王を喰らうもの
「ハッ、ハッ……」
木々が鬱蒼と茂る森の中を駆け抜け、良人は先程隕石が落下した場所へと辿り着く。
落下の衝撃によっておびただしい数の巨木が薙ぎ倒され、大気圏の摩擦で生じた熱を要因とする炎がくすぶるその光景を目の当たりにした良人は、思わず息を呑む。
「……!」
しかし、その場は隕石が落ちたというには破壊が抑えられ、落下によって生じたクレーターと思しき跡すら見て取れない状態だった。
それを見た良人は、まるで何かに導かれるようにゆっくりと歩を進め、落下地点の中心に存在する一際大きな異物らしき影へと向かっていく。
『なんだ? お前』
「え?」
その時、不意に生じた声に思わず足を止めた良人は、目の前にある巨大な影を見上げて、言葉を失う。
そこにいたのは、全長五メートルにはなろうかという巨大な獣だった。
爛々と輝く深紅の瞳に、鋭い牙が覗く大きく裂けた口。捻じれた様な角が生えたその姿は、神話に謳われる竜を彷彿とさせる。
全身を鋼のような体毛に覆われたその存在は、間違いなく地球上には存在しない生物だった。
「か、怪物が喋った……!?」
全身に傷を負い、青い血を流している獣から聞こえた言葉に、良人は思わず声を漏らす。
『怪物とは随分な言い草だな』
そんな良人の言葉に、鼻を鳴らした怪物だったが、怒っている様子はなかった。
『ぐ……っ』
「お、おい、大丈夫か?」
逆にその口から零れた苦悶の呻き声に、良人は傷ついたその身体へ視線を巡らせる。
無数の傷が刻まれた怪物の身体は、ほとんどが青い血で濡れており、元の黒みがかった体躯がうっすらと覗いている程度。
四本ある足の前足の左側が一本欠損した痛ましい姿は、どう見ても生物として生命活動の限界に近いように思われた。
『いや……帝王種どもにやられてな。さすがに、あれだけの数で囲まれてはかなわん』
「帝王種……」
苦しそうな声と共に紡がれた支配者の名前に、良人の中で燻り続けていた憎悪と怒りの炎が一回り大きく燃え上がる。
『やっと、新しい餌場に辿りつけたと思ったが……このままじゃ、死んじまうなぁ』
そんな良人の反応には気付かず、怪物はどこか遠い目で他人ごとのように呟く。
明らかに致命傷を負い、今にも死にそうだというのに全く危機感がない――まるで自分の命に関心がないような口調で言う怪物に、良人は怪訝な視線を向ける。
『ところでお前、帝王種じゃないな』
その時、不意に怪物の深紅の瞳が良人を捉え、品定めするように全身を見る。
「ああ。俺は地球人だ」
一瞬怪物の視線に怯んだ良人だったが、意を決して強い語気で応える。
『地球? ……この星の名前か。つまりは帝王種どもの家畜ってわけだな?』
「……そうだ」
それを聞いた怪物が正しく情報を整理し、簡潔に状況をまとめた言葉を聞いた良人は、それを忌々しく思いながらも肯定するしかない。
こちらの事情を推察して話す知性と理解力――自分達地球人と比べても遜色のない対話能力を有する怪物と会話する良人は、地球人は帝王種の家畜であるという事実に拳を握り締めるしかない。
『取り引きしないか?』
「取り引き?」
無力感と憎しみに肩を震わせる良人に視線を向けた怪物は、不意に口端を釣り上げるようにして話しかけてくる。
『俺は帝王種がキングイーター――『王喰』と呼ぶ種族。つまり、帝王種を食料とする天敵だ』
「っ」
その怪物の口から出た「帝王種の天敵」という言葉に、良人の肩がかすかに震える。
正直良人の反応を見て取った怪物――「王喰」は、まるで獲物を追い詰める狩人のような目で囁きかける。
『だが、ご覧の通り、このままでは俺の身体は死んでしまう。もうすぐ帝王種もやってくるだろうし、そうなれば、確実に殺される
俺達王喰は帝王種の唯一の天敵。だからこそ、帝王種の奴らも俺達の事を恐れて、殺そうとしているからな』
傷だらけの身体を一瞥した王喰の言葉に、良人は不安気な表情を浮かべる。
「けど、お前の傷が治るまで帝王種の奴らの目から隠し続けるなんて、俺にはできないぞ?」
『それは問題ない』
王喰の傷は即座に再生するようなものには見えなかった良人が言うと、帝王種の天敵は愉快気に目を細めて言う。
『俺達王喰は、寄生型の生物。つまり、この身体も借り物に過ぎない。使えなくなったら捨てるだけだ』
「……!」
王喰の説明を受け、目を瞠った良人に、帝王種を喰らう天敵たる怪物は、その目を細めて本題を切り出す。
『お前の身体に、俺を住まわせてくれないか?』
「……っ」
寄生種であることを告白し、力の対価に良人の身体を求めた王喰は、その赤い瞳で小さな人間を見据える。
『心配しなくても、本能のままに生きている獣とは違って、お前のように自我のある生き物に寄生すれば、どちらの意識も残る。――俺は、お前の身体を間借りさせてもらうだけだ』
寄生種とはいえ、王喰は一般的なそれのように取りついた相手を食料にするわけでもなければ、その人格を乗っ取ってしまうわけではない。
その身を依り代とすることで力を発揮する王喰のそれは、寄生とは言っていても憑依などと表現した方が適切なものだった。
いずれにせよ、王喰の提案を呑むことで、良人は常に自分の中にもう一人の人格が存在する状態になる。
『その見返りに、お前は俺の力を手に入れる。――帝王種を殺し、喰らう天敵の力をな』
そして、その対価こそが王喰の力を得ること。――すなわち、宇宙の頂点に座する帝王を殺す力だ。
『お前は家畜から、奴らの敵に生まれ変わる。別の意味で命を狙われることにはなるがな、クク』
食料としていつ喰われるか怯えながら待つか、帝王種の敵として命を狙われるか――その違いしかないのだと喉を鳴らす王喰の言葉に、良人は選択を迫られる。
「……それを信じろって言うのか? 帝王種の天敵なんて偉そうに言ってるくせに、帝王種に殺されそうになってるんだろ?」
試しているとも、愉しんでいるとも聞こえる王喰の様子に若干の不満を覚えながらも、良人は一つの疑問を確かめずにはいられなかった。
今まで王喰の言葉を聞いていた良人だが、知識がないために、先程までの話が真実か嘘分からない。
ただ、一つ確かなのは、自らを帝王種の天敵と言った王喰が、今その帝王種に瀕死の状態にまで追い込まれている。
『馬鹿野郎。肉食獣も草食獣に返り討ちにされることくらいあるだろうが。喰われる側も、ただ喰われてるわけじゃねぇんだよ。てめぇの命を守るために抗うってだけのことだ』
「それは……」
王喰の言葉に、良人は眉根を寄せて思案を巡らせる。
この世界に絶対無敵の存在などいない。生態系の上位に位置するからと言って、下位の生物よりも全てが勝っているわけではないのだ。
地球でも、ライオンが獲物であるバッファローなどに返り討ちに会うことがあり、成体となった象やキリンを滅多に襲わないように、帝王種の天敵である王喰もまた一方的な強者ではない。
弱肉強食。されど、弱き者はまた強者に抗う。――それこそが、この世の理だ。
『どうする? 迷ってる暇はないみたいだぜ?』
「帝王種……!」
その時、不意に視線を険しくした王喰の言葉に導かれるように天を仰ぎ見た良人は、こちらへ向かってくる無数の光を見止めて息を呑む。
あれだけ派手に地上に落下して、帝王種が行動しないはずはない。
自分達の天敵の死を確認し、生きていれば確実に殺すために帝王種がやってくるのは当然のことだった。
『さァ。最後の機会だぜ? 奴らがここに来れば俺は殺される。時間がねぇ。さっさと選びな』
帝王種がここに来て王喰が殺されれば、二度とその力を得ることはできない。
王喰の提案を受けるか否か、帝王種が来るほんの僅かな時間で決断を下さなければならなくなった良人は、眼前の怪物と徐々に近づいてくる無数の光星を見比べる。
「……お前の力があれば帝王種を殺せるんだな?」
自分の運命を天秤にかけ、拳を握り締めた良人は、噛みしめていた歯の隙間から、確認の意味を込めて改めて問い直す。
唯一の肉親である美亜を失った今、良人に失うものはない。
ただ今良人の中にあるのは、自分達を飼い喰らう帝王種達への激しい怒りだけだった。
『ああ。契約は対等。――お前が俺の宿主になる代わりには、俺はお前に力を与え、お前が殺した帝王種を喰う』
良人の言葉を受けた王喰は、その瞳から滲みだす決意を感じ取って答える。
「分かった。帝王種の奴らを殺せるなら、俺の身体くらいくれてやる!」
それを聞いた良人が、王喰の宿主となる受け入れる決断を下す。
『契約成立だ。よろしくな、相棒!』
それを聞いた王喰は、口端を吊り上げて牙を見せて笑うと、その身体から小さな黒い物体が飛び出し、良人の中へと入り込む。
「っ、あ、ああああああああっ!」
怪物の大きさとは比べるべくもない、掌に乗りそうな小さな塊が身体の中に入り込んだ瞬間、良人は全身を掻きむしるような痛みに襲われる。
王喰という存在が神経レベルで良人の身体に融合し、細胞がその力によって書き換えられていく。
それに伴って生じるこれまで感じたことのないほどの苦痛に悶え苦しむ良人は、その場でのたうちながら全身を掻きむしる。
「オイ」
それがどの程度続いていたのか――時間の感覚がなくなってしまうほどの苦痛に悶え苦しんでいた良人は、不意に聞こえた男の声に意識を視線を向ける。
疲弊し、光を失った瞳が映すのは、眼前に佇む四つの人影。――頭部に王冠を彷彿と挿せる角を戴く帝王種達の姿だった。
「地球人か……こんなところで何をしている?」
一団の一人らしき若い男の帝王種は、ただ無機質な瞳で良人を捉えている。
その語気がやや尖っているのは、地球人――良人への侮蔑などではなく、単に王喰との戦いで気が立っているからだ。
帝王種は地球人を無碍に扱わないが、それはあくまで家畜と思っているからであって、対等だと思っているからではない。
だから、明確な敵対行為を見せない限り、帝王種は地球人に対して無関心――否、食料として友好的に接するのだ。
「王喰は死んでいるようね」
「念のため、死体を完全に滅却しろ」
そんな良人の背後で、王喰の死体の元へ歩み寄っていた若い女性の帝王種が言うと、その隣に佇むがっしりとした体格の男が言う。
『あァ、腹が減ったな』
その時、良人の脳裏には、自分の中から響いてくる声が反響していた。
同時に湧き上がるのは、激しい飢え。新たな身体を得、そのために消耗された体力を回復し、生命力を維持するための生存本能だった。
「そうだな……」
帝王種が放った炎が、亡骸となった獣を焼き払い、夜の闇を明るく照らし出す。
そんな中で静かに佇む良人は、俯きがちになっていた顔を上げ、炎よりも赤い赤色に染まった双眸で眼前の帝王種を睨み付ける。
「いくぜ相棒」
その口から、家畜にして食料である地球人との決別を宣言するかのような言葉を紡いだ良人は、全身から漆黒の波動が迸る。
「な――ガ……ッ!?」
それに反応した帝王種の男が反応するよりも早く、良人の掌から伸びた黒い剣がその身体を貫く。
王威によって守られ、かつて人類と戦った際にも銃でもミサイルでも傷一つつけられなかった帝王種の身体が貫かれ、そこから流れ出した血が剣の刀身を伝って良人へと流れていく。
「貴様……ッ!」
その光景に瞠目した帝王種達の前で、引き抜かれて鮮血をまき散らせた剣が、獣の頭部のように変型する。
『いただきます』
良人の体内から溢れ出した漆黒のオーラが具現化した獣は、先の一撃で傷を負わせていた帝王種の男に牙を突き立て、生々しい破砕音を立てて咀嚼する。
「ゴクリ」とでも表現するような音を立てて帝王種を一人嚥下した黒いオーラの獣が、ゲップをするように息を吐きだす。
「王喰! 宿を変えたのか!」
『あぁ、まだ喰い足りねぇなァ!』
半瞬遅れて他の帝王種達が臨戦態勢に入るのを見て取った黒い獣は、一つ舌なめずりをする。
前の身体で瀕死に近いところまで追い詰められていたこと、そして良人の身体に寄生し、その存在を作り替えたことで膨大なエネルギーを消耗してしまっていた王喰は、失った力を取り戻すための栄養摂取を行わんとしていた。
『いくぜ相棒! 俺の力の使い方は分かるよな!?』
「ああ! まるでずっと使ってきたみたいに、力の使い方が分かる! これが、お前と一つになるってことなんだな!?」
空腹を満たすことを求める王喰の咆哮に、身体の内から湧き上がる力を噛みしめながら良人が応じる。
王喰によって作り変えられた身体が、その力を使い方を良人に教えてくれる。
『その通りだ!』
その力を解放した瞬間、黒いオーラとして具現化していた王喰が良人の身体と融合し、その姿を変容させる。
それは、人の姿を残したまま巨大な角と鋭利な爪、そして背中からは蝙蝠の翼を彷彿とさせる器官を生やした鬼に似た異形。
人ならざる捕食者としての姿へと変化した良人から放出される力の波動が大地を砕き、大気を震撼させる。
「力が……漲ぎってくる!」
自分達の天敵が新たに現れたことに戦慄する帝王種達を尻目に、良人は身体の内側から湧き上がる力に歓喜し、鋭利な爪の生えた拳を握り締める。
興奮と高揚に胸を高鳴らせ、その鋭い眼光で帝王種を見据えた良人は、地面が砕けるほどの力で地を蹴り、獣のように襲い掛かる。
「く……っ!」
影すら残らないほどの速度で駆ける良人に驚嘆しながらも、帝王種達はその気に光を具現化した武器を顕現させる。
帝王種達がその手にしたのは、自身の魂から湧き上がる力そのものである王威を形にした武装。
いわば、帝王種個人の魂を武器へと変えたもの。
一人一人形も種類も違うが、この場にいる帝王種達は、剣状の武器を有している者が大半を占めていた。
「行くぞ! ここで王喰を討ち果たすのだ!」
宇宙の頂点に位置する王の種族は武器を構え、王威の力を注ぎ込んで良人――「王喰」を迎え撃つ。
王威の力を炎や光といった力に変え、剣から、槍から王喰となった良人へ向けて帝王種が放つ力が撃ち込まれる。
個人の力が、かつて地球を支配していた人類が誇るあらゆる兵器を凌駕する帝王種の王威が一斉に良人へ注がれ、周囲一帯を薙ぎ払うほどの破壊を巻き起こす。
天が震え、地が砕け、星が揺れる。――天災にさえ等しい宇宙の頂点に座する種族にふさわしい力は――しかし、その内側から生じた黒いオーラによって破壊される。
「――ッ!」
この世界で唯一、帝王種の天敵である王喰は、王威に対する抵抗力と耐性を有している。
鬼のごとき異形へと変容した良人は、帝王種達の攻撃など意に介した様子もなく、黒いオーラを身に纏ってその力を振るう。
「ハアアッ!」
「ぐ……ッ、うあああっ!」
剣のような形状へ変化した黒いオーラを力任せに叩きつけられ、帝王種の男は苦悶の表情を浮かべる。
振り抜かれた剣と衝撃波が帝王種の男を吹き飛ばし、その身体が地面を跳ねるように転がって、巨大な爆塵を上げる。
そこへ追撃をかけんとする良人に一斉に帝王種達が襲い掛かり、その武器と力を叩き込む。
王威の力が込められた武器から放たれた力が良人を捉え、天を衝く爆発と同時に生じた衝撃波が天地を揺らす。
「やったか!?」
夜の闇を昼よりも眩く塗り替える王威の力の爆発に良人達が呑み込まれると、帝王種達はその手応えにわずかに表情を緩める。
しかし、その表情は王威の爆発の内側から生じた闇によって呑み込まれた瞬間に強張ったものに変わり、そこに佇んでいる鬼のごとき良人の姿に言葉を失う。
「……っ!」
「そんな、無傷だなんて……!」
帝王種を宇宙最強の種族たらしめる力である王威すらも食い尽くし、破壊する王喰という天敵の力を目の当たりにして愕然とする帝王達に、牙をむき出しにした良人が襲い掛かる。
「オラァアアッ!」
王喰の力を全身に巡らせ、咆哮と共に黒い力を剣のように束ねて振るった良人の攻撃が、咄嗟に帝王達が展開したエネルギー状の壁――いわゆるバリアなどと呼ばれるそれを破壊する。
身体から放出される黒いオーラを束ねた剣が帝王種を斬り裂き、その腕を身体から分離させたのを見て取った良人の口端から覗いた舌が、ねっとりと口元を舐める。
「すげぇ! あの帝王種と互角以上に戦えてる!」
『当たり前だ。お前は俺。帝王種を喰らう王喰なんだぜ』
鼻腔をくすぐる王喰の血の匂いが良人の戦意を掻き立て、捕食者としての本能を昂らせていく。
それは、王喰と融合することで、その肉体までもが人と異なる物になった証。
今の良人にとって、帝王種は飼い主でもなければ、手も足もでない強大な存在でもない。――己が生きるための糧、食料だった。
「どうだ? 家畜だと思ってた奴に、逆に喰われる気分は!」
その手で新たに一人の帝王種を殺め、王喰の胃袋のその存在を収めた良人は、憎悪に染まった瞳に愉悦を浮かべて口端を吊り上げる。
悪意に彩られたその笑みはあまりにも悍ましく、帝王種達に生命が潰える怖れを刻み付けるのだった。