喰うものと喰われるもの
『――ング。ハァ、食った喰った』
静寂の中、口腔内の食料を嚥下する重量感のある音と共に深く息を吐き出した王喰は、満足した様子で己の牙の隙間を指先で穿る。
変身を解き、人間としての姿に戻った自分の身体からその黒い身体を伸ばしている王喰を見据える良人は、その様子を見て笑う。
「ク、クク……ハハハハハッ!」
誰もいなくなったクレーターを見回した良人は、自身の内側からこみあげてくる暗い愉悦を抑えきれずに笑い声を上げる。
地球人を飼育し、宇宙の頂点に位置する食物連鎖と生態系の頂点たる帝王種。
そんな存在を、彼らから見れば家畜に過ぎない地球人の自分が殺したという優越感と、それに伴う全能感が良人の心と身体を歓喜に震わせる。
(殺せる。俺は、こいつらを殺せる……!)
王喰の宿主となったとはいえ、良人は今日まで普通に生きてきた一般人に過ぎない。
にも関わらず、何の訓練も経験もなく、人に限りなく近い姿をした帝王種を殺したことに何も感じなかった。
それは、良人という人間がその人間的な人格を残したまま、価値観などが王喰のそれへと変化したことを物語っている。
帝王種を人としてではなく、殺して喰らうべき食料として見ることができる感性。――それが自分に宿ったことを知った良人は、これで何の憂いもなく帝王種達を殺せることを確信して、歓喜と期待に胸を膨らませていた。
『どうした? 相棒』
「いや……これを俺がやったんだと思うと嬉しくて」
身体から生えるように姿を見せている王喰がそんな良人の反応に怪訝な眼差しを向けてくる。
自分の身体に宿った帝王種を殺せる力を確信した良人の喜びの言葉に、王喰はその口端を吊り上げて不定な笑みを浮かべる。
『俺〝達〟だろ?』
「ああ、そうだな。……そういえば、お前なんて名前なんだ?」
王喰の言葉に答えようとした良人は、ふと「なんと呼べばいいのか」という素朴な疑問に思い至って質問する。
『名前? あぁ、個体名称のことか。生憎、俺達にはそういうのはねぇよ――そんなもんなくても困らないからな』
その問いかけの意味を掴みあぐねたのか、怪訝そうに首を傾げた王喰は、情報を正しく整理して答える。
それを聞いた良人は、王喰という存在に、名前という文化がないこと、しかしそれを固有名称だと理解するだけの知性を有していることを同時に理解して驚愕する。
帝王種――地球人である良人から見れば宇宙人――に支配されていても、地球外の情報というものは案外入ってくるものではない。
なぜなら、この星は帝王種にとって家畜を飼育する場所――すなわち「飼育場」であり、自分達以外の地球外生命体と交流を図る場所ではないからだ。
そういったこともあって、帝王種以外の宇宙人を初めて見た良人は、その生態の違いを改めて実感していた。
「そういうもんか? でも、名前がないと呼ぶときに不便だろ?」
『なら、お前が呼びやすいようにつけてくれればいいさ』
とはいえ、生粋の地球人にして日本人である良人からすれば、「オイ」や「お前」と呼んでは少々味気なく、「王喰」などと呼ぶのも面倒に感じられた。
そんな考えを告げた良人の言葉に、当の王喰本人は自分のことだというのに、全く興味を持っていないような口ぶりで応じる。
「じゃあ、『オーク』ってのはどうだ? 王喰らいだから、『オーク』。まあ、ちょっと豚っぽいイメージはあるけど」
『豚? ……まぁ、好きなように呼んでくれよ』
王喰から安直に名前を付けられた王喰――「オーク」は、良人のネーミングセンスに呆れながらも、それを受け入れる。
その淡泊な反応は、王喰という種族がそれほどに個体名称に価値を見出していないことの証明でもあった。
「俺は、飯田良人。よろしくな、オーク」
しかし、その反応を見て満足気な笑みを浮かべた良人は、手を差し出して握手を求める。
それを一瞥した王喰は、何を求められているのかを正しく理解し、差し出された良人の手に自分の手を重ねる。
『イートか。よろしくな、イート』
固く交わされたその握手は、地球人の良人と、王喰のオーク――異なる種族である二人が一つの存在として、これから共に生きていく決意を表しているかのようだった。
――その日。地球という帝王種の農場に、帝王種を喰らう新たな天敵が生まれた。
※※※
「――あれから三日。初日に同胞五人を喰らった王喰はそれから姿を消し、夜毎に二人から三人の同胞を喰らっている」
画面に映し出されているクレーター――三日前に地球に帝王種が落下した痕跡を見つめ、帝王種の女帝である「イシュカティール」は、苛立ちを隠せない声で言う。
王喰の落下地点に向かった同胞は消え、それから毎日帝王種が消えていく。
その後、街中で帝王種が襲われ、そこに映し出された異形の映像を見る限り、目撃情報から王喰が生きていることは確定だった。
「食事のペースが早いですね」
「ああ。通常、一個体の王喰が短期間にこれほどの帝王種を喰うことは無い。――こういう喰い方をする時は、奴が外部エネルギーを大量に摂取する必要に迫られている証拠だ」
それを見ていた騎士然とした居住まいの腹心――「グウラ」の言葉に、イシュカティールは同意を示す。
宇宙においても、食物連鎖、生態系のピラミッドというものは存在する。
つまり、宇宙における生態系の頂点である帝王種は絶対数が少なく、不死に近い長大な寿命を有してはいるが、子供が生まれる確率は極端に低い。
そんな帝王種を食料とする王喰は、通常一度食事を取れば、数日――数十日以上も何も食べなくても生きていける。
つまり、一般的に言えば、いかにこの地球という星が帝王種が大勢いる場所だとしても、連日食事をするなどありえない。
しかし、それが起きているのは、王喰が先の戦いで負った傷を癒すために、大量のエネルギーを必要としているからだと考えられた。
「奴はこの星に来るまでに深手を負っていました。そうなると、別の宿主に身体を乗り換えた可能性が高いと思われます。
新たな身体に適合し、王喰として最適な形に構築するために必要なエネルギーを確保しているのも、その理由の一つでしょう」
「――ああ。それも、次の宿主はおそらく……」
大きな角を有する帝王種――「ザイオス」が補足を加えると、グウラはそれに同意を示した上で、イシュカティールへ視線を向ける。
「この星の人間か」
グウラの視線が含む意味を正しく受け取ったイシュカティールは、その口から答えを紡ぐ。
苛立ちか、あるいは食料である家畜が自分達の命を脅かす脅威になったことへの嘆きか――わずかに眉間に皺を寄せたイシュカティールの言葉に、ザイオスが応じる。
「それは問題ではないでしょう。むしろ、王喰は知性の強い生物の自我を乗っ取ることはできません。地球人ほどの知性がある生物ならば共存しているとみて間違いありません。
なまじ知恵と自我あるもの同士が一つの身体を共有するのだ。わずかなきっかけで関係が瓦解する可能性は高いかと」
帝王種にとって世界で唯一の天敵だからこそ、王喰の生態と能力については研究され尽くしている。
他の生物に寄生する王喰は、知的レベルの高い――文明を構築する程度の知性を有する個体を宿主とするとき、その自我を支配できないことは帝王種にとって常識だ。
ほとんど本能で生きている獣とは異なり、知恵があるということは脅威でもあるが、同時に王喰とその知性ありし種族の意識が衝突することも知られている。
そしてその場合、二人の意思に齟齬があればあるほどに、王喰の力は正しく発揮されない。それは、帝王種にとって最大ともいえる好機となる。
「――そう上手くいけばいいがな」
ザイオスの言葉に静かな声で応じたイシュカティールは、楽観視はするべきではないとばかりに、低い声で釘をさす。
しかし、悪い考えばかりでも意味がないと判断し、一つ息をついて気持ちを切り替えたイシュカティールは、周囲にいる帝王種達に向けて命令を下す。
「いずれにせよ、王喰の速やかな発見と抹殺を現段階における最重要問題と位置付ける! 警戒を怠るな」
「はッ!」
※※※
「…………」
帝王種によって作り替えられた街並み。――それを見降ろしながら、肌を撫でる風に身を委ねていた良人は、閉じていた瞼をゆっくりと開く。
『帝王種ってのは、基本的に王様気質なんだよ。強い者、能力の高い者が上へと昇りつめる。――だが、船頭多くして船山に上るって言ってな
なまじ強大な力を持ってるせいでプライドが高く、下手に隠れたり怯えることを嫌い、無意味に群れることを良しとない風潮がある。
つまり、何が言いたいかって言うと、俺達に襲われるかもしれないと分かっていても、どこかに隠れて閉じこもったり、護衛で身の回りをガチガチに固めることは無いってことだ』
そんな良人の耳に、オークの囁きが届けられる。
王喰として培ってきた知性と経験、その存在に刻まれた狩猟本能から帝王種という獲物について知り尽くしているオークの言葉を聞いた良人は、ゆっくりと立ち上がる。
「あぁ。そうみたいだな」
思えば、以前イシュカティールの元を尋ねた時も、統治者のいる場所だというのに、能力的に圧倒的に劣る地球人の良人が、話をできる距離にまで近づくことができたのも、オークの言う「帝王種の性質」によるものなのだろう。
全くいないわけではないが、警備などなくとも、自分達が持つ強大な力で対抗できると考えている――否、それができない者に価値を見出さないのだ。
『だから、お前が狙ってる獲物も、精々二、三人程度しか引き連れていないはずだ』
「そんなことはどうでもいい。あいつを殺せるのか?」
耳に流れ込んでくるオークの言葉に一瞬眉を顰めた良人は、確認のために問いかける。
先程の言葉通りなら、帝王種は地位が高い者ほど単純に優れた能力を有しているということになる。
これまで喰らってきた一般の帝王種より高い地位にいるであろう相手を、今の自分達ならば殺せるのかを確かめておく必要があった。
『この三日で身体は十分に回復した。力も万全。よほどの下手を打たない限りは負けないさ』
そんな良人の言葉に、オークは勝利を確信した声で答える。
それを聞いた良人が「そうか」と呟き、拳を握り締めると、その身体から顔を出していたオークは、風に乗って届いてきた香りに気付いて目を細める。
『おっと。そんな話をしていたら、丁度出てきたみたいだぜ?』
その言葉に視線を向けた良人は、街の中にある塔から三人の護衛を連れて現れた女――「イシュカティール」の姿を見止める。
王喰となったことで夜の闇など意に介さないほどの視力を手に入れた良人の目には、イシュカティールの姿を遠方からでもはっきりと捉えることができた。
「いくぜ、オーク」
三日前、自分を睥睨していた女帝の姿を思い返し、音がなるほどに強く歯を噛みしめた良人は、暗い感情に燃える瞳でイシュカティールを睨み付ける。
『ああ。飯の時間だ』
高層ビルの床を蹴った良人に答えたオークは、空中に二人の一身が投げ出されると同時に、その身体に融合して変身する。
瞬き一つほどの時間もかからず、鬼を彷彿とさせる人型の異形の姿を取った良人は、その背から伸びた身体を翼に変えて空を飛翔していく。
王喰の身体となった良人の鬼人形態は、その身体の細胞を操って肉体の形状を部分的に変化させることができる。
それによって翼を獲得した鬼人の姿は、西洋で語られる悪魔に似たシルエットを持つものとなり、音すら置き去りにする速度で獲物に向かって一直線に襲い掛かった。