黒い死に抱かれて
帝王種に支配された地球人の都市は、以前と変わらないどころか宇宙の超文明によって大いに発展した姿を獲得している。
流線型に近い天を衝く銀色の摩天楼の群れ。画面もないのに空中に映し出されている光のディスプレイ。宙を移動する車。
それ等は、等しく人類が思い描いていた未来の科学の姿だった。――ただ一つ、その街に生きる人類が家畜であるという事実を除けば、だが。
「う、あああっ!」
「……!」
女帝「イシュカティール」の元からの帰り道、夕日で赤く染まった街を力なく歩いていた良人の耳に届いたのは、男性の叫び声だった。
その声に俯きがちになっていた顔を上げた良人は、空中へ吊り上げられていく三十代前半ほどの男性の姿が瞳に映る。
よく見れば、その男の首には光を受けて輝く細い糸のような物が絡みついており、それが男性を釣り上げているのだと即座に理解させる。
それは、帝王種が持つ王威の力が糸状に縒り合されたもの。その証拠に、男を捉える糸を辿っていけば、摩天楼の一角に腰を下ろした帝王種の姿を見て取ることができる。
それは、地球が帝王種の支配下に置かれてから見かけるようになった光景。地球人を食料とする帝王種による食事――そのための「狩り」だった。
地球を支配する帝王種――イシュカティール曰く、「自然派」と呼ばれる帝王種達は、空腹になった時にしか食事をせず、その時にしか食料である地球人を殺さない。
そのため、空腹になった帝王種達が時折、こうして地球人を確保するのが、日常の景色の一つになっていた。
そして、今良人が目撃しているのは、帝王種による「人釣り」。人が魚を釣るように、帝王種が人を釣っているのだ。
「……っ」
助けを求める声を上げながら帝王種の元へ引き上げられていく男の姿を見送る良人は、他人ごとではない現実を前に全身を強張らせる。
帝王種の食事は、人間とさほど変わらない。ある者は生で、ある者は調理を施して食料とする。
街には帝王種のための料理施設も用意されており、捕えた人間を持ち込んで調理してもらうこともできるようになっているのだ。
捕まった男を見て、その身にこれから訪れる運命を想像して顔を青褪めさせた良人は、まるで逃げるように背を向け、街の中を駆けていく。
唯一の救いは、帝王種のエネルギー変換効率は恐ろしく優れており、大食漢と呼ばれる様な帝王種でも、一日に一人食べれば十分だということだ。
とはいえ、この街に住む帝王種だけでもその数は相当なものとなる。次は自分だという恐怖に駆られ、良人と同じように地球人たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「はぁ、はぁ……っ」
息が続く限りに走り抜けた良人は、これまで何度も見てきた光景を思い返して歯噛みし、震える拳を握り締める。
(くそ……っ!)
思わず溢れ出してくる涙を拭い、心を落ち着けた良人は、その足で街の中心から離れた場所に作られた銀の塔へと歩いていく。
帝王種の支配下に置かれた地球の都市は、帝王種が暮らす中央区と元々の住人である地球人が暮らす外区に分かれている。
その外区には、個人――あるいは家族単位で暮らすためのマンションに似た建物が帝王種の手によって用意されており、良人もそこに暮らしていた。
「良人くん。どこ行っていたの?」
「……おばさん?」
暮らし慣れたマンションへと帰って来た良人を待っていたかのように駆け寄って来たのは、近所に暮らす三十代ほどの女性だった。
「おばさん」と呼んではいるが、彼女は別に良人と血縁親類にあたるわけではない。ただ近所に住んでいるだけの知人だ。
帝王種に支配されて以来、人々は目に見えて近くなった死の恐怖から、時代が進むと共に失われていた近所での交流を取り戻し、共同生活を営んでいた。
日頃からお世話になっているおばさんが自分を待っていたことに疑問を覚えた良人だったが、そんな考えも次に紡がれた言葉によってかき消されてしまう。
「『美亜』ちゃんが……!」
「……!」
青褪めたおばさんの言葉を聞いた瞬間、良人は心臓を直接握り締められたような感覚に見舞われ、周囲の音が聞こえなくなってしまった。
最悪の予感を感じ、聞くが早いか駆け出した良人は、マンションの自室へと飛び込む。
「美亜!」
力任せに扉を開き、部屋に駆け入った良人の目に入ったのは、静かに佇む白衣の老人と、ベッドに横たわる少女の姿だった。
白衣の老人の頭部には冠を思わせる角が生えており、その人物が帝王種であることを雄弁に物語っている。
そんな帝王種の老人が見守るベッドの上に眠る炭のように黒い肌の少女からは、全く生気を感じられなかった。
「み、美亜……」
「ああ、帰ったか」
その姿を見て青褪めた顔で立ち尽くす良人に気付いた白衣を着た帝王種の老人は、憂いの中に安堵を浮かべて声をかける。
「間に合ってよかった。最期のお別れを」
「……っ」
白衣を着た帝王種の老人の言葉に、良人はおこりのように全身を震わせながら、よろめく足取りでベッドに横たわる少女の元へ歩み寄っていく。
「み、美亜……」
かつては雪のように白かったとは思えないほどに黒く染まった腕を取り、その冷たさに死の気配を感じ取った良人の目から涙が溢れ出す。
かろうじて胸が上下していることから、生きていることは分かるが、今にも消えてしまいそうなほどに弱い。
「先生、美亜を助けてください! もう、もう俺には美亜しかいないんだ!」
「……」
いたたまれなくなり、白衣の帝王種に声をかけるが、返ってきたのは無言の否定――「もう打つ手はない」という死の宣告だった。
帝王種に支配されて以来、地球人の医療は全て帝王種によって行われている。
食料の健康維持と管理は、それらを食す上で必要不可欠なもの。当時の文明よりはるかに高い科学と医療技術、王威の力によって、死者や病人は以前よりも格段に減少していた。
「帝王種なんだろ!? 宇宙の頂点に立つ種族なんだろ!? だったら、助けてくれよ! ……美亜を、美亜を助けてくれるなら、なんだってするから……俺の事、食ってもいいから……だから、だから……」
「……すまない」
地球人を診る医師は、食料を万全の状態に保つ者達。その医療に嘘はない。
この医師も、美亜に対して真摯かつ誠実に向き合ってくれていた。しかし、そんな医師を以ってなお治すことができないのが、この黒呪病という病だった。
「お、にいちゃん」
嗚咽を零しながら、縋るように妹に寄り添っていた良人に、掠れたような声がかけられる。
「美亜!」
その声に身を起こした良人が妹――「美亜」の顔を覗き込むと、閉じられていた瞼がうっすらと開く。
しかし、その瞳は虚ろで開き切った瞳孔は、美亜の命がもはや死から戻れないところにあるのだと、否応なく感じさせ、良人の一縷の希望すら容赦なく断ち切ってくる。
「ごめ、んね……」
「美亜……美亜!」
風前の灯火である命を奮い立たせ、掠れるような声で言葉を紡ぐ美亜の声を懸命に拾う良人には、ただ妹の名を呼ぶことしかできない。
《良人。あとのことはお願いね》
《美亜を守ってくれ》
そんな良人の脳裏に甦るのは、亡き父と母が最期に残した言葉。
三年前、まだ美亜が健康だった頃に、街中で遭遇した帝王種から良人達を守るため、食事としてその身を差し出した両親の遺言だった。
「げ、んきで……生きて……ね。わた、しの……分、まで」
しかし、そんな約束も守ることはできない。あの時に誓った妹を守る約束も、もし仮に帝王種の食手が迫ったなら、両親のように自分が盾になってでも美亜を守るのだという決意も、全てが黒い死の病に奪い去られていく。
「うっ……うぅ……ッ」
母の形見でもある指輪だけが銀白に残った黒い手を握り締める良人は、嗚咽を噛み殺しながら、美亜の――妹の最期の言葉に耳を傾ける。
元々細身ではあったが、闘病生活で弱り切った細い腕には骨と皮だけしか残っていないのではないかと思えるほどになっており、その痛ましさと何もできない自分の無力感と絶望だけが良人の胸を満たしていく。
「お兄ちゃ……」
「美亜……美亜!」
か細い声が途絶えると同時、わずかに残っていた力が握り締めた腕から抜けるのを感じ取った良人は、懸命に愛しい妹の名を呼ぶ。
しかし、涙で何も見えないほどに歪んだ視界に映る妹は、もう二度と目を覚ますことは無かった。
「ぁああああああああああ!」
静寂が落ちた部屋に、最後の肉親だった妹を失った良人の慟哭だけが響いた――。
帝王種の医師は優秀だが、同時に他の帝王種への食糧供給役でもある。帝王種の力を以ってしても救えなかった命を食料として同胞へ配るのだ。
しかし、黒呪病で死んだ者は帝王種もさすがに食べない。結果、美亜の遺体は死を看取った帝王種の医師の王威によって欠片一つ残さずに灰となった。
「……俺、これからどうやって生きていけばいいんだよ……」
手元に残った唯一の形見――美亜が母から譲り受けた指を手の平の中で転がした良人は、夜空を見上げる。
美亜が死んだ場所にいることが辛く、街の外れに広がる森へと足を運んだ良人は、家族の喪失を悼んでいた。
美亜が元気だった頃、両親と暮らしていた頃――幸せだった時間を思い返し、それがもう戻らないことに絶望していた良人に、時間を置いて去来したのは、激しい怒りだった。
「あいつらさえ……あいつらさえいなければ……」
良人の脳裏によぎるのは、イシュカティールをはじめとする帝王種達の姿。
奴らがいなければ、両親は食われなかった。奴らがこの星に来なければ、黒呪病は持ち込まれず、妹は死なずに済んだ。――普段は、圧倒的な力と恐怖に抑圧され、意識しないようにしていた憎悪が良人の中で湧き上がる。
「ぶっ殺してやる! あいつらを一人残らず……!」
震える声で恨みの言葉を口にする良人は、血が滲むほどに強く拳を握り締める。
(そんなことできるわけないか……軍隊でも勝てないのに、俺が何したって変わるわけない)
無論、そんなことができないことは良人には痛いほど分かっていた。
かつて帝王種が地球を占領下に置こうとした際に生じた世界中の軍隊との戦いでも、帝王種側にほとんど犠牲は出なかった。
宇宙の生物の頂点に立つという話に誇張はなく、一人の人間がどんなに頑張っても傷一つ負わせることはできないだろう。
ひとしきり憎悪を吐き出して冷静さを取り戻したものの、その心中に渦巻く憎しみの火が消えるわけではない。
「くそ……くそ……っ」
やり場のない感情に掻き立てられ、抱えた膝に顔を埋めた良人は、しかし次の瞬間に不穏な気配を感じとる。
「なんだ?」
不意に顔を上げた良人の目に映ったのは、夜の空を斬り裂いて落下してくる一筋の流星。
一瞬な流れ星かと思われたそれは、しかし空で消えることなくさほど離れていない森の一角へと墜落爆発を起こす。
「い、隕石?」
何が起きたのか分からなかった良人だったが、心の中から生じる突き上げるような衝動に背を押されるように、無意識の内に足を踏み出していた。
※※※
それは、良人が隕石を見つける数十分前。――青く輝く地球の外では、その間近で一つの黒星と無数の光の激突が起きていた。
『あと一息だ! 王喰を地球へ落とすな!』
「グオオオオオッ!」
星々の間で交わされる交信と共に放たれた無数の光が黒い光――その中にいる獣「王喰」へと命中し、無数の爆発を引き起こす。
ここに至るまでの激しい戦いで片足を欠損し、全身に無数の傷を負って血にまみれる獣はその苦痛に咆哮を上げ、しかし渾身の力で口腔から破壊の閃光を放つ。
集結した光がバリアをでも呼ぶべき半透明の障壁を作り出してそれを阻もうとするが、手負いの獣が放った破壊の光は、それらを破壊する。
障壁が破壊されると共に獣が放った破壊の閃光が無数の光――「帝王種」達を呑み込み、その肉体を瞬く間に塵へと変えていく。
「ぐ、ああああッ!」
帝王種達の断末魔と共に、新たに飛来した光が放った攻撃が王喰に命中し、爆発の花を咲かせる。
その一撃で力尽きたかのように体躯をぐらつかせた王喰は、地球の引力に引かれてゆっくりと地上へ向かって落下していく――。
『イシュカティール様! 王喰が!』
「逃がすな! 確実に仕留めるのだ!」
通信を介してその報告を受けた帝王種の女帝――「イシュカティール」は、声を荒げて命令を下す。
その前に浮かぶ画面には、リアルタイムで更新される王喰の落下軌道が描かれている。
「……おのれ、この生存権まで貴様の好きにはさせんぞ」
憤りに任せ、机を拳で叩いたイシュカティールは、画面を睨み付けて敵意を滲ませた声を発する。
「…………」
その様子を、背後から見つめる大角の帝王種――「ザイオス」は、その双眸に険な光を宿していた。