第9話 愛が深く重すぎることは、俗にそう呼ばれます。
ウルと皇后が町歩きに出かけてしまったため、手持ち無沙汰なリオは自室の椅子に腰掛け、脚を放り出した格好で本を読んでいた。
読書にも飽きてきた頃、扉を叩かれた。
「ランドか。入っていいぞ」
失礼します、と扉を開けると同時にランドは顔をしかめた。
「また、あなたはそのような格好で」
「一人の時くらい良いだろ?」
「まぁ、少しくらいは……。しかし、気を付けてくださいよ」
「分かってる。そうだ、ウルが母上と出かけてしまったから、暇を持て余していたんだ。ちょっと、チェスでも付き合え」
「この部屋でですか? 嫌ですよ、生々しい」
ランドは、昨夜に何があったのか分かりきっている、というような顔をした。
(まぁ、間違ってはないな。それに、ウルも嫌がるか……)
「サロンに移動すれば良いだろ?」
「まぁ、それなら。お付き合いいたしますよ」
「何か、俺に話したいことがあったんだろ? 茶にするか? それとも、酒のほうが良いか?」
「お酒をお願いします」
真っ昼間、しかも側近としての仕事が全くないわけではない。
素面では話しにくいことなのだろう、とリオは悟った。
ランドが砂の国に戻ってから、何かしら動き回っていることは知っていた。
むしろ、ランドが自由に動けるようにと、側を離れる許可を出したのはリオ自身だ。
雪の国で聞いた、ランドと伯爵令嬢のサラが別れたという話。
男女の仲など、いつ何が起こるか分からないものだが、リオはどうしても腑に落ちなかった。
おそらく、二人は結婚するものだと思っていた。
このような事に対するリオの勘は、なぜかよく当たる。
貴族の家に生まれたからには、義務のようなものだといえども、人として男として、結婚は一生に関わってくる。
上手くいく、いかない、どちらにしても、ランドが納得する形で決着を付けさせてやりたかった。
サロンであれば人払いもしやすく、さらに声が漏れないように魔法をかけておけば、プライバシーは守れる。
リオはチェス盤を挟んで、ランドの対面に足を組んで座った。
そして、酒と軽くつまめるナッツなどを運んできたメイドに、しばらく人払いをするようにと伝えた。
メイドがドアを閉めたことを確認すると、椅子に座ったままドアを軽く指差して施錠する。
そこから、さらに防音の魔法を施した。
グラスを傾けると、ブランデーの中で揺れるロックアイスが、カランと涼やかな音を立てる。
この氷も、雪の国の水で作ったものだ。
このような小さなことからでも、砂の国と雪の国が結ばれた縁を感じられ、リオの口元が綻んだ。
しかし、ランドが胸元から出した一通の手紙により、空気は一転して重くなる。
真っ白な封筒に、歪みのない美しい文字が並んでいる。ランドに宛てた手紙、差出人はサラだった。
「開けていいのか?」
リオが窺うようにランドを見つめると、ランドは声を出さずに頷いた。
丁寧に開封すると、短い文が綴られていた。
『あなたには幸せになってほしい。
私も身体の相性が合う方が見つかりました。』
リオは一瞬、息をすることを忘れた。
それくらい、にわかには信じられない内容だった。
しかし、これが真実であるならば、ランドが隠したがっていたことにも合点がいく。
「これは……」
さすがにリオも、ランドにかける言葉が見つからない。
左手で手紙を持ち、何度も読み返すが、やはり『そう』としか受け取ることができず、右手で頭を抱えた。
リオの反応を見ながら、ランドがいつもよりも低い声を出した。
「私も最初は、そう受け取っていました。私よりも好みの男ができたのだろう、と。そして、すでにそのような関係なのだと」
「違うのか?」
ランドは、また首だけで頷いた。
「サラは冷え性で、身体の深部……核心温度が低いうえに、幼い頃から虚弱体質なんです」
「そうだったのか」
ランドとサラが一緒にいるところを、リオも何度か見ていたが、確かに儚いイメージではあった。
「そのため、『雪の国に嫁ぐには身体が保たない。雪の国では子が望めないだろう』と医師に診断されたそうです。私も公爵家の端くれのため……。妻の役目が果たせない自分は、身を引くと決めたのだと、逃げ回るサラを掴まえて何とか白状させました」
「尋問したみたいに言うな」
「まぁ、それに近いことは……」
「何したんだ……」
「壁に追い詰めたり、逃げられないように抱き抱えて、膝に乗せて身動きが取れないようにしたり……。まぁ、他にも色々ですね」
「サラッとすごいこと言ってる自覚あるか?」
「私にしては、まだまだ甘いほうです」
「どの『甘い』なのか分からんが、これからどうするんだ?」
ランドはブランデーの残りを口に含み、飲むというよりも流し込んだ。
「おい! それ、結構強いやつ……」
ランドが空になったグラスをタンッとテーブルに戻すと、少し溶けた氷がグラスの中で跳ねた。
「真相が分かったからには、今度こそ逃しません」
「甘い、というより怖いわ」
ランドの目が、やや据わっている。
(酒のせいだと思いたい……)
「殿下ならどうなさいますか? ウル様が殿下よりも、好意や興味を持つ相手が現れたら……」
何を馬鹿なことを、とリオは笑った。
「そんなもの、快適な寝室に閉じ込めるに決まってるだろ。鍵や枷ではなく、俺にしか解けない魔法で」
「あなたも相当ですよ。結局は同じ穴の貉ということです」
そして、ランドは嘲笑しながら、さらに饒舌になる。
「雪の国にいる頃から手は打っています。サラの家は伯爵家。公爵家、さらに宰相の息子からの求婚を断る力などないはずです。それに後から現れた男は、貴族といえども子爵家。私が負けることはありません」
一息でそこまで語ったランドが薄く笑う。
幼い頃から、大人でさえ手玉に取る頭脳を持ち、相手を笑顔で追い詰めるほどに弁が立つことは、幼なじみであるリオはよく知っている。
しかし、ランドのこんな表情を見たのは初めてだった。
少しばかり、背筋が寒くなる。
「権力を使うことは嫌いです。そのような人物は心底、軽蔑します。しかし、サラに関しては、なりふり構っていられない。たとえ、サラが私を軽蔑しようとも、他の男が手を出せないように囲ってしまうのが一番早い」
普段は飄々としているランドが、病的なまでに執着している女性。
同じ男としてランドを応援したい気持ちと、サラの行く末が心配になる気持ちが、天秤の上でぐらぐらと揺れる。
お読みくださり、ありがとうございました。
ランドのような男性が、本当に手放したくない人を見つけたら、こうなるだろうなーと思いながら、書きました。
というよりも、勝手に暴走してくれました。




