
婚姻の時期について皇帝である父に相談したが、『そんなものは自分たちで決めろ』と一蹴された。
父の隣に腰掛けていた母にも、『こんな格好悪い男に育てた覚えはない』と、わざとらしく嘆かれた。
今年、セレーナは二十歳の誕生日を迎える。
これほど良いタイミングを逃せば、次はいつになるか分からない、と思うところが自分でも情けないとレオンはうなだれた。
しかし、まだ、ふさわしい言葉が見つからない――。
今夜のセレーナは、背中が深めに開いたイブニングドレスを着ている。
(今日も綺麗だ……)
「セレーナ」
「はい、殿下」
「その、今日も……いや、何でもない」
「――そうですか。また何かございましたら、おっしゃってくださいね」
「あぁ」
「レオン殿下。今日のお召し物、素敵ですね」
「……っ」
自分は言えなかったことをサラリと言われてしまった。
心なしか、セレーナが勝ち誇った表情をしているようにも見える。
エスコートしながら食堂の扉を開けると末の弟、第三皇子マオが飛びつくかと思うような勢いで向かってきた。
もう十歳、彼も婚約者がいる身であるのに、ちっとも落ち着かないことが心配だ。
リオの幼い頃と容姿も、中身や行動パターンがそっくりだ。
(自由な弟たちのためにも、私がしっかりしなければならないのに)
たしか気合を入れ直すことを指す東洋の言葉で、『褌を締め直す』というものがあった。
「セレーナ義姉上、本日も大変お綺麗ですね」
(こいつ……!)
「マオ様、綺麗なのはお姉様だけですか?」
「ステラ、もちろん君が一番美しいよ」
そう言って、マオは同い年の婚約者のこめかみに軽いキスをした。
ステラは夜の国の第四王女であり、セレーナの実の妹だ。
彼女も夜の国らしく、『星』を意味する名を持つ。
セレーナが恋しくなり砂の国を訪ねてきたところ、マオに一目惚れしたらしい。
レオンが外遊中の出来事であり、帰国後は驚かされることばかりだ。
姉に比べると、快活で積極的な王女である。
しかし、この甘え上手な姫君にマオは上手に対応している。
視線を遠くに向ければ、食事の席に着く前の挨拶や歓談中でもリオはウルの手を離さない。
マオもこの調子だ。
うちの弟たちはどうなっているのか、とレオンは目眩がした。
しかし、そんな弟たちを見ていると無性に心がざわついた。
エスコートのために差し出していた腕を解いて、そっとセレーナの腰に回す。
セレーナの身体が一瞬ピクリと跳ねた。
しかし、レオンは回した手は外さなかった。
(これもエスコートの方法の一つ。問題ないはずだ……)
そして、皆が楽しげな時間を共有し、夜も更けてそれぞれ自室へと戻っていく。
雪の国の女王ウルも、思っていたよりも幼い容姿だったが教養があり、朗らかな印象だった。
所作も幼い頃から教育されていたであろうことが窺えた。
何よりも、あのリオを上手く操縦していることに感服する。
リオも少し見ない間に、表情が大人びて落ち着いたようにも思った。
(リオも良いパートナーに出会えたようで良かった)
セレーナを部屋まで送り届けたレオンは、できるだけ優しく少しだけ甘い声を出した。
「今日は来客もあり、疲れただろう。ゆっくり休みなさい」
「あの、レオン様。今宵はもう少しお話しませんか? お茶など、ご一緒に……」
「ありがとう。それはまたの機会に……。おやすみ」
そう言って、先ほどのマオのように額に口付けを落とした。
(十歳の子どもに倣ってどうする)
「はい……。おやすみ、なさいませ。殿下」
そっとセレーナの頬を撫でてから、自室へと歩を進める。
『据え膳食わぬは男の恥』
やはり東洋の言葉が、レオンの頭の中で響いた。
あー、『女に恥をかかすな』ってやつですかね。
何事も完璧にこなさなければ、という真面目過ぎる性格がこんなところで禍しています。
ちなみに食事のシーンは時間を戻すようにしながら、視点を別の人物に変えて何度か続きます。
お読みくださり、ありがとうございました。