捕食者の矜持
『いや。もう終わりだ』
「――!?」
全ての護衛の帝王種を喰らい、次こそ標的だったイシュカティールを殺そうとしたまさにその時、オークから返された予想だにしない言葉に良人は、思わず目を見開く。
「どういうことだ!?」
困惑に任せて声を荒げる良人とは対照的に、オークはあくまでも淡泊に、そしてさも当然のような口調で応じる。
『どうもこうもねぇよ。満腹になったってだけのことだ。腹が膨れたら飯は食わねぇ。常識だろ?』
完全に戦意を無くしていることがありありと伝わってくるオークの言葉に、良人は怒りに燃えた瞳を向ける。
「ざけるな!」
爆発するように高まった感情のままに声を荒げた良人だったが、オークは全く意にも介していないような様子で、逆に冷ややかな視線を返す。
「あと一息だろ! それであいつをぶっ殺せるんだ! 何のために、俺がお前の宿主になったと思ってる!」
『――お前こそ、勘違いするなよ相棒』
「っ」
普段は陽気な口調で話すオークの口調が抑制され、冷ややかな響きを帯びると、良人はその迫力に圧倒されて、思わず口を噤んでしまう。
『確かに、相棒は俺の宿主だ。でもそれはギブアンドテイク――いわゆる共生関係ってやつだ。俺は俺が飯を食って生きるために。相棒は俺の力で帝王種を殺せるようになる……そういう契約なんだよ。
そもそも、帝王種は俺達王喰にとっては飯だ。飯を殺しつくしたら俺は飢えて死ぬしかない。その時には相棒……お前も死ぬだけなんだぜ?』
そんな良人に対し、オークは淡々とあまりにも当たり前の事実を並べていく。
王喰が帝王種を殺すのは、生存するためにその命が必要があるからであり、オークからすれば、無意味な――良人の復讐――に協力して食料を根絶やしにするつもりなどない。
空腹が満たされたのなら、それ以上殺す理由など皆無なのだ。
しかし、それはあくまで王喰であるオークの言い分だ。その存在を身に宿した良人にとっても同じであるわけではない。
「そんなこと知ったことか! 俺はこいつらを殺せればそれでいいんだよ!」
『ふざけるなよ』
激情に任せ、駄々をこねるように声を荒げる良人をオークの抑制された声が押さえつける。
『飯ってのは、生きるために喰うもんだ。俺達は、別の生き物の命を喰って生きてる。その俺達が――いや、誰にだって、命を軽々しく扱っていい道理はねぇ!』
喰らう側の者としての立場と心構えを説くオークの言葉に、良人は強く拳を握り締める。
唇を噛みしめるその表情は到底オークの言葉を受け入れたようには見えないが、しかしそれ以上の反論をする必要はなかった。
『とにかく、お前が戦うって言うのなら、俺はもう力を貸さねえ。――たとえ、あいつらに殺されることになってもだ』
「……っ」
オークから告げられたその言葉に良人が全身を震わせていると、周囲が騒がしさを帯びてくる。
帝王種の街の中でこれだけ暴れれば、気付かれて集まってくるのは必定。
いかに王喰の力を以てしても、数十にもなる帝王種を一度に相手すれば、この星にやって来た時のオークのように返り討ちに会ってしまうことは避けられないだろう。
「今日の所はお前の命、預けておいてやる!」
このまま戦っても分が悪いと判断した良人は、心が引き裂かれてしまいそうになる悔しさを噛み殺し、宙へと舞い上がる。
その背から翼を生やした良人は、王喰の力を以て天を翔け、夜天にかかる雲の中へとその姿を消す。
「……やれやれ、私も嫌われたものだな」
その姿を見送ったイシュカティールは、静かな声で嘆息すると、深く息を吐き出す。
それは、捕食者から紙一重で逃れることができた獲物が生存を確認して零した安堵のため息だった。
※※※
――殺す。
殺して、殺して、殺しつくしてやる……!
暗い暗い闇――瞼を閉じる良人は、自分の中に絶えることなく燃え上がらる憎悪の炎に身を焦がす。
その脳裏に甦るのは、帝王種に喰われた両親、帝王種の所為で死んだ妹の最期の姿。自分から大切なものを全て奪った敵に対する純粋な憎悪だった。
「……そろそろ腹は減ったか?」
手中に握り締めていた指輪――美亜の形見となるそれを懐にしまった良人が問いかけると、オークは満ち足りた声で口端を吊り上げる。
『ばーか。俺達をお前達と一緒にするな。俺達帝王種は、一度飯を食ったら一週間くらいは喰わないんだよ』
「はぁ?」
オークの口から告げられた事実に良人は困惑の声を上げるが、同じ身体を共有する帝王種の天敵たる異形は、そんな疑問に答えるように言葉を続ける。
『ここまでペースが早かったのは、身体の再生と回復に栄養が必要だったってだけだ。もう傷も癒えてるし、無駄な暴飲暴食はしねぇよ。
そもそも、お前と俺は同じ身体を使ってるんだ。腹が減ってるかくらいはわかるだろ?』
「……くそが」
オークに指摘され、確かに自身の中に食欲という渇きがないことを感じ取った良人は、小さく吐き捨てるように言う。
良人の本心としては、今すぐにでも帝王種を殺しに行きたいところではある。だが、今そんなことをしたところで昨晩の二の舞になることは明らか。
帝王種を殺せるようになったというのに、自分の思うままにその力を振るえないもどかしさに歯噛みした良人は、身を隠していた樹上から地面に軽く飛び降りる。
『あん? どこ行くんだ?』
「別に。その辺ブラブラするだけだよ」
変身していなくとも王喰と一体化した良人の身体は、もはやかつての地球人のそれとは根底から異なる能力を有している。
五メートル程度の高さの樹から飛び降りたところで、痛みはおろか痺れすらない足で歩を進める良人に、オークはしばし思案してから語りかける。
『一応言っとくが、運動したくらいじゃ、そうそう俺の――いや、俺達の腹は減らねぇぜ?』
「うるせぇ」
帝王種が管理している街から一歩出ると、そこには一面に豊な緑が広がっている。
かつて地球人が統治していたころには、その文明によって踏みにじられていた自然は、帝王種の力と技術によって、一年も経たない内に回復していた。
青く美しい緑豊かな星――自然と文明が調和し、そう呼ぶにふさわしい環境を作り上げたのは、皮肉にもこの地球に住まう当事者出会った人類ではなく、それらを食料都市、家畜とする帝王種達だった。
そうして作り上げられた自然の領域は、王喰となった良人にとっては身を隠す絶好の場所でもある。
いかに王喰が天敵とはいえ、害をなさない限り被捕食者である帝王種達は、良人を殺そうとしない。森を駆り立て、自分達の安全のために自分を殺すものを殺したりはしない。
それこそが帝王種と呼ばれる存在の矜持であり――この世に自然と共に生きる地球人以外、ほとんどの生物が履行する理なのだから。
「……ん?」
(煙?)
少しでも気を紛らわせようと森の中を歩いていた良人は、その目に空へ登っていく白い煙を見て取った小首を傾げる。
(人間は皆帝王種の作った居住区にいるはずなのに、こんなところに誰かいるのか? あ、いや。確か帝王種が放牧? みたいな感じでわざと地球人を外に逃がして狩ってるって聞いたことがある気がするけど……)
帝王種が地球を支配して以来、家畜となった人類は原則として帝王種の街の近くに作られた居住区で隔離、管理されている。
一部例外があると聞いたことはあるが、実物を見たことは無い良人は、不自然に上がっている煙に違和感を覚え、誘われるようにしばらく歩いていくと森が開け、良人の前に煙の発生源が現れる。
「小屋?」
煙の発生源であるログハウスに似た建物を見止めた良人が怪訝な声を発しながら近づいていくと、肩から顔を出したオークが鼻を鳴らす。
『この匂い、帝王種だな』
「帝王種がこんなところに住んでるのか?」
鼻を鳴らし、小屋の周囲に沁みついた匂いを嗅いだオークが言うと、良人は怪訝な表情で訊ねる。
『帝王種ってのは意味もなく群れないが、こうやって孤立して暮らす奴は珍しい。――でもまあ、中にはそういう奴もいるさ』
そんな良人の問いかけに、オークはあっけらかんとした声音で言う。
仮にここに帝王種が住んでいようと、満腹のオークにとってはどうでもいいことだというのが、その態度からは透けて見えていた。
帝王種の本質は支配者だ。そして支配者とは支配するものがあるが故に支配者であり、たった一人の支配者など支配者ではない。
そのため、必要最低限のコミュニティを作るのが帝王種の生活スタイルではあるが、何事にも例外はあるもの。――ここで暮らしているのは、そういう類の人物だということなのだろう
「そういうもんか……ッ!」
その言葉に小さく呟いた良人は、突如背後に現れた気配を察知して背後を振り向く。
良人と、その肩から顔を出す王喰が振り返ると、そこにはおそらくこの小屋の住人であろう帝王種の女が佇んでいた。
「――……!」
『――!』
その帝王種の姿を見て取った途端、良人とオークは目を見開いて硬直する。
腰の位置よりも伸びた長い桃色の髪。帝王種の証ともいえる冠に似た角は、頭部にリング状に映えた月桂冠を思わせる形状をしている。
帝王種らしく造形の整った、愛らしく物腰の柔らかさを感じさせる顔立ちをした帝王種は、珍妙な来客に戸惑いの表情を浮かべていた。
良人がその帝王種を見て言葉を失ったのは、決してその美貌に心を奪われたわけではない。
その帝王種は――
「……美亜?」
先日亡くしたばかりの妹に瓜二つだった。